作品タイトルからすると「辻堂さん」にとっての「純愛」を味わう方向で行くのが順当なのかもしれないが、あえてユーザーとの距離が取りづらそうな主人公・大くんを軸に感想を述べてみた。辻堂さんの純愛が何かは、そこから逆照射することもできるかなということでひとつ。
真夜中のワンルームマンション。ひとり寂しくカップメンを啜っていると、突然チャイムが鳴る。気味が悪いと思いつつドアスコープを覗いたその先には、まっ白な服を着た絶世の美女。思わず返事をすると彼女は、「道に迷ったので今晩泊めて頂けませんか」とドア越しにお願いしてきた……。さて、あなたならこの女性を部屋に招き入れるだろうか?
私ならば、断じてNO。硬くドアを閉ざしてお断りである。せいぜい、交番の場所を口頭で説明するのが関の山。むろん相手が美女だからこの程度で済むのであって、スコープの向こうに見えたのが笠を被ってはい回る地蔵だったり、ばかでかい桃だったりしたら問答無用で逃げ出している。なぜならそれは、自分の常識が通用しない、とてつもなく恐ろしい世界をかいま見せるものだから。
だが、辻堂さんたちの戦いを見て「その世界の一端をカッコイイと思っちゃった」本作の主人公・長谷大くんはどうだろう。彼ならばおそらく、美女だろうが地蔵だろうが、とりあえず話しかけてみるに違いない。
本作の主人公のはっきりした特徴というのは、普通の人からすれば異様に見えるものをすんなり受け容れられるというところにある。
大は善良な市民から好かれる「良い子」。けれど、決して一般人代表でも、単なる善人でもない。ヴァンと「対等でいられるのはヒロシだけ」と級友が独白するように、大もまた、ある種異様なキャラクターなのだ。そのことは、作中折に触れ描かれている。ただしわかりにくいのは、大の異様さというのが異様なものとの境界を軽々と飛び越えられるというところにあるからだろう。だがこういった「越境」の特性は、それこそ昔話の登場人物の類型として私たちにはなじみ深いものでもある。
「鶴の恩返し」で主人公の男は、女を家に招き入れた。そして「絶対覗くな」という忠告を無視して機織りの場面を覗き見て、女に立ち去られてしまう。一般にこれは、「人親切にすれば良いことがあり、約束を破ればしっぺ返しを食らう」といった教訓譚として扱われている。はじめは正直者だったのに、欲をかいた男が悪かったというわけだ。
だがこういった物語が道徳話として扱われたのはあくまでも近代以降のこと。それ以前に「御伽噺」が普及したのは、ただ説教をするためだけではなかった。現代の私たちがファンタジーの世界に憧れるように、昔話の世界にもそれ自体としての魅力が備わっていたはずである。
そう思って別の角度から見てやると、鶴に恩返された男の性格は全く変化していないとも言える。真夜中の怪しい訪問客を家にいれるのも、「見るな」という警告を無視するのも、この男のエロさのあらわれだ。エロさというのはつまり、異様なものへの警戒心が薄く、好奇心が高いということ。それこそが作品で描かれているこの男の本性だ、と捉えることは許されよう。普通の人なら躊躇するような境界を前にしたとき、思い切って踏み越えてしまう異常さ。昔話の主人公たちが持つそういった特性が、「不良」の世界へ踏み入ってしまう大と、私には重なって見えた。
ところで、昔話の主人公というのは多くが、踏み越えた異常の側に受け容れられ冨や幸福を得る。つまり彼らは異常の側に好かれている。同様に大もまた愛され体質。湘南三大天をはじめ一部の相手から気に入られる不思議な魅力を持っている。
昔話の主人公ならそれは、彼らが「神に愛せられる」存在(柳田國男)であることの証左かもしれない。では、大の場合は? 作中何度か、大は「不良に好かれる」男と言われている。しかし、この発言には疑問も残る。確かに大に好意を寄せる不良は少なくないのだが、不良であることが大を好きになる必要条件かというと、全くそうではないからだ。たとえば顔の出てこないモブ不良が大を好きになることは無い。サブキャラでも、「気に入った」止まりが殆どだ。逆に、不良を毛嫌いしているヴァンは、大を親友と認めて大切にしている。不良なら誰もが大を好きになるわけでも、大は不良にしか好かれないわけでもない。
私の見る限り大を好きになる人間の共通項は、一流の力を持ち、しかもトップに立つような人間だということである。ヴァンは表の、三大天は裏のトップだし、冴子や良子も現役を引退したとはいえ同様。大が梓に妙に好かれることも説明できよう。そして彼らが大に惹かれる原因は、おそらく「驚き」にある。
つきあいはじめる前、愛は商店街をまわりながら大の顔の広さに何度も驚き、方々に挨拶してまわる大に好感を抱く。恋奈は大が自分の素性を知っても全く動じないことに対し「もっと平伏しなさいよこの権威的なものに!」と腹を立てる。マキもまた、殺気を放っても逃げない大を変なヤツだと呆れ、興味を持つようになる。大にとって彼女たちの世界が異質なものであるように、彼女たちにとっても大は、自分の予想や既知の世界からかけ離れた、異質な存在として機能している。ひとことでまとめれば「驚き」ということだ。
つまるところはカルチャーショック。けれど、トップに立つ彼女らにとってそれは、世界全体を変えてしまうような新鮮な出来事であったはずだ。なぜなら頂点の風景というのは、基本的に変化しないものだから。山の途中を登っている人間なら、見える景色が変わることはあるだろう。だが一度その山の頂に立ってしまえば、自力での変化は望めない。「熱くなれねーんだよな……暴れても」という愛の台詞が、彼女たちの退屈を雄弁に語っている。そしておそらく、そのような立場は酷く孤独だ。三大天の彼女たちは、向き合って戦うライバルはいても、同じ目線で共に並んで歩んでくれる相棒はいない。一匹狼のマキはもちろん、軍団を抱える愛や恋奈にしても、彼女たちを理解してくれる相手はいない。だからこそ「越境」の力によって彼女たちと同じ目線で歩む存在となることを期待させる長谷大という主人公は、特別な存在として映るのである。
だが恋におちるにつれ、大はその「越境」性を失って行く。これはやむを得ない。誰かと結ばれるということは、基本的にその誰かの側に落ち着き、定住するということだということを考えれば、大の「変質」は至極当然のことと言えるだろう。かぐや姫が月に帰り、浦島太郎が地上へ戻ったように、人はいつまでも漂泊者のままではいられない。大は恋愛を通して何処かへ落ち着く必要に迫られ、その際まず基盤を置いたのは日常の側だった。そして、ケンカをする愛やマキを止めに入り、恋奈の非常識さにブレーキをかけはじめる。大はヒロインたちの世界へ踏み入る存在から、彼女たちと違う世界観を代表し、対立する存在となる。
各自の個別ルートでは、さまざまな事件の背後で大とヒロインたちとの「綱引き」が進行する。つまりこの作品には、ヒロインの隣に立つ三通りの方法が描かれていることになる(ねーちゃんも位置づくけど割愛します)。マキシナリオでは大がマキを日常の側へと引きずり込み、恋奈シナリオでは逆に大が「不良」の世界へと引きずり込まれ、愛シナリオでは紆余曲折を経て二人の世界が融合する。こちらに引きずり込むか、あちらへ引っ張られるか、あるいは二人で新しい世界を作るか。浦島太郎で喩えれば、竜宮城で暮らすのが恋奈、乙姫を地上へ連れ帰るのがマキ、二人で天空に新しい城を造るのが愛、という感じ。その意味で道無き道に「純愛ロード」を敷いて進む愛のルートは、メインヒロインの面目躍如といったところだろう。
以上がこの作品の大まかな見取り図である。テンプレート的な彼岸-此岸の二項対立図式を踏襲しながら、そこから逃れていく第三の道をメインに据えて統一感を持たせ、うまくまとめた細密な構成の作品。エンターテインメントの根っこをきちんとおさえており、非常に安心して楽しめた。
ただし、問題が全然無いというわけでもない。
多くの人が指摘しているのは、大が腰の定まらない駄目な主人公だということである。私もプレイしていて、なるほどそういう評価もやむを得ないと感じた。そして個別の言動を抽象化してやれば、大に感じる違和感は、大が「越境」性を失うことによってあらわれてくるもののように思われる。つまり、恋愛に突入するまでの大は相手のことをフラットな視点で捉えて互いに歩み寄りを主張するタイプだったのに、恋愛モードに突入するやそのフラットさを失い、自分の立場を押しつけるように見えてしまう。
原因はおそらく、大のキャラクター的な特性を「越境」性だけに担わせたためだ。大の魅力というのは、言ってしまえば相手に先入観を持たないというようなもの。それ以外に単独で機能する目立った魅力が無い(少なくともそういう印象になる)のが問題なのだ。何せ、大の周囲にいるのは極端に飛び抜けた人物ばかり。その中で中道を行く大の存在というのは、周りが極端だからこそ機能するバランサー。本人がそのバランスを失った場合に、並み居る「不良」たちの前ではどうしても個性が霞み、ただの日和見キャラに見えてしまう。
これはある意味で大というキャラクターの抱える必然的な問題であり、愛ルートで双方の歩み寄りが意味を持つようになるための重要な要素でもあるので、私は必ずしも作品の瑕疵だとは思わない。だが真剣にヒロインたちとの恋愛を目指すユーザー側の心理としては、憤懣やるかたないのも理解できる。こんな駄キャラに惚れるようでは、三大天の名折れというわけだ。この辺り、もうちょっとやりようがあったと言われればそうかもしれないと思う。
また、「不良」という特性がどうも曖昧なのも引っかかるところ。
作中、「不良」というのが実はスポーツや勉強に打ち込むのと何ら変わりない、といった語りがある。作品のコンセプト的に「不良」なるものを正当に評価しようという意気込みは判らないでもない。だがそれなら、彼女たちはスポーツ選手でも良かったのだろうか。「不良」というのが単に何かに熱心にのめり込み、トップを目指すだけの存在であるなら、そういうことになってしまう。ケンカを選んだのはたまたまなのだ、と。
むしろ気にするべきなのは、なぜ彼女たちのこだわりがケンカであり「不良」だったのかということではないのか。「硬派であること」と「危険であること」は違うだとか、「カッコイイ」と「怖い」の違いといった話だけでは、その部分に届かない。「不良」とは本質的に何者なのかが問われなければ、一般人と「不良」の世界の違いだとか、「不良」を辞めるか否かといった作中の要素の重みに、最後の一押しが欠けてしまう。そして私が見る限り、本作にその答えは示されていなかった(辛うじて恋奈が手を掛けていたくらいだろうか)。
前述の通り、作品の構成はしっかりしていて、テキストも読みやすく、ギャグは軽妙。特に、みなとそふと系ということでなにかと比較されがちなタカヒロ氏との対照が面白い。タカヒロ氏のギャグが作品からネタ部分を浮き上がらせるような使い方なのに対し、本作のさかき傘氏は作品の中にギャグを溶かし込み、もの凄く自然にネタを散りばめていく感じ。私にはこっちのほうがしっくりくる。みなとそふと系作品絡みのネタも多数あったが、判らなくても十分に楽しめ、知っていたら一層面白いというのが心憎い(私も全部のネタを拾い切れた自信は無いので)。
声優陣は相当豪華で、しかもはまり役。かわしまりのさんをはじめとするメインだけでなくサブの隅々にいたるまで配慮が行き届いていて、キャラの魅力を何段階も引きあげている。みこしまつり氏の絵は丁寧な塗りも相俟って非常に魅力的。加えてこの価格帯にしては抜群のボリュームと、外堀は完璧に埋まっている。にもかかわらず、あと一歩突き抜けた印象を得られなかったのは、いま述べたようなことに引っかかってしまうからだろう。
なお個人的な話になるが、キスシーンやHシーンで主人公がもの凄く切ない表情をするのはキツい。男キャラを構図に入れるなとは言わないが、何が悲しゅうて野郎のイキ顔を舐めるように眺めなければいけないのか……。盛り上がっていた気分の25%くらいがゴリゴリ削られた。
その他細かい部分では、テキスト面では少々雑な部分が目につく。たとえば共通シーンで恋奈が「やっぱりその娘と時代がかぶったのは、正直カンベンして欲しいわ」と呟く場面。これは、個別で明かされる、彼女が「不良」になったいきさつを考えると、ちょっと整合性がとれなくはないだろうか。他にもちょくちょく「おや?」と思う繋がりがあった。用語法的なところでも、「五体投地」が「五体倒地」になっていたり。それでも一般的なレベルに即して言えば十分すぎるクオリティだが、ある程度高いレベルなればこそ気になる粗も出てきてしまう。
総評としてはエンターテインメントとして文句なく高いレベルで纏まった作品。システムにもストレスを感じないし、遊び心も満載。ADVゲームの優等生といった趣で、バッチリやりがいのある一本だ。