いっそのこと邦画「アウトレイジ」のキャッチコピーになぞらえて「登場人物 全員クズ」と謳って売り出せばよかったのではないか。
ウィザーズコンプレックス 総評感想
執筆者:やーみ@Suxamethonium28
この作品の長所を挙げておく。非常に使い勝手のいいUI、演技力の高い声優さん、少々巨乳過ぎるきらいもあるが可愛らしい絵、よく描けている登場人物たちの思考スキーム。しかしそれらを持ってしてもあまり世評は高くないようだ(1)。個人的にその理由を考えてみるに、「何らかの要素においてクズな登場人物が大量に出てきたこと」とそしてその「クズ」の思考スキームを丁寧に描いてしまったからこそ「余計にヘイトを買った」のではないかと考えた。正直プレイ終了後、この作品において何を思って企画立案がなされたのか大いに疑問を覚えるものであった。本作品は「クズ」があつらえた舞台で「クズ」の身勝手な感情を糧に、「クズ」が自分自身のルサンチマンを赤の他人にぶつける、という恐ろしいものだった。クズとは呼べない人材はほのかただ一人であった。「クズ」の思考スキームを垣間見ることが出来る作品への感想は、「クズ」度合いが比較的高いキャラクターに関して、どういった点が「クズ」なのかを述べていくことが相応しいだろう。
この作品で最も「クズ」である人間は学園長ということで本作品プレイヤーは全員一致すると思う。学園長の「クズ」な要素は大別して2つあり、一つが「無責任型放任主義」でありもう一つが「自己責任の遵守の強要」である。前者のクズ要素は物語序盤から遺憾なく発揮されている。女子しか今まで存在しなかった学園に男子の入学を認め、その事実を学園内に流布しておくことをしなかった。いざ主人公が現れたら当然不審者として学園内の魔女の追跡を受ける。魔女たちは不審者である主人公に当たり前のように魔法を放つ。このような状況でも、学園長は一切自らが介入して止めようとしない。この事実羅列の時点で既に「無責任型放任主義のクズ」という誹りを免れないと思うが、更にクズさを推定できる情報を加えよう。一つ、学園長は主人公の魔力が非常に少ないことを知っていた。二つ、魔力攻撃を受けた場合、魔法服を着ていれば、攻撃を自分の残存魔力を「相殺して」いくことで身体への魔法ダメージを無効化出来る。三つ、主人公は魔法服なるものを着用していない。この3点から推定される事実は「学園長は追跡されている主人公が魔法攻撃を被弾した場合、攻撃相殺が叶わない主人公は致命的な経過をたどる可能性があった」ということである。事実第2次生徒会対戦では魔法攻撃を主人公に対して放った西側に対して「主人公の生命の危機」を根拠に批判を展開する。冒頭以外でもこの作品内において「魔法攻撃を被弾したら死ぬかもしれない」主人公に対し学園長の行動は「放置」で一貫しており、「直接攻撃を是」としている。万が一主人公が怪我をしていた場合業務上過失致死傷罪辺りが視野に入ってくるかもしれない。このあたりは法学の専門家の意見を仰ぎたいところだ。
そして学園長が「無責任型放任主義」であるのは主人公に対してだけではなく、学園全体に対してである。この作品の学園の歪みの最たるものである「日本人は東棟へ」「外国人は西棟へ」という提案(これ自体が既に人種差別そのものであり、こんなシステムが国立大学法人で通るわけ無いだろう)の提案が生徒からなされた際にも、そのままその提案を受け入れ、挙句の果てに「東棟と西棟の代理戦争の場」を提供している。「戦争の勝者」に「敗者も含めた全校の支配権」を与えるというルールもこの学園長の取り決めである。なお建前上は「立派な魔女になるための相互研鑽の場」とのことであるが、「男女混合水中騎馬戦」やら「押し相撲」やら「ロシアンルーレット」やらが果たして魔女としての研鑽になるのか、大いに疑問である。なおこれらの勝負科目は学園側が勝負開始2時間前に初めて告知してくるものであり、勝負のアナウンス自体も当日になるまで明らかにされない。事前準備もクソもなくこれで何を「研鑽」しようというのか甚だ理解に苦しむ。なお鳴ルートにおいては西棟が生徒会対戦を勝利し学園を支配する。この際も当然のように「無責任」を発揮する。かと思えば生徒同士の私闘の際には、両者怪我は無かったものの両者に無期限謹慎、傍観者であった主人公「にも」一週間の謹慎を下す。どうやら学生に処罰を下すときだけはこのクズは生き生きしているらしい。第2次生徒会対戦の総括でも溌溂と西棟を批判していた。このようなゴミみたいな学習環境と学園長のもとでよく海外からの留学生を集められるなとある意味感心するレベルであり、文部科学省は速やかにこの学園長を解雇したほうがより良い人材を学園に集められると思う。
さて学園長第2のクズ要素に移ろう。主に娘のアイリスに対する「自己責任の遵守の強要」であるが、上述の通り学園長自体が「自己責任の遵守」を行っていないのでどの口でそれを言うか、とこの時点で笑いがこみ上げてくる。それはさておいて娘のアイリスは物語開始当時人見知りが激しく、引っ込み思案であった。にも関わらず母である学園長は多忙を理由にあまり娘に構えておらず、もうこの時点で、はい。そしてそれを改善「させる」ために取った手法が「対立する蓋然性が高い東棟」に属する主人公の家にホームステイをさせるというものであってやはり学園長はクズ。その後アイリスは前生徒会役員に押し切られる形で西棟生徒会長の任を受けた。その後アイリスは個性豊かな(婉曲表現。西棟生徒会はアイリス含め各々バラバラの方向でクズだ)面々に振り回され、仔細は後述するがアイリスが生来持つ「自己の責任によらない失敗を集め、勝手に爆発する」という性質から、度々「生徒会長に相応しくない」との自虐を母である学園長に相談する。その折「未熟な魔女の研鑽の場」の長である学園長が「未熟な魔女」である娘に対する返答は「自らの意志で受けた任であるのだから、最後までやり通せ」である。どうやら「未熟な魔女」にリタイア権は存在しないようであり、極論精神を病んでも初志貫徹をしなければいけないらしい。ほのかルートでのアイリスの精神の病み度合いは重症化し、見物客への魔法暴発を許す結果になっている。なお魔女が魔法を使う時に最も大切なものは「集中」であるらしいので、「未熟な魔女の研鑽の場」で「集中」を行えない程度まで精神的に追い詰める行為は親以前に学園長として失格ではなかろうか。
これらのクズエピソードを発揮してなおのたまう台詞が「私はこの学園を巣立っていった全ての生徒たちの母です。連綿と受け継がれてきたものを一存で否定する権利を私は持っていませんし必要としていません(ほのかルート 学園長への直談判)」である。ここまで来ると彼女の思考スキームが読めて、彼女は本質的に自分の意志がなく、流されるまま学園長をやっている。そしてにも関わらず一丁前にプライドだけは高く、自らの決定をひっくり返したくはない。感情的な面を補強する根拠として「伝統」を持ち出しているにすぎないのではないか。「無気力系高プライド保守」という現代社会でまま見るクズを描ききった事は大いにすごいことであるが、さてそれでこの作品のメッセージは何か、結局不明瞭である。
メインヒロイン格であろうアイリスもまたクズ人間である。学園長ともどもラインフェルト家大丈夫か。彼女の思考スキームは(2)の対談記事が興味深い。
"以下引用"
「ダメな私」→
「頑張ろう」→
「ふとしたきっかけで外部要因がわちゃわちゃしていくというこの世の常」→
「アイリスはそれを自分のせいだと【勝手に】思い込む」→
「わちゃわちゃしていく外部」→「わちゃわちゃ」→「わちゃわちゃわちゃ」→
「………………(アイリスの長い沈黙)」→
「ふとした一言」→
「アイリスそれまでの鬱屈をこの機会とばかりに爆発大魔神!」→
「もういやぁああああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
これをわりに定期的に繰り返すのがアイリスちゃんの人生なんじゃないですか!(長い鬱屈とふとしたきっかけのそれまでの清算的な逆ギレ)
"以上引用"
この思考スキームを3回ほど繰り返すのがアイリスルートである……と書いていて悲しくなってきた。この手の考え方は僕にも少々染み入るところがある。「ダメな私」をスタートにすることでありとあらゆる失敗は「ダメである」ことに原因を求めることが出来てしまう。この考え方を「セルフ・ハンディキャッピング」と言う。一般的な例を挙げるのであれば「テスト前日にも関わらず勉強していない」という状況に対してテスト結果が良かった場合は「無勉で高得点な僕天才」と天狗になりえ、結果が振るわなかった場合でも「無勉だし仕方がない」となる。例え悪い結果であっても自分の能力に関するプライドを傷つけなくて済むのだ。アイリスも例えば「うまく自分の意見が言えない」という軽い自虐からスタートしていることで、自らの能力全てを否定されないというダメージコントロールをしている状況にある。
セルフ・ハンディキャッピングを繰り返している人間は成長出来ないことは容易に想像が付く。とはいえそれ単独では他人の迷惑にはならない。このアイリスがクズと呼ばれるに足る理由は軽いセルフ・ハンディキャッピングに「自己の責任によらないものへの責任感」と「その解消を他者に求める」という性質が重なっているためである。具体的に見ていこう。アイリスルート最終思考スキーム過程(生徒会対戦第4戦)において、アイリスは仲間に不介入を依頼し、ターゲットとの一騎打ちを狙う(なおこの作戦自体は極めて妥当であり、アイリス自身の魔法的長所である速度を活かした戦術を取るなら他者の介入は却って邪魔であった。私がプレイ時考えられた最善手はアイリスの光の魔法を鉄の魔女の鉄で複数回反射してターゲットの背中を取る、であった)。しかし残念ながら鉄の魔女の勝手な介入によってアイリスの作戦は失敗に終わった。作戦が上手く行かなかったのは傍から見れば鉄の魔女の独断専行が原因であり、彼女の落ち度は「高速撹乱を狙うからフレンドリーファイアが怖いので」介入不要という理由付けをしなかったことだけである。しかし彼女は上手くいっていない原因を自分のみに求めた。さあスキームの「わちゃわちゃPhase」の始まりだ。そしてこのもつれは最終的に何故かほのかに「何もかも与えられている人が偉そうなこと言わないで」と向かう。余りの逆ギレ、八つ当たりっぷりに笑いがこみ上げてくる。そしてこの逆ギレを真に受けて優しい優しい天使のようなほのかちゃん(他意はない)は自らの発言が何かアイリスを傷つけたのではないかと思考の迷宮に入る。八つ当たりだからね。ほのかちゃんには考えてもわからないよ。ほのかちゃんの親友である風の魔女をして「アイリスは自分勝手」と言われるのも無理はなかろう。結局優しさの権化であり自分の行動に疑いがなく心に余裕のあった、人間としてはるか高みにいたほのかを、アイリスレベルの人間性に引きずり下ろすことで、アイリスは自らの救済を達成している。「人が心配してあげてるのに!!」という台詞はアイリスルート終盤のほのかの台詞であるが、ほのかちゃんこんなこと他ルートでは絶対に言わない。「自己の責任によらない事象に勝手に責任感を抱く」事自体は別に大した問題ではないが、その解消を他者に求めることはクズに他ならない。まとめると「他己責任型自虐装置」とでも言うべきだろうか。このどうしようもない自己矛盾の塊がアイリスである。僕もここまで酷くはないが自虐スキームで物事を考えることがある。その解消を他人に求めるか愚痴で終わりにするかが、「他所様に迷惑をかけるクズ」かの境目ではないだろうか。なおアイリスは徹頭徹尾自分のことしか考えておらず、本質的に他人なんてどうでもいいようだ。アイリスルート以外にもほのかルートにおいて顕著にそれが見られるため「自己愛過剰、ライト自虐による他者処罰」を見たい方はぜひプレイして欲しい。新鮮な驚きが見られるかもしれない。
姉も大いにクズである。正直プレイ直後はあまりクズという印象はなく、むしろ好印象を抱いていた。というのも後述する「主人公のクズ要素」を指摘していて、僕の溜飲が下がったからである。しかし(3)の対談記事に指摘がある通り、姉は"行動も実績もないのにセリフはいっちょまえに吐く"のである。姉の言動は家庭と学園で正反対の行動を取っている。家庭ではアイリスを叱咤激励することもしばしばあるが、学園においては学園長の方針(?)に従い「我関せず」の対応を取る。主人公が致命的な状況に陥る蓋然性がある程度高い状況においてもこの「我関せず」は学園内では持続し、実際に第2次生徒会対戦ではそのまま生身の主人公が魔法攻撃を受ける事になった。僕の最初の好感の理由はこれらにあって、「家庭での姉」と「学園での姉」とを全く別人格として捉えていたからであろうと思う。なお物語の導入部にあった「主人公を守る」と言わんばかりの過去回想は本編において無視されたようだ。まとめるのであれば「口だけ野郎のクズ」といったところだろうか。
他にもクズを挙げていったらキリはなく、風の魔女は主人公を木刀で殴打しかつ人生かけるレベルで大切にしている物がある人に対し「たかがゲームごとき」だの「批判される側に隙が有ることが悪い」と言い張る。鉄の魔女は突然主人公へ暴力行為を働き、常に無い知能で思いついたまま単独行動をし、正々堂々云々言う割に不意打ち上等と主人公を殺しにかかる。草の魔女は無辜の民への暴力行為を是とし他人を支配したがる。闇の魔女は自分のルサンチマンを勝手に全く関係ない人に押し付けて八つ当たりをする。いっそのこと邦画「アウトレイジ」のキャッチコピーになぞらえて「登場人物 全員クズ」と謳って売り出せばよかったのではないか。クズの思考スキームを高度に描いたこの作品をただの「駄作」と切って捨てるには惜しい。が95%の人には合わないであろう。オススメはできない。
(1)エロゲー批評空間 ウィザーズコンプレックス(2017.08.19時点で中央値60点台)
https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/game.php?game=22662#ad
(2)「2016年エターナル・インポテンツ・エレクション」ウィザーズコンプレックス(5)アイリスルート編(中)
http://osoroshiibigakokokoniumaretanoda.blog.jp/archives/1065967959.html
(3)「2016年エターナル・インポテンツ・エレクション」ウィザーズコンプレックス(3)ほのかルート編(下)
http://osoroshiibigakokokoniumaretanoda.blog.jp/archives/1065826783.html