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OYOYOさんの彼女は高天に祈らない -quantum girlfriend-の長文感想

ユーザー
OYOYO
ゲーム
彼女は高天に祈らない -quantum girlfriend-
ブランド
Escu:de
得点
63
参照数
1106

一言コメント

色々と面白くなりそうな要素があっただけに残念。感想内容は、少し作品に好意的でないかも知れない。音楽は抜群に良い。

長文感想

主人公・雨乃稚彦は夾都市の私立照葉学園に通う学園生。幼馴染・高姫美琴や文芸部の後輩・久延りつか達と平和な学園生活を送っていた。ところが、学園に流れる「動く二宮像」の噂を調査中、稚彦は本物の怪異に遭遇する。「神」・アマテラスに命を救われた稚彦は、夾都に異常な「穢れ」が発生していることを知り、彼女の眷属神たちと事件の真相を追うのだった。

ゲームは、物語を進めるADVパート、キャラの育成をする「御祓」(修行)パート、イベントを選択して意中のキャラと仲良くなったり戦闘スキルを集める「移動マップ」パート、実際に敵と戦う戦闘パートの四つから成る。公式のジャンルはSLGとなっているが、限りなくADVに近い。

育成は、所謂スロットシステム。「攻撃重視」のような方針と修行パートナーを選択して、ワンクリックで結果が出る。ただ、得手不得手が明確なため方針に選択の余地は少ないし、適当にやっても何とかなる。速度が上がるとDP(必殺ゲージ)が溜まりやすいため、とっとと終わらせるには速度お薦め。同行キャラは、連続で同じ相手を選べないから実質二択。段々と考えることがなくなって、まっさきに作業化するパートである。

移動パートは、「クエスト選び」に近い。報酬は攻略キャラとのイベント進行か、戦闘スキル獲得。達成には期日が設けられており、その期日までに選ばないとイベントは消えてしまう。酒場で表示されるクエストを、日程と相談しながら選ぶような感じ、というわけだ。もっとも、受けられるクエストの報酬や期日から、これも選択肢がほぼ限られている。公式ではシステム紹介に載っていないため、ADVパートの一貫ということなのかも知れない。

戦闘は、「御祓」や「移動」で得たスキルを各キャラに割振り、コマンド式で敵と戦う。完全なターン制やリアルタイム戦闘ではなく、アクティブフレーム形式で、スピードがあがっていると、敵より多く攻撃できる。この戦闘はなかなか楽しめた。攻撃順や敵味方の必殺ゲージのたまり方などを計算しての駆け引きは工夫の幅が大きいし、緊張感ある戦いができる強さの敵が出てくるバランスも絶妙。

ただ、「御祓」と「移動」はユーザーが積極的に関わる部分が少なく、ユーザーのアクションに対して反映される内容の変化が乏しいため、飽きが早かった。戦闘は、そもそもストーリー進行イベント的に挟まれるだけで、それ自体が目的となるほどのものでもない。結局全体として見ると、ゲーム部分を売りにするほどの出来映えではなかった。

では肝心のストーリーはどうだったかというと、こちらも今ひとつ。タケルートで主人公が独白するように「量子論的」な並行世界を意識してか、各ヒロインで結末は大きく変わる。だが、後半に入るまでほとんど共通でさすがに飽きる。また、上述の通り「イベント選択」で物語が進行するため、本筋と無関係のエピソードが頻繁に挟まれ、ストーリーの連続性が希薄に感じられた。実際、ひと言で心理が劇的に変化するなど、随分ショートカットが多かった。

テキストも癖が強い。稚彦の一人称語りで展開される中、随所で蘊蓄が挟まれるが、本筋と余り関係ない唐突なものが多く、苦手な人には少々辛いかもしれない。私は比較的平気なほうだが、稚彦が想い人を救うシーンで、「バイロンが、「君のために たとえ世界を失うことがあろうとも 世界のために 君を失いたくない」と言っていた!」みたいに言ったのはさすがにちょっとどうかという気がした。相手がロミジュリを引いた意味は分かる(ある精神的な問題のため)のだが、命懸けのシーンで自分のことばでなくバイロン引用で語る主人公というのは、かなり変な類型である。

また、用語や内容の違和感が目立つ。たとえば、「逆説的」。本作中何度か使われるこの語は本来、普通とは反対に見ること、真理でないようなことが実は真理であること、という意味だ。ところが「ロリコンは負の走乳性を持っている。とすると逆説的に、一般人男性は、正の走乳性を持っている」のように使われていた。「逆説的」なら、「一般人も負の走乳性を持つ」になるだろう。論理的には同じ帰結に対して使っているので、もし接続語を挟むなら「視点を変えれば」くらいだと思うが、このような場面では多く「逆説的」が使われていて、違和感が拭えなかった。とはいえ、用語の意味は一定しているので、敢えてそう用いているのかもしれない。

気になるのはむしろ、内容のブレ。第一章「量子論的信仰解釈」以降、物語の主幹となるはずの「量子論」や「信仰」の意味が、どうも曖昧に感じられた。「シュレディンガーの猫」を引きながら本作の「量子論」は紹介されたのだが、その内容は観測によって存在が確定されるように、神も信仰によって存在が確定される、ということだった。この時点では、信仰は神的存在に先立つ(信仰するから神が生まれる)ということになる。しかし、後半は信仰に先だって神が存在するような描写が増えてくる。タイトルでもある「量子」(quantum)論が「信仰」とどう関わるのか、ここはぼんやりした類似性ではなく、もっと原理的か、直観的に理解できる説明が欲しかったところである。

全てを挙げるわけにはいかないのでもう一つだけ。ある心の痛みを感じないキャラが、その故に苦しんでいたというのだが、苦しみは「痛み」と違うのかというツッコミを、恐らくプレイした多くの人がしたのではないだろうか。

以上のような傾向は、本作のテキストが蘊蓄のような表面的知識の組合せでできていることに対応しているように思われる。特に世界観を支える解釈は、神観念にキリスト教的要素が見え隠れするかと思えば、記紀のエピソードを拾ったり、禍津神や祟り神の性質を(多分)本居宣長的な古事記理解から引き出しているなど、巧みに要素を組み合わせていると感じた。だが、記紀神話も宣長学も、あるいは量子論もキリスト教神学も、それぞれに背景と体系を持つ。根っこのところで違うものを集めて組み合わせた結果、軋みが出たのだろう。

断っておくが私は、知識が不正確だとかそれらしいことを言っているだけだと断じたいわけでも、日本神話に西洋神学概念を適用するなと言いたいわけでもない。単に、要素が作品内で矛盾や齟齬をきたしていた、ということを問題にしたいだけだ。これだけの素材を集めたのだから、独自の世界体系を構築できていたらもっと面白かったと思う。もちろん、私が読めていないだけの可能性はあるが。

なお本作は、実際の記紀神話は嘘で、本当の歴史は別にある、という立場を取っている。だから記紀との整合性を文献学的にあぶりだして批判するのは、フェアではない。だが、一応日本の神というイメージを考慮して、「ディバインパワー」とか「ラグナ(にゃ)ブレイク」は何とかならなかったのかという気はする。「スーパータケミカヅチだ!!」は、佳境にもかかわらず危うく噴き出しそうになった。

なお、音楽とOPED曲は素晴らしい出来映え(ゲームにあっているかは措き)。バックグラウンド動作可にチェックを入れて、サントラ代わりに音楽鑑賞を使うと幸せな気分になれる。

基本点90点、歌・音楽+5、キャラ+4、システム-5、世界観-10、齟齬-10、テキスト-5、サブ攻略不可-6(人数ぶん)。キャラはなかなかユニーク。ただアマテラスは、剣を身体に埋め込むことといい、EDのあの演出といい、『Fate』を意識しているのだろうか。