摩耶にとってそれが一番幸せだったとは、とても思えない。
そう考えた原因は、母親の存在。
母子家庭なのにもかかわらず、自身は無職。
子役時代の娘が稼いだ金を食いつぶしながら、過去の栄誉に必死にしがみ付いている亡者。
芸能の世界には戻りたくないと頑なに拒む娘の意向もまったく無視。
芸能関係者が普通に知っていたくらいですから、摩耶のカメラに対する拒絶反応のことも当然知っていたはず。
にも関わらず娘に相談もなしに勝手に奔走し、
周りを固めて摩耶の逃げ道をなくして行くような手口は、
とても母親とは思えないようなものでしたね。
摩耶が父親について行かなかった事&家事もちゃんとやっている。っていう設定は、
本当は母親のことを深く愛していて、見捨てられなかったから・・・
という裏設定がきっとあるからなんだと勝手に思っていましたが、
結局そんなこともありませんでしたし。
自分のせいで家族が壊れた、という思いが強い摩耶が、
こんな環境に何年もいて、それでもまだ女優に未練が本当に残るでしょうか?
それに主人公のあり方。
摩耶とらぶらぶしてるあたりまでは、
普通に良いやつ。裏表のない優しい人間、という評価でしたが、
CM撮影以降その評価は一変。
一言で言えば、「迂闊」。
物語を一歩引いた、俯瞰的な視点で楽しむタイプの人には問題にならないのでしょうが、
私みたいに主人公に感情移入しまくりながら物語を読むタイプの人間にとっては、
こういう主人公は凄く苦痛でした。
世間ずれしていない、等身大の学生を主人公に置きたかったのはよくわかりますが、
もうちょっと上手いやりようがあったのではないかと考えてしまいます。
それに物語最後の、摩耶を芸能界に戻そうと奮闘する様。
ものすごいから回り感でした。
上記した通り、摩耶が女優に未練がある
という設定にする説得力がまったく足りてないように感じましたので、
「こいつ彼女を健気に送り出す悲劇の主人公でも気取りたいだけなんじゃないのか。」
とずっと考えていました。
それもまた等身大でもありますしね。
この頃の学生って、そういうのに妙に憧れ持つ年頃ですし。
もうそうなると主人公と摩耶の母親がちょっとだけダブって見えちゃいまして、
はっきり言って気持ち悪かったです。
エンディングのスタッフロールのシーンでは、
「これ、"摩耶の母親大勝利エンド" か何かなんですかね?」
とあまりの納得のいかなさに顔をしかめていました。
摩耶の父親から受け取ったパキュラに込められたメッセージ演出のあたりまでは、
素直に感動出来ていたんですけどね・・・。
長々書きましたが、個人的に言いたいことは要するに2つです。
①、摩耶の女優に対する執着をもっともっとも~~っと分かりやすく描くべきだった。
②、主人公おまえ等身大の学生なら理解あるフリなんてしてないで摩耶の傍にいることにもっと必死になれよ!
ってことです。
対して叶ルートは凄くよかった。ほんと良かった。
このルートは偽りなしに「等身大な恋」で、
学生等身大でありつつも、主人公のあり方もとても自然でした。
主人公が主人公の役割をよく果たしているルートでしたね。
叶が主人公に甘えている、という部分を、
もっと主人公にベタベタに依存する形で表現していれば、
シナリオの展開的にももっとよくなったかも。
ありがちではありましたが、最後の体育館でのシーンは思わず涙するくらいには
良い話の落とし方でしたし、逃避→依存→解決 の依存の部分の描写が薄かったことが余計惜しまれます。
それを抜きにしても十分良い内容ではありましたが。