個人的にPULLTOPは「演出のPULLTOP」であると思っていて、実際購入動機も「ココロ@ファンクション! で見られた未来感を今一度体感したい」であった。実際その期待を裏切らないクオリティのものをプレイさせてもらったと思っている。
ピュアソングガーデン! 総評感想
執筆者:やーみ @suxamethonium28
PULLTOPより2017年6月に発売されたゲームである。同ブランドは演出面に関して昔からかなりの力量を注いでおり、この作品においてもそれは遺憾なく発揮されていた。少年少女たちが一つの「夢」に向かって邁進し、時には困難もあろうがそれを乗り越えて「夢」を実現する。これは王道であり、ある種使い古されてもいる。それでも描写表現や映像画像表現によってその「盛り上がりポイント」の破壊力を上げる手法は見事であったと思う。
特に演出が上手くいっていたいろはルートに関して述べていこう。最初にいろはルートの粗筋を述べていく。まずいろは(少女)がタイムシフトで2027年のバーチャルアイドル・アイの素体に入る。素体が消費されたためピュアソングガーデンのイベントスケジュールに穴が開きかねなく、いろはが責任を感じ「アイの代役として(ココ重要)」活動する。ピュアソングガーデンにおいてタイムシフトの影響でサーバーに過負荷がかかり、VRハザードが発生する。毀損されたVRへの信頼に対し、責任感を覚えたいろはが「VRイメージキャラクター・アイ」として活動する。最初は拒絶された活動もやがては上手くいき、VRハザード終息宣言を出せる直前までいく。ところがVRハザード終息プログラムを適用するも却ってVRハザードが悪化する。VRが世界から捨てられかねない現状に危機感を抱いたいろはは自分に出来ることを探し、結果それは自らが幸福になることであることが判明する。その過程で自らの夢である「わたしの歌でみんなを幸せにする」に気がつく。しかし「アイの代役であるいろは」にはそれが叶わなかった。いろはは自らが「星野いろはというスター」になることを選択し、再度勃興したVRハザードを終息させる旗振りを、自らの意志で担う。「星野いろは」という星の導き手のもとに、VR反対派と賛成派とがaufhebenし、VRハザードを終息させることに成功する。
さてここで個人的に読み取られるべきと思う事象はいろはの考え方や行動が元々passiveであったが、時間経過とともに徐々に能動的になっていることであろう。最初は「開けたスケジュールの穴埋めにアイの代役に」、ついで「VRのイメージ回復のためにアイの代役に」そして「歌でみんなを幸せにするために星野いろはとして」動いている。このルートを単純に総括してしまえば、星野いろはという一介の少女がスターとなるまでの成長記である。この至極単純な物事をメインヒロインの1ルートをかけて描いたのだ。単純にかけられる時間が多ければ描写を増やすことが出来る。また「どこかぬけている」少女は感情の表出が上手く、その揺れ動きはコロコロ変化する表情や声色をもって表現された。表情変化は立ち絵の豊富な差分によるものが大きかろう。後で触れるがE-moteもそれを実現するいい仕事をした。これらが合わさって少女の「夢」はプレイヤーの前に厳然と示されることになった。ラストシーンにおいては今までの登場人物たちが総出でかつそれぞれ活躍のシーンがあり、そしてこの「夢」が様々な障壁を乗り越えて達成されたわけであるから、そのカタルシスは良質なスポ根マンガのそれに近い。画面演出上、音楽・背景画像・動画を複合させて僕らを殴ってくる手法も相まって、カタルシスはより強くなったのであろう。
演出面では他にも褒められるべき所は多く、例えば「完成した曲を再生し、部のメンバーに披露した」という地の文においてしっかりとそのBGMが流れ始める。VR花火が動画で打ち上がり、音と映像が同期している。相変わらずご飯のCGのクオリティが高い。後ろ向き立ち絵があり、臨場感がより高まっている。これらの細々とした内容の積み重ねが、より没入感を高めているということは大いに強調されるべきである。
この作品はPULLTOPにおいて初めてE-moteが実装されたゲームである。私もE-mote作品は初であって、E-moteのクオリティの高低に関しては対照のしようがない。最初は胸の揺れが結構気になったが10分もすれば慣れた。E-moteによってキャラの感情表現手法が広がったと感じたので、実装の試みは概ね成功したのだろうか、とは思う。さて一つE-moteに関連しての指摘になるが、E-moteにおいて主に動くのは表情、とくに口周りであった。ところがプレイヤーは地の文を読むためにテキストボックスに視線を置くことを強制される。するとキャラクターの表情部分の立ち絵とテキストボックスとで視線移動を頻繁に行う必要が出てくる。これは少々疲れた。すたじお緑茶のように可動式テキストボックスの導入も候補の一つなのかもしれない。可動式は可動式で欠点も多かろうが。
テキストボックスつながりで言えば、この作品のテキストボックスは非常に読み難い。体験版から多少改善されたようには見えるが、初期設定のテキストボックスの非透明度では、文字(未読:濃い青、既読:薄い青)と背景の立ち絵(ヒロインの服は青系が多い)のコントラストがつかず、読めたものではない。非透明度を上げれば多少読みやすくはなるが、今度は既読文字の薄い青と背景の白色とのコントラストがつかず、やはり既読文字は読めたものではない。また発言しているキャラクターの名前が今までのエンジンでは地の文の上に表示されていたものの、今回は地の文の左に表示されるようになった。これも視線移動を増やしており、やや疲れさせる仕様であった。
もう一つ大きく気になった点を挙げておく。Trueルートおける「星野いろは」が過ごした空白の3年に関して、描写が端折られた印象があった。私の過去の別作品のレビューを再掲する。"「主人公が寝ていた3年間」の描写があまりにも薄いことにある。ここは「@onceの重さに気が動転して主人公を突き放してしまったこと」をリィが後悔していることを強調できるシーンである。ここの描写が薄い場合プレイヤーにしてみれば「ものの20秒画面が暗転していただけ」の別れであり、3年という時間の重さを感じ取ることが出来ない(L@ve once PSP版のSuxamethonium28の感想より)"。これも同じである。主人公がいろはと別れてから過ごした1年間、玖苑が「取り繕える」くらいに回復するまでの流れ、明日歌が「少し距離を縮めてくる」までの流れ。こういったものを示せば、2027年側の「1年間の重さ」をプレイヤーに追体験させることが出来る。いろはの3年に関しても同じである。ほんの少しだけタイトル画面に戻っていただけの別れでは、少なくとも私は感動の再開シーンにおいてノルことができなかった。
この作品は、私がプレイしたPULLTOP作品の中では最もエロい。主人公の山葉君にかかれば、射精の5発や8発は当たり前に行われるし、毎夜毎夜朝までまぐわっても問題ない。抜かずのn発も当然のように行われる。山葉君はティーカップに一杯になるまで射精できる。メインヒロインと思われるいろははそもそも高級ラブドール素体であるがゆえに感度も抜群である。玖苑は椅子に縛り付けられ、目隠しまでされる。ヒロインたちは何故か主人公の射精の残弾数を管理している。純愛ゲーとしてはかなり多様な性癖を取り入れた性行為であったと感じた。エロも頑張っているエロゲーであった。
脈絡ないコメントにはなるが、ゲームフルコンプ後タイトル画面に戻った際にかかるようになる曲が「ソング・フォー・ミュージック」になる。この曲は作中において様々な人から「自身の好きなメロディー」を提出してもらい、これらを統合することで万人が好む曲を作ろうとしたものであり、「歌でみんなを幸せにする」ことをモットーにしたものである。実際のところはこのゲームの他のVocal曲4曲のメドレー形式を取っている。フルコンプ後においてはやはり余韻を楽しみたい。そんな時に聞く曲としてメドレーは極めて適切であり、タイトル画面において流すセンスの良さは付記されるべきだと思った。
個人的にPULLTOPは「演出のPULLTOP」であると思っていて、実際購入動機も「ココロ@ファンクション! で見られた未来感を今一度体感したい」であった。実際その期待を裏切らないクオリティのものをプレイさせてもらったと思っている。音楽を売りにしていたようだが、そのクオリティも充分高い。Vocal5曲というのは結構費用的にもかかっているであろう。物語自体においては触れていない個々の個別ルートにはちらほらと不満はあるものの、いろはルートの出来は指折りであり、その意味で僕は大いに満足できた。良作から名作にかけての作品であったと思う。