「缶詰少女」の「終末世界」というまさにタイトル通りなお話でした。話自体は迂遠かもしれないけど、結局書きたかったのは彼女が送る彼への純愛なのかなぁと。ただネタ的にすみっこソフトの各種くるシリーズ全部履修しとくべき話なのは門戸を狭めてそう。
今回はかなり敢えて意図的に書かないことが多く、読者の想像力を働かせる点が多いのはいいのか悪いのか。いやファッキンというライター自体がそういうのが多いですけど、今回は特に。過去作で言うなら半端マニア時代のIndigoレベル。
体験版がツバキと華江の邂逅からのあれで終わってますが、あそこ以上の緊迫感に至るところがあまりないんですよね。体験版詐欺とも言えますしうまくやったなとも言えますし。
でまぁ、結局描きたかったのは、「個々人の生と死」であったんじゃないかなと。
世界の終末という話からして大仰なためそれに隠れがちですが、「俺や更紗の死は、俺と更紗にとっての終末だよな」という一文からもわかる通り、世界がどうなろうと、「自分」の世界は自分が死んだ時点で終わりを迎えるわけです。故に、生きて何を残し、死す時も何を残すのか、というのが重要になってきます。
それを体現化させたのがツバキでした。竜生九子のことが重要なのではない、「雅孝が走り続けていれば、世界がどうなろうと構わない」とまで言い切ったツバキは、盲目的に雅孝のことしか見ていませんでした。
勿論亜実花のことは見てましたけど、雅孝は全てに於いて勝る存在で、そんな雅孝に向ける純愛が世界を動かしすぎちゃった話、というのがまぁ一言で本作をまとめると、という話なのですが。
だからこそ、ラストの雅孝とツバキの対面が光るわけです。しかしよくアニメOPなどで使われてるといわれるウユニ塩原をリアル作品内に説得力付きでこうも落とし込むのはやはり天才ですわ。
終末がいつ訪れてもいいように、人類の可能性を潰えさせないように、少年は「走る」選択肢として宇宙飛行士になることを志した。走って、果てを目指す姿を、ただツバキに見せるために。
そして、それを見送るツバキ。愛する少年が走っていくことを見届けて、彼女の意識はやがて消えゆく。
恐らくラストは果てを目指す雅孝の帰る場所、としてサリがいるんじゃないかなと。サリ以外もそうですが、その中でも特にサリと雅孝が相反するヤズだからこそ、そういう「落ち着ける場所」があるべきとは思うので。
もしくは咲でもいいですね。こっちの方がある意味目指す方向性は同じですし、正直そっちの方がうまくいきそうとか思ってはいけない。
いずれにしても、サリの成長譚でもありました(本当はそれが一番メインですが)ので、雅孝が帰ってきたら、笑顔でサリは迎えてくれるのでしょう。「果てを見てきた雅孝」のことを、「戻ってきた雅孝」のことを、「生きている雅孝」のことを。それがフレッパーズ部員としてか、はたまた別のものなのかはわかりませんが、確実に。
まぁ、個人的にテンション最高潮だったのは咲パートのミサイル発射関連のくだりだったかなと思うのも事実で。流石にちょっとでいいからサリの手を取って家を出た後の改変描写はちと欲しかった。
聖地が飯能市であるということがシナリオに生かされてたのはよかったですね。入間と横田共に列車で30分以内というのは飯能以外は中々ないですし。
あと戦闘パートがありそうで全くないのは、シナリオ的には仕方ないですが片手落ちかなとも。やはりファッキン、躍動感のある戦闘描写は魅力の一つなだけに見たかった。
けど、半端マニアから追ってる人間としては、半端マニアを彷彿とする文章が久々に読めただけでもよかったです。というか半端マニアにも帰ってきてよ、Indigoのあの後とかはよ読みたい。カクリカ続編も待ってるし。もちろんふゆくるも。
――テーマだけ取り出せば八年前に出た某有名作と被ってると思うけどまぁそこはいいよね?
とりあえず付き合い始めてからの咲が中々かわいかったので暫くペロペロしてようかと思いますペロペロ。