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Planadorさんのもののあはれは彩の頃。の長文感想

ユーザー
Planador
ゲーム
もののあはれは彩の頃。
ブランド
QUINCE SOFT
得点
96
参照数
5073

一言コメント

遍く時に縁を結びて――一度は解けてしまった縁を再び繋ぎ合わせ、そして新たな縁をも結んでいく。一部作りが雑な面もあるものの、舞台や史実などの設定は最大限に生かし、記憶をなくしてもう一度やりたくなる位には緻密な伏線、わかっていても熱くなる展開や詳細なキャラの心情描写などにより物語に最大限没入することが可能な傑作設定伏線キャラゲーです。イチャラブ分は確かに不足気味ですが、捨てキャラがいないシナリオゲーとして考えれば本当に買い、選択肢の方式とも相まって初心者にも古参勢にも勧められる作品となりました。設定フル活用の現代語訳された仏教説話的エロゲ、とくとご覧あれ。長文最初はネタバレなし、後半でキャラ別感想と各種考察。で、FDはいつ出すんですか?

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

みさき「――”4”、出しました?」
柔和な雰囲気を醸した少女は、変わらぬ調子で禁忌とも呼べる領域へと切り込んできた。
  暁「……」
暁の心臓はばくばくと跳ねた。
まるで、自分の夢を言い当てられたかのような衝撃。
彼にとって答えはひとつだ。決まっている。
ただ、これに答えてしまったら……何かが決定的に変わってしまうと、暁は本能的に理解した。
しかし、それでも――ただありのままを言うならば。
  暁「……出しました」
その時、暁にとっての暁の世界は”反転”した。
これから先、この世界で何が起こったとしても、それを異なる世界の感覚に当てはめて逃避することは許されない。
――以上共通ルート一巡目赤口より


 角砂糖の通称で知られるLump of Sugarの姉妹ブランドとして誕生したQUINCE SOFTの処女作。基本的には制作陣は角砂糖と同様ですが、内容は恐らく萌えゲー路線の角砂糖で出来ないことをやる、というのが根底にあったと思われます。
 ディレクターがりょーちん氏ということで、シナリオゲーならChronoBoxを出した後の二作目としてNO BRAND名義で出してもよかったんじゃ、と素人目には見えますが、ホビボックスは関係ないんでしょうし、それは出来なかったのでしょう。
 ただ角砂糖の姉妹ブランド、というのは予め宣言してる必要はなかったと思います。ここまでシナリオ偏重気味で角砂糖の、と言ってしまうと、単純なキャラとのイチャラブを目的としたミスマッチが起こった可能性はあると思うんですよね。結果的には予想外にシナリオがいい、みたいな扱いにはなったようですが、イチャラブ分量は致し方ないにせよ幾分低めなので誤購入層がいなかったかどうかは気掛かり。


 まずは基本情報から。
 システムは一通り揃ってるかなと。個人的には音量全体ミュートがなかったのが不満ではありますが、バックログジャンプはありますし、最低限必要なものはあるという感じです。

 CGは攻略ヒロインは一般10枚+Hシーン7枚で固定。その他キャラで合計12枚、SD絵が10枚(全て差分抜き)です。
 ただ、京楓と琥珀はおっぱい丸出し画像が一枚ずつ一般枠にもあるのである種Hが一枚多い感じ。それと琥珀は同じ構図の画像が二枚別カウントなので一枚少なく見えるかも。まぁ別画像一枚を琥珀扱いすればその他が一枚減って琥珀も枚数他ヒロインと同じになりますが(ここまでネタバレ防止)。
 ななろば華女史の絵は元から割と好きな方なんですが、終わってみればこれ以外ないと思わせる位にはぴったり合っていました。何が合っていたって瞳の大きさなんですよね。
 個人的な趣向として、二次元ライクな瞳が大きいのは二次元という観点からは当たり前であると思うものの、基本的にリアル指向であるため漫画とかでは現実での縮尺位のサイズが本来は好きなんですよね。別物といえば別物なんですが。
 しかし、本作は一部キャラが戒を発動する際の視覚的な重要なファクターとして「瞳」が変わることが挙げられます。琥珀や鹿乃が顕著な例ですが、それがすごい合ってたんですよね。特段意味がないと言ってしまえばそれまでですが、視覚に訴えかけるのはいいなと。
 余談ですが、本作ゲームディスクのラベル、ディスクの本来の色といえば聞こえが悪いですが、敢えて彩色せずにヒロイン四人の瞳がしっかり光るようになっています。こういう細かいとこ仕込んでくれるの大好き。
※追記:角砂糖他ゲーでも同様の処理が割とあるみたいですね。ただまぁ本作の場合琥珀の瞳が変わる描写もありますし、これはこれでいいかなと。

 シーンは全員四つ。内訳として
 京楓:    アフター1+おまけ3
みさき:本編1+アフター1+おまけ2
クレア:本編1+アフター1+おまけ2
 琥珀:    アフター2+おまけ2
という陣容。二つ本編とありますが、共通ルートの各分岐後、諸々終わってからラストにおまけで実質挟み込まれるだけなので実質アフターとあるのと同列です。双六盤面で挟み込まれるわけではない。
 結論から言えばシーン自体という意味でエロは完璧におまけ。一切本編には絡んできません。ただまぁ、実際本編中で突っ込もうと思っても突っ込める余裕など実際ないのですが。
 それと、おまけシーンは物語を始めなくとも、シーン開放ボタンにより全て見ることが可能です。ただ、その内の一部は本編の内容を全力でばらしてくることもあるため、やはりセオリー通り本編後(各アフターも終えタイトルに戻ってから)の閲覧がお勧め。
 ちなみにシーンそのものは結構濃いです。割とシチュに関しては拘ってるんだろうなーとは感じました。また後述しますが、四人とも四つのシーンをまとめて見た際に感じるのは、キャラの性格などを基調に、アブノーマルな流れに突っ込むとしてもそこまでは違和感ない、もといそれなりに納得できるような流れにはなってるんですよね。振り切れすぎだよってのは割と見受けられるところではあるのですが。割とどのキャラも本編のイメージを引き継ぎつつも一部では覆すようなキャラ設定になっており、それも含めて抜ける抜ける。
 ひとまず、おまけとは言いましたが、シーン自体が濃い事と併せ、文章に於けるイチャラブ具合は極上。一部は後述しますが、本編が終わってからの流れでのあの記述はどのルートに進んでも最高の萌えとエロスを提供してくれます。

 音楽は全曲Team-OZが担当。曲数は22曲と多くはないものの、和楽器を生かし、作中の雰囲気にはしっかり嵌っています。
 お気に入りは「茜色」「蘭燈」「泡沫の如く」「軍立ち」「鬼一口」「濃艶」。好きな曲は多めなのですが、正直同じ曲ばかり流れている感じはしてしまったので、あと数曲あるだけでも印象がまた変わったんじゃないかなと。

 OPはBGMと同じようにTeam-OZ、作詞にりょーちん氏、歌唱はnao女史が担当。言ってしまえばNO BRANDの「ChronoBox」挿入歌「Blume」の面子です。
 ムービーそのものはサイコロを生かしたテンポいい仕上がりになっています。和風ロックな曲調にサイコロがコロコロ転がる描写を取り入れた、初見時展開を中々に期待させる出来かと。

 それと地の文ですが、暁視点であっても、完全な一人称ではないことがあります。暁視点一人称であることもありますが、メインは完全な第三者による俯瞰形式(三人称に非ずだがネタバレ防止で伏せ)です。
 まぁ実際それで伏線を仕込んでることもありますし、概して悪いとも言えないですが、慣れてない人からすれば戸惑うことは多そうです。私は大好き。


 基本情報は以上――さて、何から話したものか。
 この作品は色々と形容出来るんですよ。キャラでもシナリオでも伏線でも設定でも、様々な方向から話を広げられる。

 ということで以下ネタバレあり。
 そうそう、他の方のレビューで、「共通各ルートを見たらtrueに行くのみでもう戻れない」というコメントがありましたが、それは全くの誤りで、そこの分岐点が実質的な時限選択肢になっているだけです、と予め。そこでクリックせずに待っていればまた共通各ルートに行けます。





 双六世界に於ける、キャラ達に降りかかる一種の「宿命」をプレイヤーにも認識させるのがうまい。先程までサイコロを振ることがおかしいと感じていたのに、みさきとの会話から、サイコロを振ることが当たり前であるとキャラ共々錯覚させる。
 正直、冒頭OP入るまでは鹿乃とカラスと何かバトってる、みさきも暁も死にそう、みたいな感じにしかならないとは思うのですが、クナドと出会ってサイコロを振ってからの「設定に没入させる」感覚は非常にうまかったなと。

 そんな導入から始まる本作。設定とシナリオが噛み合ってる。それと併せて伏線の張り方がとにかくうまい。そしてキャラ設定的にこれが他媒体ではなくノベルゲームである必然性も満たしている。
 正に奇跡と呼べるぐらいにはとにかく全ての要素が絡まり、作品を進めるための強力なバックボーンになっています。
 本作の特徴やいい所、悪い所は数多ありますが、ひとまず順を追って解説します。

 まず、舞台や史実に関する設定について。とにかくあらゆる設定をガンガン活かして取り入れているんですよね。そしてそれが一切無駄になっていない。例えば西院と賽の河原の関係。


  暁「賽の河原の賽って……西院のサイと何か関係があるのかな」
(中略)
  暁「西院の語源にもなった佐比川の河原が、賽の河原だったと伝えられているらしい。佐比川は、現在の天神川ってことだから……」
(中略)
みさき「賽の河原の話は聞いたことがあったけど、地元発祥っていうのは知らなかったね」
  暁「みたいだね。どうも、その辺りは昔、処刑された死体とかが放置されてた河原らしくて……」
――以上共通みさきルート二巡目友引より


 双六そのものは浄土双六が由来、というのは共通みさきルートで語られる通りですが、いやはやまさか双六盤面と双六そのものの史実的なモチーフ、そして舞台設定全てを絡めてくるとは。上記の引用で多少はおわかりかと思いますが、これらは全編に渡って続きます。

 ところで、実際の賽の河原の場所は諸説あり、西院と離れた個所では鴨川が桂川に合流する直前、恐らく京都市伏見区下鳥羽下向島町辺りという一説はありますが、暁が答えたのは天神川の河原とのことなので、恐らく西院駅より北に2km弱、JR山陰本線円町駅より200m程の西ノ京刑場/西土手刑場跡(現竹林寺墓所)乃至右獄の一帯をこの時暁は指差したものと思われます。
 ちなみに円町の円は元々「圓」という字であり、これを言い換えると「囚」になります。つまり牢獄に入れるとこ、という意味ですね。左右に走る旧二条通り(太子道)は、嵯峨嵐山より針路を北に取る、南の朱雀大路と共に丹波へ至る主要街道且つ短絡路であり、人通りも多い街道でした。又、円町付近を南北に貫き、阪急西院駅も通る西大路通りは洛中と洛西の境目(西院付近は西大路通りで90°曲がり四条通りへ東に洛中が伸びる)であり、平安京の都との境目として、見せしめに罪人を晒し首にするには絶好の場所だったでしょう。
 あとこれは根拠を伴ったものではない個人的な説なのですが、元々鴨川が暴れ川であり、支流である佐比川も現在の姿になるまでだいぶ浸水被害もひどかったとのことです。そして刑場がここにあって、そして死体が放置されていたということは、賽の河原に於ける仏の救済と言うのは、大雨で増水して、遺体が佐比川(最終的には淀川を下って大阪湾まで)に流されることだったのではないでしょうか。

 話が少しずれましたが、設定と言うのは扱った舞台の由来や史実を絡めるだけでも十二分に難しいというのは、各種作品をやっているとわかる方も多いかと思いますが、本作はとにかくそのすり合わせ具合がすごい。
 そしてそれをシナリオにガンガン活かしているんですよね。史実的にも舞台的にも齟齬のない設定は、つまり何らかの史実乃至舞台の勉強にもなります。子子子子子子子子子子子子とか普通に知らなかった(無学

 同様に舞台ですが、京都の中でも、特に西院を中心として話を展開させていきます。一応まとめると、
            共通:東山区
共通みさき・共通クレア・true:右京区西院周辺
          共通琥珀:右京区嵐山周辺
という具合。京都全体ではなく要所要所を扱うと言った塩梅です。ちなみに主人公たちは民家のマス目と現実での行動範囲的に右京区西院周辺が主な生活場所となります。

 設定が秀逸なら、設定にも絡めうる文章も秀逸。ということでこれも同様にすごいのは伏線。というより本作で一番出来のいいものを一つだけ挙げろと言われたら迷うことなく伏線を選ぶぐらいにはよく出来ています。
 個人的に歴代最強の伏線ゲーと評しているのはNovectacleの「ファタモルガーナの館」なのですが、本作はそれに勝るとも劣らないレベル。ほんとにアレとかアレとかアレとか衝撃の嵐だった(一部は後程記述)。いやこれは本当に記憶をなくしてまたやりたい。


 又、双六世界に於いて各キャラが持つ「戒」。現実以上に双六世界に比重が置かれた本作ではこの戒の存在が重要になってきますが、全てのキャラが上記の通り設定に齟齬なく作られています。
 戒と併せ、各キャラに絡めた設定はキャラ感想の方で書きますが、各シナリオに於ける「そのルート内で大切にしているもの」の描き方がキャラともしっかり絡んでて本当にうまい。これも各ルートの解説をしながら書きますか。


 ――で、不満点。まぁ正直結構あります。実質的に加点方式だったからこの点数だけど減点方式だとこれよりだいぶ点数下がったはず。加点せず減点方式なら85点とかですかね、それでも自分の中の絶対的に心に残る枠には確実に入るのですが。
 まずだいぶキャラの設定面に齟齬が多い事。一例として、星座占いで暁はしきりにうお座(2/19~3/20生まれ)を気にしてますが、幼少期の会話で7月生まれ(かに座又はしし座)という発言がある所。
 諸々の設定を勘案した際に、恐らくうお座であることの方が間違いだと思うのですが、SD絵では完全にうお座が誕生月のように書かれてるので、如何とも。
※追記:冬茜トム氏のツイッター @tom_fuyuakane ‏より、「10月生まれの京楓より暁の方が生まれが早い」というコメントを直に頂きましたので、7月生まれの記述が正しいようです。

 齟齬といえば、細かいとこで地味に大きいミスも散見されるんですよね。割と誤字もありますし。
 一番気になったのは、双六世界では陰陽師服なはずの暁が、共通クレアルートでクレアと一緒に本を読んでる場面の一枚絵だけ英彩学院の茶色い制服になってること。
 ここはもう完全にチェックミスというか、若しくは元々現実で使う予定だったのが急遽双六盤面で使うことになり修正指定が間に合わなかった、辺りだとは思うんですが、流石にお粗末というか、パッチでも直んなかったかーという雑感。

 他にも、暁と京楓が出会ったのが大体10歳の時、現在18歳なはず(年齢の名言は殆どないものの会ってから○年だとか西暦の記述とかより算出)なんですが、人生の半分以上を暁と京楓が過ごしてることになってるとか、京楓の恥部を見るのは10年以上ぶりとか――ってお前らいつ会ってるんねん! これらが共通時点でなら拾われる前にも実は会ったことがあるというような伏線になるって見方も出来るんですけど、true乃至アフターでの記述なんでこれはもう完全に誤植としか。あとみさきとの一つ目のエロシーンでも、暁がみさきの裸を見たのが10年ぶりとか言ってますが、同様に本編内の記述から引っ張れば、『暁がみさきの身長を追い越す前』になります。
 東雲暁の誕生日設定もそうですが、恐らく初稿と実際の製品ではだいぶ別物レベルでキャラ設定が変わったんだと思うんですよ。もしかしたら、年上ヒロインがいない中、明らかに年下感がある琥珀と相対する形で京楓をお姉さんぶりさせようとしていたのかもしれません。まぁそこは想像の域を出ないのですが。
 ただ、それでもこういった齟齬が数多く残ってしまうのは明らかなデバッグ不足。基より当初予定より二ヶ月延期されて発売された本作ですが、これらの調整のためにもう一ヶ月延ばした方がよかったようには思います。別にクオリティアップのための延期なんて最近普通だしそう怒られることもなかったのでは。
 余談ですが、暁以下同い年キャラは、先述の通り全員1998年生まれで、2016年11月28日の出来事なので軒並み18歳ぴったりです。年下の縁はシーンないからセーフ。琥珀は……まぁ猫の時の歳に対応する人間実年齢換算でええんじゃないだろうか。え、クレアが12月1日生まれで現実に帰って来た次の日にはシーンがあったから二日の差で17歳の間にヤっちゃってる? アーアーキコエナイ

 次に、双六世界の常識に照らし合わせて、と言いながらライターがその実対応しきれてないところ。暁が初めて陰陽師としての力を発現した際に、道具本来の使い方とは全く異なる理由の説明として、用いられるべき時刻や日干支といった情報が(現実と双六世界では丸っきり異なるため)片っ端から欠如、とあるのに、散々一巡するまでに「60分」という具体的な値が出てるんですよね。
 順目でしか時間を把握出来ない、と別箇所で発言がありますが、となると60分という意味合いも本来ならわからないはずなんですよ。「現実で培ってきた常識を捨てきれていないのに、双六という異なる価値観を上乗せされることによって生じる矛盾」と共通クレアルート七巡目では言ってますが、ライターの筆がそれに追いついていないのは流石に痛い。
 確かに現実に於けるあからさまな常識を完全に捨て去るのは、ライターからすれば難しいのはわかるんですけど、初めの内はその辺りで今一乗り切れない、盤石であるべき世界観が少しぐらつく結果にはなったので、もう少し別の言い回しはなかったのかなと思う所。

 それと、ギャグが正直滑ってるを通り越してうざったくなるとこは多いんですよね。後述しますが特に流れてるテレビに会話を邪魔されるのは単純にうるさいし意味不明なだけ。テレビで気を散らされるのはわかるけど。
 まぁそれでも数点思いっきりツボったのもあったんですけどね。ただ基本ギャグはギリギリ及第点に届いてない感じかなぁと。

 あとはイチャラブが少ない事。本筋には関係ないため仕方ないのですが、アフターはあれもう少し書こうと思えば書けるよなぁと。公式HPの魅力欄に「いちゃらぶな日常」とありますが、群像劇としての日常がメインになりますので、記述から想像されるような「ヒロインとの一対一の恋を育む日常」を期待すると分量的に肩透かしになるかと思われます。まぁあれそもそも双六内部での割とシリアスな場面も混じってるので、なんというかミスリード感満々なんですが。
 ともあれ、この伸び伸びと描かれるキャラ達は、プレイしていてみんなに愛着が湧くのは必然。その上で攻略ヒロインと殆どイチャラブ出来ないのはあんさんそりゃないっすよと実際なってしまうんですよね。
 私個人では、この点数付けたのは伏線ゲーとしての要素が大きいからではあるのですが、アフターとしてイチャラブをもっと見たいというのは全力で同意します、いや寧ろ過激派と化す案件。

 ということでFD作れやごるぁ! もっと、もっと愛すべきキャラたちのイチャラブや本編時間軸に於ける各キャラが何を考えていたかということを見せてくれぇ!


 とまぁ、ここまで不満点もありながらもここまでの点数をつけたのは、ひとえに不満点をほぼ覆い隠す位にはシナリオ中心にいいところが多かったこと、そして描かれるキャラが全員あまりにも魅力的だったこと。
 繰り返しますが、史実乃至舞台設定をここまでシナリオに生かし、且つそれらに関しては一切の破綻なくまとめあげた作品は他に殆どありません。その上で、それら設定に関連したりしてなかったりする伏線をばんばか張っていく。
 個人的にはこれは同人ではなく商業でそういった作品が生まれたことへの驚きが強い(同人の方が売り上げ気にせずやりたい放題できる、という意味で)のですが、商業に於けるかわいい方向へのヒロインのキャラ立ちや、同人ソフトでは中々出来ない演出方法等、商業作品のいいところも十二分に取り入れており、それら作品のいいとこどりが出来た作品であると感じます。



 以下さらっとシナリオ別感想。ここ以降はネタバレしかありません。最初からでっかいネタバレ話してるし。
 この作品は特に伏線に関しては前情報なしで感じて欲しいところがあるので未プレイ者は戻るの推奨。現時点で感じる所があったら買うの推奨。とにかく重大なネタバレなしでやって欲しい作品です。
 併せて一言追加しておくならば、伏線ゲーとしてすごく出来のいい本作、伏線回収時に回想という形でどこのどの場面に伏線があったかということをご丁寧にも教示してくれますが、出来ればどこに何があったかというのをしっかり把握するためにも二周してほしいですね。しなくても問題は一切ないですが、してこの段階でこのキャラはどんなことを考えていたんだとかいうようなことがわかるだけでもキャラに対する愛着が一段と深まる筈かなと。





















共通BAD
 ――いやまぁ暁が永沈するだけなんですが。初めてサイコロをクリックする際にサイコロの外側をクリックすると行けます。
 OPムービーではカラスと共によく出てくる骸骨だらけの地獄のスチルが使われるのは意外とここだけ。場面状況を考えれば暁は骸骨に襲われて死ぬというより餓死みたいな形で沈み行った感じなのでしょうか。ひとまずそのスチルもちゃんと一枚絵扱いですので面倒くさがらずに回収しましょう。まぁ見ないとtrueルートに行けないのですが。
 しかしここのクナドの口調が実に事務的なのは、終わってから考えると中々に残酷ですよね。まぁまた賽の河原に戻ることをわかっていたからではあると思うのですが、実の兄が他者の攻撃と関係なしに沈み行くのを見るのはどんな気持ちだったのかなと。



共通みさきルート――此のたびは


みさきが何よりも信じていたのは、決して己の矜持などではなく。
共に寄り添い生きてきた、3人の仲間たちなのだ。
そして、そんな、何よりも信じている仲間たちが自分を信じてくれているという事実が、彼女に新たな誇りを生む。
自惚れではなく確信だから。暁が欠けても京楓が欠けても大誠が欠けても、そして自分がいなくても成り立たないということを本当の意味でわかっている。
――以上、共通みさきルート十一巡目大安より


 盤上であるがため、結果的には仮初であっても、幼馴染同士の縁を結び直すシナリオ。その中でみさきの病状の話だとかが挟み込まれて行きます。
 双六としては一番スタンダードですね。嵐電乗車とかありますが、それ以外は共通第一面と特に変化するところはありません。記述を見る限り他の巡目で第二面に進めた場合もこれになることが多かったようですし。

 その嵐電、嵐電に乗るクレアと琥珀の一枚絵、初めて電車に乗る琥珀の、驚きと期待とドキドキが入り混じったかのような表情がすごく好きです。
 ちなみにめっちゃどうでもいいですが、嵐電の緑塗装は嵐電100周年の京紫一色塗りに変更され消滅しました。制作陣が緑塗装の方が好みだったのかどうかは定かではない。。ちなみに嵐山方面行西院のホームが移設されたので、まさかの聖地自体の消滅となりました。現在は聖地となったホームは立ち入り禁止となっています。

 敵対相手が殺傷能力最強の鹿乃であっただけに、必然的に見た目にも一番バトルしてた章だよなと。共通クレアやtrueもバトってはいますが、血飛沫がずっと飛び散るような描写は基本的にこのルートが一番多いです。
 それと幼馴染厨として見逃せないのは現実に於ける各種四人の関係を示す描写ですね。後々みさきの病状の話にシフトしていくとはいえ、現実に於ける四人の様子は、縁がどのように形作られ、また改めて形作られていくべきなのかがわかって中々にキャラに愛着が湧きます。
 その中で語られるのは、三人が四人になって、再び三人になってしまうかもしれないところまでですが、四人の成長過程がよくわかると同時、キャラとしての掘り下げがすごくよく出来ています。
 暁はラッキーボーイを自認して以降、活発に幼馴染達に溶け込む様子を。
 京楓は暁と対等な関係であり、テニスに目覚めつつも四人の関係を大事に、だけどやはり暁相手は家族としての一面も大切にする様子を。
 みさきは病弱でありながらも四人でいることが一番大事であり、その関係性を大事にする様子を。
 大誠はいじられキャラでありつつも、不満を特に見せずやはりみさき同様四人でいることを何よりも大事と思い、勉学に励みつつもそれだけは譲れない様子を。

 又、縁を結ぶということがテーマの本作に於いて、幼馴染という縁を殊更に描くルートですが、「縁の断絶」も同様に強く描かれています。幼馴染組はみさきの合格祝いを、十一巡目の盤面上でも敢行する一方で、鹿乃は自らその縁を消し去っていくのはいい対比になってます。
 邪魔されたから殺す。とりあえず殺す。なんか有益かもしれないこと言ってるけど殺す。「東雲暁を殺す前にそこにいる者は全員屍も残さない」というのが鹿乃の大まかなスタンスではありますが、終わってから考えてみると鹿乃なりの憂さ晴らしでもあったのかなと。クレアの頭髪数本刈り取っただけでクレアが永沈したのもその所為によるものです。琥珀は縁があったため蜘蛛の糸を貫き通さないと永沈させられませんでしたが。
 冬茜トム氏のツイッターでも、京都関連や各種縁の諸設定などよりも先にみさきと鹿乃のキャラクター像と名前が決まり、そこからの変更も殆どないとのことで、この物語構成は必然だったのかもわかりません。

 そしてその両者が対峙すれば、trueルート二五七六巡目でも記述がありますが、どちらかが敗れ消え去るのは必然です。両者が向き合い、そしてこの時点で想いが上回ったのはみさきでした。
 みさきがひたむきだからこそ、鹿乃は心を壊し、消えてしまう。現実を直視し、受け止め、また再び前に進もうとするだけの精神を、鹿乃は持ち合わせていなかった。
 本ルートは、言ってしまえばたったそれだけのことです。みさきが仮初であっても願いを叶えられたと同時、一人の弱い少女はみさきの想いに負け、押し潰された。これを、ただみさきの想いが上だったと言ってしまうのは、鹿乃には酷でしょう。
 そして、幼馴染組のみが現実に帰還し、暁とみさきが結ばれる「だけ」でこの巡目は幕を閉じます。みさきは病気から回復し暁との幸せを掴むも、それ以上の何かを残さないまま。

 ――いやしかし、改めて見返すと六巡目辺りでこんだけ伏線張ってるとは思いませんでした。カラスや琥珀の鹿乃と対峙した際の反応もですが、とにかくその後回収する伏線の量が半端じゃない。
 このルートだけは、純粋にバトルと幼馴染組の縁を結び直す様子をじっくり見て、伏線っぽいところは「なんかそんなのがあった」程度に頭に入れておくのが一番楽しめるのかなと。伏線抜きにしても、みさきがそれでも現実に帰りたいと願い戦う姿だけでも十分燃えゲーとして良作です。――但し、それは途轍もない犠牲を伴うものであったとしても。



共通琥珀ルート――紅葉の錦 神のまにまに


みさきの代わりに琥珀を護る――
それが己の使命なのだと、暁は強く感じていた。
暁「この先、この双六、必ずおまえをあがらせてみせる」
残された者は、逝った者の定めを負わなくてはならない。
遠い琥珀の歌声が、暁の脳裏に木霊した。
暁「だから……もう一度、笑ってよ。琥珀」
――以上、共通琥珀ルート四巡目仏滅より


 双六盤面としては、嵐山を舞台に、一人の「蟲」を探し出せ、というもの。嵐山面の双六は、だいぶ「双六」の本来のルールからは外れている且つその上でご都合主義的な節も多少出てくるので、その辺り賛否両論別れるかなと。

 このルートは、人間関係としては暁と琥珀(+みさき)の関係性に絞って書いてます。そして本ルートの敵――といってもあくまで好敵手、としてですが、黎が持ち前の頭脳とひらめきを生かして「立ち塞がって」きます。
 このルートの対立関係は、あくまで双六盤に於いての「勝負」であって、相手憎しで行われるものではありません。故に暁+琥珀と黎の向き合い方は、ひとえに相手を出し抜く「知恵比べ」に特化しています。なので、共通みさきルートが一番「動」だとするならば、このルートは一番「静」です。

 その上で、中々に脳汁がダラダラ出るような帰結でしたね。
 にしても、いやはや、琥珀の色盲は読めませんでした。あれだけ散々伏線を張る且つ「渡月橋の反対側のマス」にて視覚でもわかるようにしておいてそれでもわからないように出来たというのは脱帽もんです。
 あそこは、「第二面八巡目で視覚的におかしいとわかるように見せてるのに、琥珀と縁の繋がりがあったという衝撃でそれを上塗りする」という相当アクロバティックな伏線の張り方兼回収をしています。いやはやなんてやり方をしてくれてんだ。

 その琥珀の戒は「赤で書かれたモノを無視できる」という地味に便利なもの。紫マスが青に見える、というのは中々に苦しい気もするのですが、まぁありっちゃあり。実際に赤色盲ですとああやって見えるみたいですし。同様に、嵐山の盤では賽の目が完全に順繰り、というのも双六のセオリーから外れてはいるものの、しっかり伏線も張った上でなので理解できます。
 というより、嵐山の盤面は、如何に双六であることを「無視できるか」ということが大事なので、あまり双六であることを意識しない方がいいのかなと。人狼やりながら双六「も」やるくらいのイメージで。ただだいぶ力業であるのも否めないので、合わない人には合わないだろうなとも。
 ですが、それらをまとめてきれいな幕引きに出来たのは素直にお見事。嵐山の夜明けは写実的に、だけど二人から焦点を外さない描写は銀幕的な美しさがありました。

 そして何よりラスト。刹那の間だけの幻日とはいえ、徹底的にご都合主義を省いたこの帰結は実に素晴らしい。あの短い描写の中に、その時の暁の決意と琥珀の想いが全て詰まっている。
 みさきは息を引き取る。琥珀は猫にまた戻る。暁はやがて自分より先に死にゆく猫を抱く。
 双六を振らなくてもいい現実も、やっぱりクソッタレみたいな世界で、やっぱりままならないもので。だけどこの世界で生きていく。それが「彼女」の願いそのものであるから。
 瞬間的だったとしても、確かに暁が感じた感情は、他ルートではない、唯一無二の「哀しみ」であり、後述しますが、琥珀が持つ原初の感情をこの時の暁が身に染みるように感じていたと思うのは、私だけなのでしょうか。



共通クレアルート――幣も取りあへず 手向山


2人は気持ちを伝え合う。
お互いに、お互いが大切だとわかっているからこそ――
クレア「私……生きたいよ。暁と」
この、死(すごろく)という世界に絶望する。
――以上、共通クレアルート十一巡目大安より


 根幹設定を答え合わせのように一気に出すポイントって、どの作品が、というわけではなく、作中通して語りが事務的乃至一人芝居になってしまうことが多いと思うんですよ。本作はあまりそれがないのと、それをやりながら陣取り形式の双六をし、展開が二転三転するから飽きずに読み進められる。
 本ルートでは、その先述した設定を双六をしつつガンガン活かすことを殊にやっています。

 他共通ではみさき乃至琥珀との接近の仕方は、一部に於いていつの間にか、という感はあったのですが、このルートは暁とクレアが「あかり」で邂逅をし、そこで本で研究をしながらも二人の距離が接近してきてるというのが殊更にわかるのはよかったなと。
 且つ合縁のお陰で暁がぽろっと好きと漏らした時の心情の変化もばっちりだよ! というかここはどのような好きかということか理解できてない、理解しようとする二人の様子が合縁のお陰で本当に手に取るようにわかるんですよね。ここはすごく甘酸っぱいというか、案外一番他作品的な萌えゲーライクな描き方になってたなと。本作はシナリオ基調なので、こういった描写は貴重になってくるのですが、だからこそ多くはない描写に頬の肉を緩めさせるには十分かと。

 というより、全編通して節々の細かい描写は共通クレアルートが出来に関しては際立ってるように思います。
 なんというか、相縁でそれこそ暁とクレアの関係宜しく隠し事が出来ないというか、展開的にも実際何かを隠すことを前提としないルートなんですよね。ある意味共通琥珀ルートとは真逆の位置関係。
 けど、物語設定の説明パートだからこそ、そういったところを大事にしているのはよかったと思います。共通でルートそのものがない京楓と比較せずとも、クレアはその辺りの描写にかなり恵まれてたよなと。
 そうでなくとも、このルートは他キャラの心理描写が全体的に秀逸。クレアの思考が伝わるという戒がなくとも、陣地が少なくなった暁を心配するみさきなど、盤面と心理描写が直結してるんですよね。だけどクレアに対すること以外の暁の心理状態は極限まで伏せるという謎采配――そう思っていました、十一巡目辺りまでは。

 そして訪れる十一巡目終わり辺りからの双六盤面の推移。あれは脳汁が本当にダバダバ出まくってた。共通琥珀ルートもすごかったけど、十三巡目で2の一が捲られた瞬間に気付いたあの瞬間のカタルシスは歴代で一位二位を争いますわ。そりゃ当事者のカラスも気付いた時は瞬間的ながらも呆気に取られますわ。盤面のマス目の宿命をフル活用し、そこに至るまでの展開を全て納得の行く形で行えたことは本当にすごい。こればかりは圧倒されてすごい以上の感想が出てこない。
 共通クレアルートに限らず、あそこまで盤面のことを理解しそれらの動きを実行できるのは、恐らく複数ライターでだと相当綿密な打ち合わせがない限り出来ない芸当でしょう。冬茜トム氏の企画兼単独ライターだからこそ出来たことだとは思います。

 ともあれ、カラスの実名を明かした上でこの盤面は幕を引きます。戻った先は永沈させられたはずの大誠もいる誰一人欠けてない「幻日」。
 ただまぁ、正直、共通琥珀ルートでは少なくともみさきは亡くなっているので、各盤面上がった際の幻日の整合性は割と気になったところではあります。共通みさきルートでは幼馴染組以外は出てこなかったから同様に出来たんじゃないかなぁと。
 まぁ、他ルートが明らかに犠牲祭り状態な中、ここだけでも周りの影響もほぼなくあがった後の世界も幸せに過ごせるというのは、それはそれでいいのかもしれません。勿論、それこそも『幻日』なわけで、その上でtrueへと繋がるわけです。



true


クレア「桃太郎が桃じゃなくちゃいけない理由、覚えてる?」
  暁「黄泉から来る鬼を祓うため……だっけ?」
クレア「そう。イザナギは、桃の木が生えてるところまで鬼女から逃げ続けなくちゃいけなかったの」
クレア「絶対に振り向かないように。振り向いたら鬼に捕まって、黄泉の国に連れ戻されちゃうから」
  暁「……まるで鬼ごっこだ」
クレア「ほんと。だから、鬼とは向き合っちゃいけないんだよ」
背後で鬼が呼ぼうと、叫ぼうと。
後ろ髪に手を引かれようと、決して振り向いてはならない。
追儺とはより遠くに鬼を追い祓う儀式なのだから。
――以上、trueルートより


 双六をあがった? あがった先には幸せな未来が待っていた? いやそんなもんはねぇ、それらは全て『幻日』だったんだよ!(ババーン
 ――いやまぁ、正直OP入る直前に「振り出しに戻る」と出た段階で気付きはしてたんですが。振り出しが「賽の河原」、何に於いても「振り出しに戻る」と出てくりゃそうだろうなと。
 とはいえ、「再度、走馬灯を始めから見る」という考え方は個人的に目から鱗でした。この作品ということではなく、確かに生死の境にいて賽の河原にて石をずっと崩されるとするならば、そのような考えがあってもいいはずなんですが、どうにもそういう考えには至ってなかったです。

 それはあくまで過去であり、記憶である。何がいいって、共通各ルートでの展開や関係性をどれもしっかり生かした上でtrueに臨むこと。且つ、各共通で描かれた仮初のあがりも、キャラが経験した大事なルートの帰結として描いています。いやほんと共通琥珀ルートラストのご都合主義を許さない終わり方は素晴らしかったんだ……。
 各人が一回は暁に惚れたことがキャンセルされたというのは思う所はあるけれど、それでもまたこの姿で何度も再会「出来ていた」ことを知った琥珀の感情は、わかっていても目頭が熱くなるものがありました。その上で中々素直になれないクレアは可愛い。そしてさらっと戦争が起こりそうなことを言うみさきまでがワンセット。すごくやり辛いと呟くクレアに全力で同意しつつも、やっと主人公とヒロインが双六世界でもちゃんと思念が通じた状態で揃ったこのラノベ的状況にムハーとなりつつ。早く黎と大誠も、そして鹿乃もこの縁陣に組み込めるようにと願いながら。カラスは出来なかったけど。

 他の各種キャラとの邂逅から相縁を結ぶまでの話はキャラ感想の方で語るとして。
 だけど、いやぁ花壇はやられた。大誠にまつわる、というのはわかってたけど、このタイミングでこれを持ってくるかと。共通クレアのどんでん返しもですけど、ここもカタルシス的にはそれに類するくらいには十分です。
 ていうか鹿乃と大誠の絡み他にもあったよねと思って共通クレアルートの三巡目先負の描写が見返したら伏線だったよあああああ! 花壇そのものを出した共通みさきルートだけじゃなくこういったとこでも伏線を張ってるので、先述した通りやっぱり二周するべき作品だとは思うんですよね。回想に含まれない伏線もいっぱいあって本当に二周目でも色々拾えるよなと。

 そんなこんなで強制退場させられたカラス以外の全員と相縁を結んだ上での物部との対峙。基本的に、鬼の正体が判明するまでは、地の文は物部=鬼による俯瞰視点、と見るのがよさそうです。
 というか鬼の正体が物部なこともですが、それ以上にそれまでの地の文の大多数が物部視点だったということに気付かされた方が圧倒されましたね。いや地の文がこの書体だからこそ伏線やミスリードがここまで出来たと言えるだろうなと。三人称風一人称程難しいものはないですし。それをここまで意識させないようにやってこれたってのはほんとびっくりです。
 そして、それまでの物部視点から、暁視点に移行するための、個別ルート選択以外では唯一の通常選択肢も大きな意味を持ちます。しかしそこにある三つ全てが「正解だ」で、選択肢としての意味は成してません。ですがここは、これまで地の文に物部がいて、その物部から暁が決別するという意味付けこそが重要です。一呼吸置かせて、あくまでプレイヤー自身に選択肢の体で選ばせるからこそ、遂に対峙するという意識を持たせることが出来ますし、暁が真の意味で物部と決別する瞬間を「掴み取らせる」という意気込みは特筆すべき点です。

 その物部が言うところの「縁を絶ちたいと想うからこその憎悪という強固な縁」という考えはかなり新鮮でしたね。好きの反対は嫌いではなく無関心とはよく言いますし、本作でも実際にその通りの描き方をしているのですが、見方を変えただけでそういった描き方が出来るとは思ってなかったです。

 それにしても、物部の倒し方が、真正面から戒同士でぶつかるというのではなく、これまでの盤面にあった戒を発動させるという、あくまで最後まで双六に準じた展開だったのはすげぇってなりましたね。上で散々ライターの力量が展開に追いついてないとかなんとか書いてますけど、本当は冬茜トム氏かなり頭いいんじゃないかなと。現実や双六、各キャラの根幹設定に舞台乃至史実とここまで踏まえなきゃいけないことが大量にあって、それを一部除いて破綻なくまとめたのは間違いなく並大抵のことじゃ出来ないでしょう。

 ちなみに、タイトル回収は琥珀ルートでのみされています。琥珀がメインヒロインというより、ひとまず琥珀とは再会描写を絶対入れなければならなくて、そのついでのタイトル回収といったところですけど。
 逢魔が時、生と死の境界に見られる極彩色の極まる瞬間は、儚さの極みであり、そうであるからこそ美しい。消えゆく陽光と、散り往く紅葉に感じる無常は、文章にするなら「彩の頃はもののあはれ」ですね。幾多もの輪廻を経験してきたからこそ、という暁の実感は、最後に霞を見送ったからこそ強く表れています。
 もののあはれと言えば、クレアと琥珀がtrueルート二五七二巡目で暁・京楓・みさきと改めて対峙した際の三人の感情でも使われていますけどね。「単純な喜怒哀楽では表せない、けれど幾層にも深まった」三人の関係性を指してこう呼んでいます。

 ともあれ最後に、暁は生涯の伴侶(予定)を選び取る。それは運命でも陰陽でもなく、ただ己の感じるままに。
 ちなみに後述しますが熱い京楓とのCP推し。ですが可能性そのものは誰にでもあると思います。双六の流れならみさき、現実の流れなら京楓を選ぶのがセオリー通りではあるんだろうなと思いつつ、まぁあれなら誰選んでも不自然じゃなく出来てるかなと。この辺りは冬茜トム氏出世作「Magical Charming!」に於けるオリエッタ偏重への批判からの反省があったのかなとは思ったり。「運命線上のφ」ではラストのハーレムルートが逆にそこで終わっちゃったかと言うのはありましたけど、あれはそれまでの各編が各々のtrueみたいな感じでしたからあれでよかったでしょうし。その後に出た「ぱらだいすお~しゃん」は……あれラストアリカエンドっぽくなかった?
 ともあれ、それでも、散々誰かしらをその気にさせてたわけで、あれならハーレムあってもよかったように思うけどな! そしたらtrueルート二五七二巡目で琥珀に「誰が好きなの」と尋ねられた際に選択肢出すしか方法はなかったですかね。それでもいいけど以降ED後までを全部繰り返しになっちゃうのは辛いな。SAGA PLANETS「キサラギGOLD★STAR」にてtrueで一応誰エンドかみたいなのを選ばせる際に、最後一枚絵の回収が変わるだけなのに長々と周回させられた感があったので、やるにしてもそれに近しくなっちゃったかなぁと。
 まぁ各々の様子とか変化付けて読み飽きさせないようにも出来ただろうなとも思います。仮にハーレムエンドがあったとして、共通各エンドに京楓追加した上でtrueをハーレムにするみたいな感じになったのかなと。けどまぁ何に頼るわけでもなく選び取ることが重要なので、あれはあれでいいですけどね。
 尚みさきルートに行くとドMにされ、琥珀ルートに行くと性奴隷にされる模様ry



以下キャラ別感想



物部総司


物部「人はひとりでは生きられない。数え切れないほどの繋がりがあって、その人物を形成している」(trueルート二五七十巡目友引


 全ての黒幕。誰の手にも負えない災厄――鹿乃をも上回る妄執と狂気の塊。
 正解だ――彼の口癖は、しかし真意に辿り着いた相手を畏怖乃至委縮させるものとしては実にぴったり。
 そして、現実に於ける面倒見のいい教師という評価は、それを見せかけの人物像にして、それを使って狙う対象に近づくという手段としては、常套でありながら一番効果的な方法だったでしょう。性犯罪者は対象に怪しまれないような職種を狙うという話がありますがあれと同じ。ずっと暁を双六盤面に落とせる状況を窺っていたという意味では、京楓に語った通りですが物部はある種一番一途なキャラです。

 ただまぁ、暁の戒を欲しがった理由がどうしてもわからないんですよね。ここは素直に描写不足なんですが、暁の戒を所持して何がしたかったのか、ということが口から出てこなかったので、それを持つことによって物部がどのようなことが出来るようになるかがわからなかった。
 それと篠月学園に暁が入る前から暁の戒を知っていたのかもどうなんだろうと。まだこの時は陰陽関係のことに暁は一切目覚めてなかったわけで、鹿乃ではなく暁である必然性をこの時点で見いだせていたかが今一わからないんですよね。共通クレアルートの第二面西院の盤に於ける4の六にある「次の出目を知る」の効果を所持していて、その戒で見通せたというのならわかるのですが、そうだとするなら言及が欲しかったなと。
 話は逸れますが、篠月学園が明らかに荒廃しており、そして無法地帯と化しており、尚且つ外部監査的なものも入っている気配がないということより、篠月学園は部落差別者の孤児のみを入れる施設であったのかなと考えています。鹿乃が人生に絶望し、暁が自身を鼓舞しないとやってられない、篠月学園では二人とも奈落の底を見つめる目をしていた、という辺り、「社会の淀みを集めた場所だった」という解釈が出来そうです。ちなみに物部が鹿乃と暁をかねてより観察していたというのも、物部が人権教育者としての肩書があり、部落出身者を狙って目を付けていた、という考察も出来るのかなと。勿論現実にはセンシティブな問題なので、恐らくそこまでは設定には含まれないでしょうが、それに近い設定としてはあるのかなと。
 ちなみに推察ですが、戒を欲しがった理由としては、「物部一族の悲願」という説を推しておきます。物部一族と言えば、飛鳥時代に大王家に仕え、軍事的な刑罰を取り仕切った氏族ですが、仏教受容に反対し蘇我一族と対立し、587年7月の丁未の乱での敗戦により衰退・離散します。祖先の伊香色雄の伝承によって、祭祀に関わる氏族だったので、暁の戒を以てその役職に返り咲こうとしていたと見るのが一番自然かなと。その際は排仏にも動いたでしょうね。
 余談ですが、物部姓は飛鳥時代奈良県発祥ですが、東雲姓も奈良県に多いです。なので、ともすれば物部と暁は先祖を一にしていた可能性もあるのかなと。暁の出生的には、宇治市以南の京都府南部~桜井市辺りまでの奈良県北部の何れかに生まれて育ち、同じ地域内のどこかにあっただろう篠月学園からの脱走後はひたすら北上して京都市右京区又は中京区(西院周辺)に辿り着いたものと思われます。

 冥界と人間界を行き来する妖怪が鬼ですが、物部はあくまで盤面を見下ろすだけで、未成年でないから双六盤面に入れないという決まりの通りにはなってたんですよね。本編でもずっと前から暁を狙っていたわけで、共通みさきルート六巡目で双六が職員室にあった通り、恐らくみさきが双六の「盤」となって以降ずっと所持し盤面を見下ろしてはその時を待っていたはず。
 ともあれ、未成年の内に何回も双六盤面に降り立っていたことにはなるのですが、個人的に知りたかったのは、絶対どこかであった、賽の河原と戒を知る切っ掛けなんですよね。普通に暮らしていればそんな現実でも使えるような異能の存在なんて知りようがないですし。
 要は、子供の時かいつかに一回死にかけて双六をあがったけど、その際に自身の性格乃至境遇に根差した「他人の戒を奪い取る戒」と戒そのものを知り、麻薬の如く中毒になっていったという出来事がどこかであったわけで。臨死体験は癖になる、と物部は語りますが、まぁ一種の精神病患者状態ではあったのでしょう。実際、手や足、凶器といった道具を使わずとも物理的な影響を他人に与えられるというのは確かに快楽以外の何物でもないと思います。
 ED後のクレアルートでは、クレアの父バークリーとカラスを繋げた存在として物部の存在が匂わされてますが、物部の存在を忘れたクレアに対しバークリーが「知る必要もない」と答えたのを見るに、本性が一部にはばれていたわけで、そういった人から見た物部の心証もかなり気になるものがありますね。なので、FDが出てくれるなら、最低その鬼に心を売り払った経緯は掘り下げてくれるはず……いやまぁしてほしいなと。心を鬼に落とすきっかけは、ささいなものだったのかもしれないし、サイコパスのように元から狂ってて必然だったのかもしれない。それがわかるだけでも、物部という人格を掘り下げるには十分であると思うのです。プレイヤー視点からだけだと、現実での姿はそれなりに「生徒想いの心証のいい先生」のままでもあるので。

 ていうか公式のキャラ紹介の文言ぅ! 現実で何か言ったんかと思ったらよりによってそのタイミングぅ!



カラス/刀儀燎平/ラッキー7
 双六世界内唯一の成人。未成年しか入れない中、チャネリング――精神世界からのアクセスにより双六に入ってきてます。唯一現実では命の危機に瀕してない人。そして黎殺し。

 正直なとこ、立ち位置的には割と重要なんですが、本作で一番詳細が省かれてるキャラなんですよね。致し方ないとはいえ、最終的には成人前の記憶は取り戻せないままクナドにより双六から排除されるので、成年前の様子がどんなもんであったのかは一切わからず終い。物部がカラスに関する全てのことを知っていたはずなんですが、物部からも特段語られず、腐れ縁としか言ってないので本当に何もわからない。
 理解した上で生きながらにして双六に入ったということは、恐らく成年前に一度双六盤面に入り込んでるんじゃないかとは思うのですが、FD出たらその辺りは補完してほしい所。

 ひとまず、走馬灯を見たいと願うキャラだったからこそ、その実死にたい願望があったと見ることが出来ます。結局第三面へ行きたかった、としか言いませんが、鬼と対峙して極楽浄土へ向かいたかったというのはあったのかなと。まぁ第三面にカラスが訪れていたのなら、物部と対峙して返り討ちにされて即終了だったでしょうが。
 それと併せてですが、記憶をなくした理由も縁によるものなら、ある程度は原因が推察可能です。まぁ九分九厘物部総司のせいでしょう。
 そういや、鹿乃の蜘蛛の糸がカラスに効かない理由が地味にわからない。ここは解説を求めたいところ。現実で結んでいる縁がなかったからだとか、そういう感じだとは思うんですが。

 ちなみに、実は一番史実設定とキャラ設定がリンクしているキャラでもあります。結論から言えば仏教、なかでもインド神話やヒンドゥー教辺りに近いところを突いてきています。
 獄縁――食吐悲苦鳥之迦楼羅焔。カラスの戒ですが、ここに出てくる食吐悲苦鳥はインド神話のガルーダを前身とする迦楼羅天の漢訳、迦楼羅焔は不動明王背後の炎で迦楼羅天の吐く炎乃至迦楼羅天そのものの姿ですね。食吐悲苦鳥=迦楼羅焔ということで、存在が不動明王背後の炎ということでよさそうです。
 じゃぁ不動明王は誰という話にもなりますが、これは物部でいいんじゃないかなぁと。不動明王がシヴァを説き落とす説話が密教経典「底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法」にありますが、カラスはそれと同義の事ををやろうとしていたんだと思います。
 といってもわかるのはその程度で、これ以上はなんとも。いやまぁ正直なところ、仏教とインド神話について無学すぎるため全然語れぬ……。

 ただ、バークリー・クレアも物部と知り合いだったという点で中々怪しい存在にはなってくるんですが、作中の書物文面でしか察することが出来ないのでそこはなんとも。バークリーと物部がどこで出会ったかが描写されればある程度謎は氷解すると思うのですが、ここは要補完ですねぇ。
 まぁとりあえずBerleley Craireと物部総司と刀儀燎平の三人のお話をですね。この三人の関係性は本当にもっと話して欲しい……。



鹿乃縁
 自身が不幸であるからにして、人の不幸「しか」願えない少女。
 篠月学園時以来の主人公の一番古い知り合いなので、ある意味では暁の幼馴染とも言えます。但し、主人公の施設からの脱走を境に関係性は大きく異なるものとなったのですが。
 OPムービーで「おまえが全部悪いんだ」と表示してから「誇り気高く」と歌い上げるパートで蜘蛛の糸の戒を発動させる一枚絵を出すのは狙ったよなぁと思うのですが、ともあれ作中一番自尊心が強いキャラです。まぁ「親に捨てられ、友達もなく、引き取られた先では虐待され」てきた生い立ちを考えればこうなるのも無理はないのですが。

 正直な所、作中でかなり身の上話から救済まで一通り描かれているからこそ語ることは少ないです。蜘蛛の糸の成り立ちとかもしっかり補完してくれてますからね。

 先述の通り、「東雲暁を殺す前にそこにいる者は全員屍も残さない」のがスタンスですが、あまりにも不遇過ぎて、自分よりいい想いをしている相手は誰であっても許せない、ということに尽きるんですよね。
 まぁ、結局の所、自身が最底辺の生活であったからこそ、九分九厘周りの人間は自分より恵まれている、即ち殺されるべき存在にはなっているのですけどね。京楓がクナド相手に「自分の手が届く範囲でしか行動を起こせない」と語る通り、周りからすれば知らない、知っていても行動にまでは至らない例は多いですが、当事者からすれば「わかってて手を差し伸べてくれなかった」存在にしかならないので、理解は出来ます。
 但し、みさきだけは、その「プライドをずたずたに引き裂かれたことによる自己の乖離の危機」と、憎い理由が他キャラと完全に異なっています。結果、暁とみさきだけは別ベクトルながら同様に究極に憎まれる存在となりました。
 みさきも、方法さえ違えば早い段階で鹿乃を救うことは出来たのですけど、まぁ彼女の性格的にどだい無理な相談だったでしょうね。みさきに関しては、京楓同様知っていても手を差し伸べられない乃至差し伸べないんじゃなかったのではとも思いますが。

 篠月学園から引き取られた先がネグレクトと暴力の二層建てであったことを考えると、恐らく鹿乃は始めは期待したものの、すぐにどん底に落とされたという想像が容易に出来るのですが、ともあれ、それまでの経歴的に、手を差し伸べられることですら拒絶反応が出るようにはなっていたと見ていいのかなと。作中大誠を「初めて手を差し伸べてくれた人」と形容していますが、恐らく鹿乃視点では初めてでなかったように思います。ただ、同年代の人間がちゃんとバックボーンなども全て把握した上でそれでも手を差し伸べる。という状況としては初めてだったのかなと。

 その鹿乃を大誠が救う、という流れは一部で賛否両論あるみたいですが、私は大好物です。というよりあの状況から何故暁が鹿乃を助けられると思うのだ。
 何もこの作品が、という話ではないですが、主人公単体で何らかの救いを与えられるキャラなんて、正直どんなに頑張っても片手の指で数えられるくらいしかいないと思うんですよ。本作鹿乃は、経緯や感情がもつれにもつれた結果、どう足掻いても主人公である暁には救えないキャラとなりました。それだけは断言できます。
 じゃぁ、大誠以外だと誰だったら救えたの、という話ですが、ひとまず作中キャラに限るとして、京楓は見て見ぬふりをしてたという描写があるため駄目、クレアと黎は接点が一切ない、琥珀は猫なので何も出来ない、カラスはそもそも眼中にない。ということで「仮に会ったとして見て見ぬふりをしなかった場合のクレア」だけなんですよね。みさきは不明ですが、恐らく京楓と同じ理由+みさきの「自分が守るべきと思う枠から外れていた(他人には関心を示さない)」という戒にも現れていた通りであるように思います。
 要は大誠がXデーの際鹿乃の影に気付かなければ、誰からも救われず逝ってたわけです。尚その際大誠は死なずとも他の双六面子は説得出来ずに蜘蛛の糸に貫かれて永沈。

 ともあれ、大誠が身体を張ってくれたということは一切無駄でも何でもなかったということです。それは人柄もありますが、何より大誠の人生観が全てです。鹿乃だけではなく、結果的には全員を救えるような状況にもなりましたが、あくまで大誠が見据えたのは鹿乃一人。そしてその身を案じ、寄り添って立ってくれるとなれば、そりゃまぁ落ちるよなと。
 鹿乃と大誠が今後どういった関係の変化をしていくかは想像の範疇を出ませんが、寄り添って立つ、ということを知ることが出来た、というのは、それは鹿乃に限らず、どんな人であっても最上の喜びであると、そう思うのです。


 鹿乃「……現実は、つらいよ」
鹿乃は、独り言のように呟いた。
 鹿乃「私が生きてきて、私が恨んできた世界が、そっくりそのまま残ってるんだと思う」
クナド「その通りだよ」
 鹿乃「――でも、私は」
 鹿乃「そんな現実に、帰りたいって思う」
――以上、trueルートより


 あとは暁との関係ですね。暁は、自身が知っている相手であるからにして、自身の目の前で「自分一人を置いて」幸せになっていった、ということで何倍も憎しみが深くなっています。憎しみの深さ的にも、暁とは恐らく京楓レベルで縁が強いキャラでしょうね。
 で、結果的に本編中では和解、とまではいかなかった両者ですが、恐らく関係性としてもあのまま進むと思われます。暁から鹿乃への感情は読めない所も多いのですが、鹿乃から暁へは完全に憎しみがほどけても、大誠を抜きにしても少なくとも恋愛感情を抱けるようなことにはまずならないレベルにはなっています。

 故に二人に今後必要なのは友情未満の、だけど互いを許せる関係。別にこれまで暁は鹿乃に死んでほしいと思っていたわけではないですが、鹿乃は死んでほしいと思っていたと同時に、それらのことをしても自身が幸せになれないことも含めて理解していました。だけど、これからは少なくとも無理に暁を呪う必要もない。少なくとも暁は不幸せにはならないように祈ってくれる、なら鹿乃も、暁の幸せを願ったっていい。
 口悪く罵り合っててもいい。素直でなくともいい。鹿乃と暁が口喧嘩「出来る位には」関係が回復していっただけでも、二人にとってはこれ以上ない成長であると、そう思うのです。


 ――ところで、琥珀おまけえちシーン二つ目に、暁に飲ませる前提の媚薬的なものを琥珀に渡してたという描写がありますが、これ琥珀を通じて地味に暁を壊そうとしてだろ! しかもその辺りから暁は琥珀の性奴隷っぽくなってるしな! 琥珀ルートに至るのは、ある意味では鹿乃の思う壺だったのかもしれないなと、どうでもいいけど。



首藤大誠
 幼馴染グループの中の秀才。いやまぁ大誠とみさき、暁と京楓で出来不出来は分かれちゃいますが。ひとまず目指すは地元の某国立大ですかね(すっとぼけ
 そして戒を唯一幻日へと持ち帰った人間――ってまぁ他みんな使い勝手悪かったりそもそも絶対嫌って中でどう考えてもおあえつら向きですわこれ。
 まぁそのお陰というかみんな治して、黎に至っては「お察しの通り大誠の病縁で即・全快」とまで言っちゃうけどな! なんかサイキックのチャットハンドルネームの「☆☆キョウカ☆☆」宜しく☆で挟みたくなるような文章だ。

 ただの幼馴染、主人公からすれば貴重な男枠としても重宝される程度の扱いだろうと当初は高を括ってたわけですが、まさかこんな重要ポジションだとは。ロリコンだけど。
 鹿乃を救う枠は、先述しましたが確かに終わってみると彼しかいないんですよね。ほんとによく考えられたキャラ配置だよなと。ロリコンだけど。
 というかロリコンでロリっぽい彼女が手に入りそうとか普通に勝ち組じゃないですかやだー! しかもあれ殆ど自分から告白したとかそういう口じゃないからなぁ。ともあれ最初の立ち位置から鹿乃とのくっつき方まで、私が望む男友人のあるべき姿をほぼ完璧に再現してくれました。

 鹿乃と仮に今後相思相愛になるにしても、今は友達という関係性で。恐らく大誠もそれを自覚しているからこそではあると思いますが、ほんと大誠は鹿乃が望むものを現時点でしっかり理解してあげられてます。周りがああやって囃し立てようと、鹿乃にとって友達もいない中最初から恋人というのは重いだけです。まずは友達、鹿乃からすればその中でも一番親身になってくれる相手として接することは、周りが考える以上に重要。縁が濃くとも薄くとも、友達のそれはいるということが必要他なりません。
 故に、大誠だけが友達、ではなく仲間みんなで友達にならないと、後々大誠と鹿乃が恋人のそれになることが出来ません。故に大誠のサポートが重要になってくるわけです。ここまでくるともう完全に介護の域。けどまぁ現実ではやはりまだ精神がボロボロであろう鹿乃は、それくらいのことをして文句はつけても素直に受け取るでしょう。


 それと、恐らく彼は将来的に心療内科を目指しただろうというのは強く言えるよなと。
 共通琥珀ルート内で医者か科学者かという中で、新たに精神科医を目指しても、という発言があります。これ、現実でのことなので鹿乃と出会う前なんですよね。ただ、この際にどうして精神科医を目指そうか、という理由が語られないのでその辺りは不明。
 とはいえ、その状態なら、双六世界内の出来事に大誠含めあれだけ皆感化されている状況下、大誠が精神科医を目指さない理由がないんですよね。ましてやすぐ隣に精神まだまだ病んでる年下の彼女(予定)。鹿乃は双六世界内でかなり精神的に成長したとはいえ、それでもまだまだ病んでる域にはいると言えるので、大誠は必死こいて鹿乃が周りに受け入れられるよう努力するでしょうね。その上で気付けば、みたいな感じなのかなと。
 あ、科学者はともかく医者には絶対なりません、というかなれません。病縁使って治しちゃったらそれ医者というか新興宗教が出来てまう。まぁ心の傷も治せるようですけど、あくまで話を聞くことが本分にして、聞き上手の大誠ならその道をしっかり目指すのじゃないでしょうか。

 ともあれ、この物語乃至その後の大誠視点も見て見たいものですねぇ。大誠だって十二分に主人公格張れるわけで、その上での鹿乃との結末は見てみたいものです。
 しっかし愛しのあの子とクナドに言われて赤くなる大誠はかわいいなぁ! しかもこの時鹿乃縁ともなんとも言われてないのに勝手に墓穴掘るからめっちゃかわいいなぁ! 一応クナドの方が年下な訳だけど可愛げのあるいいやつとか言われる大誠ほんとかわいいなぁ! いやほんと普通に萌えキャラでしょ大誠。

 ――ところで大誠所持のみさきに見つかったロリ系エロ本がその後どうなったか気になるんですがどうしたんですかね。そのまま所持してたとして、鹿乃にばれた際の鹿乃の反応が読めなさすぎて気になりすぎてもう。暁にあげてその上で暁が琥珀選んでその後琥珀にばれてたらそれはそれで普通に腹抱えて笑うんだけど。


追記:大誠と鹿乃の話は2022年に彩頃五周年記念として後日談的にこちらにまとめました。以下Pixivリンク。
「甘い記憶は匂いと共に溶け落ちて」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18442814



榊黎/Pixie
 東京在住の秀才。黎の思考を表した、画面左側にばーっと文章が出てくるのは、同じりょーちん氏ディレクターのChronoBoxでも見られた試みですが、こちらの方が、文章の詰め方と相まって効果的に使われているように感じます。
 にしても、いやぁ確かにあの戒は使い道ないわ。相手を鬱にする効果はあるかもだけどほんとそれだけやな。

 個人的には、人生に飽いたという割には行動力が低すぎね? という気はしました。私なんて中学の時点で実質的な日本一周してたぞ、というのはともかく。
 あのような自身の日々に色付けをするならば、それこそ外に出るしかない訳で、そういう意味では短期目線の享楽的人間、と解釈します。
 とはいえ、月下氷人の退屈しのぎで語られますが、全く行動力がない人間、というわけでもないです。彼は「(人間関係に於ける)スリルや興奮などを味わえる」ことに主眼を置いていたので、確かにその理屈だと中々そういうのには出会えなさそうです。まぁ、無気力とも語ってますので、わざわざ探しにいくつもりもなかったわけですが、これで行動力だけはあったら人の道からとっくに外れていてもおかしくはなかったのかな、とも。
 面白いことを探そうとするモチベーションさえない、と黎は語りますが、恐らく、そもそも親乃至保護者が封建的で色々と自由な行動が制約されていたんじゃないかとは思います。もしくは完全放任主義で半分育児ネグレクト、だけど金は特に出さないとか、そういう状況だったんじゃないかどうか。黎の語りを聞く限りだと後者の方が可能性は高そうです。
 差しあたって、保護者とのその最大の妥協点が京都だった、というのはあったとは思うんですけどね。京都ならまだ勉強――日本史とか、そういったことに関する繋がりの実地調査みたいな名目で来ることは出来るでしょうし。勿論暁やクレア、カラスの繋がりもあって、彼らに「会いに行く」という目的もあったから、ではありますが。ののさんに会いに行くという目的も、ラッキー7に誘われて副次的に出てきた要素ではあると思うのです。

 とまぁ、黎の経歴に関してはその辺りの想像を付けるのが可能なのですが、作中展開などを前提とした上では、正直一番語ることが(この濃い面子の中では)少ないキャラです。
 共通琥珀ルートのサイコロのからくりだとかよくまぁあぁもいち早く気付けたもんだよなと思うけど。真の意味で常人離れした彼の特性をもっと見て見たかったとは思います。特にスポーツも素晴らしいという記述もある中実技に関しては一切出てこなかったので。

 ところで、黎は作中特段誰かと結ばれるなど、恋愛関係のことに関しては一切絡んできません。暁が京楓と結ばれた際に、物見遊山的に二人の様子を見に行く程度で、人の恋愛、もとい人にはあまり関心がないように見受けられます。せいぜい、共通琥珀ルートで好敵手として暁と琥珀を意識するくらいです。
 ですが唯一、明らかに特定の相手に対して執着心を露わにする場面があります。trueルートに於ける暁です。
 この時(双六世界に入る直前まで)の黎は暁と初めて会い、やっとネット上でしか交流がなかった相手に榊黎という姿を現す、というのを目前にしてこの事態(双六)になっているわけですが、感情を昂らせるわけでもなく、激情を示すわけでもなく、だけど明確な暁と会いたい、会ってみたいという執着心を示します。
 だけどそれで言うに事欠いてカラスに聞こえずとも口するのが次のこれ!

黎「僕の暁に――無粋な真似をしないでくれないかな、烏天狗」(trueルート二五七三順目大安

 他の誰でもない暁に合わねばならぬとかさ! 黎が自身の生殺与奪を決めるのは暁の反応が全てとか言っちゃってさ! ネット上の反応+双六盤面でのかつての対局だけでこれはもう黎普通に暁のこと好きすぎるでしょあああああ!(黎は同性愛者とも異性愛者とも特に言及はありません
 カラスもカラスで、縁程ではないにせよ暁絶対殺すマンになってるってことは黎も併せて殺したいほど憎んでる且つ愛してるってことの証左だよね! つまり美しき三角関係!(繰り返しますがこの二人は誰が好きとかそういう話は一切ありません

 閑話休題。

 まぁ、暁が黎に取って初めて関心を向けられる身内以外の他人であったということは、疑いようがないと思うのです。ののとPixieでもなく、暁と黎として初めて会ったネット以外での交流。ネット上ですら初めて興味を持った相手に、初めて対等に自身を認めてもらえるかもしれないという期待感。
 ちなみに紫炎=クレアに対しては、クレアがオフ会をよしとしなかったので暁よりはワンランク下がります。仮にここで暁と一緒にクレアも黎と会っていたら大誠と鹿乃みたいに黎とクレアみたいな作品になっていたのかもしれない。まぁ個人的にはそれでもよかったんだけど。寧ろ群像劇大好きマンとしてはそっちの方が好きではあったんだけど。クレアを取り合う暁と黎とかあったら楽しそうだったし多分黎も楽しめたし見てるこっちも楽しかった。いや展開考えればそれより暁を取り合うクレアと黎か! クレアと暁がくっついたはずなのに「僕の暁に――無粋な真似をしないでくれないかな、紫炎」とかいって横取りしようとする展開とかほんと楽しそうだし見てみたいな!

 閑話休題(二度目

 話を戻して、それらを差っ引いても黎はまずは暁との関係性を重要視したと思われます。黎も鹿乃同様友人がいないと語っており、その中でまずは確実に対等に話せる関係、中でも恋愛を抜きにした同性の関係があるべきでしょう。
 先述の通り、仮に黎が同性愛者というのでしたら話は鹿乃同様にもなってくるのですが、黎が必要なのは損得勘定を抜きにした人間関係なんですよね。恋愛に発展しそうな大誠と鹿乃とも違う、対等に見てくれる存在、暁はその存在として、初めて黎に認められ、また暁も黎に対して認めたキャラです。trueルートでクナドに「刺激を求めるなら、自分で赴くことにするよ。暁も連れてね」と言ってる訳でってやっぱり暁のこと大好きじゃないですかぁーっ!
 ちなみに、黎は実際問題恋愛そのものは、知り合い限定で外部から人の恋愛を冷やかすことの方が好きであると思われます。多分自分事になった途端に急にテンパる奴。けど、そういう姿も見て見たいと思うし、黎自身そういうのがあれば、自身の人生が豊かになっていくと、そう感じることが出来るはずです。

 何はともあれ、自身の人生を豊かにするのは特定の相手であるということを知った、それが黎が双六世界で知った世界の真理であり、縁であると思います。双六で手に入れたかけがえのない幾つもの縁。彼らに会うために現実に帰る。そういう意思を手に入れた彼に怖いものはもうないのでしょう。
 なんとなくだけどみさきなら彼の思う所とか、色々理解してあげられそうだよなーとは思うところ。それでもやっぱり真の理解者はクレアに落ち着きそうではありますが。まぁまずはののと紫炎とのオフ会ですかね。



琥珀
 現実では紅葉を頭に載せた猫。双六では黒髪のロリっ娘。
 ちなみに、共通みさきラストでも黒猫としては出てきますが、唯一頭の上に紅葉を載せていないため、琥珀の殻を被るも中身は空っぽと化した存在であると推測します。共通最初の幻日のみさきの発言により、紅葉=琥珀の本体ではないのはわかる話ではありますが、あの紅葉自体に意味はあったのではと思うところではあり。どうせまた賽の河原には戻るのであまり考察も意味はないですが、ともあれあそこは唯一琥珀が精神的に死んでいた場面なのかなと。

 ところで人間になった琥珀ですが、割とロリっ娘然し過ぎていて、実年齢的にいくつぐらいかということが全然わからないんですよね。私個人は鹿乃と同い歳程度(=暁らからは一つ下)と思ってはおります。人間になった後は京楓のおさがりの洋服を着ていますが、幼児体系だから着れるだけで、実年齢とはまた別でしょうし。

 余談はさておき、琥珀だけ、どうしてこの双六世界に呼び寄せられたのかという明確な理由が一切記されてなく、不明瞭なのは今一つ不満なんですよね。物部が一切気にしなかったお陰で、せいぜい猫がなんか迷い込んできたくらいの書き方程度しかされない。
 みんなとの強い縁があったから、琥珀も同様に呼び寄せられたとのことですが、猫だからといって死にかけでもない(事故に合うとかして瀕死の可能性はあるにせよ)のに双六世界に入るのは流石にどーなん? とは正直なりました。

 その琥珀ですが、現実が元々猫であったからこそ、心情などを考察するには双六世界での言動からしか察することが出来ません。
 現実での縁を中心に行動をした彼女ですが、クレアと相縁を結ぶなど、そうでない所も多く、又、個人戦を強いられた共通クレアルートでは、殆ど暁とみさきに対してのみ心を開いています。
 猫であった際の琥珀との接点――双六参加者との縁は二つあります。まずは幼馴染グループと触れ合う事。もう一つは鹿乃と触れ合う事。
 その上で双六前後の琥珀を見る際に一番大事なのは、琥珀の心境の変化でしょう。共通琥珀ルートが顕著ですが、感情を自覚していくことが琥珀の成長です。

 元々、琥珀を彩る原初の感情は「悲しい」でした。笑うことを知らない彼女が、だけど共通三巡目の時点で唯一知っていた感情。共通みさきルート内で、鹿乃に殺害される前に憐憫の情を向けていたわけですが、あれこそが本来琥珀が持つ他人に向けた感情です。
 それとは別に猫としての生前に於いて何かあったということは推察されるのですが、それ以上は語られないためわかりません。
 思うに、猫であった際の琥珀は、大方野良として産まれてから親猫とはぐれたか、飼い猫だったが飼い主が死んで野良化したかだとは思うのですが、まぁ恐らく後者でしょうね。そうでないなら尻尾にリボンを付けている理由づけにならないので。
 とはいえ、鹿乃との触れ合いの中で、悲しみという感情を夙に覚えた、というのもまた事実であると思います。差し当たって、鹿乃と出会う前の琥珀の成り立ちが、鹿乃と触れ合う中で、鹿乃の様子に感化されて、悲しみという感情が思い起こされたと想像するに難くありません。

 人間になって感情を知ったからこそ、感情の変化がとにかく豊かに描かれる。その描き方は文章そのものを読み慣れない子供であっても、そのままの単語が出てくるから、琥珀がどう感じたかが直接伝わってくる。
 そして琥珀というキャラは、「尊い思い出をうまく拾い上げるキャラ」です。trueルート二五七二順目仏滅での描写がわかりやすいですが、自身の感情に素直であり、思ったことは素直に伝える、だけど時には猫のように無関心にもなれる。
 琥珀の無関心は、物部が永沈する直前、最後に声掛けをしたのが琥珀でしたが、その際の「ボクだけは覚えてるけど誰にも存在を話す機会は訪れないだろう」というところに現れています。物部と唯一縁がなかった上で、それで尚純粋な無関心であったという残酷さを、琥珀は実行しています。

 ともあれ、猫のような無関心さと子供のような無邪気で素直な感情を併せ持った結果、人以上に人である、琥珀はそういった存在になりました。
 そして、人間になったからこそ様々なことを体感出来たことをよかったといい、その上でこう語ります。


 琥珀「立てる。喋れる。話せる。歌える。泣ける」
 琥珀「……それに、笑える」
  暁「琥珀……」
それらはすべて、琥珀がこの世界で――人間として身につけたもの。
クナド「猫のままじゃできないこと……か」
 琥珀「それだけじゃないよ」
 琥珀「みんなも、ボクを対等に認めてくれる」
(中略)
 琥珀「だって、もう知っちゃったから。みんなに認めてもらえるのが……自分で自由に笑えるのが……どんなに嬉しいか」
――以上、trueルートより


 間違いなく、鹿乃はともかくとして、双六世界に招かれたことで幸せになれたキャラでしょう。
 それも全て、暁が現実で名もなき紅葉を頭に載せた黒猫に、名を授けたから。名前がないという暁の気付きと思い付きがあったから。


琥珀「ありがとう、アキラ。ボクは、キミに名前をもらえて本当に嬉しかったよ」(共通琥珀ルート六巡目赤口


 涙を知った。涙の種類を知った。愛を知った。自分が暁に愛されていたと知った。歌を知った。歌を通して、誰かを想うことを知った。最後琥珀エンドに至った際は暁を実質的に性奴隷にまで出来た。
 だけど、笑うということを知らなかった琥珀が、共通琥珀ルートのラスト、暁に対して見せたあの表情こそが、結ばれようと結ばれなかろうと、琥珀が全編に渡って手に入れたものの中でも最大のものであると、そう思うのです。


――猫であった頃の自分では、笑うことなどできなかったけど。
――今はほら、こうして笑顔を見せることができるよ。
――他でもない、あなたに。
――以上、共通琥珀ルート六巡目赤口より



クレア・コートニー・クレア(Claire Courtney Clare)/紫炎
 隠れ家的メイド図書館カフェあかりの看板娘であるイングランド片田舎出身の英国人。だいぶ早い段階で日本には来てるので日本語はペラペラ。母親は現地にいるみたいなので、単身赴任してきた父親に付いてきて西院に住んでいるわけですが、それだけでも十分バイタリティがあるよなぁと。


――腹の探り合いなんて面倒くさい。
――それならいっそ、相手の心が読めればいいのに。
クレアが司るのは、そんな子供じみた願いが結晶化した彼女だけのルール。
――以上、共通クレアルート二巡目友引より


 「知らないところで自分のことが話されてると、気になるじゃん?」と語る通り、彼女はカクテルパーティー効果(ざわざわした中でも自身の名前や気になる物事の話題が出るとそれだけはくっきり聞こえる現象を指す)が強いキャラとして描かれています。
 その中で描かれる、共通クレアルート五巡目の現実に於けるクレアの人間関係の暁への相談の描写はすんごいリアル。というよりあそこは描き方がうまいですね。書きようによっては幾らでもドロドロに出来るような案件なのに、大まかな流れや会話の抽出は行い、だけど嫌らしくならないように感情は込めずにさらっと流す。クレアは暁を聞き上手と評していますが、クレア自身の説明のうまさもあるように思います。

 しかし、クレアは「みさきを救うために服毒して双六世界に来た」わけですが、正直これだけだと理由づけが弱いよなと。
 まぁバークリーの研究を読んで双六世界の存在を確信するのはいいんですが、みさきのためとはいえ完全に自身の命を無駄にする気満々だよなぁと。それだけみさきが慕われてたと見るか、クレアの行動を蛮勇であり無駄死にしかけたと見るか。
 とはいえ、どのように救うか、という辺りがあまり書かれてなかったんで、そこはもう少し補完が欲しかった所。この文章だけだと「双六は一人しかあがれない」という元々のルールから外れてしまうわけで、父が執筆した本からもずれてしまうんですよね。
 なので、クレアは自身の死をもってしてみさきを救おうとしたと結論付けざるを得ない訳ですが、先述した通り人間関係が面倒であると語る中みさきには命を投げ打つことが出来るレベルだったことを考えると、クレア自身もだいぶ人間関係にやられ、そんな中でみさきが唯一無二の親友になっていたと考えるのがよさそうです。みさきも、双六世界に残された対戦中の盤面を見て、自身とクレアの対局とすぐに見極めがついていたわけで、この二人の関係性はもっと知りたかったですね。ボードゲーム全般でみさきとクレアが対局してた際は一体どんな会話をしながらやっていたのか、気になるところ。
 まぁ結果的にクレアがいなければ切り抜けられなかった場面も多かったとはいえ、どうにも物語的な都合の良さをここばかりは感じてしまいました。

 さて、ただの日本人同級生とかではなく、西洋人ヒロインとしてクレアを出す必要性はあったのでしょうか? 個人的には「必要があった」と考えます。
 まず一つ。これはクレアが語る「女子特有の面倒な関係性」ですね。これを日本人特有の、と断言は出来ないですし他を知らない程度には私の知識は浅薄ではありますが、ただ日本人の中でそういった傾向もある、というのは言えます。これをやはり根は西洋文化であるキャラから見て、おかしいと思わせる役回りとしての立場をやりたかったのかなと。
 ここは何が重要って、クレアの戒に直結する話であるからこそなんですよね。周りは腹に一物抱える事までを含めて当たり前だと思うけど、クレアはそうではない。
 それともう一つ。主に西洋の宗教観に関してなのですが、賽の河原同様、キリスト教などの死生観として、生と死の狭間にある世界があります。ダンテの神曲にも描かれた煉獄です。プロテスタント等では煉獄の存在は否定されていますが、カトリックと、その流れを汲むイングランド国教会(正確にはカトリック同様の教義ながら教会統治はイングランド首領)に於ける概念なので、クレアの実家がイングランド国教会とするならば当てはまります。
 終わりがないことは永劫の苦しみである、というのは各種宗教に於ける共通理念ですが、クレアはそれを生まれた時はそこにあった教義的にそれを割と真っ先に覚えたはずなんですよね。父バークリーが京都に来て日本史を調べているのは、煉獄などの概念が自国宗教と通ずるものがあるから――というのは考え過ぎですが、それに近いものはあったんじゃないかなと思います。

 クレアといえばもう一つ、サイキックの管理人「紫炎さん」である一面も忘れてはいけません。クレア自身、紫炎と名乗った際の人格は、いつもと違う自分、現実のことなど考えなくてもいいもう一人の自分が欲しかったと語っています。
 「紫炎」という人物は、少し喋り口が変で、数少ない訪問者に喜び、チャットの空間を大切にし、その中で和を重んじる――口調以外は人間関係に一喜一憂する一人の人間であることが、画面越しでもわかります。

 ではどうしてオフ会には顔を出したくない、と言っていたのでしょう。勿論古風なつもりの喋り口の人間がまさか金髪少女であるというギャップを感じさせたくないというのはありますが、先にまとめると「否定されたくない」の一言に集約されます。
 ホームページとしては全然だけど、紛い也にもサイキックの管理人で、知識がみんなに比べるとお粗末かもしれない。向こうは全員男だと思ってて、そんな中に一人女が混じって不快な思いをさせるかもしれない。何よりいつもと違う自分を演じているからこその「紫炎」なのに、「クレア」が顔を出して関係が壊れるかもしれない――。本文中に明言はないですが、恐らくクレアの内心ではこれくらいの感情が渦巻いていたということは推測できます。
 「紫炎」というもう一人の自分をネット上で表すことによって、その場の三人からは認知された上で、その口調の自分が認められるという自己愛を認識しました。故に「紫炎」にとってオフ会はあってはならないことであったと言えます。そして結果的に双六世界で全員が邂逅するわけですが、最初にバレた暁に対して出した感情は「恥ずかしい」でした。合縁で暁が否定をするような相手ではないということはクレアからすればわかることでしたが、正直ここで合縁がなく、且つ暁からわかってて迫られるようなことがなければクレアの自尊心が傷つく事態にもなっていたのかなと。

 ところで、クレアが人一倍強く持つ欲求に「知的好奇心」が挙げられます。とはいえ、その本質はあくまで「他者を知りたい」という欲求であり、暁のような「知識的吸収」ではありません。
 どうしてそのような欲求が出たのか。上記でも色々書いたので結論だけを述べると、クレアは「他者から視認されることによる自己愛の自覚」というのが根底にあるように思います。そして、それを一番生かし、自身が他人に必要とされていたのが紫炎としての姿、サイキックのチャットであったわけです。

 ここで、クレアが西洋人ヒロインであることにも繋がってきます。下手な日本人よりも日本人している乃至日本のことを知っているという描かれ方をしているのがクレアですが、この「他者から視認されることにより」という所は、一番その中でも日本らしい所です。西洋などではあくまで独立した個々の自我を重視することがありますが、小学生位に日本に来て、日本流の生活に馴染む内に、クレアの個性は集団の中に埋没「させられる」ようになっていきました。
 勿論、クレアルートに於いて、「私との縁が、一番強かったってことだもんね」と語る通り、縁の存在は重要、いや人一倍重視しています。それでも、共通クレアルート内での現実走馬灯を中心に、人間付き合いなんてほとほと面倒だと考えている辺り、日本人外的な人間臭さを感じられるのもまた事実で。
 故に、大誠が鹿乃に言った所の「一人でも生きて」いける人間です。勿論縁を絶ち切られて永沈した物部宜しく孤独で、という意味ではないですが、クナドの問に答え、笑って現実に帰っていたのを見た三人が強いと思った、それこそがクレアの持つ唯一無二の強さです。あのシーンはクレアという人物を多くを語らずとも全て表現してたように思います。
 ちなみに対極は後述しますが暁でしょうね。彼は縁があって初めて輝くキャラですし、そもそも状況はあれでいて鹿乃と同列です。故に鹿乃に憎まれる訳ですが。

 多面性を見せつつも、それら全容を知っているのは主人公だけで、向こうも主人公の各種側面を知っていて。それでいて合縁でお互いの気持ちが筒抜けになりつつも、伝えられることは伝えようと努力する。クレアというヒロイン一人で他萌えゲーの一ルートみたいな思考・行動を多く行っています。それでいて、嫌らしくない程度にサバサバしていて、だけど自分にも相手にも等身大の姿を見せる。男からも女からもかっこいいと言われる性格。
 とまぁ、後述しますが、幼馴染ヒロインが滅茶苦茶強い本作ですが、彼女も個人的には歴代非幼馴染ヒロインの中では相当上位に来るんですよ。特に立ち絵はななろば華女史が描く表情が他キャラと比べてもすんごい豊か。恥ずかしそうにはにかんだり、慌てた際に日英言語が混ざったりする様子などがすごく可愛らしく描かれていて普通によかったです。クレアのデレ立ち絵だけでも中々に破壊力抜群なのでそれで落とされた人もいるんじゃないだろうか。
 それ以外にも「紫炎さん」であることが暁にばれたさいに暁の肩に顎を載せながら「その名前で呼ぶなぁ……」とか言われたら普通に落ちる。クレアルートでやっと恋仲になれた中、帰ろうという暁に甘えられる相手にはちょっと子どもっぽくなると前置きした上で「帰りたくない」とか言われて陥落しない方がおかしい。
 声優面でも、橘まお女史とのことで、他キャラが(別名義云々でなければ)新進気鋭の方も多い中ベテラン起用でしっかりはまっていました。まぁそれこそ日英両言語が混ざりうるクレアだけは中々新人に頼むことは厳しかっただろうなと。
 そういう意味では、本作中では一番萌えゲーのヒロイン然且つ萌えゲールートとしてるキャラ、それがクレアなのかもしれません。実際立ち絵とかで普通に陥落しかけるからなほんと。

 余談ですが、クレアと暁が付き合い始める導線があるとするならば、実際のところ双六であぁやるより、その前にイベントが起きていた方が可能性が高かったかなと。具体的には暁とみさきが鴨川カップル理論の検証で鴨川まで出向いた際に、みさきの紹介で暁とクレアを引き合わせる、という状況です。
 この段階で暁とクレアはただのクラスメートでしたが、趣味が合うかも、と言ってみさきが二人を引き合わせれば、実際問題かなり意気投合したはずなんですよね。そしてその後『紫炎』と『のの』であることを知って二人だけの秘密を持ち、付き合う流れに進んだと考えられます。
 どうしてこういう話をするかって、この頃の暁は『京楓とはずっと家族として宜しくやっていきたい、それと併せて幼馴染組とはぬるま湯の関係でいたいと思っていた頃』だったからなんですよね。それであるが故に、暁が当時殆ど幼馴染組だけで完結した世界に求めていたものは、それらに縛られない新しい風でした。この段階でクレアと親密になっていれば、趣味も合い、サイキックの掲示板の二人という二人だけの秘密も持てた二人は、九分九厘付き合うようになっただろうということは断言します。後述しますが、暁の初恋は京楓であり、この時点で異性として好きだったのは疑いようはないですが、この段階では家族だ幼馴染だ親友だの文言でそれに気付けていなかったので、この際にみさきが紹介していれば、クレアに靡いたことでしょう。
 まぁ結果論だけ言うならば、みさきの紹介がなかったのでそれで終わる話ではあるんですが、割と繰り返し冬茜トム氏はクレアが好きと仰ってるので、このパターン使ってメインヒロイン化というのも考えてたのかなぁとか何とか。

 にしてもルートでメロンブックス京都店行き始めてタユタマ買ってるのは普通に笑いますわ。あ、角砂糖と作中で関連してくるのはここだけです。あとは早期予約のきょ~ぞんコラボ位か。てかメロンブックスって角砂糖と特別何かあったっけ?

 ところで、ずっと首にヘッドホンかけてるのは何かに使う伏線とかなんとか思ってたけどそんなことはなかったぜ。重くないんだろうか。
 まぁ建前は聴きたくない、相手の本音は聴いていたい、それがヘッドホンを手放さない理由とのことですが、キャラデザで必要な話だったんですかね。ちょっと後付感強かったなと。



鬼無水みさき


「もし、明日で世界が終わるとしたら――どうする?」(共通みさきルート六巡目赤口


 双六の盤であり、展開上ヒロイン側の主人公とも呼べるキャラ。作中全体でも一番美味しいとこを持ってってるキャラでしょう。
 美味しいといえばケーキ焼くのはうまいし夢はケーキ屋と語ってたけどそこについてはどうなったんだろう。あれもう少し話広げてもよかったのかなと。まぁFD出ればその辺り語られるか。まぁ治癒してそんなに日が経ってないので何れにしてもケーキ屋が夢のままでしょうが、大学行ったらまた夢が変わったり逆に広がったりするのでしょうか。

 そんなみさきですが、クレアの自己愛が「他者からの視認」とすれば、みさきは「自身が何物にも代えがたいことを自覚した上での自己愛」が強いキャラです。共通みさきルートで散々語られていますが、幼馴染の関係性はあくまで誰一人たりとも欠けてはならないことをみさき含め全員が理解しています。
 みんなが大切だ、だけど誰かを大切にするならば、まずは自分を蔑ろにしてはいけない。それをよく理解しているからこそ、みさきは兎角厳しい。スパルタと言われようとも、人のためを思うからこそ人にはやり遂げるまで逃げを許さず、自分自身に対しても自分という存在が大切で人にとっても自分という存在が唯一無二と理解しているからこそ諦めない。

 そして、本作キャラ中一番「残酷」なのも彼女です。信念が強いと言えば聞こえはいいですが、言い換えれば自分にも他人にも融通が利かないということですね。言ってしまえば滅茶苦茶頑固。共通みさきルートに於ける鹿乃への北風もそうですが、結果的にはみさき自身は相手への当たり方について、本編を通してやり方を一切変えていません。
 自身が知っている周りは守れる、だけど意識の埒外の存在に対してはどこまでも残酷になれる、というのが彼女の戒にも表れています。彼女の戒を端的に言えば自身の周囲にバリアを張るというものですが、内側は(破られない限り)絶対的に安全、しかしその外側は一切の安全を保障しないというものです。且つ、その本質は修羅の道と語られる通り、「逃げたくても逃げられないよう強制的に仕向ける」というもの。
 そもそも、trueで本気で縁を切りたい、しかし憎悪という縁で却って結ばれると物部が言う中、盤面の戒が使えることに一人気付き物部を忘却することを宣言した上で「ありがとう先生、やり方を教えてくれて」ですからね。ほんと切り捨てると決めたことに対しては滅茶苦茶残酷。
 まぁ、ある種そんなもんだよな、とも思います。誰だって自分の意識の埒外の物事への関心までは気を配れない訳ですが、それを突き詰めれば最終的には自己を守る殻、自己愛に辿り着くわけで、その自己愛を共通みさきルートではゆっくりと、だけど加速度的に抉っていく様はよくある手法ながらお見事。
 で、みさきの戒はその観点からは見せ方がうまかったな、と感じます。自己愛的なものを視覚的に出す、というのは案外少ないように思うのですが、視覚的に、それも戦闘描写でそれをくっきりと浮かび上がらせたこの戒は見事だと思います。まぁ使いやすいというのはあったにせよ、回数使うことによって、彼女が『今』守りたいものがなんであるか、ということも明確化出来たので、物語上のみさきの視覚的にもわかる心理状態、としても優秀だったなと。

 その上でみさきの各種言動をまとめるならば、「逃げないこと」に集約されます。自他共に厳しく、信念は曲げず、時には相手を力技でねじ伏せる。肉体的に強いわけではないですが、精神的には物部以上の鬼でもあります。現実でも逃がさないことに関しては兎角徹底していますが、わかりやすいのは暁と京楓に勉強を教えるここ。


大誠は天才型なので他人の目線で説明するのが得意じゃないし、みさきは……。
みさき「懇切丁寧に! 2人を! 熱血指導っ!」
  暁「うーん……」
みさき「こことこことここ、間違ってる。さっき教えたところだから自分で頑張って」
  暁「うへぇ」
 京楓「もう無理~」
みさき「2人ならできるよ、私信じてるから!」
 京楓「おとなしく補修を受けよう……」
みさき「ダメだよー、中間テスト終わったらみんなでキャンプ行くって約束したでしょ」
みさきの指導はこのように、懇切丁寧ではあるが甘えや妥協が一切ない。
とにかく俺たちが自分の力でやり遂げるのを尊重してくれる、いわば先生のようなありがたーい存在なのだが、融通が利かないとはまさにこのこと。
みさき「というわけだから追加でこのみさき特製プリントも……」
  暁「鬼!」
 京楓「スパルタ!」
みさき「よく言われるから慣れちゃった」
みさきの笑顔がこうも黒く見えるのは、こんな時くらいであろう。
――以上、共通みさきルート五巡目大安より


 鬼はここにいたんやな、という冗談はともかく、あくまで相手のためを思っての行動とはいえ、その内訳は一切の融通が利きません。あくまで結果的に相手のためになってるからいいものの、これで結果が伴わなかったら割と各方面から恨まれてそうなのでそこは心配。尚アメ――上記引用箇所だとみさきが焼いたケーキ――もあるので寧ろ相手のこと「しか」考えないで行動してるとも言えそうです。

 それと、仲間内に於ける輪は自分以上に大切にしています。共通琥珀ルートが顕著ですが、仲間全員が救われる乃至幸せになれることがないとわかっている時は、真っ先に自分を犠牲にする。自分より相手の幸せを優先させるため、自分から逃げ道をなくす。
 自分はあくまで暁やみんなの人生からすれば脇役だから。私は私なりの幸せを見つけるから。愚直なりに、幸せを探すのも自分に厳しく。仲間を大切にして、仲間の輪にいるからこそ自分という存在が輝いている。自己犠牲を厭わない彼女は、恋愛対象にならなくとも、親しい友人として常に傍にいてほしいキャラかなと。

 余談ですが、「暁に選ばれなかったヒロインの末路」を想像した時に、みさきは誰相手でも祝福してると思うんですよね。ちなみにクレアは残念だと思いつつもきっぱり諦める。琥珀は祝福してそうに見えて地味に動じてないだけ。京楓は陰で泣いてる。
 自身が選ばれればいいと思ってるけど、暁のことを一番に考え、暁が誰とくっつくのが一番幸せかをしっかり考えている。京楓ルートでは僅かに動揺している様子が窺えますが、恐らくその後改めておめでとうと京楓に言っていたと思うのです。後で誰にも知られることなくさめざめとしていたとしても。
 ただまぁ、それも含めると、滅茶苦茶穿った見方をするならば、暁が一番可能性は高いとはいえ、他キャラと恋愛してもおかしくはないのかな、と感じます。まぁ暁以外のパターンが中々見えてこないのも事実なんですけどね。暁は後述するとして、大誠は仲間としてだけどそういう素振りは一切見えないし、他はそもそもまだ接点がだし。クラスメートで特に仲のいい男子がいたらわからないけど、幼馴染組以外で話すメインがクレアで男子は誰とも同じように、という雰囲気なのであまりそうもなりそうにないし。先述の通りですが、寧ろ知り合っていったら今後黎辺りは普通に可能性あるのかもしれない。

 ともあれ、場の輪を大事にし、だけど自身もその中にちゃんと溶け込めてる、ムードメーカーでもあり、確実に輪の中に必要な存在、だけどみんなを対等に見ているからこそ、自身の信念は貫き、且つ周りにも押しの強さで通すキャラ、それがみさきです。終わってみれば地味に一番多面性があるキャラかと。
 幼馴染抜きにしても、仲間の中心にいるキャラ、それがみさきというキャラですね。きっと双六世界後の現実に於ける双六経験者同士の触れ合いは、みさきを中心にして廻っていくのでしょう。


みさき「私はね、やっと答えを見つけたよ」
みさきは、四葉を見つけた子どものように微笑んで――
みさき「世界が明日で終わるとしても、私は――」
みさき「きっと、明後日のことを考える」
そんな、愚直で、彼女らしい答えを聞くのだった。
みさき「明日がどんなに絶望的でも……私は、その先を見ずにはいられないから」
――以上、みさきルートより


 ――まぁ、上司になったらブラックというか、だいぶスパルタするタイプよね、彼女は。向く人には向くけどなタイプというか。これが他作品だと「大人になったら外部圧力だとかなんだとかで精神的に潰されそう」などと思う所ですが、本作は完全に病気で死にかけだった関係上、それよりはいいで押し通せそうなのがある意味怖い所。
 あとヤンデレはいらな……いやでもあの性格なら場合によってはヤンデレ化するのもわかるなぁ……。ていうか寸止め状態にして10日出さないのはマジで無理です。何故おまけえちは完全にドM向け特化になったのか……。
 ちなみにtrueルートでクナドに「誰よりも穢れのない心を持ってる、みさきより綺麗で強い魂は他にいない、だから最後までそのままのみさきでいてほしい」と言われてますが、それを無視して現実に戻り且つ暁とみさきが付き合い始めた場合の結果が暁を射精管理するヤンデレに成り果てることであってナーナーナーナーナーry


追記:後日談的にみさきの思考は、先述したクレアの「みさきのためにその身を犠牲にしようとした理由」と併せてこちらにまとめました。以下Pixivリンク。思うところはあるので別途またまとめたいなと。
「胸に抱いた陽炎」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12009104



野々宮京楓
 過酷な環境にあった暁を救い出した恩人であり親友であり家族である幼馴染。ところで京楓はそのことについて一言も喋らないですが、父さんとは言ってるのに暁と出会った前後辺りまでしか母さんとは言わなかったので、野々宮家母は暁が来た前後で単身赴任か、もしくは離婚、死別か何かでもしたのでしょうかね? 語られてないだけで死別かなとは思いますが。
 声優の三暗あん子女史の声は非常にはまってます。快活な一面も敵対峙の感情を露わにする場面もしっかり表現出来ててなんというかびっくりというか。いやこれが処女作とかマジかよって感じですわ本当に。声優疎いから大御所による他名義とか言われたら知らない。

 あ、先に言っておきますが、女子テニス部のエースではありますが、部活以外に放課後友人と何か誘われてるものに行ってるの以外はテニス部関係の交流などは特に記述されません。テニス部の彼女はうんたらかんたらみたいなエロゲとか18禁NTR作品はよくありますけど、それに至るような人間関係などそういうのは特になく。それらより暁やみさき、大誠との交流の方を優先している口ですので正直テニス部である必然性はなかったかなと。体力バカと大食漢、それと放課後の行動の理由づけ以上はないです。制汗剤のくだりは絡めてて素晴らしいですけど、他のスポーツでも問題はない。
 とりあえず現実のことを思い起こす際に真っ先に出てくるCGが京楓の胸揉んでる一枚絵なのは地味に笑うからやめてくだち! もうちょっと他に思い出すことあるでしょ!

 名字の野々宮ですが、これは西院とは切っても切り離せない名前です。舞台の一つである西院春日神社の関連社寺として西院野々宮神社がその近所、京都市立四条中学校裏手にありますが、現地で配布をしている由緒書にはこうあります。


(前略)平安時代より、斎王に選ばれた皇女が伊勢神宮へと赴かれるまでの間、心身を清められるために特別に築かれた「野々宮」(野宮)と呼ばれる御殿で、世俗から離れて一年間を過ごされました。この西院野々宮神社の地は、延暦十六年(七九七)八月二十一日に布施内親王(桓武天皇皇女)が、承平二年(九三二)九月二十八日には雅子内親王(醍醐天皇皇女)の野々宮が築かれ、お二方の斎王がお住まいになられた聖地です。斎王のお住まいを「野々宮」(野宮)と呼ぶのは、布施内親王の御時からで、この地は「野々宮」の名称の発祥の地とされ、以後嵯峨野の一帯に野々宮(野宮)の地名・史跡が残っています。(後略)
――以上、西院野々宮神社由緒書より


 現在のこちらの御利益として女人守護・心願成就・家内安全とあります。嵐山の野宮神社は縁結びの神且つ安産祈願ですが、歴史的な由来や経歴を考えるに、恐らく嵐山の方へとこちらから派生したものでしょう。正直西院野々宮神社も、京楓ルートで暁に春日神社の御旅所、と語らせるだけではなく聖地として出してもよかったのではないかとは思うのですが、まぁそこは置いといて。

 その京楓ですが、(何も思い出してない際の)双六と現実の差がまぁ激しい事。展開上仕方ないとはいえ暁とのイチャラブが現実以外では殆ど出来ないのは中々に悲しい。
 その分現実に於ける暁と京楓の蜜月っぷりは実に美味しい。まぁ現実が蜜月っぷりだったからこそ、相反しての双六盤面での敵対だったわけですが。理由はtrueで物部が語った通りですね。共通内で唯一ルートがないのと併せて、ある種物語構造には一番犠牲になったキャラでもあります。

 ひとまず、他作品持ち出すのもどうかとは思いますが、個人的に言うならば「10年ぶりに成長した姿を見せたリトバス棗鈴」というのが大まかな雑感です。
 いや状況が割と似通ってるところはあるんですよね。一人切りで行き倒れ直前だった主人公に手を差し伸べる、それまでつるんでいた仲間を紹介される、その上で活発なポニテキャラとかなんかもうこう言っちゃっていいよねというか。
 だけど、こちらの方が強引さという点では上です。リトバスでは冒頭時点で手を差し伸べた恭介とその後ろにいた鈴という構図でしたが、こちらは物部に指さされた先にいた行き倒れの少年を、両親含めた他の大人に一切相談せず、一人の少年の短期的な処遇乃至その後の人生をも強引に一人でに全て決めてしまいました。だけどそのお陰で暁と京楓は家族になれた。その後の京楓の人生をも大きく変えていくと、本人も自覚せず。

 そして「現実に生きるしかない私たちに出来ることは少なくとも、私たちにしか出来ないこともきっとある」と語る通り、思考的には兎角等身大のキャラです。視線の先に見据えられるものは数多くないと語りますが、だからこそ前向きに、且つ視野を広げることを忘れません。みさきが自身が守るべきと思う範疇の埒外は与り知らぬ態度を取る、収拾がつかない故取らざるを得ないというのに対し、京楓はそれを知ったならば可能な限り関わろうとする強さがあります。現実に帰ればまず鹿乃と遊ぶことに決めた彼女は、描写はなかったのですが、暁と一緒に帰って次にやったことはそれだったのでしょう。

 暁に対して「……待ってるから」という描写がありますが、加えて彼女は何事も「待てるキャラ」です。相手が救いを求めるならば誰の協力を得ずとも意地でも引っ張り上げますが、あくまで相手の反応を窺うというような時には、相手がその気になるまでじっとしています。相手をお膳立てするような淑女、というのとは違いますが、結果的にそれに近いような、
 ただ、ここはあくまで後付けで、言い換えればその本質は相手に認めてもらえるかわからないという臆病さです。みさきみたいに強くないと暁は評してますが、京楓は京楓で唯一無二の強さは持っているものの、他人からのと同時、何より自分から見て自分自身を殆ど肯定的に見られていません。双六世界で、初めて自分が考えていることは正しいと認識したものの、基本的には自己評価が著しく低いという観点からは弱いキャラです。
 これは相手への呼称にも表れていますね。下の名前で呼び捨てにしていたのは暁と大誠のみ、付き合いが長いみさきはどうしてか鬼無水呼び、双六で繋がった面々はクレアさん、琥珀ちゃん、縁ちゃん、黎、カラス呼びです。まぁこれを見るに、男子は下の名前呼び捨てで、どちらかというと女子相手に一歩引いた立ち位置、という節はありそうです。

 ともあれ、だからこそ、暁が倒れていたのを物部に教えてもらって、それを目撃した時は、京楓からしてもとても勇気のいる事だったんじゃないかと思います。自己評価が低いから何かが出来ると思ってなくて、でももしかしたら初めて誰かの役に立てるかもしれない。京楓視点のこの時の描写がないので想像の域を出ませんが、内心ではそのように思っていても不思議ではないでしょう。


何をどうとも告げず、京楓は強引に俺の手を取った。
きょうか「私の家にきなさい! ご飯もあるから!」
   暁「……帰れなくなる」
きょうか「帰らなくていいの、そんなところ!」
   暁「……どうして」
きょうか「私の家で、私と一緒に暮らせばいいから。ほら早く」
俺に選択肢は与えられなかった。
けれど……その強引さに、俺は救われていた気がする。
――以上、trueルート二五六九巡目先勝より


 で、ここまでで何が言いたいかっていうと。
 自分史上最高のヒロインでした。嫁に欲しいよ、いや暁の嫁だけど。何この自分の萌えとか性癖とか徹底的に突いてくるキャラ。性格・設定面でここまでぶっ刺してきたのは確実に歴代トップです。

 いや幼馴染であることもだし、それで主人公に手差し伸べて同居人という時点でポイント爆上げだし。個人的に髪型は大雑把に好み最上位がショートカット辺りでポニテは次点くらいなんですけど、それ含めても強すぎる。
 そして「今までに数えきれないほどの恩をくれた京楓と父さん」という暁の独白からわかる、確実な精神的支柱になっていたという幼馴染厨でなくともヒロインとの確実な縁を感じられる安心感。ちなみに双六盤面上に於いても、trueルート二五七五巡目にてカラスに「おまえが一番あいつ(暁)のこと好いとるやんけ」と指摘されて京楓が焼かれています。
 というかこのカラスが各人を焼いたとこ、クレアの合縁で京楓以外の面々が暁と上がった時のことを思い出して、その中に各人の恋愛感情も確かに含まれていて、それが尚も継続中である、という状況で尚「おまえが一番あいつのこと好いとるやんけ」というカラスの言なんですよね。この時点で、現実では暁のことを好きなのは京楓以外にない、言葉を変えると「京楓が暁を思う家族愛は他面々の恋愛感情を優に上回る」ということになります。
 で、これって、京楓(と京楓ルートに行くと仮定した暁)自身は恋愛感情まで至ってなくてこれです。それを示す様子が京楓ルートに抜けた際のここ。


双六を抜けて、病院を出て、元の生活へ帰る時。
いつまでも隣にいてくれたお互いの存在がかけがえのないものだと気づいた。
今まで京楓に対して抱いてきた数多の”好き”だけでは表せない”好き”が生まれていることに気付いてしまったんだ。
――以上、京楓ルートより


 暁共々「かけがえのないものと気づ」く前段階でこれですからね。もう元の段階でどんだけ好きなのかと。

 又、双六盤面上の縁で、ある種一番暁との繋がりを感じられたのも、実は彼女なんですよね。
 それを端的に示すのが彼女の戒である「宿縁――罪業天秤・痛み分け」。他キャラが現実での願望乃至趣向を基調とした戒の中に於いて、京楓のみ痛み分けというのは、ぱっと見割と浮いています。
 京楓は何事に於いても対等を望んでいると言及がありますが、彼女の各種行動を見た際に、クレアみたいに人付き合いの中で他人の心が読めればいいというのを思ったというような、具体的な行動乃至思考がない中で、対等でありたいという一般的思考だけで痛み分けという戒を持つことになるとは言い切れないように思うんですよね。それこそテニスしているからこその攻撃的な戒を持ち、盤面上で暁を攻撃するなど、他の戒であってもよかったはずです。

 では何故京楓の戒は痛み分けなのでしょう。簡単な話です。現実での京楓の願望が、誰かと対等、中でも一番暁と対等でありたいから、ということです。
 共通みさきルートの緑マスを中心に、暁と京楓(と幼馴染グループ)の関係性が描かれますが、中でも京楓は兎角暁と「対等」であろうとします。
 一番わかりやすい例が、京楓が初めて大誠とみさきに暁を紹介した際に、どちらが義兄か義姉かという話になり、双子という結論に落ち着いたことですね。あと結果論ですが、京楓ルートに於いて各々がいつ好きになったか、という際に同時だったよねという答えが出たこと。

 そもそも、結果的には(物部が狙った)暁に巻き込まれる形で双六盤面上に降り立ち、暁との縁故に敵対を余儀なくされたわけですが、戒そのものも暁や他キャラでは必須ではなかった、「暁の敵対駒だからこそ」暁に関係あるものでなくてはならなかった、というのもあります。
 これが例えばみさきが敵対駒で京楓が盤であったら、テニス辺りに起因するようなまた違った戒だったのかもしれませんが、それでも暁のことは掛け替えのない存在として認識出来ていたに違いありません。

 話を関係性に戻して、これは単なる想像ですが、恐らく京楓はみさきと大誠という秀才二人に囲まれて、人知れず引け目を感じていたのかなと。元から誰かと対等でありたいと無意識に願っていた京楓は、しかし幼馴染の中で独り対等ではなかった。京楓は臆病であると先述しましたが、その性格は恐らくこの三人での関係性に起因していると見てよさそうです。
 そんな中倒れていた暁に手を差し伸べた。この時点では、救ってやったという恩義を暁に植え付けることもまだ可能だったはずです。
 だけど、そこでお姉さんぶることには拘らず、暁にとって心地いい空間を目指し、且つ対等な関係を望んだ。同居を始めたからかもわかりませんが、とにかく後々暁に依存しているように見せて、最初は暁に対して「居場所」を提供してやってたわけです。
 とにかく、人は対等であるべきという考えを持っているとクナドから指摘された彼女ですが、それを強く自認する切っ掛けは間違いなく暁によるものだったんだろうなと。

 それが、結果的に、暁とテレビがうるさくリモコンで消す際に、それを思い立つのもリモコンに手が被ってもそのまま押す位には徹底的に対等な関係となり、暁だけではなく京楓にとっても心地よい空間であり続けたわけです。何せ付き合ってもない内から「1枚のカイロを求めてお互い譲らず密着」ですからね。もうカイロなくてもいいじゃん!
 京楓は居場所を作る。暁は中々一緒に食事が出来ない「父さん」に代わって料理を作る。勿論それだけではないですが、八年に渡る二人の関係は、みさきや大誠であっても介入できない、お互いの存在を本当の意味で唯一無二のものにしました。それは、思春期に至る今まで、同じ家どころか同じ部屋で生活していることからも明らかです。
 ジャック・オ・ランタンの行や、ジャンケンゼミの行が顕著ですね。特にジャンケンゼミの行では大誠とみさきに「家だとああなのかな、そうだよね」と遠巻きに納得されていますが、他各所に散らばる描写より二人の推測が正しいことも証明されています。みさきや大誠とは向こうがどう思っていようと、少なくとも京楓からすればそのような関係にはなれなかった、だけど暁とならそれが出来ると。
 そういえばですが、かき氷作るのを牡蠣氷にするのはまだどうにかなったんですが、ミルク要素を海のミルクというのは流石に耐えらんなかった。ああいう、恐らく京楓自身も馬鹿やってると自覚しているであろうネタに走るという行為を惜しげもなく暁の前で披露する、それも暁への絶大な信頼感の表れであると解釈します。結果的にはこいつは馬鹿だと内心暁に一蹴されていたわけですが。

 そしてそれは、京楓だけでなく、暁からの思いやりも含まれていました。その唯一無二の関係というのは、親友というだけではなく、家族という面からも、また同様です。


京楓「家族の縁を舐めないでよね。ちょっとやそっと記憶が飛んだくらいで、無くなるものじゃないんだから」
(中略)
物部「しかし家族か。そう言い張るのもまた良しだが、おまえ達に血縁はあるまい」
京楓「だったら何。血が繋がってなくたって、私と暁は家族なの! 切っても切れない縁なんだから!」
――以上、trueルート二五七七順目先負より


 その上で、暁の縁が全て仕組まれたものであったと暁が知って尚も、京楓は、暁と出会い、家族になれたことをラッキーというわけです。
 ちなみに暁もその後物部に対して他の誰でもなく「私利私欲のために京楓を手にかけた男など断じて許せる存在じゃない」と京楓に対して想いを出す地の文があります。現実の事を全て思い出してからは、自身以外を全て他人とした際に暁にとっての序列で一番先頭に来るのは京楓となっています。ついでに双六盤面から去る際に京楓が暁より先に行った際に「京楓が俺のこと狙ってたらドキッとする」と他キャラにはない想いを抱いてます。

 余談ですが、先述しましたが、年頃の男女なのに、同居どころか暁と京楓は部屋さえ同室です。ですが、部屋を分けられなかった可能性は、ED後どのルートに進んでも必ず同居するようになった琥珀用の部屋を別途用意出来ている(琥珀ルートのみ琥珀も同室からの『空き部屋も1つはある』ことを理由に部屋を分ける検討をする)ことから間違いなく「ない」と言えます。
 つまりは、部屋を分けることは「出来なかった」わけではなく、「しなかった」というのが正しく、そしてそれは、暁が二段ベッドの上段で京楓が自慰にふけっているのを知っていて尚も、思春期からくる恥ずかしさを無視しても継続していたからに、当人らには端から部屋をわける意思がなかったということです。とどのつまりは暁も京楓も、わざわざ部屋をわけようという考えには及ばず、あまつさえ京楓が痴態を意図せず晒し、暁は知らずとも四年前から京楓におかずの場所とデータの位置にそれのパスワード、最近の視聴傾向から動画の再生回数まで完全に把握されていた上でもそうであったということは、恋愛感情を意識する前から、漫然と後々自身が付き合うようになる相手は京楓/暁であったと考える方が自然なわけで――。


京楓「えへっ……本当はね、昔、ちょっと考えたことがあるの」
 暁「考えた……?」
京楓「セックスの存在を知った時……私だったら、誰とするのかなって」
 暁「……俺?」
京楓「他に、いないもん……ねっ」
女子は総じて男子より早熟だ。
俺が馬鹿をしている間、そんなことを考えていたのかもしれない。
でも……。
 暁「……俺も」
京楓「暁もっ?」
やたら食いつかれた。
こっ恥ずかしいからさらっと流してほしかったのに……。
京楓「私とエッチなこと、想像したの……?」
 暁「そりゃ……何度かは」
――以上、京楓ルートHシーンより


今までずっと一緒に育ってきた京楓の身体なのだ、見たことのない部分などあってはならない。
俺がこの世で一番、京楓について詳しくなきゃダメなんだ。
(中略)
京楓「私……暁のこと、なんでも知ってるから」
 暁「っっ……」
なんだよ……それ。
何気なく言ってるのかもしれないけど、破壊力が高すぎる。
どれだけ前から……京楓は、俺のことを想っていてくれたというのか。
――以上、京楓ルートおまけHシーン②より


 ――というのを見ちゃうとさ! 他ルートのことなんて正直考えられなくなるわけですよ! ほんとこの作品みんな好きだけどさ! 東雲暁の嫁は野々宮京楓! はいここテストに出る! 間違えたら永沈!
 ということでED後の展開は京楓ルートを推すぜー全力で推すぜー。東雲暁と野々宮京楓は完全にマイベストカップル案件と化したのでした。どんなに低く見積もっても三本指には入るな。
 それを差っ引いて考えても、実生活から二人の関係に関する精神的な面まで徹底的に相手と『対等』であることを拘るのを貫く京楓は普通に大好物ヒロイン。真の意味で主人公と対等であろうとするヒロインは、自分にとってのマイベストです。ギャルゲー各ルート後別れてそうだよねというカップルは割と見受けられますが、こればかりは比翼連理な姿以外想像出来ない。
 ていうかFD作るならヒロイン関係は京楓メインで作ってくださいマジでお願いします。いや他にも色々見たい描写は多いんだけど京楓絡みは本編内描写足りないとことかも他より多くて語って欲しいことがありすぎるのでとにかく何卒……。


追記:来ないからもう自分で書いてます。以下野々宮京楓誕生日記念SSのPixivリンク。

2018年誕生日記念SS「京の楓が彩られる頃。」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10274454
2019年誕生日記念SS「京楓がコスプレデビューするそうです。」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11844188
2020年誕生日記念SS①「Loversビードロロマンシア」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13942478
2020年誕生日記念SS②「琥珀ママはバブみが過ぎる」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13942492
2021年誕生日記念SS「優しき冬の熱」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16266797
2022年誕生日記念SS「お代わりはブラックコーヒーですか」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18578596
2023年誕生日記念SS「雨降らずとも地固まり」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20886332
2024年誕生日記念SS「つつきひっかきこねくり回し」:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=23250274


東雲暁/のの
 全221回の輪廻の内168回鹿乃に殺された男。


東雲暁という人間は、客観的に見ても不幸である。
けれど彼はそう思っておらず、己の力で天命すらも切り拓けると信じている。(trueルート二五七十順目友引


 本作主人公。彼の紹介が公式ページに一切ないですが、ひとまず身長はクレアルートラストCGの身長的に170cm後半~180cm前半だろうなぁと、と思ったらげっちゅ屋本作紹介ページに174cmとありました。いやだと172cmのクレアと殆ど身長差なくね?
 ひとまずそこの紹介ページに他の記述がないお陰で星座と誕生日が一致してないのでそこだけはわからない。血液型は特に必要なとこもないし別にいいんじゃね?

 で、正直、「物語の主人公」として見た際には、あまりかっこいい主人公とは言えません。一人だと何か出来るか、というのは、少なくとも周りからは特に何かが出来るわけではない、と思われてるように感じます。
 とはいえ、「縁」をメインテーマに据えている本作では、主人公はある意味では主人公然としてはいけないので、一人だけ活躍しては意味がないともいえますので、これでいいかと。まぁそれを差っ引いてもみさきが活躍しすぎな感は否めないのですけど。

 個人的には「ひぐらしのなく頃に」(出題編)の前原圭一と似た立ち位置かなと思いました。観測者としての主人公ですね。そういう意味ではダブル主人公で大誠もメインに据えても、とは思いはするものの、構成的に厳しかったろうからこれでいいかなとも。
 ひぐらしの圭一と言えば、過去を忘却することを望んでいるというところも共通しますね。篠月学園時代の不幸を、幼馴染に囲まれることにより忘れようとしていること。そして幸いにも、それを実際に忘れさせてくれるくらいには彼は人間関係に恵まれました。故に鹿乃に恨まれることにもなるのですが。

 本編時間軸が2016年11月28日。2006年に父圭、母夕子、妹霞をバスの転落事故で亡くす。そして篠月学園に二年在籍後脱走。2008年春、京楓に拾われ、みさきと大誠と出会う。事故前の人生は郷愁であり、篠月学園の頃は自身から乖離することを望んだ記憶である。
 双六に入る前の暁は、ある意味では彼は八歳(京楓と出会って初めて生まれ落ちた、という意味で)だったと言えるでしょう。篠月学園の時のことは思い出したくない、それより前のことは思い出すには辛すぎる。京楓と暮らし、みさきや大誠と接する今の日々だけが俺にとっての人生だ。本文中にそのような記述があったわけではないですが、諸々の描写や発言を統合するとそうであったと言い切っていいかなと。

 ともあれ、主人公らしく、現実でもですが、仲間を思いやる気持ちが人一倍強いキャラでもあります。優しいだけじゃなくて、みさき程極端でもなく、少しは厳しさも自覚しつつ優しさも見せるんですよね。それを強く実感したのが以下のパート。


 暁「明日は休みだよね、料理でもしたら?」
京楓「……めんどくさい」
(中略)
京楓「それに、暁が作ったほうがおいしいし」
 暁「それを言ってばかりじゃ上達しないよー」
(中略)
京楓「前回もそう言って、塩の味しかしない塊が何個もできたじゃん……」
 暁「失敗は成功の母というしな」
(中略)
京楓「でも、どうせやってもまた失敗するし、圧倒的な向上心……じゃなくて、食材が無駄になっちゃう」
 暁「そこを乗り越えてたゆまぬ努力を続けてこそ……じゃないかな。失敗しても俺が食べてあげるよ」
――以下共通ルート六巡目大安より


 (中略)と入れてあるのは一行挟まれるテレビのつまらない漫才コメントなので省きました――正直これは現実感はあるものの、二人の会話への没入感そのものはだいぶ阻害されているように思います――が、ここは料理を作るのが面倒且つ暁が今後もいると無意識に思っている京楓と、いつかは離れるかもしれないと感じる暁の会話に潜む意識の差が初めて現れた地点になります。
 直後に「俺が来たせいで京楓が行き遅れるようなことにあったら」と独り言ちているのと併せ、兎角京楓を励ますと同時、京楓に新たな一歩を踏み出して欲しいという気持ちも表れています。trueルートでは大誠が鹿乃にずっといてと言われて「(いつか一人で歩かなきゃいけない時が来るからこそ)断る」というのがありましたが、これと同様ですね。

 まぁ先程の京楓が嫁宣言しかけた発言はこの辺りにもあるんですけどね! とにかく暁の幼馴染面子を、中でもtrueルートに於ける夙に京楓を想う気持ちの強さがすごく眩しい。
 京楓ルートに流れた際の、「京楓の事を俺が一番知っている」とかさ、もうさ、もうさ! これが見たかったんだよ! こういう互いを思いやる且つ絶対に仲間であっても介入できない程の繋がりがある幼馴染同士の縁を待っていたんだよ!
 ――まぁ上で散々京楓と暁はベストカップルと言ってて、それだけだと京楓相手以外の対応がどうなのとか思われそうなので、それ以外のとこで暁がかっこいいとこを他にも抜粋しておくと。


暁「俺を信じてくれるクレアを、どうしてこんなところに置いてかなくちゃいけないんだよ馬鹿げてる。それでも――俺たちのどっちかがあがらないと、これまで歩いてきた意味がないんだ!」
(中略)
暁「クレア・コートニー・クレアは、俺のために涙を飲んでくれるいい女なんだ。だけどな、俺だって絶対にこれで終わりにはしない」
――以上、共通クレアルート十三巡目先勝より


 ――いや普通にこれは惚れるわ。というか付き合ってからかっこよくなるパターンですな。この抜粋だけだと分かり辛いですけど。

 そして、自身の境遇を理解しているからこそ、身の丈に合った立ち振る舞いを常に考えているところも評価が高いです。それを端的に表すのがここ。


みさき「暁くんは、真面目に考えたらどうなるの?」
  暁「どう……だろ。エリートサラリーマンか、エリート公務員か、一流企業社長か……」
 大誠「エリートはともかく、普通の社会人か」
 京楓「給料がいい職がいいのか?」
  暁「ん……まぁ」
みさき「意外だね。暁くんは、お金なんて二の次だと思ってた」
  暁「まあまあ……お金は大事だし」
 京楓「……」
ここまで無償で育ててもらったのに――あまり不安定な職種にはつけないよ、正直。
――以上、共通みさきルート七巡目先勝より


 ここの時点では、どのように野々宮家で暮らすようになったのかというところまでは語られていない(篠月学園で鹿乃と茫洋と奈落を見つめている描写まで)ので、二周目をやってここに着いて初めて暁の考えが手に取るように分かります。引用直前の、物部に語った「今は目先のことで精一杯ですよ」と併せて、幼馴染と野々宮家父に感謝しているからこそ、お金が大事で、恩を絶対に忘れないという想いがひしひしと伝わってくる場面です。ちなみに京楓の表情より、暁が京楓にも知られてるくらいには常々それを意識し、尚且つ京楓がそれを寧ろ負い目みたく感じるくらいには暁を案じていることも併せて窺えます。

 お金に関しては、それ以外にも、京楓とみさき相手には奢ろうとする描写がありますが、そもそも二人共奢られることを是としない姿勢なので、結果的には一切奢れてません。ただここはあくまで「相手に時間を使わせた」ことへの対価としてお金を使おうとしているので、正当な使い方だよなと。
 まぁ全く無駄な金の使い方をしてなかったわけでもなく。猫の気持ちがわかる機械6000円辺りは完全に無駄ですね。まぁあくまでお小遣いでの範疇なので自由に「使わせてもらっている」中だからこそまだ罪悪感なども特別感じる必要もないとこだったとは思いますが。あと京楓からすれば暁が揃えた陰陽乃至風水グッズは全く持っていらないと思ってたに違いない。暁からすれば無駄遣いでも何でもないので背徳感を感じる必要もないのですが。

 とまぁ特別暁が大人だとか、そういうわけではないのですが、金勘定だとかも曖昧にしないなど、お金や物事が絡む際は誰に対しても一線引いてるのは好感が持てます。中学入学時に京楓に誘われたからテニス部を検討した時も、用具揃えるのに金がかかるし父さんの負担を増やせないよなぁとか、英彩学院入学時のプレゼントが携帯電話でよかったのかとか、ありがたいとは思えど当たり前に近いことを当たり前に享受しないというのは、捻くれてるという見方も出来ますが、生い立ちのお陰で「観測者からすれば」その気持ちが本当のものであると、素直に受け取ることが可能です。
 要するに何事にも恩義を忘れない、ということですね。三つの顔を知っているクレアに共通クレアルートで「丁寧な口調だけどたまに失礼」「いつも変な言動」「真剣勝負なのにすぐ騙されちゃう抜けてる相方」と評され、且つ「あんまり長所が思い浮かばない」とまで言われようとも、「一緒にいる時は、本当に心が落ち着く」のは、そこにもあるんだろうなと。これら評価は、ののとしての顔を知らないクレア以外の相手であってもほぼ同じでしょうね。ちなみに京楓相手の場合は同居人という間柄、また別の側面が入ります。

 ちなみに、物語冒頭の頃はだいぶ馬鹿をやっているという意見も結構あるようですが、これは暁が過去や今後の展望などから一時的に目を逸らしたいがためのものであると言っていいでしょう。京楓らと出会う前の過去は忘れたい、将来的には野々宮家に恩を返したいけど具体的な方策は何一つ決まってない、そして幼馴染らとは今のぬるま湯のような関係を維持していたいと思っていたわけで、そうなると享楽的な馬鹿をすることに逃げる、というのもごく自然なことです。現状からの逃避として関係ないことに逃げる経験は誰でも持ち得るものなので、格好悪いと言われようが、行動自体はごく自然なものです。
 それが否応なしに変化を強制されたのはみさきが倒れたことによるものでした。この時まずはぬるま湯の関係がずっと続かなさそう、という意識の変化が訪れます。正確にはみさきが復活して「全てが元通りになってほしい」という回帰を願うものではありましたが、それでもそうならないかもしれないという意識を持つきっかけにはなりました。そしてその後双六盤面に墜とされ、その後の成長を強制されることになるのです。


人はひとりでは生きられない――
俺は、その言葉にいたく共感していた。
陳腐な言葉と言う人もいるだろうけど、俺はこれ以上に人生を捉えた表現もないと思っている。
自分はラッキーだなんて俺は信じているけれども、そのラッキーはどれも自分じゃない他の人から与えられたものだ。
京楓にみさき、大誠――
みんなと出会えたことが俺にとって最高の財産だし、みんながいなかったら俺は生きていたかどうかすら怪しい。
だから俺も俺なりに、みんなに――俺を生かしてくれた人たちに恩を返したいって思う。
――以上、trueルート二五七十巡目友引より


 ちなみに京楓もとい野々宮家の胃袋を握る暁の料理スキルですが、これは中学入学してからと意外と最近です。とはいえ、元々京楓と「父さん」に悪いと思いつつもテニス部には入ったものの、だけど何か恩を返したいと常々思っていた中、外食や出前ばかりになっていた食卓に目を付け始めた、というのが共通みさきルート四巡目で語られています。
 結局は野々宮家への恩義の一つが得意分野になった例なのですが、それが六年で完全に厨房を任せられる状態であることを考えると、暁の将来は案外大衆向け料理屋でもいいのかもしれません。というかケーキ屋開きたいみさきとくっついた暁には実際にそうなりそうです。
 まぁ将来的には京都限定の考古学者が一番可能性高そうかなとは思いますけどね。特に京楓・琥珀相手の場合食事準備などをすることも考えると、一般的なサラリーマンよりかは趣味と実益を生かしつつ専門職を極めるのが暁自身も周りも幸せに出来そうです。勿論お金関係を最重要視の上でですが。


 ところで、あれだけ一番世界一ラッキーだと繰り返していた暁ですが、彼が思うこれまで一番ラッキーだった出来事はなんなのでしょう? 実は作中に答えがあります。
 共通みさきルート二巡目に於ける走馬灯から戻ってきた際に、「暁は(幼馴染組と出会う前から)一番ラッキーな男だと言ってたよね絶対」とみんなから言われる描写があります。しかし、自分以外の一家全滅の中一人取り残され、収容され篠月学園にいた時は世界の澱みを集めたような顔をしていたわけで、その前後にラッキーと思わせる出来事があったと考えるべきです。
 そしてtrueルートの龍脈が開けた直後の現実で暁と京楓の出会いが描かれていますが、そこではこのようにあります。


きっかけは些細なことだった。
彼女が、手を差し伸べてくれたこと。
たったそれだけで、俺は、自分の暗黒が洗い流されたような気がしたんだ。
   暁「……俺は、ラッキーだなって」
きょうか「? なに言ってんの、そんな格好で。ラッキーなわけないじゃん!」
ああ、確かに、俺は家族も失って、ろくな縁にも恵まれず、死んだような日々を過ごしてきたけれど……
   暁「でも、可愛い女の子に会えた」
この現れた気持ちを想うだけで、そのすべてを忘れていられる。
(中略)
塞ぎ込んでいた心に、強引に光を指し込ませてくれた京楓。
学園にいたどんな子よりも、彼女は強くて明るくて――
野々宮京楓と出会えたことが、真の幸運だと心の底から想うんだ。
――以上、trueルート二五六九順目先勝より


 その上で、それからそう日も経ってないだろうみさきと大誠と初めて顔を合わせた際の自己紹介がこれです。


 京楓「つーわけで、こいつが暁! 今日から仲間に入れるから」
みさき「へえー……暁くん。よろしくね」
 大誠「京楓が、今日から……ふふ。面白いね」
  暁「俺は日本でいちばんラッキーな男子、東雲暁だ!」
みさき「そうなの? すごい!」
――以上、共通みさきルート二巡目友引より


 京楓と出会ってからここまでの気持ちの変わりようもすごいですが、描写的にもこの二つの間にそれを上回るイベントが発生したとは考えにくく、裏を返せばそれだけ京楓との出会いはインパクトの大きい出来事であり、暁の人生全体でトップの出来事であったと言えるかと。又、みさきと大誠を紹介してもらった翌日から学校に行くようになっており、二人を紹介してもらうまでは京楓乃至野々宮家の人以外との他人との接点はなかったと考えるのが自然なため、何かしらの暁にラッキーなことがあったとしても、それは京楓の手引きによるものと考えて間違いないです。ちなみにみさきルートに入った際は、「京楓に拾われてみさきと出会えたことが俺にとっての一番の幸運だったのかもしれない」とありますが、そうなると京楓にみさきと大誠を紹介してもらった際の一言がみさきに一目惚れしたという解釈しか出来なくなり、後々のルートの整合性がちと取り辛くなるのでその線はないのかなと。
 つまり暁にとって一番ラッキーな出来事は京楓と出会ったことなわけです。京楓と出会えたからこそ日本一のラッキーボーイになれたと。ちなみにtrueルートに於いて、他で一切ラッキーとは特段言わなかった京楓が唯一ラッキーというのも暁と出会えたことに関してです。暁は暁で、trueルートに入り龍脈が開けた直後、先に暁のみに覚悟が出来た際の京楓への声掛けは、全てを思い出した上で「おまえがいないと、俺は生きていけない」だったわけで。おまけで京楓ルートラストでは「京楓がいなければ俺は生きていけなくて、これからも京楓がいなければ俺は生きていけない」という独白が入ります。
 ほらやっぱり京楓ルートに入るしかないじゃない!!! なんだよこいつら大学進学決定したら早く結婚しろよあああああ!!!!!(突然興奮する信者

 閑話休題(三度目

 ――とまぁ、京楓との関係に関しては以上の通りですが、それ以外でも京楓を中心に、仲間に支えられることによって暁という人間は輝くことが可能です。
 それもあくまで仮初のもの、という見方も出来ますが、縁を結ぶことを前提とした本作シナリオではそのようになるのは寧ろ必然。鹿乃と縁を結び直し、新たに黎とも繋がれた縁の存在は、彼をもっと強い存在にしてくれるのでしょう。

 ということで、仲間を信じられれば途端に自分に自信が持て、精神的にもずっと強くなれるキャラ、それが東雲暁です。そして、各種言動により、意識の持ち方も、自身が持つ弱さも全てひっくるめた上で、等身大の、とても人間らしい主人公だと、そう思うのです。



クナド/東雲霞


クナド「自分と、自分以外の誰かがどんな縁で結ばれているのか、考えてみるといいよ」(共通ルート二巡目先勝


 あんだけ伏線もとい描写されてて直前まで霞であることに気付けませんでしたorz いやクナドまで含めての縁だと思っちゃいなかった……。

 岐の神=道祖神=地蔵菩薩という意味に於いて、「子供の守護神」である存在です。仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」に於いて、地蔵菩薩が賽の河原で獄卒に責められる子を守るという姿が描かれてますが、本作のクナドも、trueルート以降実質的にはそういった役割を負っています。共通クレアルート五巡目でも出てきますが、賽の河原にいる鬼から子どもたちを救う地蔵菩薩、という役回りであると言えそうです。
 一番わかりやすいのがtrueルート二五七五巡目に於けるカラスの追放ですね。あくまであそこは基よりルールから外れ、その上で無法を働こうとするカラスの強制退去ではありますが、どちらかというと子供を守る地蔵菩薩としての役目、の意味合いが強いです。

 そんなこんなで基本的には作中ずっと各キャラに対して中立であったクナドですが、生前、東雲霞であった頃の様子を推測出来る描写が如何せん少ないため、実際の人格は想像の域にしかならないのが辛いところ。ただ、ひとまず各種描写を見る限り、一家生前時に、暁が真に大事にし、且つ幸せの象徴としていたのは霞であるんだろうなと。且つ、霞も兄である暁を一番信頼できる相手として認識していた可能性が高そうです。
 「満たされるべきものもすでの存在していない(原文ママ」とありますが、暁からすれば霞を失い大切な物は指の隙間から零れ落ち、霞からすれば不慮の死で大切なものはおろか兄の命と悔恨しか残せなかったという霞なりの悔しさがあっただろうということを想像するのは難くありません。

 ちなみに、美しき兄妹愛と表現するだけなら簡単ではあるものの、「クナド」の性格なり様子なりを見るに、恐らく生前より暁に対して愛憎入り混じった感情を持っていたんじゃないかと思います。いやどちらかというと霞が素直に成長してたら男を何らかの形で誑かす悪女的な感じ、というと中々に語弊があるけど。
 憎むというよりかは、恐らく年相応に兄に素直になれないというのがあるんじゃないかなぁと。多分「兄」からは可愛がられると同時、妹として、言い換えれば「対等」には見てくれてなかったんでしょうね。霞が真に望んでいたものは、京楓相手に対する暁の態度なのかなと。歳がどうとか関係なく、言いたいことは言い合えて、その上で等身大の姿を見せつけ合えるような、そんな関係。
 当たり前ですが、これは恋愛感情とかを抜きにした一つの兄妹としての姿で、ですね。まぁ霞が生きていたとして、暁が恋愛対象になることは、実の兄妹であることを抜きにしても、描写を見る限りなかったんじゃないかなと。

 話がずれますが、恐らくですけど、暁が琥珀にあそこまで好かれたのも、暁の琥珀に対する接し方が霞に対するそれと同一だったのではないのかなと。もっといえば、篠月学園に於いてもう少し二人の目が曇ったものでなく、鹿乃も同様に暁位にはいい思いをしていたのならば、暁と鹿乃も似たような関係になっていたのかなとも思います。
 結局、琥珀相手にはそれでよかったのですが、霞相手には不満だったって話ですね。勿論、暁としては霞にとっての「いい兄」であろうとしていたわけで、暁に悪気があったわけではありません。霞もそれをわかっていたからこそ、それを暁に対し口にすることは出来なかったのではないでしょうか。ひとまず現実での霞は「兄が好きだけど不満もある」という所です。

 さて、東雲霞が名実共にクナドという存在になったのはいつのことでしょう。バス事故で死亡し、賽の河原に来た時――ではなく、個人的には「賽の河原で過ごした体感時間が現実で自身の生を全う出来た際の『体感時間』を追い越した時」であると考えます。
 そもそも、双六世界と現実の時間の流れ方は全く違うわけですが、各面子が221回双六をしている間、現実に於ける時間の進みは、カラスが黎の首に力を加えられるだけだったように、かなり引き延ばされています。では実際の時間の進み方はどうだったのでしょうか。
 双六参加面子は、一巡が約一時間という記述を元に考えると、抜け出すまでに単純計算で99日です。しかし、サイコロを振る時間や賽の河原の滞在時間、幻日を見た時間も含めると、大雑把ですが更にその1.5倍の時間を体感的には双六で過ごしていると考えられます。そしてアフターの描写も考慮すると、それらの時間は、現実では一晩よりも短い、占めて三・四時間程度であったと考えるのが妥当です。ちなみにクナド以外の双六参加面子は、「合間合間に見ている走馬灯を数えれば、彼らの体感時間は年単位ではまるで足らない」とありますが……いやこれどれくらいの期間のつもりなんだ……?
 クナドに話を戻します。現実に於ける約十年の時を賽の河原で霞は過ごしたわけですが、上記の計算を元に、大雑把に双六世界での体感時間150日を現実の三時間だと仮定すると、双六世界の時間は現実世界の1/1200の速さ、すなわち現実世界での十年は双六世界の時間に換算してなんと約12000年もの体感時間にもなります。各種ループ系のキャラの体感時間が大概100年~1000年であるからして、それら作品には足元にも及ばない、正に悠久の時と呼ぶにふさわしい生き地獄的長さです。
 ともあれ普通に東雲霞として生を全うできていた場合よりも遥かに長い時間を彼女は賽の河原で過ごすこととなりました。そして人間では到底達成できない体感時間を経過した時、名実共に自身は人間ではなくなり、暁と対等となることは不可能となった――「東雲霞」ではなく「クナド」となったのは、恐らくその辺りかなと。

 結局、霞乃至クナドは、実の兄と対等になれなかったという「寂しさ」が全編を通してあるんですよね。
 痩せ我慢で、中々素直になれず、自分を等身大に見せたい――trueルートでのクナドと暁の発言を見るに、大まかに言えば東雲霞はそのような人格です。具体的には痩せ我慢>等身大>素直になれないという順番に、彼女の性格は形成されています。実の兄相手には対等に見て欲しい、だけど兄よりは子供だからごまかしでも自分を大きく見せる、それでも兄はそれを見抜くからこそ、自分が子供であることを認めたくなくて素直になれない――暁と霞の関係性は、こんな感じだったのではないでしょうか。
 一方双六では、暁を案内する役割上全知全能の神となり、比喩でもなく自分を大きく見せられる、兄に格下に見られないからある程度は素直、しかしそれが故に対等とは逆にかけ離れてしまったため物事は事務的、だけど内心はとても寂しい――というのが暁とクナドの関係性です。
 trueルートで成仏する前、暁が手を差し伸べてくれた時、泣きたいと思ったわけでもないのに涙が出たというのは、つまりそういうことです。それでいて、あの場面は、「クナドが暁を案内していた」という立場から「暁が霞を案内しようとした」、唯一立場が真逆になる場面でもあります。だけど、皆と相縁を結んだかのように、同じ立場で同じように現実で明日を目指したいという暁の願望からして、本質的には対等です。
 暁が自身のことを霞だとは認識してくれなくとも、初めて同じ目線で暁は自分のことを見てくれた。暁の望み通りの、再び同じ立場になることは不可能だけど、最初で最後、体感時間に換算して何千年何万年もの時を経て初めて、やっと同じ目線に立ってくれた。それが故のクナドの涙は、共に進めなくとも、霞が成仏出来る要件としては十分だったのでしょう。
 遠く離れた手も幾年時を越えて 眩い季節に今誓いを果たすこと全て――クナドの行動は、OP曲色化粧の歌詞に全て要約されます。本作は暁とその幼馴染を中心に縁を結ぶ話ではありますが、暁と霞が無意識ながらもお互いを思いやり、そしてバス事故の時届かずとも兄が手を伸ばしてくれたように、この双六世界で霞は兄を助けようとする誓いを果たす話である――他のキャラの影には隠れますが、これも兄妹の縁として大事な要素であると、そう思うのです。

 それにしても、二三六九巡に至るまでよくまぁあそこまで中立を貫けたもんだと思います。傘地蔵ではなく、最後は幸福な王子になることによって、ツバメがそこにいなくとも、寧ろその兄というツバメを現実へと送り出して、自身は成仏という形で「クナドという生を」全うできたのは、東雲霞としての真の望みであり、それを叶えられただけでも、彼女は幸せだったことでしょう。

 ――というか今更だけどB92cmのFって一番胸でけぇな! 実の兄である暁も同じ遺伝子を継いでるんでしょうし、特に暁がみさきやクレアとくっついた際には、娘が生まれたらぼっきゅっぼーんな子になりそうですね……。



総括


人と人との縁はいつの世も分かちがたいもの。
彼に繋がれば彼女に繋がり、彼女に繋がれば彼に繋がる。
そうして広がっていく縁がやがて、ひとつの輪となって彼らを結ぶ。
――以上、trueルート二五七六順目友引より


 全員が221回初めましてを言い、各々の回数あがりに到達し、各々の回数永沈し、全員が220回記憶をなくされ、そして最後の一回で(カラス以外の)全員が合縁を結び鬼に立ち向かえた。
 本作が他作品以上に強く描いているのは他人との繋がりです。他作品での他人との繋がりを描く際は、どうしても人間関係の限界が見えることがありましたが、本作は縁という単語を使い、且つ「袖振り合うも他生の縁」をモチーフとしてその繋がりを確固たるものにしました。
 先述の通り、trueでの最初の暁・京楓・みさきの関係性は「もののあはれ」であるという描写がありましたが、縁というものは兎角儚いものです。だけど、その縁があるからこそ、特にtrueルートで描かれる各キャラの接近は、あくまで理屈ではなく、一途なまでのひたむきさとして描いています。全キャラにこれが言えますが、中でも鹿乃に対するみさきの態度が顕著ですね。京楓には暁の一途な想いを告白でも始めんとするばかりの直球の想いをぶつけ、黎には暁とクレアを中心に五人の現実でも黎と会いたいという願いを彼の戒にひたすら付き合うことで表しています。又、そういった繋がりを如実に表しているのが黎の暁への想い方だったり、鹿乃の大誠との付き合い方だったり、暁と京楓の唯一無二の関係性だったりするわけです。

 そしてそれは、クレアが持っていた願望だけでは決してなしえないものです。簡単に思考が伝わらないからこそ人は難儀する。簡単に思考が伝わらないからこそ人は努力する。簡単に思考が伝わらないからこそ人は繋がろうとする。簡単に思考が伝わらないからこそ人は伝わった時喜ぶ。簡単に思考が伝わらないからこそ人と人の縁が出来る。
 主人公の内心が駄々漏れになってしまったのを切っ掛けに主人公とヒロインの関係性に変化が、というような作品はちょくちょく見受けられますが、本作ではクレアと主人公だけに留まらず、各キャラ同士の繋がりも同様に描きました。
 又、思考を伝え、縁を結ぶ手段として、本作では「感情」を取り上げています。単純に思考を伝えるだけなら事務的でいい。だけどそこに感情が入り込むことによって含みが生まれ、縁を通した関係性は豊かなものになる。
 琥珀の、猫ではなく人間として現実にまた戻りたいと願った際の、その理由が一番わかりやすいところですね。この姿なら暁に愛してもらえる――ではなく、笑うことも、泣くことも、全部人の姿でないと出来ない、その楽しみを知ってしまったからには、猫になんて戻れない。そう口にして涙する姿こそが、全てを表しています。何より改めて強く結ばれた縁が途切れてしまう事だけは絶対に嫌だと願うことは、恐らく琥珀でなくとも、同様に感じる所であると思うのです。

 さて、どうしてここまで本作は「縁」を大事にするのでしょう。生きることは人と縁を結ぶこと。勿論相縁のような集合体としての縁もですが、各々が繋がり、それが複雑に絡み合うからこそ縁は生まれる。結ぶのは難しく、切れるのは容易い。あれだけみさきが理想を叶えるのに苦労するも、ラスト物部との縁の切断はマス目の戒があったにせよ苦労しなかった。故に縁というものは儚い。
 ここまで儚いものに執着する理由。先にまとめると、「現実に於ける理不尽な出来事に対抗するため」です。


人間は誰しも不平等だ。
生まれ、環境、才能、性格、事故、病、死――どんな条件で何が起こるかもわからない、最高に不公平なゲームをプレイさせられている。
だから、人はそれを運命と呼ぶんだ。
――以上、trueルートより


 作中、みさきの鹿乃に対する向き合い方が太陽ではなく北風、とありましたが、そういう意味では確かに本作は生きることに対して北風的な当たり方をしています。
 別作品的には、RASKの「Re:LieF」がある種一番テーマは近いともいえますね。あの作品ほど直球な書かれ方はしてないですが、本作も人と人との繋がりを重視した上で、結果的には同様の主張へと回帰しています。

 trueルートに於いて、クナドが地獄と極楽浄土ともう一つ、「もっと不幸で、もっと絶望的な第三の道」と語る通り、本作に於いて、現実というものは、必ずしもいいことでばかりではない、ということが殊更書かれています。
 ただ、クナドは、同時に極楽浄土のことを「より幸せな走馬灯を見る」とも形容しています。クナドが成仏をする前だったので、クナド自身も極楽浄土のことは把握できていたとも思えないのですが、この発言通りだとするならば、極楽浄土は賽の河原同様、終わりのない、その上で苦しみもある無限回廊である可能性があります。本来極楽浄土は一切の苦しみがない場所であるはずですが、言い回しが妙に気になるんですよね。
 ちなみに本作の極楽浄土は、死後に赴くという描写なので来世浄土の観念であると思われます。間違っても現世を浄土化する浄仏国土ではない。
 現実は辛い、現実で死せば必ず地獄に落ちる、双六を抜けた先の極楽浄土にも苦しみがあるらしい。それでも、穢土――現実に帰るという選択肢を全員が選んだのは、現実乃至双六で結んだ縁があるからに他なりません。
 それでも、現実での鹿乃宜しく、幾ら「縁」があっても「良縁」に恵まれず、全てを投げ出したくなることはあるのも理解は出来ます。クソッタレな物事が跋扈し、理不尽なことが不均等に撒き散らかされ、それならサイコロで運を天命に任せる方がせめてどれだけ納得できるか。そう思う人も多いでしょうし、私だって思うことはあります。
 では、結局本作が伝えたかったことは何か。暁がクナドに対して語ったこれが全てを物語っています。


明日は絶望だ。
みんなそうだ。
賽も盤もない世界は、それよりもっと突拍子もないことが起こる。
宿命だなんて、事前に通告もしてくれない。
だから、明日に待っているのはいつだって絶望なんだろう。
鹿乃じゃなくても、いくらだって災厄が振りかかる恐れはある。みさきのように。
暁「それでも」
暁「終わらない夢を見ることに、意味なんてないんだ」
たとえ、それがどんなに幸せでも。本物の現実と変わりなくても。
暁「人は、明日を目指す生き物なんだって……そう思わないか?」
――以下、trueルートより


 人の縁に頼り頼られ、現実を生きていく。仏教説話を用いながらも、最終的には宗教を切り捨て一部の仏教説話とは伝えたいことが真逆となりました。しかしながら、必ずどれかの宗教に人生の価値観を委ねる必要がない現代社会だからこそ、この結論で正解なのでしょう。時にはみさきの理想宜しくそれが北風であろうとも。
 未来(あす)を掴み取る祝福の色化粧――OP曲「色化粧」では、現実に於ける明日の存在は「祝福」であると歌っています。生まれたことが祝福である。生きていることが祝福である。明日を目指し、誰かと手を取り合えることが祝福である――これこそが伝えたかったことであり、東雲霞の願いであった、と言えるのではないでしょうか。
 しかしこうテーマ掘り返すと実はRe:LieF級に引きこもりには辛い作品だな! まぁ私は大好物なんですが。

 そんなこんなで話もキャラもみんなが愛すべき存在なので、もうFD出ないなら自分で書くしかない! 京楓アフター前提で連載書いておりますのでこちらもよしなに(番宣
京楓アフター長編(連載中)「過ぎ去りし日々に」:https://www.pixiv.net/novel/series/1352499

 というわけで、長くなりましたが「舞台乃至史実設定を生かし切った、全てのキャラに愛着が湧く傑作伏線ゲー」を本作評とします。自分の中の「好き」が噛み合いまくった、自分にとっても奇跡の作品でした。
 それを抜きにしても、伏線ゲー乃至シナリオゲーとしてだけで見ても十二分に優秀。キャラゲーとしては相当薄味でしょうが、シナリオゲーに混じる微量の萌えに転がる人種なので問題ないどころか寧ろご褒美なのであった。

 だからこそ、総評に自分なりに何か付け加えるとするならば、暁風に言えばこうなるのでしょう。


――あぁ、こんなに素晴らしい作品に出会えて、俺は本当にラッキーだよ。


 で、公式によるFDをとにかく見たいんですけど発表まだですかねぇまだですか?(n回目