廻る廻る世界で出会い生まれた光貴く輝く星のように――二人の偉人から主人公設定と世界観構築を取った、かなりガチガチのキリスト教的価値観に基づく隠れ設定ゲーです。『マジチャ』のすぐ後とあって比べられることも多いようですが、私は本作の方がシナリオゲーとしては上である、と思います。イチャラブ分は割柏多めなので、気に入ったキャラがいればそれ目当てもあり。それを踏まえて本作は、「透視天球儀の内側から愛を込めた讃美歌」です。長文後半は考察。
先に各キャラ毎ルート別一言感想。で、個人的プレイ推奨順ですが、「遥→美紀→小々路→愛良」となります。
情報とネタ的に遥→小々路は厳守してもらいたいのですが、その上で、別途後述しますが、美紀ルートはテーマ的に遥ルートの実質的な「裏」です。なので美紀ルートは遥ルートの直後に。
愛良ルートは小々路ルートでやらなかったことの残りを回収という格好ですが、ラストの展開での情報は敢えて最後に知る方が他ルートの考えを邪魔することなくやれるので小々路の後に。
ちなみに、情報の明かし方という点で、制作陣が考えるのは最初に愛良を持ってきて、最後に小々路と思われます。ある意味では一番すっきり終わるのは小々路で、謎の提示、もといルート展開の見本が愛良になるからです。
その謎の提示ですが、本作は最初の内は「わからない世界観」が常に謎のままで進めるよりも、仕組みを理解してからプレイすることをお勧めします。そういった点で、最初は世界の仕組みをある程度語ってくれる遥ルート推奨です。
以上より先程の順番推奨となります。あくまで謎や仕組みについてのことにはなりますが、イメージ的には起承転結的には愛良→美紀→遥→小々路なのでしょうけど、その内の「転」をまずは理解しておくべき、という順番です。
ただ、どの道trueルートがなく、どういった順番でやっても何かしら最後まで謎は残る仕様なんですよね。なので、このキャラだけは先にやってしまいたい、というのがあればそれでもいいです。後に回すと却って展開の既視感が見えることもあるので。
長くなりましたが以下まずは各ルート一言ずつ。
朱音遥
孤独な猫が、孤独な数学者と出会って、距離を知る話。
戦術の通りですが、世界観説明はこのルートに集約されています。一番は中の正体でしょうか。
北天寮第18荘「エルデシュ」は、お察しの通り数学者ポール・エルデシュから取られていますね。絶対にして唯一のエルデシュ数1を付与された存在、それが遥という認識でよさそうです。
ルートを一言でまとめると、「好きという理論を見つけるまでの話」となります。こういった話は、道中難しい理論を繰り広げるのが定石ですが、今回はだいぶライトだったなと。
例えば、1729という、所謂タクシー数は「2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数」と一言でいうのは簡単ですが、1729=12の3乗+13の3乗=10の3乗+9の3乗、つまり1729が「A=Bの3乗+Cの3乗=Dの3乗+Eの3乗」という形に於いてAで表せる最小の数であるということは、長い定理を解かないとわかりません。
ノベルゲーで同様の難解な理論が出てきた際も、それに倣うことが多いですが、本作ではあくまでそれを遥の脳内に押し留めました。その辺りの塩梅は端的に言って正解だったかなと。
ただまぁ、正直告白と、それに至る流れはかなり早急だった感が否めませんね。それ以外は本作中では一番わかりやすい話の運び方をしていたかなとはなります。
月館美紀
二面性の自己同士が和解するまで。最初の髪飾りのパートでジキルとハイドかいとか言ってたら完全に当ててて逆に真顔になったのはここだけの話。
「美紀」と「みのり」のある種の友情の話ではありますが、個人的にはこれを一種の自己愛の話と解釈しています。
というのも、テーマをよく読み返せばわかりますが、美紀ルートは遥ルートと対になっております。「自分自身とそれ以外の他者」を求めた遥。対して「他者」が自己の内面にいた美紀は真逆の存在です。
「孤独では測れないものがある」と他者の存在を求めた遥。生まれた時から『他者が自己の内部にい』て、「みのり」が消えたことで孤独になって初めて距離というものを測れた美紀。
天球儀世界の美紀は「みのり」が本来の姿で、元の世界もそうなっていますが、結局はやってることが自己愛なんですよね。
まぁ、どちらの性格が主であるということを考えると、本来は「みのり」ルートと称するべきなのでしょう。いや紛らわしいなこれほんと。
――まぁ、そこに至るまでの種明かし、希がぱっと出で色々やってるみたいな感じになって、正直そこはどうにかなんなかったかなとも思うのですが。
あそこは単純に見せ方がよくなかったですね。どのルートもですが、どうにも過去何があったかという点に於いて、語りが足りなくて、深刻な説明不足に陥っている感があります。
イチャラブパートはまぁルート展開という観点からはあまり特筆すべきこともなく。背中流すパートでの自爆は中々ニヨニヨ出来てよかったですね。
近江小々路
自身の病気を知って、有限の命と理解して連理と過ごす話。
遥ルートが本作の世界観を語る話であるならば、小々路ルートは連理の存在に関することを明かすルートです。連理のことを理解するためにはまずは天球儀世界のことを理解する必要があります。なので前述の通り少なくとも遥→小々路の順は守ってもらうとして。
先に一点補足をするならば、小々路が連理と共に飛んだ世界は、小々路が元々いて、母親と今生の別れをした世界「ではありません」。老数学者がああやっていることからもわかりますが、恐らくは元々遥がいた世界ということでよさそうです。
過去パートもですがラストの「小々路死亡→天球儀世界に希望をもって迎え入れられる→連理を迎えに来る」の流れはもう少し言葉がほしかったですね。流れとしちゃわかるんですが、あそこで理解できないまま終わった人も見たところ多そうだったので。
しかし、エロシーンで処女を二回散らすのがあるというのはしてやったりだよなーと。とか思ってビジュアルファンブック読んだらセロリ先生ノリノリだったよ! もえぎー感動してんじゃないよ!
正直、連理以外のことについて語ろうとすると、あまり話すことがありません。ということで詳細は考察部にて後述。
白取愛良
自身の歌で元の世界を壊した愛良が、再び人前で歌えるようになるまで。
小々路ルートが全体的に連理関係のことを多く語っていますが、幾つか語っていないことの補完と敢えて語らない場合のルートという点である種小々路ルートの裏です。
先に一つだけ記しておかなければいかないのは、ラストの解釈に関して。愛良はルートラスト(エンディング後)に於いて、元の世界にいた愛良と智香の元に歌が届くという描写があります。
しかしながら、愛良は元の世界での絶望によって天球儀世界へ招かれたタイミングと、絶望の際の智香復帰のタイミングにずれがあり、その段階での復帰があるとするならば、元の世界に於いての愛良そのものが分裂していないと筋が通りません。
そもそも、ラスト、連理にずっと一緒にいようね、と言ってからの元の世界への復帰は、あそこから心変わりの上天球儀まで行くという流れが発生することになり、あの状況からのそれは考えづらいです。
ですので、別の方の感想で、「愛良ルートは連理的には智香に寝取られてるバッドエンド」というのがありましたが、これは明確に違います。愛良ルート以外では、元の世界が天球儀世界と並行している、という明確な描写がないのでわかりづらいですよね。
まぁ、ぶっちゃけ小々路ルート同様見せ方が悪いよなと。理解がしづらいという点に於いて、単純にわかりやすく数行押し込めるだけでも変わったとは思います。
ですから、愛良は、連理と共に待ち続けるのでしょう。聖女性を纏った元の世界の自分自身が寿命で死に、天球儀世界へと召され自身と統合される日を。
では何故、そういった状況になっているのかというのは、その実それは天球儀世界がどういうものかを考える一助になるので後述。
ともあれキャラ的には一強でしたね。主人公に懐いてる? 好きです! 人見知りなだけのクール系? 好きです!! 帽子系ヒロイン? 大好きです!!
まぁルート自体は、本来的には起承転結の「起」に位置する以上、セオリーからは反するのでしょうが、先述の通り、謎を謎のまま放置すると却ってイチャラブとかが楽しめなくなる系の作品ですので、中の意味深発言を理解した上で見るべきですね。
しかしエンディング後の記述が足りないのは割と致命的。他が素直に愛良可愛いでも押し通せてた分、そこだけどうにかなってればなと。
ラビエル(美都場菜緒)
菜緒の設定、もとい想いに関しての補完。
管理人は結局ヘプタグラムのいずきとビジュアルファンブックでも明言――ってヘプタグラムやってないからわかんねぇんだよぉーっ!
とはいえ、菜緒からした世界の在り方という点で、いい補完だったと思います。
とまぁルート概要と個人的ルート別考察はこんなものですが、
以下これらを踏まえた上で各設定解説と考察。
・ポール・エルデシュとシュリニヴァーサ・ラマヌジャンに裏打ちされた世界観
遥ルート概説でも語りましたが、本作の世界観は、寮の名前と遥ルートからもわかる通り、ポール・エルデシュから取られています。
ポール・エルデシュは、20世紀に最も多くの論文を記した数学者ですが、実際にタイム誌に「変わり者の中の変わり者」と評され、起きている時間は全て数学に費やしていた辺り、本作の老数学者と似ています。まぁ論文の共同執筆の関係で完全な孤独ということはなかったのですが。
ただ、本作のビジュアルファンブックを読む限り、当初のインプレッション自体はシュリニヴァーサ・ラマヌジャンからだったようですね。遥ルートの直感で数式を解く遥の姿は、そちらのモチーフであると思われます。ちなみに先述したタクシー数「1729」はラマヌジャンが瞬時に答えを見出したものです。
そこから数学者のモチーフとしてポール・エルデシュを持ってきたと思われます。あとは遥ルート後半で記述された通り、且つ先述の遥ルートの感想の通り。
ところで、だったら初めから数学をモチーフに各種設定を裏打ちすればよかったじゃないかと言われそうですが、塩梅としてはこれで正解でしょう。
簡単な話、難解になりすぎるからです。まず私もわからなくなる()尚且つ、これはあくまで世界観のみの話で、キャラ造形、ひいては連理の存在の方が、本作的には重要です。
なので、結果的にはそれを優先させることとなりましたが、それがどういったものかはまた後述。
ちなみに、手記にも記されていた老数学者の言葉自体は、遥ルートでのテーマと、付随して美紀ルートの解釈以外の意味合いを、大きくは見いだせないように思うのは正直なところです。
・各世界の意識の拡散、そして統合~並行世界のヒロイン
愛良ルートでその存在がはっきりしますが、天球儀世界と各ヒロインが元々いた世界は、天球儀世界から見てシリース(直列)ではなくパラ(並列)であることが明かされます。それが故、共通の段階では天球儀世界の一部ヒロインは、全て天球儀世界と「存在が分裂」した状態となります。
共通以降は各ルートの通りではありますが、改めてまとめますと。
まず天球儀世界の存在を全て元の世界の自身と同一にするのが小々路です。小々路ルートのみ、小々路が完全に天球儀世界を脱したのは、そもそも小々路が元の世界で死にかけていて、間際に移ったようなものですので、元の世界の小々路=天球儀世界の存在、と断定できます。
遥は猫であるので、猫として戻る世界を持ちません。ルートでの描写を見る限り、猫としての寿命も迎えた上で、意識やらなんやら、全てを天球儀世界へと持ってきたと考えるのが妥当なようです。
美紀も、存在が消滅をした「美紀」に対して連理がカギを渡しているので、実質的に天球儀世界に存在が全て飛んでいます。ただ、美紀の場合は「みのり」に関しては分裂している状態のままです。これは和解もとい統合によってそうなったといえますね。
恐らく天球儀世界に「美紀」が来て、「みのり」もそれに引っ張られた形になるのかなと。元の世界で存在が消滅した「美紀」によって、今度は世界を跨いで「みのり」を二人にした、と考えると、「美紀」が「みのり」に送る最上級の愛、と思うのは私だけですか?
ともあれ、そういう意味では、「みのり」の意識が表立っている美紀は、唯一元の世界で連理とのやり取りを経ないまま天球儀世界に来ております。そこからエルデシュ入寮までの流れが全くないですが、その辺りこそ無意識に「美紀」が手助けをしていたのではないでしょうか。
そして特筆すべきは愛良で、愛良は天球儀世界に来た時点で、完全に天球儀世界と元の世界とで存在が分裂しています。美紀は「美紀」が天球儀世界に先に来て鍵を受け取った存在であるならば、愛良は自分自身を実質的に別の存在として元の世界に置き去りにしているんですよね。
ではここで置き去りにしたものとはなんでしょう。天球儀世界ではなく、元の世界ではあったもの。それは愛良の「聖女性」です。
ここでいう聖女性とは元の世界に於ける聖女としての活動をしていた際の積極性などの行動面・自己犠牲精神等です。要するに天球儀世界では見られない愛良の性格ですね。
愛良の聖女性自体も、元の世界で政府によって声が掛かり、両親に転校させてくださいと頭を下げた際に初めて発現したものです。自分自身の世界を変えることが出来なかったからこそ、世界を変える、よくしようと選択をしたのが元の世界の愛良です。
一方、天球儀世界では、勿論世界を変えるようなことはせず、カップケーキを食べて連理に懐くまでは独り閉じこもるばかり。これは自分も世界も変えられなかった無力感のまま天球儀世界に来たが故に、絶望をしないように、人と関わらず、その前に望みをも一切捨てている状態です。この辺りは小々路とは対照的。
こういった真逆の性質は美紀でも見られるものでしたが、解離性自己同一性障害ではなく、純粋な分裂を、それも人格が変わらずしたのは愛良のみです。
故に、愛良は、元の世界と天球儀世界としての存在は同一ではあるものの、しかし元の世界に「聖女性」を置き去りにして天球儀世界へとやってきた、と言えます。
他キャラは語られてはいないですが、恐らく連理によって連れてこられたキャラはいるのでしょう。その辺りはどのようにかは一切不明ですので置いておくとして、ともあれそのような形でヒロインは構成されています。
・近江連理=ウィリアム・メレル・ヴォーリズという理論
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、19世紀~20世紀にかけて活躍した建築家です。また宣教師であった他、音楽にも造詣が深く、讃美歌の作詞作曲も行っております。
日本国内に於ける建築以外の主な業績として、関西学院大の創設、メンタームで著名な近江兄弟社の創設等が挙げられます。また太平洋戦争終戦後、マッカーサーと近衛文麿との仲介工作にも尽力し、「天皇を守ったアメリカ人」とも称されています。
これら情報だけで割と設定的に類似点が多いとわかります。ビジュアルファンブック曰く、近江連理のモデルはムーミンママであるとセロリ先生は語っていますが、それ以上に直接的なのはこのヴォーリズであると見ていいでしょう。
ここで近江連理という存在をまとめてみましょう。趣味は家事全般と日曜大工。日曜大工は建築家をしていたヴォーリズの流れを受けていますね。特に椅子を作るシーンは愛良ルートでの告白のきっかけを作りました。
余談ですが、ヴォーリズ設計の国内建築物として、ここを見ている方に一番有名なのは、豊郷町立豊郷小学校校舎二代目校舎でしょうか。後にアニメ「けいおん!」の聖地にもなった、あの校舎です。
音楽の造詣。連理本人はそうではないですが、これに絡んでいるのが、これも愛良ルートです。
挿入歌sing a songは、端的に一言でいえば讃美歌である(神を明確に賛美しない讃美歌は第二編には割とあるので、それと同列)ように思うのですが、あくまで歌を歌わせて一種の自己啓発を促したところは、歌の力を知っていたからに他なりません。これは愛良の世界を覗いた上で連理も知ったというところでしょうが、ともあれこの辺りも要素としては含まれると見ていいでしょう。
続いて医薬品メーカー近江兄弟社の創設。これはまず読んで字の如くなとこが一点ですが、ここで社名由来を見てみましょう。
近江兄弟社という社名は、ヴォーリズの愛した『近江』の地名と、クリスチャン精神に基づき目的に向かって心を一つにする仲間という意味を持った『兄弟』を合わせて、命名されました。(近江兄弟社会社案内マークの由来、引用:http://www.omibh.co.jp/company/mark.html
キリスト教精神に基づいたモノや事を多くヴォーリズは創設していますが、近江兄弟社とそのグループ企業・学園はその最たるものです。
ちなみに近江兄弟社は、ヴォーリズ亡き後、1974年に会社更生法を申請した後、大鵬薬品工業の小林幸雄社長(当時)から1000万円が善意として贈呈されていますが、これを基金として定期預金、黒字転換後「報恩感謝」の業績報告を氏に果たすと同時、社会への恩返しとして援助活動「ニコニコ活動」の原点にもなっています。
これらの動きは近江兄弟社の社名由来そのままな動きではありますが、それはさておき本作の流れに戻りましょう。
連理の行動は、一言でまとめれば「ヒロインの望みを成就させるためのもの」であるわけですが、そこには「目的に向かって心を一つにする仲間」がいました。
ではその仲間とは誰か? 簡単です、連理の存在を全肯定し、連理の望みを叶えるために生まれた存在。中こそ、「心を一つにする仲間」として連理(正確には連理を分離した天球儀)から分けられた存在です。
作中、中はひたすら連理の望みを「大切な人に望みを叶えてもらうこと」と口にしています。小々路ルートにて、ヒロイン、もとい小々路のための行動が、自分を助けるためになっていたとありますが、そういった観点から連理の望みとヒロインが連理に望むことは別々のようでいて、完全に同一です。
それにしても中は生まれたきっかけからして報われないことが確定している存在なので、まぁなんというか、端的に言って辛い。作中の発言も、全部やると、中々笑い飛ばせるようなものではないですね。
話を元に戻します。残るヴォーリズのもう一つの顔が宣教師です。
元々ヴォーリズは、外国伝導を志して来日したのが元です。当初は日本に於ける食い扶持確保のための建築事務所設立であり、一番の目的は日本へのキリスト教布教でした。近江兄弟社グループなどは、その社業に基づいた活動をしております。
ちなみに、ヴォーリズが生涯を過ごすことになった滋賀県の近江八幡は、来日当初は仏教が色濃い地域(豊臣秀次が築いた城下町を基とした商業都市、近江商人発祥の地)であり、当初は対立もあったようです。現在近江八幡市はヴォーリズ出身地、カンザス州レブンワース市と「兄弟都市」を1997年に締結しています。
近江連理を見てみましょう。連理と宣教師を同一にするというのは、当たり前ですが少しずれます。というのも、連理は天球儀世界の存在を知らしめ、信じれば死後天球儀世界に行ける、という布教をしていたわけではないからです。
連理がやったことは、もっと直接的です。彷徨う感情を、天球儀世界に物理的に連れてくること。ただの宣教師という身分では物理的に不可能なことを、連理はやってのけています。
これがカトリックでしたら、法王の奇跡の認定、それを二つ以上やっているので、聖人になる要件はクリア、列聖されるのでしょうが、天球儀の「目」であった連理は、そもそもが神と同等の存在であるがため、列聖などされずとも、そもそも奇跡を起こすのも容易いでしょう。愛良ルートの歌を響かせる一件は、恐らく連理が無自覚ながらに元の世界へと届かせたものと思われます。
ところで、宣教師とは言いますが、宣教師は物理的に神の国へと連れて行く、ということまでは出来ません。宣教師が出来ることは、あくまで神の言葉を「神託」することのみであり、人であることを超え、是が非にでも望みを叶えられる世界へと連れていくことは出来ないです。
連理は「もう天球儀から切り離された個」であるわけですが、認識としては「御国に導くために主から遣わされたイエス・キリスト」、すなわち御使いである、というのが正しいでしょう。
恐らくですが、「目」であった頃の連理は自我がないに等しかったと思われます。あくまで天球儀の存在の一部として、天球儀の意のなすままに世界を見る「目」として、天球儀――世界を司る「神」としての存在でした。
ちなみに、本作を見る限り、ヒロイン救済の順番として遥→美紀⇔愛良→小々路であったと思われます。世界を知り、人を知り、そして死ぬ往く命を知った。その過程で、段々と自我が芽生え、人として世界に降りるべきという決心、言い換えれば天球儀との齟齬が発生したと考えられます。
そういう意味では、人の心を救済する内に「知ってしまった」、いわば堕天使と形容するのが適切であるとも言えそうです。ただあくまで救済相手を理解し、心配して中を生み出す程度には悪いものではなく、あくまで円満、後ろ向きなものではないのですが。
以上、これらを基に、近江連理はウィリアム・メレル・ヴォーリズの生涯を基に作られたキャラであると結論づけます。ムーミンママという一言ではとてもではないですが表せない、様々な要素を持つ主人公となりました。
ちなみに。小々路ルートにて、近江小々路生存時に子供が出来ることはなかったですが、ヴォーリズとその妻一柳満喜子の間にも子供はいませんでした。不妊という話はないはずですが、二人の遺伝子は残されなかったということだけは事実です。
ただこの話も、本作に落とし込むと、二人の子供は、御国に召されて初めて授かったのだと、そのようにも思うのです。
・で、天球儀/天球儀世界とはなんぞや~総括
本作の原題は『扉の向こうのスフィア』とのことですが、扉の向こうにあったのは天球儀ですので、天球儀=スフィアと考えるのが適当でしょう。
sphereの意味として、球・球体・球面・天体・星・月・範囲とありますが、他に地球科学における球状層(惑星や天体を取り囲む大気圏、水圏、生物圏など)として「圏」が挙げられます。
先程、近江連理は御使いであると記しましたが、では御使いをよこす天球儀世界というものは如何なるものなのでしょうか? 世界の真ん中にある世界とありますが、どういったものでしょうか?
天球儀世界自体は、先程軽く記した通り天国であるという主張をしましたが、それを含めて改めて掘り下げます。
小々路ルートでは星座早見表が出てきていました。これは、地球から見た星座の見方を記したもので、紙を動かすことによって時間ごとの見方が変えられるものです。
しかし、「天球儀世界での星座早見表」はプレイヤーには見ることが出来ません。なので、あの星座が正しいのかどうか、それを推し測る術がぱっと見ではないように見受けられます。
では、天球儀世界での星座はどのように見えるのかわからないのでしょう? いえ、ちゃんと答えはあります。
答えは意外と身近、そう「Constellation episode」、そこに於ける星座の見え方です。
正直、星座のエピソードを見るということだけでは、存在価値が薄いものではあると思うのです。しかしながら、「Constellation episode」の存在という一点に絞れば、それは多大な意味を持ちます。
「Constellation episode」では、一番マクロに見た場合、横移動しか出来ないような状況になります。そして、オルゴールのように同じところをただ巡るだけになります。
地球と言う星は、宇宙の中心でないが故に、夜空の星が遠くなっていくところを観察が「出来ます」。しかし、天球儀世界の夜空は、同じところから変わることがなく、常に同じ夜空を見ることしか出来ません。
これの指し示すところ、つまり天球儀世界の地球、天球儀のある星は正に世界の真ん中、天動していることであるということです。
ところで、タイトル画面の下部には、英文が二つ程ついています。これを読み解いてみましょう。まずは副題として設定されている方を。
Celestial globe of your heart(あなたの心の天球儀)
一応本作の副題にもなっているこちらですが、割と読んで字の如くですね。
天球儀は、天球儀世界の核であり、連理と中にとっての母であり、また感情を数多の世界から呼び寄せるハブです。ただ、天球儀自体が自我を持っているわけでは、本編を見る限りだとありません。
ですので、ここでは天球儀=連理と考えるのが妥当でしょう。連理は天球儀の目としてヒロインを見ていたわけですが、それがどういったものだったのかは先述の通り。
そしてその下にもう一つ、潰れて読みづらいですが、少し長めの英文がそこにはあります。
What saves a man is to take a step. Then another step. It is always the same step, but you have to take it.(救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ。)――サン=テグジュペリ
これはもう完全に連理の行動原理と呼んでも差し支えないでしょう。透視天球儀の内側から、透明な外側を覗くかのように、連理は各ヒロインの望みを叶えようとしました。踏み出すきっかけを、常に連理はヒロインらに与えていました。
これは、ヒロインら、具体的に美紀と愛良に対して連理が呼びかけている図です。「自身は間違っていない、間違っているのは世界の報だ」と。遥と小々路に対しても、「必要なのはあと一歩の勇気であり、その一歩によって救われる」という旨のことを言っています。
これは、併せて要するに天動「説」的な話です。地球はずっと回っている。それが故にこの世界は地動説である。
ガリレオ・ガリレイは自身の地動説の主張を押し通して迫害されました。では、実際は地動説なのに、世の中が全て天動説だと主張するのならば、何を変えればいいのか?
近江連理は、世界そのものを天動説に合うような世界として「作りました」。正確には天球儀が作り、連理はその一部として使命を授かりました。連理に関してはあとは先述の通りです。
そしてその結果が小々路ルートラストです。子供をも授かった小々路は連理を天球儀世界へと誘います。それは正に、布教を続け、天の国が近づくことに生涯腐心し続けた宣教師が、死して初めて自身も神の国へと導かれるかのように。
作中、誰も彼もが天球儀世界から旅立って生きましたが、小々路ルートラストを見る限り、最終的には各キャラが天球儀世界へと舞い戻る様子が示唆されています。
「天球儀は俺たちがそれを望んだ時に、初めて向かうべき星へと導く」とは連理の談ですが、連理だけでなく、各キャラ全てが、戻ってくるべき世界はこの天球儀世界であると、そのように描かれています。彷徨える望みの到達点としてだけでなく、成就した望みの到達点もまた、天球儀世界であると。
ちなみに、想いを伝えて消えた中は、別の世界に向かったのではなく、天球儀に再び取り込まれた、という解釈で間違いないでしょう。中は中として望みを果たしたわけです。小々路ルートラストのそれは、恐らく皆と一緒に居たいという想いの結実でしょうか。
天球儀世界は「透視天球儀の真ん中にある神の国=天国」であり、各ヒロインらの元の世界は透視天球儀の内側にあるどこか、ということでしょう。内側、としたのは、そうでないと愛良ルートの歌が響かせられないから、と言うことに依るものです。
ということで、天球儀=世界の真ん中=聖母マリアであり、天球儀世界=天国というのが、舞台の主張であり、且つ先述の他の結論と併せて、一応のまとめです。
という辺りを主張として置いたところで。
――まぁ本音を言うと、だいぶもったいない作品だとは思うんですよ。とにかく各所記述が足りなくて理解しづらいことに集約されます。鍵屋の存在は正直アウトブレイク過ぎて私でも読み込めてないですし。
それだけにどうして! どうしてtrueルートがない! 少なくとも、trueルートは別途設定すべきでした。そこで連理の想いの昇華を、出来れば小々路ルートと別枠で、小々路ルートの終わり方みたいな〆をすべきでした。
まぁその際は恐らく子供が出来てない小々路ルートラスト(中はいない)でしょうね。尚戻れば戻った上でハーレム。多分小々路が「お兄ちゃんとの子供が欲しい!」とある時急に叫んでそれをきっかけに連理争奪戦が始まるコース。見たいけど自分には多分書けない。
どうしてこういうスタイルになっているかって、一番の理由は「どのルートもtrueルート然とさせても問題ないように」ということだとは思いますが、そういう意味では愛良ルートが記述不足により一番影響受けてますね。あれは確かに智香に寝取られたと思う人も出ます。
まぁ、そういう意味では小々路ルート終わりのような、転生後の世界にみんな行って、そこで幸せに暮らしました、という形にするしかないのですが、それをしようとすると連理より先にまずはヒロイン四人は見送らなければいけなくて。でもそれをすべきでしたよね。そこまですることによって、元の世界で天命を全うしたヒロインら(美紀と愛良)が、天球儀世界で統合されて、初めて全に一なる存在へと戻ることが出来たので。
何故そういうことになるかというと、とどのつまりこの話の主軸は、誰であろう近江連理に他ならないからです。
遥ルートで他者との距離を知り、それを踏まえて美紀ルートで自己と対話し、小々路ルートで自己を知り、愛良ルートで讃美歌を響かせる。
生きるということ。自分を赦すこと。相手を赦すこと。それらは全て、近江連理が生まれて初めて知るものでした。本作は近江連理がヒロインの望みを叶えると同時、自分を探す物語でもありました。そしてヒロインらの望みを叶えることが、中が語ったようにいつしか連理の望みとなっていました。
それが故に、本作はヒロインの話というより、結局は「透過天球儀の真ん中で近江連理が御使いとして生きた証」という物語に帰結すると、そう思うのです。