OYOYOは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の糞ゲーを除かなければならぬと決意した。OYOYOには政治がわからぬ。OYOYOは、三十路のエロゲーマーである。ズボンを下ろし、触手と遊んで暮して来た。けれども糞ゲーに対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明OYOYOは家を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此の秋葉原の街にやって来た。OYOYOには甲斐性も、節操も無い。ついでに恥も外聞も無い。もちろん女房も無い。400とんで16になる、内気な妹(二次元)と2人暮しだ。初回特典付きの新作やら気になっていた旧作やらを買いに、はるばる街にやって来たのだ。
Yatagarasu系列の新ブランド、48Teの処女作。曰く「物語の煩わしさを一切排除した回想型ADV」。しかし出来上がったのは、煩わしさと一緒にエロゲーに重要な要素も排除した、大変残念な作品であった。というより、これは既存のADVに対する侮辱に近いとすら言える。
「始める」ボタンを押すと、ヒロインの1人、密の立ち絵の横に、4コマx2列のボックスが表示される。いわゆる普通のエロゲーの「回想モード」を想像していただけば良い。その中の幾つかのシーンは暗転している。進行はいたって単純。要は、回想シーンをクリックしてHを見るだけ。
なるほど、これは斬新だ。
各回想はストーリー仕立てになって繋がっており、一定量を進めると幾つかのシーンが解放される。あるヒロインのシーンのために別のヒロインを進める必要もあった。なお回想配分は、ヒロイン1人につき1頁、各8シーンが割り振られ、合計3頁24シーン。だが、要するに一般的なADVの回想モードだけ抜き出して商品化したようなものと考えて差し支えない。もちろんこれは購入前からある程度予想していたので、システム自体を云々するつもりはない。だが、そのシステムを運用している精神性は非難の対象となり得るだろう。
これが本当に真剣に無駄を省いてユーザーの利便性を追求したものであったなら、私もとやかく言うつもりはない。だが、できあがったものを見るに、とてもそうであったとは思えないのだ。
たとえばインターフェース。上述の通り「回想シーン」は3頁あるのだが、たとえば2頁目のキャラ(薙結)の回想を1つ見ると、1頁目に戻されている。しかも、1頁目から3頁目にはとべないので、3頁目のキャラ(纐纈)の回想を進める時は、1シーンみるたびに、1→2→3と頁をめくりなおさなくてはならない。これは、極めて面倒かつテンポが落ちるのでイライラする。
また、メッセージウィンドウの透過率が調整できない、未読スキップが存在しないなど、システム面でも不親切。のみならず、キャラクターヴォイスの音量設定は再起動ごとに設定しなおさなくてはならない(リセットされる)。これはPC本体やスピーカーの音量調節で何とかならなくもないが、それにしても雑だ。
せめてHシーンの出来が良ければまだマシだったかもしれない。しかし、そちらも駄目。まず丈が短いし、CGは多くても2枚(差分抜き)。ボリューム的に不満がたまるし、表情もワンパターンで飽きてくる。
なお本作のウリの一つは触手(「触手によるHシーンを何度も体感せよ!」がキャッチコピー)だが、描写がおざなり。例を挙げればきりがないが、触手に絡め取られたヒロインたちという設定の筈なのに、触手がヒロインに巻き付くどころか乗っかっているだけ。密は触手に宙づりにされているのに、彼女の体重を支えている触手は太腿に一切食い込んでいない。搾乳シーンでも、触手が乳首や乳房を絞ることなく、勝手に母乳が出ていて何じゃそりゃ状態、等々。汁関連でいえば、触手から汁が発射される演出もほとんど無し。
公式のサンプルシーンではわからなかったが、製品版ではとにかくアラが目立った。これでお茶を濁そうとは、触手好きも軽く見られたものである。触手ファンをターゲットにしていることは明確なのだから、それならもうちょっと気合いを入れて欲しかった。
テキストの粗も目立つ。一人称語りなのにやたら俯瞰的(三人称的)な語り。かなりの頻度で飛び出す変な日本語(「武芸者として、物の怪を相手にしてきた身として勘が告げている」など)。そして、「殺すなら殺せと先ほどから言っているだろう!」の前のセリフが「化け物めっ! 貴様などに、負けてなるものか……!」(殺せとは全然言ってない)のように、ユーザーの想像力に頼りまくったちぐはぐな描写。
こうなるともう、坊主憎けりゃ何とやらで、マニュアルにも一言もの申したくなる。というのもマニュアルは、なんとびっくり、パッケージイラストの裏紙。つまり、DVDケースからスルスルとパケ絵を取り出すと、裏に文字が印刷されている……。確かにディスクを取り出すとき隙間からちらりと文字が見えるとはいえ、気づかない人もいるだろう。一言のことわりもないのは不親切に思われる。それともこれは、断りが不要なほど一般化されたエコスタイルか何かなのだろうか。
上記の直接的な欠点以上に気になるのは、「物語の煩わしさを一切排除した」という宣伝文句。これがストーリー性皆無という意味でないのは、回想がストーリー仕立てになっていることや、公式に物語が設定されていることからも明らかだ。ということは、アピールポイントは「煩わしさ」を排除したという点のはずである。ブランドの言い分を鵜呑みにするなら、本作には「煩わしさ」を排除した、物語のエッセンスが詰まっているはずだ。
では、「煩わしさ」とは何か。結果から想像するに、テキストを読む時間や内容を考える手間、あとはクリックの労力や目の疲労、といったところだろうか。そしてどうやらその中に、立ち絵や背景も含まれるらしい。全てがHシーンのみで構成された本作では、Hシーンに入る前の前フリは全て真っ暗な画面の中で行われ、立ち絵や背景画像が基本的に存在しないのだ(回想シーンのキャラ絵は除く)。
だがエロゲーにおいて、テキストや立ち絵の力というのは、そんなに簡単に「排除」されて良いものだろうか。私が知る限り、立ち絵の表情や服装といった要素を巧みに使い、ユーザーに魅力をアピールしてきた作品はたくさんある。特に凌辱系のエロものは立ち絵の段階で服が破れたりすることが多く、半脱ぎの立ち絵にこそエロが宿る、という人だっている程。だから、私は訊ねずにはいられないのだ。このブランドが「排除」した要素は、本当に物語の「煩わしい」要素だけだったのだろうか? と。
私の考えすぎかもしれない。しかし、実際の意図はともかく、「煩わしさを排除」すると言って出来上がった作品に、キャラの描写や立ち絵・背景が含まれていないのだ。本作が、そういった要素に否定的である、と見なされても仕方あるまい。冒頭、「既存のADVに対する侮辱」と述べたのは、このような意味である。
きつい言い方をするが、本作は立ち絵やストーリーの内容を削るにあたって、それらの要素が担ってきた役割を真剣に考えたのだろうか。私には、大した考えも信念もなく、既存のADVからこれまで重要な役割を担っていた幾つかの要素を削ったようにしか見えなかった。それは、世間一般には単に手抜きと呼ばれる行為である。そうやって出来上がったものに「回想型ADV」などとご大層な名前をつけられても、俄には納得しがたい。
勿論、「排除」によって得られたメリットもある。端的なのは、Hシーンがすぐに見られることだろう。だがそれ以上のものがあったのかどうか。加えて、既に述べたような「質の低い」できあがりを見ると、そのような「お手軽さ」を真摯に追求しているとも言えまい。
一案ではあるが、ストーリーチャート風に回想シーンを並べたらどうだっただろう。時系列的に絡み合った各ヒロインのシーンの繋がりが明確化され、明らかにスッキリする。こんな誰でも思いつきそうな工夫すら盛り込まず漫然と「回想シーン」を並べているだけの本作が、本気でユーザーのことを考えているとは私には見えないし、したがって新しい作品の形に本気で取り組んだ結果生まれたものにも思われないのだ。
要素を削ったぶん、そこにかけていた手間を他の要素に注ぎ込んで高いクオリティのものができあがっていたなら、私も最大限その部分を拾いたいと思う。今回だって、できるだけ細かく可能性を検討したつもりだ。だが私には、どうしても納得できるほどの内容を見出すことはできなかった。要素も手間も削って、値段だけは3000円。これはユーザーを舐めている。
友人は「声のでるCG集だ」と揶揄していたが、私は同人等のCG集にそれほど通暁していないとはいえ、作り手がユーザーへの配慮や工夫をさまざまに盛り込んでいることを知っている。手間のかかる要素を削り、回想シーンを集めただけで工夫や配慮と言っている本作と比べるのは、真摯にCG集に取り組んでいる人に対して失礼であろう。
本作と似たような系統の作品としてぱっと思いつく作品はいくつかあるが、管見で特に近いのは、1990年代にバーサーカーから発売された『しちゅえ~しょん』シリーズである。ただしあちらは、要素を「排除」せず「特化」させた印象だったし、オムニバス形式にしてターゲットとする客層への配慮も欠かしていなかった。製作環境の問題もあり、出来映えは昨今の作品と比べるべくもないかもしれないが、手を抜いた挙げ句それをさも能動的な工夫であるかのように吹聴する姿勢はとっていなかったと思う。
ここまで言っておいて何だが、この感想はスタッフへの直接的な批判というわけではないことは、最後に断っておきたい。
薙結役の葵時緒さんをはじめ声優さんたちは皆、熱の籠もった演技を披露してくれたし、原画の熊虎たつみ氏のキャラデザインは非常に魅力的。酷評したテキストについても、事実上ほとんど地の文に割くスペースが無い中、全体の世界観や事件の推移を(一応マルチエンドっぽく含みを持たせたりもして)きちんと詰め込んでいるのだから、正直かなり頑張っておられるのは確かだ。
結果的に追及はブランドへ向かわざるを得ないが、ブランドとしても今回のような作品になったのは何か本意ならざる(たとえば経済的な)事情があったのかもしれないし、そもそもキャッチコピー自体、それほど大仰な意味を持たせるつもりは無かったのだろう。単に、「シーン回想繋いだだけの手抜きです」とは言いづらいから誇大広告にしただけ、というほうが実状に即しているのではないかと思う。
だが、できあがったものはこれまで述べてきた通りのものだ。「エロゲーなんて回想シーンだけ発売してりゃ十分でしょ」という挑発的なメッセージでないなら、この作品にしかないものがまるで見あたらず、作品としては失敗している。どうしても本作を購入しなくてはならない理由があるとすれば、アンケート葉書に自分の意見を書いて送るくらいだろう(葉書をつけてあることは冗談ではなく高く評価したい)。
もちろんブランドがユーザーの言うことを逐一聞く必要は無い。だがそれとは別に、率直な感想がブランドに届くのは決して悪いことではないと信じる。私とは全く異なる評価をする人もいるだろうし、その点では、ブランドの今後に期待する人は買いに行っても良いかもしれない。
一応未完成品というわけでもなく、使えるシーンが無くもないということでこの点数にしたが、ファン要素を感じる人以外にはお薦めできない作品であった。