できあがった作品に「個人的な感動を覚え」(ry、長文を書いたらアホみたいに長くなってしまいました。[1]ネタバレ無し内容紹介、[2]既刊関連作品9作の紹介と攻略順について、[3]ネタバレ感想、が主な内容になります。ちゃんと作品を見渡せる作品ガイドにするつもりだったのですが、[3]以降は文字通りの感想文になってしもうた。
今回、とっても長くなったので目次的なものを。
1. 内容紹介……(※ネタバレ無)
2. 既刊の関連作品……(CD、小説などの簡単な紹介。※ネタバレ低)
3. お薦め攻略順……(インタビューでの丸戸氏のお薦めと、既刊全作品を含めた個人的お薦め。※ネタバレ小)
4. 作品感想……(※ネタバレ大)
5. 余談……(ネタ)
▼内容紹介 (ネタバレ無)
孤独な天才ピアニスト・冬馬かずさ。学園のアイドル・小木曽雪菜。何の接点も無かった二人を繋ぐ絆となったのは、誰に対しても誠実で優しい「委員長」・北原春希。学園祭のステージを成功させた三人は、心地の良い昂揚感に包まれていた。三人揃えば何でもできる――そんな彼らの友情は、けれど一瞬で砕け散る。突然のキス、そして告白。友を裏切って、自分の心までも裏切って。「三人から二人が抜けだし、二人から一人が去り」、そしてとうとう、一人と一人が取り残された。そんな時、彼らの周りには、いつも雪が降る。まるで時間を、雪の中に閉じこめて、止めてしまうかのように。けれど、いつかは春が来る。三人の時間は、静かに動き出そうとしていた。
2010年3月末に発売された「introductory chapter」からおよそ1年半、ようやく完成した「続編」。一部に根強いファンを持つ『WHITE ALBUM』の名を冠した本作は、スタッフの多くが前作とは異なっていたにもかかわらず、きっちりとその魂を受け継ぎ、そして「2」なりの新しいコンセプトを提示した。少なくとも私はそう感じた。
「修羅場」や「三角関係」が取り沙汰されるが、思うに『WA』は(第一義的には)そういう作品ではない。
もちろん、女同士のビンタ合戦を楽しむ作品……でもない。何かを犠牲にしてでも一緒にいることを選んでしまうような、「好き」を越える「愛」を描いた作品だ。だから、修羅場や三角関係から連想される緊張感や、粘ついた情念は、実はそれほど強くない。登場人物たちは、「浮気」も「相手の気持ち」も飲み込んだうえで相手と向きあう。想いの強さは、恋敵よりも自分に向けられる。泥沼の三角関係にしては、春希たちは自罰的すぎる。だからだろうか、漂うのはむしろ、誰かを捨てることへの悲壮感、積み重なる嘘への罪悪感、そして、それでも誰かを愛することを止められない切なさだ。そのテーマは、本作にも受継がれている。たとえば春希が「今、俺の目の前にいる大好きなひとでさえも、二度と愛することができなくなってしまう」と言うように、「好き」と「愛」の質差が、本作でも一つの課題である。
『WA2』はそのうえで更に、「正しさ」を強く立てて幸せとは何かを問う。「愛」が感情なら、「正しさ」は理性だ。人を愛せば、幸せになれるのか。人を愛さなければ、幸せになれないのか。理性で選んだ正しい解答で、人は幸せになれるのか。感情のままに選んだ誤った答えでも、今より少しだけ幸せになれるならどうするのか。100パーセント正しいからこそ掴める幸せと、正しさ0パーセントだけどそうしなければ掴めない幸せがあるとすれば、どちらを選ぶのが「正解」なのか。
前作『WA』が崩し切らなかった、恋愛こそが(二人でいることこそが)最高の幸せであるという、ある意味で恋愛ゲームらしい前提を、本作は更に強烈に揺さぶる。だからこそ、それでもなおどうにもならない感情が、鮮やかに切り取られるのだ。人の死も世界の滅びも使わずに、これだけ人間の激情を描いたのは、やはり凄い。腰の定まらない春希が、いつ刃物でぶすっとNice boat.されるかとヒヤヒヤする人もいるだろうが、その心配は無用である。
そうしたテーマの深まりに呼応するかのように、描かれる人間像も複雑になっていく。
一つ一つの場面は、それほどわかりづらくはない。むしろわかりやすく、時には過剰に思われるほどはっきりと、登場人物の心理や行動が描かれる。ところが、物語が進むにつれ、同じ人物の全く違う側面が次々に描かれる。これが単に作り手の混乱に起因するものならば、とっくに物語は破綻していてもおかしくなかった。
しかし、本作は危ういバランスを保ったまま、最後まで一つの世界であることを崩さない。確かに登場人物たちは、視点の取り方で鮮やかに印象が変わる。テキストとして表示される彼らの台詞には、常に嘘と真実が入り交じっている。けれどじっくり読めば、作中に散りばめられた何気ない一言や、ふとした拍子に感じる違和感が、きちんと次の場面への布石となっていることに気づくはずだ。実際、小説やドラマCDはその「見えない」部分を丁寧に補うように作られており、そこに綿密な計算があったことをうかがわせる。特にメインである雪菜・かずさ・春希は圧巻。たとえば雪菜は、強くも思え弱くも思え、純真な天使にも、真っ黒な悪魔にも見える。何か一つのキャラづけで括ることが難しい。それら全てをひっくるめて、「小木曽雪菜」としか言えないような個性となっている。
繰り返しプレイしてみたが、私はまだ彼らの心情に届いた感じがしない。いったい、いつになったら消化できるのか。私の理解力が足りないという話は、まあ措くとして、色々と考えながら過程を楽しみ、その後訪れた結末をじっくりとかみしめるタイプの人にはたまらないだろう。同時に、そんなことを考えなくても、直観的に彼らの心情が伝わるよう、演出等で配慮もされている(むしろそちらのほうが春希たちに近づけるのかもしれない)。これだけ練り込まれた作品にするのに必要だったであろう、スタッフの思考と手間と時間を考えると、お見それするしかない。
とはいえ、本作の魅力は、スタッフの労力を思って楽しむところにあるわけではない。むしろ、その対極にあると言っても良い。本作を作家性や、作家から与えられるテーマ性に還元してしまうと、魅力を半分くらい伝え損ねることにもなりかねない。本作の登場人物たちは既に、創造主の支配から離れ、物語世界の中で立ち上がっている。作り手の意図を越えた意思を持ちうるだけの懐の深さを、春希たちは備えている。そんな彼らの世界を、人間関係を堪能できることが、多くの人を惹きつけるのだ。
本作が「リアルな」作品だという評をときどき耳にするが、その評価はたぶん、半分当たっていて半分外している。上で述べてきたように、本作の登場人物たちは、彼らの世界の中で必死に考え、自分たちの意思で動いている。彼らは何かのメッセージを表現するための手段ではない。物語世界内で実体的という意味で、彼らはリアルである。ユーザーはたしかに、つくられたキャラクターを離れて彼らの世界の中で生きている人びとの行く末を見守っている気持ちにさせられる。
しかし彼らの物語は、全くリアルではない。春希たちの考えや人間関係は、余りにも純粋で、極端だ。ふつう人は、どこかで妥協しながら、周りと折り合いをつけて生きている。けれど彼らは、自分の幸せに、愛に、理想に、決して妥協しない。それは、私たちがあたりまえに享受できる生き方ではない。むしろ私たちにとっての現実性からは、もっとも遠いところにある。
この物語は、ある生き方の理念を、あるいは更に極限化した理念の結晶を描き取った物語にほかならない。誰もが夢見る、けれど誰も届くことがないような、なまなましさとは反対にある究極の観念みたいなものだ。だから私たちは、この物語に触れて、心震える。現実にはありえないような善意と強い意思が貫かれた彼らの物語を、楽しむことができるのである。
グラフィックと音楽は非常にレベルが高い。映像と音楽のクオリティはLeafというメーカーの真骨頂であるが、今回は原画のなかむらたけし氏が当たりだったと思う。別に、デザインがずば抜けているとか構図がいいという話ではない。むしろその意味では、下手ではないが上手くもない、くらいの評価が妥当だろう。立ち絵の目は時々違和感を感じたし。
ただ、大きく崩れない丁寧な絵で、シリアスな表情を描き分けられる原画家さんであることは確か。加えて、ご本人には失礼かもしれないが、他作品でイメージがあまり定着していなかった。この物語世界で生きる人物を描き取った本作に、他作品のイメージは却って邪魔。原画が氏である必然性は無いが、氏であることのメリットは大きかったのではないか。
音楽は、作品のオリジナルソングを何曲も投入するだけでなく、『WA』のアレンジ曲多数、過去のLeafの名ヴォーカル曲を雪菜の歌つきで収録と、過去作ファンにも目配りした贅沢仕様。しかもどれも作品の雰囲気にマッチしていて質が高い。これで不満を言われたら、正直他のメーカーの立場がない。
ただし、演出やシステム面では、不満が残る。たとえば雪菜の歌う場面、あるいはかずさが演奏する場面に、ほとんどCGが無い。学園祭と、あるEDのみである。これは「本当に三人が揃った時」しか視覚化しないという演出上の意図かもしれないが、全体として見ると明らかに盛り上がりに欠ける。携帯電話を使ったメッセージのやりとりや、バックグラウンドで流れる文章化されない音声などへのこだわりは好印象なのだが、一度見逃すとなかなか後から再確認できないのは不親切。
また、シーンスキップが無いこと、シーン再生が無いこと、セーブポイントが拡張できないこと、セーブにメモを挟めないこと、サウンドモードで連続再生ができないこと、等々システムはいささか雑。とにかく「かゆいところに手が届かない」感が酷い。普通なら気にしないが、本作はとにかく長い物語を、何度もプレイするタイプの作品。できればそれに見合う、細かくカスタマイズできる配慮をして欲しかった。
ちなみに、余り誰も評価しそうにないけれど、Hシーンに関しては個人的には満足。まず単純に、内容がエロい。しかも妙に切ない。シーンを見ながら半分泣きそうになるとか、どんな拷問か。
また、物語にとってHシーンが必須であることは高く評価したい。Hシーンもきちんと意味があるのでスキップする気にもならず(おかげで死にかけたが)、本当に無駄がない。同時期に本作を楽しんでいた友人は、多くのエロゲーが「エロがなければ成立しない話を描けてないだけだよなあ」としみじみ呟いていたが、私もまったくその通りだと思う。エロはサービス、おまけと割り切るのも否定しないが、作品にきちんと組み込んで密度を高めた(無駄な描写を削った)点はやはり見事。
エロゲーとしての一般性はさて措き、この手の人間ドラマ系作品が好きな人は恐らく文句なしに満足できる。実際どちらかといえば、間口を絞って、密度を異常に高めた作品。ただそれでも、世界の完成度と人物の描かれ方は、広く通用する一つの理想型に近かったのではないだろうか。
基本点90点、物語+5、人物+5、音楽+5、構成+5、分割-3、演出-5、システム-5。内容があわなければ簡単に-20くらい行きそうだが、それでも充分良作の範囲。個人的な好みを度外視して採点しているので、よもや97点とかつける日がくるとは思わなかったが、総合的に見てこの系列として比類無い完成度を誇っている。少なくとも、恐ろしく手間の掛かった作品なのは確か。
----以下、ネタバレ長文になります-----
さて、ここから先は「ネタバレレビュー」。本当はネタバレ無しの紹介文だけで終わろうと思っていたのですが、書き上げて、やっぱり物足りなかったんですよね(笑)。で、もう開き直ってネタバレ全開、思ったことを特に編集もせずに書き殴ろうとPCに向かうこと数時間。ようやく大半書き上げた! と思ったら、いきなりブレイカーが落ちて、いっぱい書いていた内容が全部吹っ飛びました。マジ泣いた……。何書いてたか忘れちゃったし。
なんせWindows標準のメモ帳で書いていたので、バックアップなどあろうはずもなく。泣く泣く手書きのメモ片手に思い出しながら書き直しました。なので、内容は多少(本当に多少)まとまったかもしれませんが、変わりに妙なテンションが追加……。
そういうわけですので、以下はネタバレバリバリ。しかも、私個人のかなり偏った「感想」になっています。一応未プレイの人にもほんの少しだけ配慮はしましたし、解る内容になっているとは思いますが、やっぱりプレイされてない方にはあんまりお薦めしません。そして、私が勝手に楽しんだ内容を延々綴っているだけです。イラッと来たら引き返すことを(割とマジで)お薦めしておきます。
最後に、少しだけお断りを。私も一応、インタビューなどで制作スタッフの面々が、この作品のテーマやら人物について語っておられる内容は把握しています。けれど、今回の感想や紹介ではそれに抵触しても無視しました。それは、なるべく本作を春希たちの物語として読もうとしたからです。(そのせいで主語のほとんどが登場人物たちになっていて、違和感を感じるかも知れません。これは大変申し訳ございません)
つまり、ほとんど個人の脳内妄想垂れ流しみたいなものです。そんなもんは個人のブログなりでやれ、とお叱りをうけそうですが、これだけ色々と書いてしまう作品だったということを、パフォーマティブに示すには丁度良いかなと思って投稿しました。私は、本作の魅力をぽんっと抜き出して語るほど器用ではないので、なんかグダグダだけど必死に書いている態度のほうで、面白さが伝わればいいなぁとか何とか。ついでに、自分はこれだけ楽しんだんだぞ、という自慢のためというのも半ばあります。
以上、来るかも知れないご批判に対して予防線を張りつつ、始めさせて頂きます。
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▼関連作品
(1) 「彼の神様、あいつの救世主」 (小説)
――2010年2月(BugBug誌収録)。軽音同好会に雪菜が入り、かずさがまだ参加していないときの、二人の互いの印象とコンプレックスが綴られた小説。
(2) 「雪が解け、そして雪が降るまで」(小説)
――2010年3月(「IC」初回特典)。「IC」の直前、かずさが春希をどう思っていたかが描かれる。本編よりかわいいのはどういうことか。
(3) 「祭りの前~ふたりの二十四時間~」(ドラマCD)
――2010年8月(コミックマーケット78で販売。現在は公式通販で入手可能)。付属祭前、「届かない恋」の歌詞の意味を巡る、雪菜とかずさのやりとり。誰のための歌なのか。いい話。
(4) 「祭りの後~雪菜の三十分」(小説)
――「祭りの前」添付のブックレット。付属祭後、春希にキスをするかずさを目撃した後、春希に告白するまでの雪菜の心の揺れを描いた小説。個人的に一番好き。
(5) 「Twinkle Snow~夢想~」 (小説)
――2011年2月(LastStage2~奇跡の始まり~で配布。現在は公式でpdf公開)。「IC」から三年。春希とかずさが順調につきあい、雪菜がそれを見守る……という夢を雪菜が見る話。
(6) 「祭りの日」(ドラマCD)
――2011年12月(「CC」予約特典)。付属祭の演奏時、本人たちと周囲の人びとの感想が聴ける。
(7) 「ピロートークCD」(ドラマCD)
――2011年12月(「CC」ソフマップ予約特典)。全攻略キャラのピロートーク。超まったり。忠犬かずさかわいいです。
(8) 「歌を忘れた偶像」(小説)
――2011年12月(「CC」初回特典)。「CC」直前の雪菜を描いた小説。春希を諦めかけた雪菜が甦るまで。黒い。
(9) 「一泊二日の凱旋」(ドラマCD)
――2011年12月(コミックマーケット81で販売。公式通販予定)。「CC」時間内。曜子の大晦日コンサート時、同行したかずさが、春希の書いた「冬馬かずさ特集」を読む話。
時系列としては多分、『雪が解け』→『IC』→『彼の神様』→『祭りの前』→『祭りの日』→『祭りの後』→『Twinkle』→『歌を忘れた』→『CC』→『一泊二日』→(番外)『ピロートーク』でしょうか。
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▼お薦めプレイ順
雑誌などで発表されていた、シナリオライター丸戸史明氏によれば、お薦めプレイ順は下の通り。
『IC』→ 『雪解け』(小説・「CC」版だとICクリア時スペシャルに追加)→『IC』(2周)→『偶像』(小説・『雪解け』に同じ)→『CC』→『IC』(3周)→『祭りの日』(CD)→『CC』(2周目)。
『CC』千晶ルートクリア後に『IC』にイベントが追加される……ということでしたが、割と少し。それ目当てよりは、『CC』のcoda編を終えた後に『IC』をやると、ただしいく「回想」であるということの意味が分かるので、とりあえず一通り全部終わってから『IC』という意味の方が大きいと思います。
関連作品を含めた個人的なお薦めの順番としては、『IC』の後で『雪解け』→『偶像』→『祭りの前』→『祭りの後』。『CC』をやりおえてから、『祭りの日』→『Twinkle』→『一泊二日』→『ピロートーク』→『IC』もう一回! かなあ。とりあえず、『CC』を終えてから読み返すとどれも大きく印象が変わります。『偶像』だけは、『CC』前に読んでおくのが良いと思いました。
『CC』内の攻略順ですが、私のプレイ順は、小春→千晶→麻理→雪菜。千晶を三番目という人が多いんじゃないかなーと思いますが、麻理さんはどう考えても息抜きなので、雪菜の前は妥当だったと今でも思います。coda編は、かずさ1→かずさ2→雪菜1→雪菜2 でしょうか。かずさ2の最後、かずさが呟く台詞は、雪菜2を見てからでないとピンと来ないと思うのですが、バランス考えると雪菜がオーラス。全部終わってからかずさ2のEDだけ見直すと良いかも知れません。ちなみに私は、雪菜→かずさ の順番でやっちゃいました。
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▼長文感想 (ネタバレ)
◆嘘つきな登場人物たち ~「IC」について
――わたしが春希くんに告白したのはね、どうしてもあなたと恋人同士になりたかったから。………じゃないんだよ?ただ、ずっと三人でいたかったから。わたしを仲間外れにして欲しくなかったから。――
この作品をプレイしていると、書かれて表にでてきてる部分よりもむしろ、書かれてない部分に想像力が向かいます。いえ、秘部にかかったモザイクの向こう側を想像するのとは何かちょっと違いますよ。登場人物たちの言葉を、どこまで信じて良いか分からない、ということです。
たとえば「CC」編雪菜ルートの終わりは、春希の独白で締めくくられています。「冬が、終わる。三人の季節が、終わる。『WHITE ALBUM』の季節が、終わる。そして、俺たちの…二人だけの季節が、始まるんだ」、と。そうやって迎えたはずの「最高のエンディング」は、けれど、そこから二年後、かずさとの出会いによって呆気なく崩れ去ってしまう。冬は、全然終わっていなかった。
このとき、春希の気持ちに嘘があったのか無かったのか、という「正解探し」や「答え合わせ」には、あまり興味がありません。本作は謎解きゲームではないからです。肝心なのは、『WA2』という作品内で、登場人物たちが語る内心は、100パーセントの事実ではない、ということ。お互いを「最低だ」と言い合う春希・かずさ・雪菜の関係も示唆的です。彼らは、互いにずれた自己認識でお互いを縛り合っている。そして、彼らの誰もが正しくて、だれもが間違っている。
作中、春希たちが自分の感情を語るほど、そうではない感情が浮き彫りになります。幸せだといえば、そう自分に言い聞かせているだけかもしれない。無意識に逃避しているのかもしれない。どうすればいいか判らないと悩んでいるとき、実は心は決まっているのかもしれない。恐らくは春希たち自身にもわかっていない、そういう捉えにくい感情の動きが、本作には通底しています。その複雑な感情に支えられた深みのある物語は、この作品のわかりやすい魅力の一つ。というよりも、登場人物たちの感情を追い掛けてその先に広がる物語を味わうことが、多分一番この作品を楽しむことになると私は思います。
では、具体的に登場人物たちはどう嘘をつくのか。たとえば雪菜。彼女は、いつも半分しか素顔を見せてくれません。冒頭に引用した雪菜の台詞は当然、額面通り受け取ることができない。もちろん、完全に嘘というわけでも無いでしょう。彼女が事実取り残されると思ったであろうことも、ここへ至るまでの言動から充分に真実だと予測できます。けれど、さまざまな場面から、雪菜が春希に惹かれていることは明らかだし、何よりもこの後、雪菜は次のように続けるからです。「かすさがあなたに気持ちを伝える前なら、絶対に「勝てる」って、知ってたんだよ」、と。
本当に三人でいるつもりだったのなら、雪菜はかずさに「勝つ」必要なんて無かった。二人を見守る親友の立場にいることが、彼女にとっての「正解」だったはずです(このあたりの事情は、小説『祭りの後~雪菜の三十分~』で)。でも、雪菜は勝ちたいと思ってしまった。勝ちに行ってしまった。だから、彼女が告白したのはむしろ、三人でいることよりも自分の想いを優先させてしまった、ということです。
どうして彼女はこんな嘘を吐いたのか。私のことは見捨てても良いんだ、と春希を思いやった、というのはあるかもしれません。また、直前に雪菜はこう言っています。「怒ろうにも…ほとんど、予想の範囲内だったし。春希くんの気持ちは知ってたし。かずさの気持ちも知ってたし。全部知ってて、後から割り込んだわけだし」。つまり、わかっていたのだから自分は本気ではなかった、春希が目的ではなかったのだと自分に言い聞かせて納得させている――傷つかないように。そのことは、雪菜が折に触れ、「見栄」や「自分に嘘を付く」などと発言することからも、大きく外れてはいないと思います。
けれどもう一つ。それでも春希を諦められなかったから、ということがあるでしょう。その雪菜の思惑は、「だってわたしが壊したんだから。三人でいたくて、全部バラバラにしてしまったんだから。だから、わたしが春希くんを慰めてあげる」という一言に凝縮されます。雪菜は本気ではなかった。だから、春希がかずさと逢い、かずさを抱いたとしても、雪菜は本気で傷つかない。むしろ、お互い様だ。「だから」、春希は雪菜を利用して良い。罪悪感なく、自分と一緒にいて構わない――。雪菜はそうやって、春希をつなぎ止めようとしている。
空港で春希の背中にしがみついて、雪菜は、「あのコを裏切ってしまうって、辛く感じるなら…早く、ここを動いて。わたしを、振りほどいて」と言います。これも鬼のような台詞で、全部春希が身動きとれないようにして、春希が選んだようにさせつつ、誘導する。なりふり構わず春希ゲットに行く、黒雪菜さんの本領発揮という感じですね。
実際、かずさと抱き合った春希にショックをうける雪菜を見て、「本気でなかった」が真意だと思う人は、ほとんどいないでしょう。雪菜は本気で春希を愛していて、けれどそれを本気だと認められないくらいに弱くて卑怯で臆病で、同時に本気で愛した相手から本気で想われていないと判っても決して諦めないくらいに強くてわがままな女性なわけです。
特に露出が多くて判りやすかった雪菜を中心に話を進めてきましたが、本作に登場する主要人物についてはほぼ全員、同じことが言えます。登場人物の性格や、ある場面での感情を、一言では言い表せない。そんなごちゃごちゃした感情の中から、それでも抑えられない一つの想いを選び取る、というところに本作の苦しみとカタルシスが同居しています。だから、この作品を楽しもうと思ったら、できる限り登場人物達の心情に寄り添って、悩みや苦しみの内実に近づこうとする必要があるのです。
言葉では、つまり理性では捉えることのできない、あるいは捉えても止めることのできない、どうしようもない感情の遣りどころが失われるのが、「IC」の結末です。かずさは自分の想いに嘘を付いて、雪菜は想いを暴走させ、春希は想いを見失って、三人はお互いを傷つけた。雪菜がいながらかずさは春希を求め、雪菜は春希を引き留めず、春希はかずさを抱いた。けれど、かずさは二人の前から姿を消し、春希はかずさを追い掛けることなく、雪菜はそれでも春希の側にいようとした。
彼らは、誰かを裏切りつつ、別の誰かには、あるいは自分自身には誠実であろうとします。そんな状態のまま宙ぶらりんになった彼ら心を描いて、「IC」は幕を閉じる。そこから劇中で三年(リアルに一年半!)の時間が経つわけですが、結果的にこれはとても良い効果を発揮していたでしょうか。いや、正直一年半待たされたことについては、文句の一つも言いたいのですが、12月22日に発売という「リアルタイムが作品とリンクする」時期に出てくれたのは気持ちが盛り上がりましたし、「一年半待つのでもこんなに辛いのに、その倍以上想い続けている雪菜とかずさは凄い」というのが実感として解る気がして(笑)。もはや印象論ですらない、単なるトチ狂った感想ですが、彼らの想いの深さを半ば追体験できる、貴重な時間だったと思います。
さて、そんなわけで「CC」の話に移りましょう。
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◆三人の新ヒロインたち
CC編の新ヒロイン、小春・千晶・麻理はそれぞれ独立した背景を持っていますが、なぞる展開は「IC」を彷彿とさせる、と思った人は多いのではないでしょうか。展開だけを追い掛けるなら、彼女たち三人の物語は、「IC」で春希が選べなかった選択をやりなおすようなものとなっています。麻理は、そのEDから一発で解るとおり、かずさを追い掛けた春希を。千晶は、雪菜のために嘘を付き続けた春希を。そして「小春希」こと小春は、春希自身にとって誠実でありつづけた春希を、それぞれイメージさせます。
けれど、そんな対応とは無関係に、彼女たちもまたこの物語の登場人物として、深く息づいています。あるいは、こう言ってもいいかもしれません。過去をなぞりつつ、それでも彼女たちはかずさや雪菜のようにならなかった、ということこそ、彼女たちが『WA2』の世界に存在していることの意味なのだ、と。そんなわけで、三人娘について少しだけ振り返ってみたいと思います。
(1) 杉浦 小春 ~トラウマ☆スイッチ
――こんな、胸が潰れるくらい嬉しい痛みを知ってしまったら、もう元のわたしには戻れません。…戻りたいとも思いません――
自他共に認める「小春希」っぷりをいかんなく発揮するぷりちーがーる、小春。出会いの形こそ異なるものの、友情と恋愛の狭間の苦悩というのは、まんま春希が三年前に置かれた状況で、小春はいわば春希の影をなぞるように、人間関係の渦へと身を投じていきます。なるほど、ライターの丸戸氏がインタビューで答えていたとおりの「出オチ」キャラであり、春希のトラウマを押しまくるというのは伊達ではない(笑)。ついでに職場でコトに及ぶとか、エロスイッチも押しまくりなのはご愛敬ということで。
小春もまた、他の登場人物たちと同様、言葉で捉えきることのできない深い想いを持っています。「小春の言うことは、事実ではなかったけれど、事実でなくもなかった」というように、春希とよく似た小春だからこそ、言葉と心とが乖離していく。けれど春希は、「揺れる小春の心を掴みきれないまでも、目を離すことなく追い続け」ようとします。大事なのは表にあらわれる部分ではなく、小春の本心の望みをきちんと捉えきることなのだ、と。
「人には、いくつもの…別々の人に対しての、それぞれの誠実があるって」
「それ…って」
「それを八方美人と取ってしまうことは簡単だけど。…そう単純に考えてたのが去年までのわたしだけど」
何に対しても恥じることのない、心から胸を張って正義を主張できる、眩しかった少女は…
「別に、今だって正しいって思ってるわけじゃないけれど。でも、わかるようになっちゃいました」
「小春…」
俺の、せいで…艶やかな女の影が差すようになってしまった。
そんな小春ルートのハイライトは、恐らくこの場面。誰かを愛するということが、誰に対しても公平で優しいということと、決して両立しないということを小春が悟るところです。三年前の春希は、あるいは今になっても春希は、頭では解っていてもまだそのことを認め切れていない。けれど小春は、正面から悩み苦しんで、しっかりと受け止める。結局、人は自分の想いに正直に生きるしかないんだ、と小春は思い定め、春希と共に歩むことを決意しました。春希はそんな自分の小さな分身を見守り、支える。一番「委員長」の春希らしい物語でしたが、最後の最後、雪降る駅で言うはずだった台詞まで根こそぎ小春に言われてしまった春希くんは、ちょっとかわいそうでしょうか。
あと、このルートでは二人の「春希」が登場するせいか、元カノである雪菜の存在感がやっぱり強いですね。雪菜は小春を「中学時代の自分」と呼びますが、喫茶店で説教するシーンといい、「もう一人の春希」として小春をみている節があるように思います。最後、連絡先を消去して窓際で泣くシーンは、自分の本当にどうしようもない想いが満たされないとわかって、それでも誰かを思いやることができる、〈きれいな雪菜さん〉最高の見せ場でした。でも、春希に見せた笑顔と、小春に見せた泣き顔で最強の復讐を果たしているし、案外あれも黒雪菜さんだったのかな。
(2) 和泉 千晶 ~雪菜の影で踊るピエロ
――あんまり、お前の近くにいる奴に騙されてるんじゃない。そいつは…最低の女だ――
かずさ・雪菜・春希の三人の外にあって、誰よりも三人を理解しようとした(おそらく、武也や依緒よりも)女。ウァトスでの劇本制作中に、「和希を愛してるのか、それとも自分を愛してるのか…優しいのか、気が弱いのか…それとも相手を想う気持ちが弱いのか…」と雪菜(雪音)の心情を測って悩むシーンがありますが、あれこそが千晶の最も千晶らしいところ。武也や依緒、朋のように「親友」という立場から三人を見守るのでも、小春や麻理のように春希を外に連れ出そうというのでもなく、三人に憧れ、不可能だと理解しつつ、三人の中にはいろうとしたのが千晶です。依緒にからまれた後、千晶は「外野うっぜ」と吐き捨てますが、これは単に恋愛の非当事者という意味ではなく、彼ら「三人」の世界の当事者ではない、ということでしょう。
千晶は春希たちを「素材」と言い放ち、劇のために利用したのだと突き放す。けれど、「可愛い『女の子』じゃ、小木曽雪菜に勝てない。カッコいい『女』じゃ、冬馬かずさに勝てない。ならあたしはどうすればいいって考えて、導き出した結論が、あの『千晶ちゃん』」という発言は、「素材」という千晶の言葉を裏切っています。なぜなら、本当にただの素材に過ぎないのなら、千晶は彼女たちに「勝つ」必要なんて無かったから。「千晶に与えてもらった記憶のおかげで、千晶がいなくても前へ進める」、そう春希に言って貰えただけで満足でも良かった。
千晶は結局、自分を(ついでに春希も)騙しながら、三人の中に入ろうとする。けれど、いまここにいないかずさのかわりに自分が入って「三人」になることは、不可能だと千晶は知っていました。なぜなら、二人にとってかずさは決して変わることのない思い出になっていたから。そこで彼女は、春希の逃げ場であり、支えでもある雪菜の役割に、自分を割り込ませようとします。あるいは、必死の演技で春希の隣に残り続ける雪菜にこそ、シンパシーを感じたのかもしれません。
千晶は、雪菜のある側面をものすごく鮮明に捉えています。このルートでは「演技」と「身代わり」ということが何度も取り沙汰されますが、千晶は雪菜がかずさの身代わりであること、そして自分もまた雪菜の身代わりとして春希の側にいることを意識している。雪菜は「わたしは、誰の代わりにでもなるから。かずさの代わりに、あなたを支える。あなたの代わりに、全てを受け止めてみせる」と言い放ちますが、千晶もまた「相手を好きでいることと、相手に嘘をついて騙すことは両立しないとでも?」と、開き直っています。
けれど、「天才」和泉千晶をもってしても、小木曽雪菜の演技と真意は見極めることができなかった。だから千晶は、雪菜と重なりきらないままで「届かない恋」の舞台に臨むことになります。その原因は、千晶が雪菜の一面しか――つまり、春希に向き合ったときの雪菜しか捉えられていなかったから。開演前、千晶は「何があってもあんたを手に入れようと藻掻いて足掻いて、結局深みにはまって自縄自縛になる。そんな、愚かな女」になる、と宣言します。けれどそれは、同じくらい貪欲な「三人でいたい」という雪菜の想いを、決定的にとり逃している。千晶は、雪菜になりきれなかった。
ただし、ことの根本には千晶が春希を愛してしまったということがあります。その部分を見誤ると、この物語は恐らく理解できない。千晶にとって「雪音」は、第一義的に「和希」に恋する少女だった。つまり千晶は、雪菜をそのようにしかみることができなかった。「想いの量に、強さに上限なんかない」――。「雪音」に託して本当の気持ちを(胸に手を当てて)語る場面で、とうとう千晶は雪菜を超えてしまいます。「初芝雪音は、小木曽雪菜でも、冬馬かずさでもあり…そして、和泉千晶自身だった」。雪菜になりきれなかった千晶は、舞台の上で、ただ春希だけに向けて真実の想いを語ります。そして舞台の後。春希を失ったと思い込み泣きじゃくる千晶は、「さよなら、私の……」と声にならない言葉を残して去っていった雪菜と対照的。ここでようやく、誰かの身代わりではない、和泉千晶が春希の前にあらわれました。
「あたしがあんたを幸せにしてあげる。いつか必ず、『お前と一緒にいて良かった』って、心から言わせてみせるからね?」という千晶の最後の言葉は、春希の「いま」がまだ幸せではないことを暗示しています。千晶が言うように、結局春希の傷はふさがらなかった。千晶は、雪菜にも冬馬にもなれず、結局三人の関係は修復不能に壊れてしまった。だから二人は、一緒にいるためにお互いに嘘をつき続ける。でも、そのお陰で二人は、傷つけ合わなくて済む。優しい嘘で、お互いをくるむことができた二人をみていると、そういう選択肢もあり得たのだろうな、と思います。
誰よりも春希を、そして三人を見つめ続けて、憧れて、彼らの物語の登場人物になろうとしてなりきれず、自分だけの物語を紡ごうとした、傍観者の少女。彼女が演じるのは雪菜の役割ですが、その意味では、一番ユーザーに近い立ち位置にいるのが千晶かもしれません。Hシーンは濃そうで、実は一番普通。
(3) 風岡 麻理 ~萌える26歳、プラトニック乙女
――私を…捕まえてみろ…っ――
ここはライ麦畑じゃねーんだぞと思いつつ、なんだこの萌え生物は……? というのが率直な感想。いわゆる「普通の恋愛」に限りなく近い物語が楽しめます。人物像としては「冬馬に似ている」と作中で散々言われるし、展開も最後は二人でアメリカに飛んじゃうあたり、かずさルートの合わせ鏡。いわば「しっかり者のかずさ」ですが、女の方がしっかりするだけでこんなに展開が変わって良いのかという楽しい話でした。恐らくは多くのユーザーを唖然呆然笑いの渦にたたき込んだであろう「ピル事件」をはじめ、26とは思えないかわいいエピソードが満載。しかも、実は私と一番歳の近いヒロインだと思うと、愛しさが止まらない。
雪菜・かずさという春希のトラウマと接触しないで春希と結ばれる唯一の女性が、麻理さん。春希が「二時間前までの『俺の今』は、今では『俺のちょっと前』になってしまった」と、早々に過去を振り切るため、比較的悲壮感が薄れた話が進みます。後で振り返ればわかると思いますが、彼女に限っては心理的なすれ違いよりも物理的なすれ違いがメイン。そのことも、深刻にならずに済む原因でしょう。コミカルさも手伝って、続きをぐいぐい読み進められました。ただし、雪菜も物理的に逃げ回り、最後は「春希くんの逃げ場になってしまえば…先に身体だけ、繋いでしまえば…」と手榴弾を投げて寄こすので、油断しすぎには注意。なんだかんだで痛い展開は口を開けて待っています。
最後も距離と時間の壁を力業で突破する展開だったし、その意味ではとてもスッキリしたルート。何たって、踏み出しきれない春希に目を覚まさせる、親友・佐和子の一言は、「あなたのせいでもう20代終了なのよ、麻理」。よりにもよってそれかよ! と画面の前で大爆笑。三年越しの愛情も、怨みも、一人のOLの結婚適齢期の前には脆く儚いものでしかありませんでした。合掌。
かずさ・雪菜との関係を巡るトラブルに発展せず、かつ麻理と春希との間に心理的なすれ違いが少ないと言うことは、春希が極力自分の手でトラウマを乗り越えようとする、ということでもあります。半分は物理的に解決(文字通りの意味で距離をおく)しますが、もう半分は、春希の成長に委ねられました。麻理を愛していると自覚した春希は、急にしっかりしていきます。「自分がどういう人間だから雪菜を悲しませてしまうのか、三年間、自覚しつづけていた」と春希は語り、「誰に対しても好きって言えないんじゃなくて、誰に対しても好きって言ってしまっただけなんです」と自己分析。そして、優柔不断な自分と、かつての恋人・雪菜にはっきりと別れを告げます。麻理を捕まえに行くために。
「本当の締め切り」のトリックも含めて、綺麗にまとまった二時間ドラマのような感じ。しがらみを忘れて、純粋に麻理さんを楽しむルート。最後は絶対に味方をしてくれる親友・佐和子の力もあって幸せになったところといい、「IC」で実現できなかった春希たちの幸せの、一番綺麗な対称になっているお話だと思います。ちなみに、空港アナウンスの青山ゆかりさんの声を一番たくさん聴けるのもこのルートなので、ゆかり教育の犠牲者は堪能してください。
Hシーンは結構満足なのですが、できれば女王様プレイで調子にのってたらいつの間にか春希くんに主導権握られて涙目とか、そういうのがあっても麻理さんらしかったと思います。基本的に年上なのに若い子の勢いで主導権とられちゃってやんやん、な展開ばっかりでしたからね。それはそれでえっちぃからいいのですが。あと、やっぱりオフィスで一回くらいやりましょうよ。何のための机と椅子ですか(仕事のためですね、すみません)。そういえばストッキングキャラとしてもかずさvs麻理。こっちの勝負は麻理さんの圧勝。かずさ、脱いじゃうし……。
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◆「忠犬」かずさと、「当て馬」雪菜
雪菜は、かなり黒い人間です。「IC」時点でそんな気はしていましたが、小説『歌を忘れた偶像』での友近への対応を見て、自信が確信にかわりました(どうでも良いけど友近って名字はギャグだったんでしょうか)。春希が道を踏み外したことが嬉しい、そう言って股間を濡らし、挙げ句ぶっ倒れるまでオナニーするとか、一歩間違えなくてもヤンデレ予備軍。すっとぼけたツラをして、破滅の引き金を引きまくる黒い肉食獣。誰だよ、清純派とか言った奴……。
と、思っていました。「CC」を始めるまでは。
「CC」を途中まで進めて、雪菜を見誤っていたことに気づきました。たしかに雪菜は黒いのですが、それだけではない。そんなに単純じゃない。もっと色んなものが混ざり合った、本当にめんどくさい女性です。まずはそのことから。
黒い黒いとは言ったものの、じゃあ雪菜の「黒さ」とは何なのか。たぶんそれは、自分の目的のために躊躇無く他人を手段にできるところです。雪菜は、自分が他人からどう見られているのかよく解っている。他人にどう接すれば良いか、はっきりと理解しています。彼女はそれほどに聡明で、だから「学園のアイドル」をやっていられる。そして、その性格が自分の目的のために発揮されると、表面はにこやかに、時々涙もみせちゃったりして他人を操る、黒雪菜さんの一丁あがり、というわけです。
けれど、こと今回に関しては、雪菜は自分の欲望のありかたを捉えきれなかった。春希が欲しいのか、三人でいたいのか、彼女自身にもわからなくなってしまった。だから、気づいたときにはどうしようもなくなってしまった。結局彼女は、春希の側にいることを選びますが、春希を求めていたのは嘘ではないにしても、かずさの留学に伴って物理的に三人でいることが不可能になり、消去法で春希を選ぶしかなかった、という側面があることには、恥ずかしながら「CC」をプレイするまで気づきませんでした。
三年後のクリスマスイヴ、雪菜は春希を拒絶します。「わたし、逃げる彼を追いかけることはできる。でも、近づいてくる彼を受け入れることができない…」。そして、彼女は告白します。「わたしね、今まで、春希くんがわたしをさけてたことに安心してた。わたしの想いが届かないなら、もうあれ以上傷つかないんだって」思っていたのだ、と。つまり、雪菜は確かに春希を求めていたけれど、それが全てではなかった。彼女が春希の側に居続けたのは、そうすることで、三人でいるという彼女のもう一つの望みを潰しきらずに済むから。三人でいるという望みを宙づりにして、どこまでも保留するために、春希の側にいたのです。
「春希くんは決してかずさのことを忘れなかった。そのことに気づいたとき、身体が勝手に、彼のことを拒絶した」と雪菜は言います。それは、一つには彼女が言うとおり、春希が自分だけのものになるという望みが満たされないことに傷つくことを恐れたからでしょう。けれど、そんなことは小春や依緒が言うとおり、最初から判っていたことのはずです。そして、麻理ルートでそうだったように、雪菜は自分の身体を武器にすることすら厭わないしたたかさを持っている。自分が傷つくだけなら、雪菜は耐えられたはず。それなのに、どうしてここでは拒絶してしまったのか。それは、ここで彼女のもう一つの望みが、春希と同じくらい大事な「三人でいたい」という望みに決着がついてしまうことを恐れたから以外に考えられません。
雪菜の心理は、凄く複雑です。春希との関係で春希のために生きようという献身と、春希を自分のものにしたいという欲と、自分が傷つきたくないという保身がある。同時に、「三人」を壊さないために春希と自分との間にかずさを残しておきたいという思惑と、思い出のかずさにこれ以上苦しみたくないという思いと、もう一度「三人」に戻りたいという願いが、ごちゃごちゃに絡まっていて、いろんなところで少しずつ顔をだしています。どの画面がどれ、と明確に区分はできませんが、だいたい上のような感じではずしていないと思う。
そして「CC」編の最後。雪菜の復活ライブで、彼女が春希に頼んだ「無理矢理わたしを奪って」というのは、「三人」でいることを諦めさせてほしい、あるいはその優先度を春希の次につけてほしい、というニュアンスが含まれています。二人でライブをして、かずさのことを忘れ、春希を第一に考える。自分の望みを春希一本に絞る。それが「CC」での雪菜の決断です。もちろん雪菜には、春希がかずさを忘れられないことくらい、ちゃんとわかっていた。だから、ここからは雪菜が春希を本気で振り向かせるための時間になるわけです。
つまり「CC」編は、私に言わせればですが、ほとんど雪菜の物語。雪菜が自分の想いを形にしていく時間だったのだと思います。三人の新ヒロインたちとのやりとりで、雪菜は悲しいくらい見事な当て馬です。別れるとき、必ず雪菜は悲しいほど春希に尽くす。それが、ギリギリに追い詰められた雪菜の選び取った「本当」です。ただ、雪菜の場合、この望みが更に更新されます。一番鮮やかにそのことが描かれるのは、かずさルートですが、一旦それは措きましょう。ともあれ、「CC」で雪菜自身にとっても、またユーザーにとっても、雪菜の望みが固まっていきます。
たぶん私たちは誰も、自分の本当の望みとか、他人の本当の望みなんて解らない。そもそもそんなものが、あるかどうかすら判らない。けれど、追い詰められて、全て捨てろといわれて、それでも最後に残ったものが本当の望みだ、ということはできるでしょう。逆に言えば雪菜にとっては、そうやって追い詰められてはじめて、自分がどうしても譲れないものが見えてくるということです。「当て馬」として過酷な状況に立たされ、春希に何度も裏切られ、それでも春希を想い続けたということが、雪菜の本気を物語っているわけです。
対照的に、もう一人の「三人」であるかずさの場合、想いの形ははっきりしている。彼女は、どうすれば良いのかはわからないけれど、何がしたいのかは掴んでいます。かずさは言います。「あたしは、春希を護ってやることはできない。それができるのは、雪菜だけだ」。けれどそれでも、「想いの差なんかじゃない。気持ちの強さだけなら、負けない。負け惜しみだけど、これだけは譲れない」のだ、と。つまり彼女は、大きすぎる自分の想いを表現することができない不器用な女性です。
ピアノ、母親、春希と並べても、彼女の「一番」はブレません。かずさルートではっきり選んで見せたように、彼女は春希と引き替えにピアノを操る手を失うことも、目標だった母を喪うことも諦めることができる。ただ、彼女はそんな自分の想いをどう扱えば良いのか判らない。だから、春希や周りの人間に頼るしかない。雪菜と比較すると、かずさは異様に甘え上手なわけです。そんなかずさだから、春希は放っておけない。追い掛けてしまう。まあそりゃ、「あたしは…お前が好きって自分の気持ちばっかりでさ」なんて言われたら、追い掛けざるを得ないですよね。
犬はご主人様の命令に逆らえない、という言葉通り、かずさはいつも待ちの姿勢を崩しません。待って待って、待ちきれなくなって走るのではなく、耐えられなくなって逃げる、というのがかずさの基本パターン。それでも、想いだけは愚直に育てる。そういう一途なところがかずさのかずさたる所以でしょう。本作中もっとも素直でわかりやすいのは、実はかずさです。裏表になっている麻理もたいがいかわいいのですが、かずさのほうがDEX(器用度)が低いぶん、いじらしく感じます。「あたしは嫌な女だ、人間の屑だ。雪菜には…あんないい女には、なれないんだ」と自分で言うとおり、かずさは雪菜にはなれない。雪菜とは全く違うところで、かずさは悩み苦しみます。
かずさにとっての問題は、自分の想いの形でも、想いを遂げる方法でもなく、ただ自分の想いを貫いて良いのか、という一点に絞られます。「そして、比べてみたんだ。あたしの馬鹿な決断で、周りがみんな壊れてしまうときの辛さとさ」。そう言ってかずさは春希に、全てを壊すよう頼みます。春希はそれに応えて、全てを棄てて行く。親友だった武也も、恋人だった雪菜も、仕事も、国も、何もかも。ここにきてかずさの望みは、ただ春希と一緒にいるということだけではない、と誰にでも解るはずです。かずさの本当の望みは、自分が春希の一番になることではなくて、自分「だけ」が春希の一番になること。
私の友人に言わせれば、「これはもう心中するしか完結しないような気がするぜ」だそうです。かずさの場合、自分が死んだら春希には別の人生を探して欲しいと言っていましたが、それでも友人のこの言葉は、かずさルートの本質を射抜いた至言だと思います。かずさはまさに、(観念のうえで)あたしと死んで、と言っている。どこまでも一緒に生きることと、一緒に死ぬこととは、裏表一体ですから。だからこそ春希は、「お前が幸せになるために…いや、お前が生きていくために、俺が必要だって言うのなら…俺は、お前の側にいる」と、「お前が生きていくために」と言い直すわけです。
そして、エピローグ。「そうさ、あたし今、世界一幸せだ…みんなを不幸にして手に入れた幸せだけど、それでも、心の底から浸ってる。今のこの幸福感は、どんな悲しみや、辛さや、後ろめたさでも絶対に消すことはできないってことなんだよ」。この言葉が、かずさの想いの全てでしょう。かずさにとっての幸せは、春希が自分のために全てを棄ててくれることでした。自分が春希にとって、そういう存在になることだけが、かずさの願いだった。「教会の祭壇で雪菜が泣いてて、春希が照れてて、そしてあたしが、祝いのオルガンを弾く。そんな未来が、三人にとって一番幸せだったんだ。………三人の平均を取れば、だけどな」という彼女のつぶやきは、彼女が求めていたものを綺麗に描き取っています。きっと、「三人の平均」の幸せは、とても楽しくて美しくて、正しい。それはかずさにも判っている。でも、それよりもほんの少しだけ自分の満足が大きいなら、他の人を不幸のどん底に突き落としても、かずさは自分の最高の幸せを願わずにはいられない。「今よりもっと辛い思いをして、そして、今よりもう少しだけ、幸せになる」。そんな単純で一途で、それだけにとても厄介な女が、冬馬かずさという人間です。
さて、普通ならかずさのパワーの前にどのヒロインもノックアウト……となりそうなところですが、雪菜だけはかずさに拮抗していきます。かずさルートで雪菜は、「あなたに捨てられても、世界と自分を切り離せなかった」と、春希に別れを告げる。そうして、春希の棄てたギターを手に、遠く離れていった二人に、それでも言葉を紡ぐ。春希の一番になれなくても、春希と共にあることが許されなくても、三人でいることができなくなっても、それでも春希の幸せを祈る。それは、雪菜のわがままで、春希やかずさを傷つけるかもしれない。でも雪菜はその想いを止めることはできなかった。雪菜は最後まで雪菜だった。かずさルートの最後が雪菜で終わる、という最後の場面はいろいろと物議を醸しそうだし、読み方の別れるところでしょうが、私はそんな風に思います。少なくとも、曜子が雪菜たちと連絡をとりあっていたこと、その曜子とかずさたちは繋がっていることは確かなわけで、かずさと春希が誰もいない二人きりの世界に逃げ出し、そこに雪菜がまた割り込んできたとか、そういう話でないことは明らかです。
逆に、かずさは雪菜ルートで、一気に成長してしまう。「あたしの目指す場所じゃなくていい。ただ、あたしの帰る場所でいてくれればいい」と曜子に告げ、「きっともう、恋なんかできない。でもそれでいいんだ。それでいいんだよ…春希」と、春希を捨てることができる、強いかずさになる。雪菜は、春希なしでも雪菜だけど、かずさは春希がいなければ元のままのかずさでいることはできない。そんな二人のヒロインの、対照性があらわれています。
雪菜は麻理ルートで、「わたしは、やっぱりあなたを照らす光になれなかった」と言います。ベタベタの喩えで申し訳ないですが、雪菜は春希を照らす太陽になりたかった。全てを明るく照らす、太陽に。そしてかずさは、真っ暗な空で自分だけが光り輝く、春希にとっての月になりたかった。自分では輝けないけれど、地球を照らすことも暖めることもできないけれど、それでも他のどの星よりも近くで、夜空を独り占めする月になりたかった。たぶん、そういうことなんだろうと思います。
ちょっと長くなってしまいました。そろそろ次の話にバトンタッチ。
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◆春希という鏡
残るメインキャラクターというと春希は外せないわけで、正直野郎のことを書いてテンションが上がるか判りませんが……まあ、仕方がないですね。
本作に関しては春希は賛否両論別れるだろうなと思います。某誠君のように開き直った屑というわけでもなく、某孝之君のように見せ場なしというわけでもない。一応常識人で、責任感が強く、ハイスペック。しかしどうにもふらふらして、主体性がない。「届かない恋」の歌詞にしても、どうやら当初はかずさに捧げる歌だったのを、雪菜が来たからって二番の歌詞を追加しちゃうふらふらっぷりが却ってステキ。
春希は、屑といえば屑のようでもあり、誠実といえば誠実のようでもあり、どうもつかみ所がない感じ。これは、春希がヒロインたちの幸せの形を映す「鏡」になっているからだと思います。
春希自身が、あるいは雪菜が分析するように、春希は「誰にとっても公平に誠実」であろうとし、皆を好きであろうとします。その中から、「好き」でも「大好き」でもない、「愛している」一人を選ぶ。たしかに春希は選ぶ側なのですが、ただ、選んだ結果春希は全力で相手の望みに応えようとする人間です。ヒロインを選んだ瞬間、春希はそのヒロインにとっての幸せになろうとする。「鏡」というのはそういう意味です。そう考えるとこの作品で唯一春希にだけは、本当の意味で主体性なんて無かったんじゃないかとか思ったりもするのですが(そんなわけで、春希については声無しプレイをすると意外としっくりきます。声優さんには申し訳ありませんが……)、その辺は措いておきましょう。
そういうわけですから、ヒロインが春希に求めるものをみれば、幸せの形がわかります。たとえばかずさにとっての春希は、自分以外を棄ててくれれば良かった。では、雪菜にとっての春希はどうだったのか。雪菜もまた、春希の「愛する人」になろうとします。けれど、その方向性はかずさと180度違っている。全てを棄てるという、わかりやすい「証拠」を求めたかずさに対し、雪菜は全てを手に入れてなお、そのうえで雪菜を一番に選んで欲しいと願っています。だからこそ、彼女の道は困難に充ちている。二年間つきあった時間も、愛しているという言葉も、肉体の繋がりも、彼女の願いの支えにはなりません。
かずさはその強すぎる想いと不器用さゆえに、春希を物理的に手に入れることがゴールになります。「もう…雪菜と会わないで」と言うとき、彼女は逢わなければ春希が自分を想ってくれると、そう信じている。かずさにとっては想いこそが全てであって、100パーセント間違えていても、残る心こそが本物ということになります。
逆に雪菜は、弱くて器用なせいで、自分も春希も信じられない。かずさと春希の間にたとえ時間的・物理的な距離があったとしても、「五年間、春希くんはあなたのことを忘れたことは一度もなかった」のだと、疑ってしまう。だから雪菜は、苦しみ続けるわけです。そうして、かずさとは全く逆の方向で、つまり100パーセント正しく、かつ100パーセント幸せな結末を、雪菜は目指します。「わたし、かずさのことを愛してる。春希くんのことを愛してる。…もちろん自分だって、とっても愛してる。みんな、みんな愛してるんだよ…なのに、どうして苦しんでるんだろう。どこからこんな嫌な気持ちが出てきてしまうんだろう」という雪菜の言葉がその道の険しさと苦しさを物語っています。
「わかんない。わたしがあの時、誰のことを一番想ってたのか、今になってみても全然わかんない」。彼女は、最後まで迷い、悩み続けて、とうとうかずさのように思い切ることができなかった。それは、雪菜の強さかもしれないし、弱さかもしれません。ただ、そういう価値判断をあてはめることに、おそらく意味は無いでしょう。はっきりしているのは、彼女にとっての「オンリーワン」は、そういう形でないと見付けることができないものだった、ということです。
雪菜に応える形で春希は、「俺の命を捧げます。…自由に使ってください」と心の中で告げる。かずさと形は違いますが、やはり雪菜も春希に命を求めた。春希が、何もかもを預けることのできる春希にとっての「帰る場所」であろうとしたのが雪菜でした。
何かちょっと(かなり?)雪菜に肩入れして書いている感じがしますが、こればっかりは仕方ありません。coda編を終える直前くらいまで、「かずさ可愛いよかずさ」だったのですが、かずさルートの雪菜のあんまりなあんまりっぷりに、とうとう宗旨替えしてしまいましたので。私にとっての『WA2』の中心には雪菜がどーんと居座ってしまったので、垂れ流し感想になると彼女が幅を利かせてしまうことはご容赦いただきたい。
……結局春希の話はほとんどしなかったですね。
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▼余談 ~WHITE ALBUM 2 という物語
さすがに長くなってきたのでそろそろ話をたたむ時期でしょうか。結局私はどう、この物語を楽しんだのか。このクソ長い文章を読んで頂いた人には何となく伝わっていることを期待したいのですが、最後にそれだけ、何とか言葉にしてみようと思います。
春希たちに寄り添ってこの作品を進めていくと、彼ら・彼女らが「本当の想い」を巡って苦しみ、傷つけ合っていることが伝わってきます。私たちも、日常生活で何かを望み、願うことはあるでしょう。あのDVD欲しいなーとか、あれ食べたいなーという小さな物欲から、誰かに認められたいとか、是非プロジェクトを成功させたいとか、受験に合格したいというような(そういえばもうすぐ大学の入試ですか。がんばれ受験生)大きな望みまで。
けれど、その想いの多くは、日常の中に埋もれていってしまいます。下手をすると友情や愛情でさえも。では、本当に譲れない想いって、どんなものなのか。私は春希たちの物語のなかに、その理想型の一つをみたように思うのです。
……こういうことを誤解を招きそうなので、ちょっとだけ補足させてください。まず、私はこの作品に唯一の「答え」があったとは思いません。かずさも、雪菜も、麻理も小春も千晶も、彼女たちはそれぞれに譲れない想いを抱えていました。そのそれぞれが答えであって、別に優劣は考えていない。彼女たちが見せてくれたのは想いと、それを証立てする方法の具体例に過ぎません。かずさや雪菜の想いは、彼女たち自身のものでしかなくて、私たちがそれを引き継ぐことはできない。そんなのは当たり前です。
また、本作のありかただけが、想いの理想型だとも言いません。明るく一途に想い合う二人の描写こそが最高だという人も、心中ものにこそそれがあるという人もいるだろうし、もっとドロドロした「今宵のノコギリはよく切れる……」的展開でこそ人の想いは輝くのだという方もおられるでしょう。ただ、本作のヒロインたちのように悩み苦しみ傷つけ傷ついて、それでも残ったものが本物だ、というのは、私には説得力があるように思うのです。譲れない想いというのは、予め形が決まっているものではなくて、最後まで棄てきれなかったもののことを言うのだと。
ネタバレ無し紹介のところで、私は本作を理念の結晶だ、と書きました。それは、ここで述べたような内容から来る感想です。かずさの願いも、雪菜の願いも、どちらも同じくらい大切で棄てがたい、親友にして恋敵の存在なしでは形をとることができませんでした。壊れるものがあってはじめて、形を取る想いがある。誰かを想う気持ちは、強くなればなるほど他の人を排除していってしまう。誰かを愛する優しい力は、何かを壊す恐ろしい力と、実は裏表の関係にある――本作はそんな風にして、「本当の想い」を、極限まで純度を高めて描き取っているように思えたのです。そして多分、これは物語でなければできなかった。
下世話な話ですが、ぶっちゃけ私はAVやらセックスより、エロ小説とかエロゲーのほうが気持ち良くなれちゃう人間です。え、童貞なのにセックスとか見栄を張るなって? そういうツッコミは傷つくのでできればやめて頂きたいのですが……。
まあセックスは措くとしても、とにかく想像力が現実を飛び越えていくということはあると思っています。
というかそもそも、想像力ってそういうものなんじゃないでしょうか。だってもし、物語が現実の焼き直しでしかないなら、そこに描かれる世界はただの予定調和。せいぜいが現実をクリーンアップして形を整えただけのものです。でもそれなら、必要なのは想像力じゃなくて分析力か観察力ですよね。物語の想像力が本当に発揮されたとしたら、現実と拮抗しつつ、現実を飛び越えるような抽象的な世界を自立させることができる。私はそういう物語を読みたいと思うわけです(エロ小説の話はどっかやってください)。
あるいは、こう言い直してもいいかもしれません。私にとっては物語のほうが、現実ではないけれどはるかにリアルなんだ、と。私は二次元とか想像のほうが抜けちゃう人間なわけで、でもそれを駄目だとも情けないとも別に思いません。別に今のところ他人様に迷惑かけてるわけでもなし、それに物語が好きな人って、多かれ少なかれそういうところがあるんじゃないかな、とか勝手に妄想。
現実を深く捉えさせてくれる作品があるように、想像力を高くとばしてくれる作品というのもあります。そして、この『WHITE ALBUM 2』は、私たちの想像力に、高く飛ぶ翼を与えてくれる作品だったと思います。たぶんまだ何度も、私はこの作品をプレイし続けるでしょう。その結果、もしかしたら全然駄目だな、と思い直すかも知れません。けれどたとえそうだとしても、あるいは誰かに読みが違っていると言われても、キモいと言われても、これだけ楽しんだという事実は微塵も揺らぎません。だから胸を張って言います。
ああ、楽しかった!
というわけで、これにて感想なんだかWA2を楽しんだ自慢なんだか解らないこの感想もおしまい。我慢して読んでくださった方は、最後が自分語りというつまんないオチでごめんなさい。ただ、誰もが自分なりの『WA2』の世界を想像できる、そんな作品だったことは伝われば良いなぁ。願わくはいつか、色んな人とこの作品について話す機会を得られたらなと思います。そういえば、全然武也とかについて触れずじまいでした。いらんこと書いたり、音楽のこととか書き足りないこともあったりしますが、そっちはおいおいどこかでやるかもしれません。