「箱庭」という「楽園」に別れを告げられないことへの「証明」の物語
とりあえずは、本作をやる前に本編後半部をざっと目を通しておくことをお勧めします。やらないでやったらかなり忘れてたよママン……。
正直、本作を本編やらないでやる人は皆無だと思いますし、そういう人に対してもある種の致命的ネタバレはないと思うのでさっさか書いちゃいますが、本編の流れとしては、こちらの方が可能性としては高かったんじゃないかなと思います。
ひとまずmerunoniaさんのレビューがわかりやすくまとまってるので基本はそちらを参照していただくとして、個人的な雑感。
本作の際立っているところは、結婚式や彬名との対話という島地が体験する「人並みの幸せ」とナタリアと接する際の「化物としての自分」の対比が際立ってるところだと思うんですよね。
その上で、「人並みの幸せ」のパートで「人として交わることが出来ない」という虚しさ。
正直、誰だって自分が神なら、とか王ならとか言ってこういうことって考えるもんだと思うんですよ。だけど、実際になったとするなら島地のようになるのもまた事実です。
この辺りはkeyの「Rewrite」辺りを彷彿とさせるところでもありますね。こういうのは割と好きです。
全体の流れを書こうとすると浅薄な知識が露呈するのでカットするとして、とにかく本作の何が恐ろしいかって、ナタリアが言う繰り返してるという73回の数が、再プしたところで増えるわけじゃないってこと。
本当に73回なのか?
1回だけということもあるかもしれない。
本当は幾星霜の回数を重ねてきた可能性だってあるんじゃないか?
ここはあとからゾッと来ましたね。繰り返される箱庭としての幸せは果たして幸福なのだろうか? 円環に囚われた幸せの中に感じる交われない虚しさの中に幸福などない。
島地はずっと遊撃手として過ごし続ける。ショットガンのスコープを覗き続けるように、コペンハーゲン解釈に基づき世界を観測し続ける。終わりなどなく、永久に人並みの幸せを手に入れられそうな虚しさの中で生きていく。
かつてめーたんが言った「わたしが、わたしが島地を許してあげる」という言葉は、島地に対しての救いになると、そう思いたいです。
そして、それでも、本作のトップ画のように、鎖で牢に繋ぎ留められたナタリアをいつか解放できるようにと思うのも、また事実なのです。
好きなパートは、やっぱり屋上での彬名への告白ですね。彬名スキーのワイ大勝利。
本編がああだったからこそ、というのはあるのですが、やはり島地と彬名が幸せに歩む姿というものを見てみたかった身としては、例えそれが箱庭の中のことであったとしても、可能性の提示という点では非常に嬉しかったです。
それと島地にノロけ話をする明日海さん。本編では斧で福来先生のドタマかち割っちゃった明日海さんですが、幸せそうな姿を見れたのはよかったですね。
こうしてみると、なんだかんだみんなキャラ好きなんだろうなぁと思います。そしてみんな幸せになって欲しかったんだな、ということも。
逆に文句というわけじゃないですが、軽い不満として、ナタリアに口で二発抜かれたとか、彬名といちゃいちゃしたとかあったところは、18禁のシーンとしてちゃんと描いて欲しかったなと。
というのも、繰り返される世界の中で、ナタリアの想い(伏線)とか、彬名の幸せそうな発言とか、主に事後シーンでそういうのが色々見れそうだったからというのがあるんですよね。そこがあると再プの際に儚さを感じられたんじゃないかなぁと。
あとは声優変更ですね。正直先生二人と宮本はちょっと違和感があった。
勿論それで物語を壊すほどの、ということは一切ないですし、本編より割と時間も経ってますから変わってしまうのはしかたないことではあると思います。ただ福来先生はちょっと落ち着き過ぎかなとは。
恐らくはこれでJ.Q.V.関連の展開は最後になるのかなと思うと一抹の寂しさを覚えるのですが、何か書き残したものがあるのでないなら、これ以上は蛇足かもしれませんね。
その分、スーサイドフェンス、楽しみにしております。勿論ちゅーそつ! の続きも。