遙彼方という、死に直面したがうえの優しさと意地からみえてくる人としての『在り方』を考察していく作品
結構発売されたから時間の経っているゲーム&レビュー数が多いため
ゲームレビューについては他の皆様のそれぞれに素晴らしいレビューを読んでみると面白いでしょう。
このゲームで語られるのは
遙彼方という一人の少年の優しさと、そして意地。
このゲームの主人公はクリスでも佳苗でもない、遙彼方本人なのだ。
さて、作品中で気になったこの1文が『こなたよりかなたまで』を
物語っていると感じたため、それを中心にレビューしてみる。
『在りたいように在るということはとても難しい』
この1文に最初は共感できていたのだが、よくよく考えると本当は共感できないのではないだろうか?
他人に対して優しすぎるからこそ、そして意地があるからこそ難しい。
他人を気にしないなら自分の好き勝手に生きられる。妥協ができるなら割り切ってこんなものか、
と自分を納得させられる。
しかし、人間誰しも聖人ではあるまい。自分中心の面を持っていたり、それこそ妥協など数え切れないほどしている。
『在りたい』というレベルを下げることによって『在る』ことを実現させている。
実はこの事自体は大して難しいことでも無いのではないか? なぜ彼方はこのように思ったのか?
答えはクリスの『ままならない』の言葉に含まれている。
彼方もクリスも『異常』なのだ。他人より短すぎる時間しか持たない彼方、他人より長すぎる時間を持ってしまったクリス。
彼らの『在りたい』というところには本当は絶対に手に届かないものが入っているのではなかろうか?
だからこそとても難しい、不可能なんては言ってはいけないけれど。
他よりも優しく、そして意地になってしまった彼方。
もう少しシンプルになればもっと上手くやれたかもしれない。
そしてそのシンプルになれないところが彼方の人間らしさであったかもしれない。
『在りたいように在るということはとても難しい』
今の自分では共感は出来ないけれど理解はできる。自分が同じ状況になったとき、シンプルにやれるかといえば
やれるかどうか分からないしおそらくは彼方と同じことも出来ないだろう。
彼方に対しては尊敬も共感も、そして否定もできない。
それでも彼方の生き方には心に残るものがあった。
それは美しくもあり、そして醜くもある人としてのそのものだったからではなかろうか。