我々はゲームを通してキャラクターに制約を掛ける。そこに罪悪感を感じる日がやって来るとは思わなかった。
フロレアール。
一概に説明しづらい作品ではあるのですが、興味深い点はいくつもありました。
今更ながらのプレイという感は致しますが、私はこのような物語を読んだことがないので新鮮に思います。
非常に感想が書きづらいのですが勝手に理解した風になって描いてみます。
(以下、ED1~6という言葉は公式の攻略http://13cm.jp/support/flocapt.htmlに基づきます)
・先にどうでもいい外形について
昔懐かしのAVG32形式そのまんまです。
声付きのゲームはこの頃からだんだん一般化していたように思いますが、
思いの外すんなり聞くことが出来ました。
システム的にはバックログが無いのは痛いですが、外部ツール"eglog"があれば多少読むのに楽でしょう。
CGはやっぱり最近のに比べると見劣りしますが、必要最低限といった所。
総じてこの項では特筆すべき事はありません。ビジュアルアーツだしね。
・物語の構造について
ED2までだったら本当に普通の“イイハナシダナー”で終わるんです。
それはそれで問題だけど。
エンディングは全部で6つありますが、プレイすれば判るとおり
これらは一般的なマルチエンディングのゲームと異なり、そのルートの過去も含め共通の部分は少ないです。
少なくともED1~4に関しては並列世界である事がはっきり示されており、
この分岐条件や矛盾について語る事は意味を成さないでしょう。
ただ、プレイヤーにとってはこの構造は当然ながら若干の混乱を招きます。
単純なエンタテイメントとしてこのゲームを手に取る人は少ないでしょうから、問題はないと思いますが……
・ソリティアトラップ
ED前のタイミングで挟まれるこの曲はなかなか印象深いいい曲ですね。こういうの好きです。
そういう話ではなくて……
ED6のラストに「solitier trap」という言葉が出てきますが、
ストレートに「一人遊びの罠」と訳していいかなと思います。
しかし、そもそも主人公がこの罠に落ちた理由は何なのかとも考えましたが、
これはあまり意味のない考えかもしれません。
なぜなら、主人公(ついでにメルンも)はフィクションの中のキャラクターであり、
この罠に落ちる事は神によって決められているからです。
ここで言う神とは何を指すのかについては解析で。
・メルンというキャラクターについて
どこまでも主人公に対し献身的である彼女ですが、ほぼ全てのルートで彼女は
あくまで従属的な存在に留まっています。
ED2であくまでご主人様と呼び続ける事もその一つですし、
ED3~4で主人公の行為を全て受け入れてしまう事も、主人公がそう臨んだからに過ぎません。
ED5ルートの終盤、メルンは微笑んでナイフを受けようとしますが、
ここですら彼女はどこまでも主人公のことを受け入れています。
そんな彼女がED5~6では一人称として語られています。
つまりは、主人公の世界とは違う、別の世界を彼女は持っているという事になります。
ED5での結びつきと奇跡に関する記述は正直無理やりな感じもしましたが、
そう思うんならそうなんでしょう、多分。
しかし、彼女の「結びついていると信じているから幸福なのだ」という思考は、ほとんど
ED1の《本質的に幸せな人間なのだ》という主人公の考察と一緒ですね。
恐らくメルンはどのような状況でも不幸せと感じる事はないでしょう。
この時点で、残念ながら「主人公とメルンの世界」がバッドエンドで終わる事はないのです。
メルンはED6に「主人公の世界」と「自分の世界」が違う事は些末な事と受け入れました。
一方の主人公は「ダイアローグ」(対話)の形を借りて「モノローグ」を語りました。
これらから得られる「外部=内部」という知見が何を見出したかについては解析で。
・解析
《内部》と《外部》を統合することで最終的な物語の終結を迎えることが出来た彼らは、
《内部》と《外部》を分けること、あるいは「地下室」と「階上」を分けること、
あるいは「日常」と「非日常」を分けること、あるいは世界をパラレルに分けることを超越し、
それらを全て受け入れ、自分に与えられた人生(=フィクション)を生きることを見出したように感じます。
つまり、彼らの「物語」は終わっても、逆に彼らの人生はあの地点から始まったように思えました。
神様はメルンとのハッピーエンドしか用意しない。そんな罠に主人公が落ちてしまった理由は、
私達プレイヤーがメルンとのハッピーエンドを望んでいるからで、
そこから脱却するにはもはや物語を終わらせるしかありません。
私たちプレイヤーが見ることが出来る物語はここまでで、
ここから先は私達の見ることが出来ない彼らの人生が続いていくことでしょう。
神の視点にある私たちプレイヤーの掌の上にあった彼らが解放され、神の目の届かない所に行ってしまったことに、
若干の寂しさを感じながらも、私は素直にこれを祝福したくなりました。
・総論
とまぁシナリオに関しては色々と考察の余地があり面白かったです。
メタフィクション的な構造を取ってはいますが、フィクションの世界から飛び出ようとするキャラクターは珍しく、
またある意味この試みは成功したのではないかと思います。
ただ、これがゲーム的に面白いか? と言われれば微妙に感じる点もあります。
ここから得られるのは純粋な面白さではなく、どちらかと言うと知的好奇心を満たすようなものである以上、
個人的には非常に楽しめましたが、評価で見るとどうか? という気はします。
色々と細かく小ネタ的な伏線は張られており、これらの殆どは何らかの形で回収されていたと思います。
こういう誠実?な姿勢は好きですね。
若干人を選びそうなゲームではありますが、
考察好きだとか変わったものが読みたいだとか、そういう方にはお勧め出来るのではないでしょうか。
以下雑感。
・「(世の中のフィクションを)何が意味があるのか、何がそうでないか確認していくこと」
これは言葉通りに取れない独白ですが、言葉通りに取るとそれはそれで含蓄のある言葉だと思いました。
創作物に接するときはこの姿勢を忘れないようにしていきたいです。
・ED4の5日目の夢イベントラストCGには謎の怖さを感じた。フルスクリーンでやってて超ビビりました。
・「いただきます」と「ごちそうさま」に拘るのは伏線じゃなかったんだろうか?
・ED3では骨折する程度にしか心を開いていなかった筈のミリアがED1~2で《嵐》の発端にまでなるのは何故なんだろう?
・エレミヤ記の後のバビロン捕囚とかアヴィニョン捕囚とか考えても面白そうだけど、神学的背景は語れないのでパス。
・こういったエロゲがエロゲである理由がしっかりしたシナリオは非常に好みです。
・元々元長氏のシナリオだしエロは使えないと判っていましたが、
今回は別の意味で使えなくてびっくり。いや現代風の絵ならあれでも私にはストライクなんだけど……