ErogameScape -エロゲー批評空間-

Peetaroさんのたねつみの歌の長文感想

ユーザー
Peetaro
ゲーム
たねつみの歌
ブランド
ANIPLEX.EXE
得点
90
参照数
193

一言コメント

家族の繋がりを描いた傑作。 感動がレベチだった。 涙は止まらないわ、鼻水は出るわの感情ジェットコースター。 泣けて泣けて仕方がなかった。 本作に贈る言葉として「生まれてきてくれて、ありがとう」と言いたい。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

★たねつみの歌をプレイした印象
先に結論を言ってしまえば、最初から最後までずっと面白くて、ドキドキして、ハラハラして、泣けて泣けて、夢中になって物語に没入してしまうほど素晴らしい物語でした。
シナリオが良すぎます。
冒険に出かける前に描かれたみすずと陽子の邂逅からツムギが合流するまでの高揚感、家族の繋がりの中に見た少しの切なさで既に心は掴まれて震えたほどです。
家族という普遍性ある題材に対し決して当たり前のものではない愛情を、従来のビジュアルノベルらしさと、アニプレックスが畑とするアニメ的な革新性をもって示した非常に価値のある作品であったと思います。

本作をプレイして驚いたのは企画・シナリオを手掛けたKazuki氏の類まれなる発想力と物語の独創性、そしてテーマに対する真摯な姿勢と得られた説得力の高さでした。
人間の想像力の可能性を見た気がします。
心から素晴らしいものであったと感動しました。

みすずを中心とした3世代の母娘という家族が16歳の少女として集まり冒険に出かけるという、今までありそうでなかった発想はとても新鮮で掴みは完璧。
生きている時代で世代間の価値観が異なりや、母や娘としての定義や繊細な心の機微が素晴らしく丁寧に描かれています。
これらは物語の緻密な設定と、等身大な少女たちの自然な会話劇としてリアルさをもって示され、「家族の変遷」を強く感じるものでした。

常世の国の旅路では春夏秋冬の国でそれぞれの家族が描かれましたが、傑出して独創的な世界観と、登場人物の心の機微に関わるひとつひとつのエピソードが本当に見事で、どんどん物語にのめり込んでいく感覚がありました。
そしてたねつみの巫女として不死の神々にたねつみの儀式を行い、「世代交代」という死をもたらす物語としてのテーマ性にまた驚かされました。
家族という題材と圧倒的なファンタジーの世界に血が通っているというか、地に足が付いているというか、ライターKazuki氏の頭の中にある世界と思想が正確に具現化されていたのだろうと感じます。

自分は本作にて初めて同氏の作品をプレイしましたが、家族の変遷の物語の中に描かれた限りある生と役割、いずれ訪れる「死」という終焉までに確固たる死生観が垣間見えた気がします。
だからこそ、物語に真摯な姿勢を見ることが出来たのだと思います。
これはライターであるKazuki氏への興味を誘うものでもあり、この名前だけは絶対に忘れてはいけないと強く感じるほどでした。

特に秋の国以降の展開に関しては、家族に対する憧れや歪さを感じている自分にはことごとく琴線に触れるもので、エンディングまでずっと泣いていたんじゃないかってくらい涙が止まりませんでした。
具体的に触れはしませんが、自分の内面にある家族というシステムに対する疑問に一つの答えを示してくれたような気がします。
それゆえに心に響くものも極大でした。





★たねつみの歌に見た繰り返される愛情
本作の根幹にあるのは「家族」という繋がりと「死」による世代交代だと思いますが、家族の役割をみすずたちの母娘の立場からだけでなく、各国の家族をエピソードとして描きながら、現実世界の暗喩として我々プレイヤーにもどこか繋がりを感じるリアルさがあったと思います。
物語の中で見てきたものに妙な生々しさがあるんです。
それは盲目的に家族という繋がりを賛美するわけではなく、家族というシステムに横たわる歪さまでも描いていたからでしょう。

物語ではのっぺらのタネヒトであった神々が己に家族の役割を定義づけたことで国となったとありました。
春の国の王や秋の国の旦那ように、与えられた役割で次代への献身という愛情を示す役目を果たした家族もあれば、夏の国の婆のように次代への献身を拒絶しハリボテの因習に縋る家族もあり、愛情だけでなく”化け物”ともいえる家族の呪いのような歪みや醜さまでも語られています。

それでも善性のみで物語を見るならば、ミクロでは家族という普遍性の題材に次代への献身を語ることで、マクロでは先人達の想い由来の文化の継承のようにも感じたんですよね。
そして人間にも先人たちに脈々と続いた愛したい、愛されたという感情があるんですよ。

人類史のなかで当たり前に繰り返されてきた世代交代は、必ずしも善性のみで語れるものでは無いと歴史は示しています。
それでも家族の変遷には、確かな愛情による献身として受け継がれていたとも受け取れました。

ヒルコがみすずに語ったように、母としての役割に自覚がなければ母と定義されることに加虐性が伴うものだったとしても、愛したい、愛されたいという感情は理屈とは異なる人としての本能であり、己の「生きた証」でもあるのです。
だから物語をラストまで見届けると、母娘という陽子とみすずの関係性も、みすずとツムギの関係性にも、「家族の変遷」と「世代交代」のような「生きた証」が繋がることで、どうしようもなく心動かされる感動があったのだと思います。
ただの、繰り返される愛情があるんです。
そして、その愛情も”化け物”であるというのです。

もっといえば、みすずの祖父母であったり父親は、陽子にとっての父母であり伴侶でもあるわけで、そういった愛情の繋がりというものが家族の中には確かにあるんだと感じることが出来るのです。

冬の国でみすずはまだ見ぬ未来の娘のツムギを救う為、母という役割を受け入れたことで化け物となりました。
これを家族というシステムの側面で見ればどこか冷たく感じますが、娘を想う母としての感情という側面で見れば愛情以外の言葉などあるはずがありません。
母が娘を想う愛情の化け物となったのです。
そういうものだって家族にはあるのだと思います。
家族とは呪いのような化け物を生むこともあれど、繰り返される愛情こそ未来への希望なのです。
だから我々は今という時代まで生きているのでしょう。

家族というコミュニティが希薄になるつつある現代の中にも、かつて成された家族の献身があってこそ今があるという証明のように感じます。
これこそが先人たちの生きた証であり、そこには家族単位での限りある生と役割、「死」が生んできた物語があったように思うのです。

そういった長く繰り返されてきた愛情、家族の変遷のほんの一コマが、陽子とみすずとツムギの三人の母娘の物語であったのだと思います。
常世の国の旅路を通して、陽子が駆け抜ける未来に「みすずとツムギに会いたい」「お父さんとお母さんに2人のことを教えてあげたい」と、これから出会う家族への愛情を生きる希望として、ヒルコが創る嘘の物語は真実になったのです。

『たねつみの歌』が描いた彼女たちの冒険の答えは「生まれてきてくれて、ありがとう」の言葉に込められた愛情だったのだと自分は受け取りました。
猫氏が向き合った哲学の問いの先にある答えも、同じであったような気がします。
この答えに至るまでを”ビジュアルノベルを楽しむ”という、上質なエンターテイメントとして完結させたことが驚愕でありました。

つらつらと語りましたが、本作は「家族の変遷」と「世代交代」というテーマ、Kazuki氏の死生観を軸とし、『たねつみの歌』という物語の圧倒的な納得感をもって、家族という定義の疑問に対峙する傑作であったと評価します。