伝奇っぽいイチャラブ、学園っぽいホラーときて、3はメッセージ性強めな終末SF。シリーズで一番おもしろかった。
村のみんなから「博士」と敬い慕われる天才主人公。天才なんだが知識があるだけで人と関わった経験が絶望的に少ないので、村人とのコミュニケーションはどこかぎこちない。
コミュ強村人は博士博士って呼びながら楽しく話しかけてくれるんだけどね、コミュ障だからうまく話せないんだ……うっ!トラウマが!
村人となかよくなりたい博士が、コミュニケーションの練習のために人間の代替として造ったロボット(アンドロイド)が、今作のヒロインのアリスとドロシーである。ついでにかわいく造ったので、コミュ練だけでなく童貞の卒業までできる性器の大発明。
あくまでついでですからね、主目的はコミュ練ですよ、ええ。でもせっかく童卒できるセクサロイドなんだから犯さないともったいないよね、
というわけでアリスはレ○プされました。
この主人公もまたレ○プかよ!!
ここまで3作全部レイパー主人公じゃん。強姦魔万華鏡だよ。
でも雪おんなまで含めてもこの主人公が一番好き。僕も天才だから親近感が湧くのかな()
博士はナルシストで強姦魔なのだが、その根幹にあるのは寂しさ。ずっと孤独だったから、他人とコミュニケーションとったことがなくて、才能を誇るぐらいしか自我を保つ方法がなくて、童貞で。
でも、彼は村人たちと交流しようといろいろ悩んで、苦手ながらもがんばって話して、みんなのためにと向日葵を植えて、誰かと仲良くなりたいという小さな夢のために、諦めず前を向いて努力し続けることができる人間なのだ。
また、「人」に固執するあまり、「ロボット」であるアリスとドロシーを蔑ろにすることもあった。博士が求めていたものは「人」であるはずで、二人はコミュニケーションの練習や性処理のための道具として造ったロボットだからである。
しかし、口ではロボットと言いつつも、本心ではただ寂しくて誰かにそばにいてほしかったから二人を産んだだけなのだ。
二人はロボットで自分が求めている人間とは違うという建前に囚われていた博士だったが、偽りのない自分の本心と向き合い、人だとかロボットだとかなど関係なく、二人を愛する「家族」だと宣言するのである。自らの過ちを省み、真実を見定めることのできる知性を持った人間なのだ。
欠点を抱えた不完全な天才がこうして人間臭く成長していく姿を見て、愛さぬことがあろうか?
物語は彼らがまた歩き出すところで終わるが、きっとこの先博士は世界を救う神になるだろう。
「知性」は、この作品の重要な教訓である。
神父の教えを盲信し真実を見抜く知性を持たなかった愚かな村人は、哀れ全滅の運命を迎えた。
一方、ブギーマンはその知性で様々な工夫をし、過酷な砂漠で生き抜いていた。
知性とは真実・本質を見極める力であり、これに盲目であると村人たちのように悲劇が待ち受けている。
この作品で真実と対極にある表面的な情報の一つが外見である。
博士はアリスやドロシーのことを美しいと思いながらも、本質的には内面を愛していたのだと思う。
対して、村人たちは二人のその美しい容姿を持て囃すが、所詮は外見だけで内面に目を向けていなかったため、一度ロボットであることがわかると簡単に手のひらを返した。
ブギーマンやはみすぼらしい姿から村人に蔑まれていたが、その内には知性を秘めていた。
火傷を負った博士はとても醜い顔になってしまったが、知性や愛が変わることはなかった。
外見という表面的な情報に惑わされず、真実を見抜く知性こそを磨かねばならないのだ。
知性を持って判断することで、ただ美少女が尻を向けているという表面的な情報だけでなく、ツンデレのアリスと無表情なドロシーが、輝かしい青空の下で水着をずり下げ誘っていることに真実のエロスがあると気づくことができる。
ぬるぬる洗体プレイは、ただぬるぬるして気持ちいいだけではない。身体を密着させて互いの熱を感じ合う、真実の愛のプレイなのだ。
小さな胸を揺らしながら口で奉仕してくれるドロシーの姿は、慎ましいからこそいやらしいという真実も教えてくれた。
前作までで車、自転車ときたから次は馬かなと思ってたら馬車でHし始めた美少女万華鏡の運転Hシーンへのこだわりも、きっと真実の愛なのだろう。
愛すべき主人公、ダブルヒロインで3P多めのHシーン、メッセージ性のあるストーリー、どれをとっても素晴らしかった。
トトには真実の存在意義を見出せませんでしたね……。