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Planadorさんのサクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-の長文感想

ユーザー
Planador
ゲーム
サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-
ブランド
得点
60
参照数
3144

一言コメント

「ヒーローには誰かの悲鳴が聞こえる」と圭は言った。では、そのヒーローが困った時には、一体誰が助けてくれるのだろう? 長文はテーマを理解しつつも「サクラノ詩という物語」について。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 サクラの花言葉は、ソメイヨシノだとするならば「純潔」「優れた美人」。後者は特に稟なんか当てはまりそうなものである。
 だけどプレイしてからのこの作品の櫻のイメージは「優美」「ごまかし」の花言葉を持つシダレザクラになった。


 というわけで初すかじ作品。当然10年待ったとかはない。故に春ノ雪も聞きかじってはいるけどプレイなんてしてるわけもない。
 直接の購入の決め手は櫻ノ詩のOPムービーだったように思う。
 いやはや正直辛い話でしたわ。全体で見れば、ある種一人の天才が独りになり転落していく話ともとれるわけだから。
 正直、テーマはちゃんと伝わったのだが、如何せん物語としてよく出来ているからこそ、サクラノ刻で語られるのだろうが、あからさまな伏線を意図的に回収してないのが余計目立つ。以下ルート別感想。

Ⅲ Olympia(稟
 これだよ。幼馴染のメインヒロインを一番最初にやらせて意図的に伏線を張ったり残したりするこの塩梅。だからこそ最後は稟がメインとばかり思ってたのだが……。
 とはいえ、初めから好感度MAX寸前状態だから、他ルートより短いのはわかる、てかそれが稟が本ルートにするためのことだとばかり思ってたよ……。
 香奈はこの時点ではただの当て馬キャラ。後々重要なキャラであっても、当て馬として使うのは正直好きでないのだが、もう少しどうにかならなかったのか。
 どうでもいいが、コーヒーは沸騰したお湯より80℃くらいの沸騰一切させてないお湯の方が泡立っておいしいんだぞ。

Ⅲ PicaPica(真琴
 ここだけすかじシナリオじゃなかったわけだが、直哉と真琴の心の近づき方がすごく丁寧に書かれていていい意味で浮いてた。別に萌え属性っていつも興味ないんだけど真琴のツンデレは久々にきたぐらいだし。
 ハイキックだとかヌードデッサンだとかもそうだけど、何より「直哉くん専用(はーと)」とそれに続く真琴の絶叫は腹抱えて笑った。ギャグの面白さはルート随一。
 にしても、直哉と圭と真琴と藍と雫が全員遠縁の親戚てのも中々すごいな。だからこそ夏目家の人間をもうちょっと絡ませられなかったものかとは。

Ⅲ ZYPRESSEN(里奈
 全体で一番出来が良かったように思う。――斯くして私は乙女を愛した――では優美の里奈に惹かれた心理描写が全て描かれている。
 改めて読むと、かなり雫ルートへの伏線が張ってあるが、無視して里奈との物語として読んでも全く違和感ないから素晴らしい。
 本ルート最後の丘沢はまじイケメン。二人のラブロマンスもifだとしても見てみたいもんです。

Ⅲ Marchen(優美
 里奈のおまけ程度? 悪くはなかったのだが、ルートに入った途端里奈が突然優美全てを包み込む的な感じになってたのには違和感。
 最後で、でくの坊と言った相手は中也の詩集か、直哉か、それとも優美本人になのか。

Ⅲ A Nice Derangement of Epitaphs(雫
 他の人も言ってるがまず贋作のそれぞれの一枚絵をだな。まぁ手間かかるのはわかるんだけど。←すかじ氏本人が別に絵師起用しないと厳しいという発言がツイッターにありましたね、まぁそうだよね。
 吹が球体関節だったのにはぎょっとした。死霊なのはわかってたわけだがわざわざそうする必要あったのか。
 ぶっちゃけ過去回想ばっかで殆ど印象に残らんかった。吹の認識云々もご都合主義観あったし。
 しっかし終えてみると伯奇の立ち絵雫そっくりだな! 何故体験版の時点で気付けなかったのか……。

Ⅳ What is mind? No matter. What is matter? Never mind.(水菜
 オランピアの絵は想像はついてた、というより雫ルートまでに大体察した人が多いと思う。
 てかウイスキー伏線だったのかよ、ぶっちゃけ忘れてた。

Ⅴ The Happy Prince and Other Tales.
 吹との水彩画対決は作中一位二位を争う好場面。
 辛いけど直哉と稟による神の提唱場面は何度も読み返す必要あり。

Ⅵ 櫻の森の下を歩む
 まさかの片貝。Ⅴでモブキャラ四人の中じゃ一番イケメンぽく書かれてたというのに……。
 そしてノノ未はともかく、成長した寧それだけかよ! 一緒に創るの参加してその五人で新生美術部爆誕とかじゃないのかよ! 
 確かに桜子はかわいいが、Ⅵ全体でちょっと思う所がありすぎるので後述。


 さてここから不満点。
 はっきり言ってしまうと、攻略キャラとして藍は必要だったのか?ということ。というのも、Ⅵで直哉の孤独を示すんだったら、Ⅵでは藍すら出さない方がよかったよなと。
 もし藍のルートを入れるなら、Ⅲで入れるか、Ⅴでの圭の死後藍との行為ある選択肢の後を藍ルートとしてもうちょっと書くべきだったかなと。
 Ⅳで藍が夏目家にこだわる理由が描写されたわけだが、藍はそこで終わりにしてもよかったんじゃないかなぁと思う。
 正直、Ⅲでは殆ど出てこなかった藍が、Ⅴで「お前をずっと見守っていた」とか言われてもはいそうざますかとしか出てこない。
 Ⅵで、これは桜子とのフラグ立ったかな? 新たな人生を……と思ったら藍が現れて手を引いてEND。
 いや言っちゃなんだがお前はお呼びじゃねーんだよぉ! いいとこ持ってこうとしてるように見えて冷めるわ! てか実際冷めた。
 まだ桜子のルートというならわかる。ついでに里奈と優美はⅥで一切出てこないからⅥの中途半端感は正直かなりのものがある。
 結果、物語全体としてはあまりにも中途半端になってしまってるから、伝えたいことをそこで書かれても、ほーんとしかならなかった。
 なんだろう、物語的に見て直哉はあぁであるべきでないというか、なんというか。気持ちメインが藍だったわけだけど、正直全体を通してみると藍はルートそのものというか、直哉と結ばれる必然性がちょっとないなぁと思って段々尻すぼみ感が出てしまった。

藍「だって、お前は、私の大好きな水菜姉様と大好きな健一郎の子供なのだもの……」
藍「そんなお前をうらやましいと思い……そして、誰よりも愛おしいと思った……」(Ⅴ The Happy Prince and Other Tales.

 上記と、これに続く藍の発言は、どうにも家族愛であることが前提であり、その後藍ルートに突入する選択肢を選んでも、それは変わらない。
 又、独り立ちするルートだとしても、立ち上がるぞ→でも俺はもう一人では立てねぇ、ときてあれ? となったわけです。
 というわけで、藍の立ち位置は藍である必然性がない、本来は稟か、他のみんながすぐ巣立っても暫くは弓張にいた里奈であるべきじゃないの、が一旦ここまでの結論。

 藍との母性が、とかということでテーマ性と併せてここを高評価してる人が多いですね。全然それで構わないのですけど、個人的には却って蛇足感が出たなぁと思うので書き残しておきます。


追記
 なんでこんなに藍ルートに対して拒絶反応(は言いすぎだけど)出るのか、と思ってたのですけど、「中村家と夏目草薙一族の対立がⅣまでで終わっててⅤやⅥでは出てこない」という他の人の感想を読んで腑に落ちました。これだ。
 圭が死んで藍と寄り添うとほんとに傷の舐めあいにしかならなくて(いやそういうのも嫌いじゃないんだけど)、最終的には直哉が筆を執ることを想定してた口(刻で来るかな?)としては、落ちぶれるとするなら誰のヒロインともくっつかないようなストイックな話来るかな、と思ってたところがあります。そこでⅥでも最後の方まで出てこなかった藍が最後だけ現れて突然「二人で一緒に……」ときてもあっるぇ~?(・3・)としかならなかったんですよね。故に「櫻ノ詩」がそのまま流れ始め、直哉と藍二人で手を繋いでる絵で「fin.」と打たれて正直ポカーンとしたまま終わって不完全燃焼感半端じゃない。
 別作品入りますが、Keyの「Rewrite」で例えると、藍は共通ルート以降個別ルートがある五人衆の一人であるべきで、moonやterraで攻略となる(と言っていいのかどうかは置いといて)篝枠であるべきキャラではない、という感じ。あっちはあっちで思う所はあるけど、篝はルート内でも重要局面ではちょくちょく出てましたから、藍もグランドにするぐらいなら各個別ルートとかでもほいほい出してくれないと、上でも書いた通り「いいとこ持ってこうとしてるように見え」るだけになっちゃうんですよね。
 てなわけで藍を攻略させるなら、初期攻略二人と同時に攻略ルート出すか、里奈ルート開始までに藍ルートがあるべきだった、というのが藍に関するまとめ。この構成のせいでテーマをすんなり受け取れなかった節があるから、うん、構成って大事だ。
 ちなみに個人的に年上ヒロインは忌避するきらいがあるのだけど、今回ばかりは関係ない、うん関係ない。「CLANNAD」のメインは間違いなく渚だよ。個人的には智代かことみ推したいけど。


 一方の当初メインヒロインとして描写されていた稟。いやなんだかんだメインなのは間違いないのだけど。
 とにかく稟が後半は痛々しい。圭の死後、吹と一体化して以降は、ハイライトがないように見える位には小さい。お陰で目が死人のそれ。
 イデア論を直哉に提唱し、別れた稟は、まだ別れたくないという表情をしていた。で、その後少なくとも出てきた時には彼女一切笑ってないんですよね。
 きっと稟は世界的芸術家となり、色々な人のヒーローになりつつあるのだろう。だけど、芸術の神となり、どうにも人非ざる感じになってきた稟は、誰かに助けを求めているように思えたのだ。そしてそれは、直哉でないとできないことでもある。

「人は許されるため生きるのではなく たった一つの譲れない証を刻む」(Ⅲ Olympia ED「Bright pain」

 稟が本当に譲れなかったものは絵だったのか。圭と直哉への贖罪として道を歩んでいるとあった。許されるために生きているようにしか見えなかった。
 本当に譲れないのは直哉(とその絵と右手)なんじゃないか、と展開を見てる限り思うのだ。それこそ圭への贖罪となるようにも思う。
 というより、他ルートじゃあれだけ真琴や里奈にあんな発破かけるぐらいには好きだったのに、共通では他人(主に真琴)に優しくしないと自動的に稟ルートへ行くシステムもあって、誰も直哉を捕捉してない状態で手を出さないというのが違和感MAX。吹と融合したら六・七年持ち続けてた恋心まで消えるってあんさんそりゃないっすよ。

稟「何があっても好きのままだと思うから……」
稟「わ、私は……私はですね。なおくんの事を考えてずっとずっと生きてきた様な人間ですから……(後略」(Ⅲ Olympia

 思うに、Ⅵは正史ではないというか、ifの話なんじゃないか、という感がする。そうでなきゃ真琴も圭が死んですぐに復活、とはどうにも思えない、まぁ描写がないからわからんのだけど。
 基本的にみんな物語開始時点で好感度MAXで、抜け駆け……とは言わんが、Ⅴの展開になっても誰かしらが直哉の傍にはいそうだからなぁ。
 特に圭の葬儀の時点ではまだ学生の里奈。友達は友達ではいられなくなる、妹ならずっと隣にいられると言った里奈が直哉とのフラグも立てようとせず易々と弓張を離れてフェードアウトするだろうか?

稟「もう、草薙くんは奉仕の精神から解放されなければいけない……」(Ⅲ ZYPRESSEN

 「春日狂想」を引用した上での発言だが、Ⅵの直哉は誰も彼の愛を信じてあげられられず、結果、Ⅵでの直哉が行ったことは奉仕だった。
 圭が死んでから、神が宿る稟を初めて直哉は目撃した。そしてその稟は、直哉から見ると死んで別人になったぐらいには変わってしまったのかもしれない。
 だから、もしかしたらなのだけど、稟という「愛するものが死んだ」から直哉は「奉仕の気持に」なったのかもしれない。ということならあの展開でも納得はいくのだが……。

「水面の風狂う蝶の群れ 遥果ての鐘降り注げ
 夢は水に意識透明 その愛をください」(Ⅴ The Happy Prince and Other Tales. ED「在りし日のために」

真琴「ねえ、草薙は、一番寂しい人間のところにくるの?」(Ⅲ PicaPica

 作中の植物に例えるなら、直哉はイトスギであると思うのだ。
 イトスギの木は、頑丈なことを生かしイギリスの邸宅では扉に使われる。風雨に晒されたり、寂しい人の下へ赴き続けたりした結果、直哉という扉はボロボロになり、作中一番寂しい人となってしまった。
 弓張という家に住んでいた仲間はいなくなり、扉だけが皆の帰りを待つ。その扉に目を向ける人は元々の家主(藍)のみ。
 かつて後輩が持っていた死の香りを生に変えた直哉は、その死の香りを右手に封じ込めた。櫻の芸術家は、自らをギリシャ神話のキュパリッソスの如くイトスギにすることにより、哀悼された。だが再生はしなかったのだ。正確には再生しようとしたところで挫かれたのだが。そして10年経ち、健一郎の作品と共に皆から忘れ去られた。キュパリッソスのように、神々に永遠に嘆き悲しむことを願ったわけでもなく。
 正直、Ⅵは(外野から見て)救われてない人が多すぎる。直哉然り稟然り雫然り。
 少なくとも、直哉に関しては、藍に手を引かれただけでは、まだ孤独のままのように見える。稟は、一心不乱に何も感情を持たず絵を描く。雫に至っては完全に滅私奉公のそれである。
 オスカー・ワイルドの晩年の罪は男色の気であったが(Ⅰ Frühlingsbeginnに於ける「幸福な王子」の場面で稟が語った罪のこと)、直哉は概して罪を犯してはいないからこそ、孤独であることもないと思うのだ。


天は地を蓋(おほ)い、
そして、地には偶々池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声は水面に走る。

よし此の地方(くに)が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶(なほ)、余りに乾いたものと感(おも)われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。

――中原中也「在りし日の歌」より「蛙声」


 「在りし日の歌」の詩集が刊行されたのは中也の死後半年経ってからだが、その中の五編だけは、生前中也本人によって発表されている。「在りし日の歌」の中の最後の五編であり、その中の一つに「春日狂想」があり、この「蛙声」がある。
 「在りし日の歌」は亡き長男文也の霊に捧げられたものであるが、「蛙声」を読むと、そのまま亡き圭のことを言っているように思えてならない。直哉は池である。圭が死んでも、蛙は稟となり、辿りつけない暗雲を目指す。

 全体のテーマそのものは、確かに全編通して語られてはいるが、「くそったれの普通の幸せな人生」というのはⅥのみ、正味三時間ぐらいしか語られていない。
 著名な父親の贋作を作り、その後遺作を完成させた学生時代。ルートにもよるが、Ⅴではムーア展でノミネートされた。
 やはり、草薙直哉という人物は、凡人という普通には落ちきれない。その上で、Ⅵに於ける理不尽なほどの直哉への風当たりの強さが気になるのだ。
 トーマスとの殴り合いとかが場違いなギャグに見えるとかはあるけど、それはまぁいいとしよう。


 総論として、テーマ的にはあれでいいのだけど、すかじ本人が物語的には未完と言ってる通り、じゃなくて物語的には中途半端すぎるよ! キャラに感情移入しちゃうと不完全燃焼感半端じゃないよ!
 で、物語的に中途だと、伝えたいテーマとしても押しが弱く感じてしまう。刻はあるものの、テーマとしてはここで終わらすのが正しいとなると、それまでの話だけで評価することになるわけで、そうなると首をかしげてしまうのだ。
 面白かったのは間違いない。だからこそ、テーマに至るまでの本題であろうⅥの粗というか、これじゃない感が強かった。
 本来的にⅥは、あれは稟が帰ってくるべき場所を用意しとく感じでしょどう考えてもと。でもそうしてしまうとテーマ的に成り立たないのも事実である。だが、あれだけ痛々しくなった稟を、物語的には帰らせるのが筋だとは素人目に見て思う。勿論雫もだが。
 というわけで刻では稟を中心にお願いしたいなぁ……。実際、御桜家火災の原因とかとかまだ稟関連の伏線は消化しきってないし。天才二人の絵による直哉と稟の交流とかまだやってないよね。稟の父親も出番あれだけとは到底思えない。稟が桜の下で得た直感のことでさえ。

稟「ツバメはさ……、ただ王子のそばにいたかっただけなんだよ……」(Ⅴ The Happy Prince and Other Tales.

 我ながら言いたいことがありすぎで何が言いたかったのかすらわかんなくなってしまったが、大好きで大嫌いで好きな作品、にとりあえずは落ち着きそうです。刻出ないとこれ以上は言えないね。

稟「Life imitating art……」(Ⅰ Frühlingsbeginn


※刻の出来を受けて70点→60点に修正。刻を詩前提としたレビューは当該を読んで頂くとして、じゃあ詩が刻によって評価が上がるかというとそういうこともなく、ということで「刻出るまでの単体評価不能故の偏差値50としての70点」から「詩という作品の個人的な評価としての60点」とします。


追記Ⅰ
 シナリオゲーとしては、刻ありきであるからして良作なのは確実ですが傑作と呼ぶのはちょっと厳しいかと。そこは点数的には詩のみとして加味してあります。

追記Ⅱ
 香奈とトーマスは、同じワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」と絡めて見ると面白そうなんだけど別の機会に。

追記Ⅲ
 どうでもいいけどⅢ OlympiaとZYPRESSENで見れる幼少期直哉がどう見てもひぐらし私服K1ですありがとうございます。
 共通点は父親が画家ということだよねってやかましいわ。