「妄想(Fantasy)」「科学(science)」ADV、であると同時、現代社会へのこれ以上ないアンチテーゼ。かつては井戸端会議程度だった流言飛語は、ネットの発達により世界レベルとなった。それを、渋谷という町の中だけにうまく落とし込んだ、リテラシーの重要性を説くものとしてはこれ以上ない作品です。
科学ADVシリーズは初めて。シュタゲはアニメも見てないし現時点でネタバレは一切喰らってない(仮に知らずに喰らってたとしても忘れてる)。
あ、表題で「妄想(Fantasy)」と打ちましたが、一応正確には「想像・空想・幻想(Fantasy)」か「妄想(Delusion)」であるべきでしょうが、とりあえずイメージを掴みやすくするために上記の通り書いたとだけ。
で、本作に関してですが、正直ニュージェネレーションの狂気とか、思考誘導とか、三十人委員会とか、そういう物語や舞台設定に関して、言っちゃなんですが割とどうでもいいです。
個人的に言いたいことはシナリオの内容ではなく、作中で扱われた情強・情弱といったことに関しての一点に尽きます。
「自称情強の主人公が、本来の情報を操作して恣意的に見たいようにしか世界を見ていなかった情弱だった」というツイッターのフォロワーさんのコメントがありました。アンチテーゼ、それを借りれば、カオチャは正に「現代社会の写し鏡」です。
あれだけネット世論がマスコミとかを嫌い、ネットの情報ばかり信仰しても、ネットの情報だってその殆どがまずマスコミの報道だし、ネットのせいで取捨選択して自分の都合のいい情報ばかりを取り上げる善良な愚民である被支配者階級に対してのアンチテーゼというのは間違いなくあります。
作中の事例で見てみましょう。ここで使うのは主に第9章前半です。
第9章突入時点と言えば、結衣が伊藤によって殺されたところを拓留が発見する場面であり、プレイヤーに対しても急激にニュージェネレーションの狂気の当事者になったと思わせる場面ですね。まぁ正直結衣が殺された云々が問題なのではなく、その後の葬儀などが終わってから。
まずは、@ちゃんねるに於いて、性少女 結衣たんとかなんとか書かれたことに対し、拓留が激昂するところから。
宮代「っざけんなよ、こいつら!」
(中略)
宮代(何が、非実在青少女だ!?)
結衣はっ……結衣は、あんなむごい目にあって死んだんだぞ!?
なのに、興味本位の傍観者どもが、集団でセカンドレイプまがいのことしやがって! ふざけんな!
(中略)
有村「だから、今朝、警告したんですよ。@ちゃんねるは、しばらく見ない方がいいって」
香月「ん……」
宮代「いや、ネット上に何か情報がないか探してて、つい……」
あんな、自称・情報強者のたまり場、覗くんじゃなかった。
連中は、実際は、金で雇われたプロに巧みに誘導され、踊らされているだけだというのに。
宮代(……いや、それは以前の僕も同じだったのか)
今回の、連続猟奇殺人事件……少なくとも『回転DEAD』の前までは、僕も傍観者として、事件の謎を楽しんでいた。
それが、だんだんと事件の当事者になっていくにつれ、ネット上の情報の無責任さや無神経さ、それとは逆に、現実世界で起こる出来事の重さを、身をもって感じさせられた。
因果応報……かつて情報強者を勝手に自認していた自分への戒めなんじゃないかとさえ、今は思う。
――以上、第9章【錯綜する思惑の行き着くところ~Duel~】より
拓留が、ともすれば初めて自身が情弱であることを意識したかもしれないシーン。ですが、この時点でも、『金で雇われたプロに巧みに誘導され、踊らされているだけ』とある通り、拓留は恣意的にしか世界を見ていません。
「金で雇われたプロ」って言ってますけど、これ要はマスコミのことなんですよ。ただ、ここで勘違いしないでほしいのは、ここでのマスコミというのは「大手メディアだけではなくSNSなどで発信する個人も含まれる」ということです。だからまずは金で雇われた、という前提条件が崩壊します。
一旦それは置いとくにしても、ここで問題なのは、『ネット上に流れてきたマスコミの情報を鵜呑みにした上でおかしいだろと徹底的にたたいて正義の番人を気取るネット住民』であるでしょうが、それは当初の拓留も同じ。
それを初めて自身も同じかもしれないと認識するのがこのパート。
青葉寮のまわりには、相変わらずマスコミ連中が張り付いていて離れない。
いや、結衣の事件があったせいで、前よりもその数がどっと増えた。
しかも、僕らが哀れな被害者になった途端、正義の代弁者にでもなったつもりなのか……遠慮というものが全くなくなった。
――以上、第9章【錯綜する思惑の行き着くところ~Duel~】より
事件や事故、災害の現場に於いて、マスコミが張り付く。それは、現場の様子を逐一見たいと思う視聴者の存在がいるからこそ。それらに反応があるからやる、需要があるから続けるというのがあります。
それに対して、被害者・被災者の邪魔になるとネットは声をあげる。一部では、メディアにばかりそういった声があるようですが、事件事故発生時の野次馬の事を考えるとあまり人のことが言えるとも思えず。
確かに、機材を持つメディアによる物理的な暴力紛い(深夜寝ている人に対しての光照射とか)みたいな例もあります。ただ、それを「自身をマスコミだと思う一般人」がそのような機材を持っていたら? そしてそれらが集団でいたら?
ともあれ、そんなマスコミに対する拓留の返答がこれである。
宮代「うるさいっ! お前ら全員、結衣と同じにしてやろうかっ!」(第9章【錯綜する思惑の行き着くところ~Duel~】
結衣が死んで初めて知る感情。正義気取りの偽善者。これまで見下してきた奴らと同じ。それを始めて拓留が認識する。
だけど、あくまで遺族としてだからこそ言えることであり、これで拓留に機材や何やらを持たせ、これまで通り「興味本位の傍観者」であったとするならば、恐らくここで暴言を吐いた相手以上のことをやっていたと思うのです。しかも回転DEADで生半可じゃなく立ち入ってるから余計性質が悪い。
そしてこの後(Over skyエンドに進んだとして)、乃々も失い、自身が一連の事件の犯人だとされる中で自身が情弱だと認識を改めるに至ります。
さて、本作の物語を進行させるにあたって必須なものにネットがあります。ネットなんて、広く一般にも流通するようになったのはせいぜいここ20年位のことで、マイクロソフトのwindows95があれだけ売れたからこそ今の社会があると言っても過言ではありません。
では、ネット以前の大衆メディアというのはどういうのだったでしょう。伝える媒体としては新聞、テレビ、ラジオとありますが、ネットが広く使われるようになりネットも一大媒体へと成長しました。ですが、大衆メディアの影響力がネットに変わったかと言われれば、それは特にないというしかありません。
ですが、ネットの整備により変わったことが一つあります。それは「誰でもマスコミになることが可能になった」という点です。少し前まではホームページかブログぐらいでしたが、最近ではSNSの流通により簡単に誰でもアカウントさえあれば幾らでも情報を拡散できるようになりました。
誰でも情報を拡散できる、これに関して言い方を変えるとするならば、「金で雇わずとも愚民は踊る」、又は「(作中で言う)プロが無限大に増え、踊り手も無限に増えた」ということであります。
一方で、@ちゃんねるを中心に作中ではネット掲示板が出てきます。このような掲示板がSNSと何が一番違うかというと、ハンドルネームもない完全な匿名で投稿できることですね。本作に出てくる掲示板は、この「完全な匿名」であることを最重要視しています。
SNSのようにハンドルネームを必要とする場所では、まず登録にメールアドレスのような個人情報が必要となります。だから利用規則に触れるようなことがあれば、俗に言う垢BANということが起こります。
しかし掲示板は一切の個人情報を必要としない。勿論犯罪予告をすればIPアドレスから割り出されて逮捕とかなりますが、投稿時のIPアドレスなどは残るものの、一見する分には個人情報は何もわからない。だから完全な放言が出来る。
と、ここまでだったらまだSNSがここまで広がる前の話です。問題は、SNSですら放言し放題の現状について。
割と今更なここ最近の流れとして、「メディアの嘘がネットにより暴かれつつある」という論調を見かけます。これに関して、言ってしまえばこれを支持する人は「頭悪いなぁ」という感想しか出ません。
人を叩いて、正義の番人気取りし、しかし自身は高みから見下ろし、自分は大丈夫だ、こんな奴らと一緒にされてたまるかと思う。何言ってるんですかね。何も気づけてない時点で同じ穴の狢なんですよ。
マスコミが意図的な情報操作をもって世論を誘導しようとしている? 当たり前ですよ。だって昔からそうじゃないですか。世論を誘導して自身(自社)の思考に染まってくれる方がいい、自社の利益が最大限上がるような社会であればいい。
こんなこと、基本中の基本ですよ。これが、ネット社会の隆盛によりマスコミの嘘がばれたとかなんとか言ってる人は、申し訳ないですがその人は情弱そのものです。その人たちは、ネットがなければ気付けなかったわけで、それを自力で解いたと勘違いしてる人たちですから。
そもそもこういう人たちは、自身が「マスコミが流した情報を前提に」話してることに気付きませんからね。自身が嫌ってるものに相乗りしないと何も喋れない可哀相な人たちです。
それを今更揚げ足を取ったかのように言ったところで、情弱ですと自己紹介している以外の何物でもない。
作中で言う「金で雇われたプロ」を、ここでは大手メディアとしてではなく、SNSなどから発信する個人という意味で使ってますが、全ての情報は「無意識下でも全く思考を誘導させようとしている」と考える必要があります。その点で、SNSなどの個人発信みたいなものも同列です。
防ぐ方法はといえば、一つのソースに頼らない(新聞、テレビ、ネット等、新聞は二紙以上読む、一つの記事に二つ以上の新聞社の情報を得る)上で、ソース元全てに正当性を投げかけることぐらい。作中それに一番近いのはここですね。
有村「……でも、宮代先輩? 疑うのであれば、全てを疑ってみるべきです。以前来栖先輩が私の前で嘘をついたの、覚えてますよね?」
(中略)
有村「もちろん、私やせり、華も例外じゃないですよ」
尾上「ええ?」
香月「んー?」
宮代「そんなこと言い出したら、誰も信用できないじゃないか」
有村「伊藤先輩の事件を考えれば、そのくらい用心した方がいい……という話です」
――以上、第9章【錯綜する思惑の行き着くところ~Duel~】より
勿論、誰かが殺されて、疑心暗鬼になるくらいには……とは言いませんが、割とこれに近いことは必要ではないかと常々思ってます。
そんなことやってるしと思った一部のあなた。はい情弱です。と断言するには早いですが、それをやってると豪語するのって、大概一切そんなこと出来てません。
個人的にいつも思うのが、「信頼できる情報源からの情報は無条件に信じてしまう」人が多すぎることなんですよね。この情報源は信用する、この情報源は信用しないって、あなた、もうその時点で既に「金で雇われたプロ」に踊らされてますよと。それにも気付けないわけですけど。
ともあれ、じゃぁ作中はどうだったのか。拓留の行動に全て表れています。
拓留の情報の収集に関しては幾つか分類できます。
一つは@ちゃんねるみたいな掲示板。これに対しては「金で雇われたプロ」として見下してましたね。
一つは一般的なメディア。まぁこれは新聞やテレビなど、あまり説明の必要もないですね。
そしてもう一つ。○○が発信しているから無条件で信じる、というメディアです。その条件に入るメディアは二つ、「渋谷にぅず」と「クールキャットプレス」があります。ここでは「クールキャットプレス」の方を問題にします。
デートの時はああすればいいってクールキャットプレスに書いてあったし。女の子の秘密とかクールキャットプレスにはああ書いていたし。
これら作中の拓留の行動は、ほぼ全てクールキャットプレスによって形作られてました。しかもモノによってはその情報は二十年前の。情報が古いというだけで情弱足りえますが、それ以上に問題なのは拓留のクールキャットプレスの情報の「鵜呑み」です。
信用できる情報源からの情報は鵜呑みにしていたからこその行動ではありますが、ここで大事なのは、これらの情報源は必ずしも一次情報源に非ず、ということです。
自分がこの手の話で一番言いたいことは、「逆の立場から物事を視ろ」ってことなんですよね。
一次情報源というのは、事件事故みたいなのは現場そのものにはなるので、必ずしも一次情報源に当たれるとは限らない。その時点で既に情報が何らかの操作を受けていると考える事はまずは必要です。
まずは疑う事。その上で、次に「書いてあることが一言一句本当だとして、片方の立場で書かれてたら、もう片方から見た時何が見えるか」ということを考えてみることが重要です。
そしてそれらに対して複数の情報を当たる。新聞社の記事だったら、最低二社の記事は当たること。そうすれば、「GDPが1%しか伸びなかった」という切り口だけだったのが、「GDPがマイナス成長だったのがプラスに転じた」という見方も出来るようになります。
とにかく、「全てを疑ってかかること」、「様々な立場から一つの問題を考える事」この二つは最低限情報へ当たるにあたりやらなければいけないことであると考えます。
ここまで書いたことは、昨今のネット界隈、マスコミ叩き、他情報を受け取るという姿勢全てに言えることであるのだけは間違いないです。
拓留はそれがなかった。拓留によるクールキャットプレスの情報の鵜呑みは、それが一番如実に現れていた場面だと言えます。
だからこそ拓留は情弱であったと思うし、それを滑稽だと笑うことも幾らでも出来る。でも私には拓留を笑うことは一切できないんですよね。
正直なところ、本作が刺さるべき人は、自身が相当な風刺をされていることにすら気付かないんじゃないと思います。
というわけで、私も今この場ではマスコミです。これを読んでる人は、この文章を全ては信じないでください。疑ってかかってください。そして何が正しいのか、自分の目で一時ソースを当たって調べてください。
――要するにとりあえずこの作品ちゃんとプレイしろってことだよ! はい散った散った!
ともあれ「恣意的に見たい情報しか見てこなかったプレイヤーに対し拓留と共にそれを追体験するこの上ないアンチテーゼ」というのが本作評です。本作は本気でプレイヤーをその点から殴り殺しに来てる点で、この上ないリアリティがありました。
以下キャラ一言感想。キャラが多いからほんとに一言ずつ。
九野里澪
正直、高校生的設定はあんまいらんかったような気が。カオスチャイルド症候群嫌う理由が話されてるPS版特典付きのドラマCD聴かなきゃ。
滅茶暗い部屋に於いて手持ちデジカメでシャッタースピード1秒を一発撮りで超鮮明な画像撮るって何者だよ……一眼レフやってる自分ですら手ぶれ防止機能使用の上で1秒手持ちは50枚に1枚あればいい方だぞ……。
神成岳志
中 間 管 理 職
けど節々に現れる描写を見る限り、この人はぐう聖ですよね。現実と捜査の間での板挟みは辛かったろうなぁ……。
百瀬克子
信用調査会社フリージア社長。カオヘにも出てるみたいだけど知らん。
けどこの人好きだわぁ……。素直に作品の良心、と言い切っていいかと。
川原雅司
乃々ルートで拓留に暴力振ったのが最後の出演だったせいでただの暴力男で終わってしまった奴。正直泉理絡みでもっと掘り下げられたはず。
実際問題、委員会の人間ではなく、かといって拓留を快く思ってないだけで本筋には絡まないという意味ではあまり必然性がない人物になってしまっている。
とりあえず、せめて乃々ルートやTRUEで泉理を目の前にした反応を描写するだけでもだいぶ変わっただろうから補完に期待。
ゲンさん
貴族。拓留の情弱を作った元凶の一人。
人としては悪くないんですし別に正義の番人気取りやってたわけでもないですが、この人がいなければこういうことには、という気がしないでもありません。
和久井修一
碧朋学園新聞部顧問にして悪人①。Over skyまでは特に何も言われてませんでしたが、Deep skyで急にいきいきしだしておっおっおっとなったのはいい思い出。まぁ想像はついてた。
とか言ってたらSilent skyで一枚絵付きで喋ってくれたからもう何も求めない(いい意味で
佐久間恒
青葉医院の医者であり、拓留、乃々、橘姉弟(後にうきも)の身元引受人にして悪人②。
Over skyのオチ要因だけで終わっちゃったのは残念だったなぁ……。
橘結衣
正直生きててほしかったよね。まぁ誰だってそう思うからこその第9章での落差なわけですが。平和の象徴だった彼女が殺されるからこその展開です。
にしてもPS版の特典付きでその時のプレゼントボックスのペーパークラフトなんてつけるんじゃないよ! 馬鹿!
橘結人
唯一の肉親だった実姉を義兄の友人に殺されてることを考えると一番の被害者かもしれない――と思ったけど伊藤が一番か、まぁモノが別だけど。
有村雛絵
見た目も言動もルートも一番ギャルゲヒロインっぽいとはいえ、本作ではそれらが故の癒し枠かと。
普通この設定だったら一般的萌えゲーだったらメインヒロインの座でもおかしくない感はあるけど、それらは全て物語構成の犠牲になっちゃいましたね。まぁ個別がああだっただけでも、という感じでしょうか。
香月華
全然喋らないから、喋ったことが本当のことになってしまう設定でもあるんかなーと思ってたらまんまその通り。正直意外性に関しては少ないキャラでした。
山添うき
彼女は本当に幸せだったんでしょうか。拠り所を立て続けに失い、個別ルートでは死ぬか植物状態かなわけですから。
それでも、TRUEの描写を見る限り、せめてつらい目にはあわせてあげないで、とは思ったり。
伊藤真二
作中一番救われない人、と聞いてたけど、確かにその通りだったわ……。
そして人気が出るのもわかる。らぶChuChuで伊藤ルート実装に期待。
来栖乃々
実は生前一回も出て来てない人。それでも、彼女の人格が一種泉理に乗り移ってたという意味では、陰の功労者と呼べるかと。
実際、生前泉理に乃々が話しかけてなかったらこの物語はなかったわけですから。
南沢泉理
乃々が一回も出てこなかったなら、こちらは乃々の姿を借りて最初から最後まで出てた人。
直したかった性格を克服し、女帝とまで呼ばれるようになった彼女は、作中一番成長したと言えるでしょう。姉妹(うき)共々幸せになってほしいですね。
尾上世莉架
記憶喪失というのは幾つかパターンがありますが、記憶喪失以前の、喪失した物事を一切思い出せないまま一生を終える人というのはいるようです。恐らく百瀬さんはTRUEで過去がない彼女にそのような説明をしたんじゃないかと勝手に思っておりますが、
とりあえず、ラストシーンの世莉架は、「大まかに何があったかを断片的に思い出したけど知らないふりをした」と解釈しています。幸せに――なれるのでしょうか。
宮代拓留
正直、本当に彼があれでよかったのか、という答えは出ません。
個人的には、最後まで作中で謂う所の情弱であったと思います。だからこそ、私は彼のことが好きにはなれそうにはありません。だけどそれは、同族嫌悪のそれで、私自身にもそういった節がないかどうか嫌でも確認させられるから、という側面が大きいです。
普段の暮らしの中で画面の先を嘲笑する「私達」の姿を見せるために主人公共々プレイヤーを物語の犠牲にするためのシナリオ構成。それは全てプレイヤーに自身の姿を見せるため。
正に、「宮代拓留のための物語」であり「私のための物語」でした。