世界は優しく残酷で、心は儚げで美しい。その世界は文章に宿り、心は音楽に宿っている。すべては愛に溢れている。 本作は音楽の素晴らしさが有名ですが、真に素晴らしいのは表現豊かな美しい文章。 二つ調和はまるで愛の歌かのようです。 心が震えて何度も涙しました。 どうか全ての優しい人に愛が溢れますように。
★はじめに
プレイのきっかけは美しいピアノの旋律と、さくらむすびという言葉の響き。
2005年にCUFFSの処女作として発売され、ビジュアルノベル界隈では神BGM作品として有名ですよね。
いつ、どういった経緯だったかは記憶していませんが、ある時に聴いたメイン曲「さくら」のピアノの旋律があまりに優しく儚げで、強烈に惹きつけられたことを覚えています。
そこから作品に興味を持ち、いつかプレイをと思ってから何年経ったのでしょうか。
本作はDL版配信されていない為に、なかなか見つからないパッケージ版を探すという高いハードルを超える必要があって、プレイ難易度を上げてしまったんですよね。
それから再びさくらむすびに出会ったのは、Xの相互フォロワーさんのプレイ感想ポストと紹介ブログから。(ひたすら感謝してます)
そこには溢れんばかりの情熱的な愛が綴られていました。
好きな作品に出会えた喜びっていうのは、自分自身の実体験からも共感できますし、それを誰かに伝えたいって思いもまた同じ。
その溢れる愛に背中を押され、改めてパッケージ版を探してみるとネット通販で運良く新品を見つけ即購入。
これはプレイしろというエロゲ神の天啓なのでしょう。
そのまま甘やかで優しい世界と、愛しい切なさを存分に満喫して、作品を終えた今この感想を綴るに至っています。
感情のままに綴らせていただきましたので、どうにも伝わりにくい事があるかもしれませんが、ご容赦いただき、どうかお付き合いください。
★すべては愛に溢れている
世界は優しく残酷で、心は儚げで美しい。
その世界は文章に宿り、心は音楽に宿っている。
冒頭にも記したこの言葉は、自分が感じたさくらむすびの全てであったと思っています。
世界は文章に宿るとは、鮮やかな薄紅色で咲き誇る桜が舞い散る花弁の如く。
桜の下には死体が埋まっていると喩えられた桜の国と桜結びの如く。
そして主人公の一人称で綴られた独白。
彼の語る言葉こそが、さくらむすびの優しくも残酷な世界そのもので、幻想的かつ美しい言葉を尽くして魅せてくれました。
心は音楽に宿るとは、誰よりも妹を愛し、家族を愛し、友人を愛した主人公自身の心象風景の如く。
優しい人たちの想いの尊さの如く。
美しいピアノの旋律は、暖かくもどこか切なげに歌い上げるようで、愛する人を守り抜くという覚悟、歪んだ愛に傾倒していく葛藤、正体も朧げなバケモノへの無力感を音楽が代弁していたかのようです。
親和性という言葉では表せないような空気感は、本来あるはずのない作品の匂いのようなものさえ感じました。
どの結末に至るとも、すべては愛に溢れている。
それがどんなものであったとしても、愛以外には置き換えられないもの。
抽象的な物言いだと分かってはいますが、この作品を語るには感情そのままを語るのが相応しいと思えたんです。
自分に酔ったような感想になって心苦しいですが、さくらむすびを愛する方達にシンパシーだけでも伝わってくれたら嬉しく思います。
★余白の美学
さくらむすびという作品の美しさは、敢えて描かなかった余白が大きく関係していたと思っています。
これは「余白の美学」と言えるかもしれません。
ここで言う「余白の美学」とは、一般的な解釈の無駄なものや二義的なものを一切排除するという意味ではなく、人間性や心の美しさを描く事で、物語の完結よりもテーマの確立に重点を置き、敢えて想像の余地を残すという意味。
ライターであるトノイケダイスケさんの心意気と捉えて下さい。
本来は美術的な作品に用いられる言葉のようですが、結末の先にある語られなかった未来であったり、圧倒的なバケモノの正体であったり、プレイヤーに想像の先の余韻を物語に与えたことも、同様に余白の美学なのではと思うわけです。
紅葉ルートで物語の全容をある程度察する事はできますが、考察の範囲を超えることは出来ないので、絶対的な余白はある意味で永遠の存在となります。
永遠といえば「永遠はあるよ」で有名な『ONE 〜輝く季節へ〜』が思い浮かびますが、この作品にも同じような余白の美学が存在していました。
『ONE 〜輝く季節へ〜』の余白の個人的な見解は”難しい事は考えるな”と結論づけましたが、さくらむすびも同様で、かなり感覚が近かったように思えました。
余白というのは捉え方によっては未完、もしくは中途半端とも言い換えられます。
ただ、それを含めて完成だと思えてしまうような不思議な魅力って確かにあるんですよね。
共通するのは余白にマイナスな感情を抱く事なく、素直に受け入れられるという事でしょうか。
この時に伴う感情こそ神聖不可侵な美しさで、言語化が非常に難しいもの。
作品を思い返す際の精神的な拠り所にもなり得ると思います。
だから安易に美しかったで完結させてしまうわけですが、作品を愛した方たちが発する「美しい」には、それぞれの情念が込められたような、言葉以上の何かがあるんだと思います。
★物語から受けた印象について
なんと言葉にすれば良いでしょうか。
決して完璧な物語ではないのに、ただ愛しいという気持ちで心が酩酊しているかのような感覚でした。
まず物語を語る前にこの話を。
ビジュアルノベル作品とは絵と文章と音楽、そして声が大きな構成要素とされる中で、さくらむすびは珍しくボイス無しの作品です。
ボイスが無いという事は、声の演技で心の機微が伝わらないという事。
でもこれが不思議なことに、一切の違和感を感じない。
盲目のピアニストの表現力が研ぎ澄まされるように、ボイスが無い事で文章と音楽から伝わる感覚が研ぎ澄まされていたんですよね。
作品自体が歌であったと喩えるなら、メロディーはそのまま音楽で、歌詞は文章。
そこにほんのりと優しく柔らかなイラストが色を添える。
ボイスは脳内で再生されるので、想像の余地を残し、心の機微の受け取り方は人それぞれ。
この余白が作品の世界観を決定づけていたように感じました。
物語に話を戻すと、複雑な事情を抱えた少年が、愛する人を守り切ると決意を固める物語であったと感じています。
その愛する人はもちろん3人のヒロインたち。
歪な愛に戸惑いながらも、唯一の少女であると心から欲した、妹の桜。
あまりに一緒にいることが当たり前だからこそ、好きという言葉の重さを教えてくれた、幼馴染の紅葉。
歪な愛から逃れ、朧げなバケモノに立ち向かえなくても、不確かな愛を信じて逃避した、妹の親友の可憐。
人によって解釈は違うかもしれませんが、主人公視点で見ればこのように感じました。
この作品には余白があると述べましたが、亡くなった両親の存在、迫り来るバケモノの正体、歪な愛の真実と、結末までにはっきりした答えを描いていません。
だからこそ、描かれなかった空白は想像で補完するのが正しいわけで、テーマの本質を見せるための手段であったと自分は思い至りました。
三送会に向けたさくらむすびの演目の原案。
これは過去の告発を主とした独白ですが、登場する過去の3人と、今を生きている桜、紅葉、可憐の3人はどこかリンクするんですよね。
もちろん状況も立場も違いますが、ボタンを掛け違えてしまえば、もしかしたら同じような未来があったようにも受け取れる気がします。
主人公と父であった亮一との大きな違いは、愛する人を守り切ると決意していたか否か。
紅葉ルートでのさくらむすびの演目は、まるでお互いの愛を確かめ合うように桜結びを交わし、桜の国から旅立っていく。
そこに並ぶのは美しい言葉たちと、「さくら」の美しい旋律。
どうやっても心奪われてしまいます。
この意味の重さを考えれば考えるほど、幸せってありふれたように思えても、目を凝らしてよく見ないと見誤るし、両手でしっかり受け止めないと、指の隙間からこぼれ落ちてしまう儚いものなんだなって思うんです。
この作品からは、優しくも残酷で、愛しくも切ないという靄がかかったようで、それでも鮮明な愛の形を見せてくれたことに大きな価値があったと思えてなりません。
次の項目では各個別について。
★可憐ルート
クリアしたと同時に涙が溢れてきました。
でも何が琴線に触れたのか理由が分からなかったんです。
ただ分かっていたのは、桜や紅葉が主人公を思いながらも背中を押してくれた事、大事な妹のため、一緒にバケモノに立ち向かう覚悟を決めた聡明なもう一人の兄がいたこと。
そして、それを包んでくれたたくさんの優しい人たちがいた事。
最初にクリアしたルートだったので、卒業式の日の桜の成長には涙腺が崩壊しました。
笑って、でも心の中ではきっと涙して、誰よりも大好きなおにいちゃんを送り出す。
好きなCGを一枚選ぶならこの時の桜の笑顔かもしれませんね。
このルートは穿った見方をすれば、主人公が歪な愛から逃れ、自分を慕う妹の親友に鞍替えするとも取れますよね。
でも苦しみの解放も愛の祝福だったように思えるんですよ。
姿の見えないバケモノにも立ち向かえない無力な少年が、己を思い知る過程がよく分かるんです。
絶望にのたうち回る状況を察すことが出来るんです。
バケモノの気配は全ルートの中でも直接的なために時間もない状況。
それでも愛する人を守り切る決意を固めた彼はやはり強いんですよね。
最善策ではなかったかもしれませんが、可憐の卒業を待たない2人の逃避は感情だけ切り取れば大きな意味があったと思います。
この逃避を現実の中に落とし込めば甘っちょろい選択で、現実は見えてないし何も分かってないと笑う人がいるかもしれません。
そんなことあるかと思って普通です。
でも、でも‥‥二人の覚悟の重さは計り知れないものだったってことですよね。
全部投げ出しているけど、無責任かもしれないけど、きっと二人は理解している。
誰かが悲しむことも、自分たちのエゴであるということも。
その意味、その決意、その想い。
理解してあげたいと素直に思えたんです。
だからこの二人が愛おしくてたまらない。
もしかしたらクリアした時に涙した理由は、この尊い想いへの憧れだったのかもしれませんね。
ちなみに紅葉の描写はもっとこう・・・去っていく好きな人を想い裏で泣いてて欲しかったですね。
これはワガママということで。
★桜ルート
美しい物語だった。
自分にはこの言葉以上に伝える語彙を持ち合わせていません。
歪んだ愛、いわゆる近親愛への葛藤とそれを受け入れる覚悟、その先の茨の道の予感を描いていました。
桜の幼さは罪ですね。
もっともらしい理由もありましたが、それにしても幼い。
でも、幼いからこそ愛おしさが溢れるようで。
詩的な言葉で綴られた物語の味わい深さは極上で、優しい中に圧倒的な絶望を描くという、まるで毒に侵されるような気持ちを抱えたまま読み進めていました。
二つあるエンディングは対を成し、ささやかな希望を見つける事ができた桜の成長エンドと、バケモノの気配を感じながら桜の国へ取り込まれる退廃的なエンドは受け取る気持ちがまるで違いました。
ただ共通するのは、愛に溢れていたということ。
桜の成長は素直に心に響きますし、どうかこの先に幸あれと願いたくなるもの。
きっと茨の道に続いています。
でも何があったとしても大丈夫だろうという不思議な安心感もあるんですよ。
主人公の決意は揺るがないですから。
そしてその決意を桜は信じてますから。
もう一つの桜の国に飲み込まれるエンドはやるせないですね。
全てを敵にまわし、孤立無援の二人の向かう先にあったものは一体何だったのか。
桜のお化けの仕業なのか。寂しいからと二人を迎えにきたのか。
何もかも憶測で考察の範囲を超える事はできませんが、切ないって気持ちだけは本物だったと言えます。
桜のお化け関連は多くの謎を残し完結するので、モヤモヤするのが正直な気持ちですが、重要だったのは愛する人を守り切るという決意だったはずなので深入りすること自体が蛇足かもしれません。
余白の美学に従い全てを受け入れ、心に燻る切ない気持ちと相対して導いた答えが美しい物語だったという感想になります。
自分はこれだけで十分です。
あ、でもこれだけは伝えねば。
えっちシーン良すぎましたね。なんか泣けてきたんですよ。
こんなに尊くも拙い愛の交換を見たことなかったので。
じっくり尺をかけて、言葉を尽くして、丁寧に描写された名シーンだったと思っています。
★紅葉ルート
正真正銘のグランドルートでした。
桜のお化けからの解放を予感させる、希望に溢れた帰結であったと捉えています。
色々と語りたい事はありますが、文字数が凄い事になってしまいそうなので2つのエピソードだけ。
クリスマスパーティーの夜。紅葉と交わす言葉と主人公のモノローグ。
ホワイトクリスマスのささやかな白い祝福と駆け出す二人。
このシーンには静かな感動に包まれる感覚がありました。
無敵となった二人の歩む先が幸せに続いていると信じさせてくれる。
この時の言葉が本当に本当に素敵なんですよ。
彼女の世界には、僕たちの世界には見たくない未来などありえないと、こんなにも幸せに溢れていると、二人で転びそうになりながら手を取り支え合い、息が上がるまで走る。
若者ならではの根拠のない自信、それを見つけるために走るんだって思えたんです。
さあ、行こうかーーの言葉と共に。
大好きなキミ、大好きな紅葉。
おはよう、こんにちは、こんばんは。
いらっしゃいませ、さようなら。
バイバイ、それじゃあまた明日。
昨日も、今日も、明日も、来週も。
来月も、来年、何十年間後の今日。
これからも、ずっと。
キミと二人、僕たちのこの道を。
ーー手を取り合って。
(さくらむすび 紅葉ルート本編より引用)
こんな素敵な愛の言葉があったなんて・・・。
まさに感想を書いて本編を振り返っている今でも涙目になってます。
本作の中で一番好きな言葉でした。
もう一つのエピソードは卒業式の日、桜並木を二人で歩むモノローグ。
これ凄くないですか?
もう自分はボロ泣きでしたよ。
主人公の心情を伝える文章には、胸に刻んだ桜結びは立派な大人になりたかった想いと、無邪気な子供のままでいたかった想い、何かが得られると希望を持っていた桜の国で何ができ、何が残り、何を得たのかという自問自答が語られました。
繋いだ手の先には紅葉。
全ての答えはその温もりだったのでしょう。
無敵の二人への愛の祝福。
プロポーズの雰囲気はロマンチックというよりも、自然体。
桜や可憐を思えば、少しの切なさが胸をチクリと刺しますが、二人は無敵ですから敵うはずがありません。
エンディングで流れる曲のタイトルは「別れ、そして出会い。」
このタイトルに最もふさわしいエンディングであったように思えます。
どうか全ての優しい人に愛が溢れますように。
◾️最後にまとめ
心に深く深く刻まれる愛に溢れた美しい物語でした。
こういった素敵な出会いを果たすと、やっぱり誰かに伝えたいし、自分の中に溢れる想いを知ってほしいと思ってしまいますね。
作品評価だけで言えば賛否が分かれているようなので、全ての方に刺さるとは言えないのでしょうが、刺さる方にはトコトン刺さる作品だったのでしょう。
そして自分は刺さる側だったので幸せでした。
美を語る際に、多くの言葉は煙のように濁ると『サクラノ刻』が伝えたように、これ以上語るのは蛇足となります。
ただ、体が濁っても魂が濁るわけではない。
それでもキリがいいので、この辺りで感想を締めさせていただきます。
胸に刻まれる大切な作品との出会いをくれたCUFFSの皆様、作品に関わられた全ての方に感謝を。
また、この感想にお付き合いくださったあなたにも最大限の感謝を。
ありがとうございました。
2024/06/05
ここからは追記になります。
再プレイして新たに気づきがあったので、その事について語らせていただきます。
美しい物語に潜む魔物。
なんて恐ろしく、儚いのだろう。
前回さくらむすびの感想記事を投稿した後、なかなか余韻が抜けず、再び作品を最初からプレイしてました。
改めて話の全体像を掴むために読み進めていると、ふとあることが気になったんです。
いや、気になったと言いうよりは、気付いたと言いますか。
どうしてもっと深く考えなかったのか、重く捉えなかったのかと。
さて、この話をする前に一度振り返らないといけないですね。
さくらむすびの物語を初見で読み終えて、何が一番重要だったのかと考えた時、物語の結末では無く、結末に至る過程で見出した「愛する人を守り抜く決意」であったと思い至りました。
その覚悟は尊いもので、過去の告発となった原案「桜結び」の登場人物である亮一、つまり主人公の父との覚悟の違いをその理由としていました。
これを「余白の美学」に従い、想像の余地を残したことに美を見出していたわけです。
今も概ね考えがブレることはありませんが、ふと改めて作品のパッケージ裏面を見ると、涙を流しながら兄の手に縋り付く桜がいたんです。
その横には「僕には両親がいない」から始まる主人公の独白が書いてあります。
この文章は作中にも登場していました。
どうして兄妹なのに離ればなれで暮らさないといけないのかという二人の想い。
それは世界の神様だとか、魔法だとか、見えない力の仕業なのかと。
理由も分からないままでも、ただ、兄であり続けることが精一杯で。
早く大人になって桜を守るんだと、ずっと側にいてあげるんだと。
この独白の先に物語がスタートするわけですよね。
卒業を控え、真剣に将来を見据えなければならないこの時になっても、自分はまだ子供のままで、いつかの幼い誓いを果たすことが出来ていないと、罪悪感のようなものを抱えたまま。
さくらむすびには4つのエンドがありました。
想像の先を暴くつもりはありませんが、幸せなもの、儚げなもの、退廃的なもの、そのいずれもが愛に溢れた美しい物語でした。
この全てのエンドに至る過程では、桜との関係に向き合う事になります。
歪な愛に傾倒しそうな自分に葛藤しながらも、何が幸せの最善策なのか、愛する人とは自分にとって誰なのか、そしてその人を守り切る決意に至るまでが美しい言葉で綴られています。
つまりは、桜との関係にどういった答えを出すかで物語の帰結は枝分かれしたって事です。
主人公と桜。
幼い頃から早く大人になって桜を守るんだという、ずっと側にいるんだという誓い。
ずっと大好きなお兄ちゃんと一緒にいたいと言う無垢な想い。
兄と妹。
想い合ったとしても、決して許されない。
なんで許されないの?私が妹だから?
かなり勿体ぶった言い方になってしまいましたが、何が言いたかったかというと、さくらむすびという物語は、近親愛という禁忌をどう受け止めるべきかという問いかけだったのではないかと、改めて思ったという事です。
物語の中心は桜なんですよ。
この幼くも愛しい妹はいつまでも無垢なままで、兄の愛に疑いがない。
この純粋な想いにどう向き合うかの物語だったんだなって改めて思ったんです。
その過程に愛する人を守り抜く覚悟があったのかなって。
この答えに至る理由はいくつもありますが、やはり考察の域を越えられませんので、感想に記すのは蛇足。
敢えて言うなら、主人公の独白の中にある毒と、過去の告発の「桜結び」に関わる解釈とでも言っておきましょう。
この作品のテーマは、もしかしたらかなり深く暗い場所にあったのかもしれません。
気づいてはいけないもの。
もし気づいても、目を合わせてはいけないもの。
そして、絶対に触れてはいけないもの。
社会の禁忌なんですよね。
これもバケモノの正体の断片。
近親愛というテーマは数多の創作物で取り上げられてきたポピュラーな難題。
これの答えを出す事自体が禁忌に触れるというもの。だからこそ、想像の先に答えを委ねかのかもしれませんね。
他ブランド作品ですがWaffleの『妹と彼女』という作品は、この近親愛という難題に真正面からぶつかったセンシティブな傑作でした。
近親愛をあそこまで負の方向で描き切った作品は他に無いと思えるほど衝撃的でした。
この二つの作品に共通するのは、圧倒的に言葉が美しかったという事。
『さくらむすび』のトノイケダイスケさんは幻想的に、『妹と彼女』の間崎俊介さんは叙情的に言葉を尽くして魅せてくれていました。
美しい言葉は時に残酷なんですよ。
話しが若干脱線したので戻します。
はっきり申し上げると、近親愛という禁忌に対しての答えを自分は持ち合わせていません。
ただ、どうか愛し合う人達が幸せであってほしい。
願うのはそれだけです。
これまでの話しを考えて当てはめてみれば、紅葉ルートのグランドエンドは救済にもとれます。
愛の祝福の先にある桜並木、舞い散る薄紅色の花弁。
手を取り合って歩く光の道。
愛の形はより豊かに育つ、家族としての未来ある帰結です。
禁忌にも触れていない。
ほら、僕は今、こんなにも幸せだ。
でも一つの疑問も生まれるんです。
桜の本当の想いを、自分はどれだけ理解出来ていたんだろうって。
きっと想像も出来ない悲しみがあったのかもしれないと。
でも、大好きなおにいちゃんを、大好きな人達を想うからこそ、笑っていようと。
漠然と分かってたつもりだったのかなって。
この桜の悲しみと幸せは、深い深い世界を見てきた結果なんじゃないかって。
パッケージイラスト表側のビジュアル。
2年後の卒業式の日、桜の木の下で大好きなおにいちゃんの手をそっと頬に添えて優しく微笑む桜。
パッケージ裏面のビジュアルとは同じ構図ながらも、対照的な色使いと柔らかさ。
この優しい笑顔がどれだけ尊いものだったのか。
胸に手を当てて思い返すべきなのかもしれません。
はたしてパッケージの桜の笑顔は、どのエンディングの先にある未来だったのでしょうか。
そんなことを思いながら作品を振り返っていたと言う話でした。
それにしても、おまけで入ってた布BOX?みたいなやつのSDイラストが可愛すぎますね。
グッズ出ないかなーとか今更思っても遅いですよね。
さて、今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。