「最果てのイマ」をkeyがリメイクするとこうなる
全ルート、つまりTerra終了後そんな風に思った。
田中ロミオにせよ、竜騎士さんにせよ、keyのライター陣にせよ、
誰がどのルートを描いたかはまずは置いておいて
5人のヒロイン、それぞれのルート、これを以後学園ルート呼ぶ。
さてこの学園ルート。
ヒロインとの交流が実は少ない。
共通シーンを除けば、低~中価格ゲームのイベント量と言っても差し支えないのかもしれない。
キャラクターとのバチバチする様な距離感や、葛藤があまり描かれずに、唐突に部活が始まり、
まるで仲間である事が予定調和の、四コマ漫画の様に、日常はそれなりに楽しく進む。
そんな中、気がつくと誰かと恋仲の様な事になって、その代わりに色々なものを失い、それぞれのルートは不完全とも言えるエンディングに帰結してゆく。
これらの学園編は、篝の行う演算の過程としてパッケージされ、(後に説明)
そこで完結し、閉じられ、終わる。どこにも出荷されない。
つまり、後に続くmoon、Terraルートに彼女達ヒロインの物語があるのならまだわかるが、
残念ながら、最後の最後まで無いので、これはギャルゲーの、いちルートの評価としての話なのだが、やっぱりこれじゃ不完全かな、と。
逆に言えば、既存のギャルゲーとしての評価の枠にハマる作品ではないとも言える。
(イチャイチャ、キャッキャウフフ、みたいな物がほぼ無いし)
さてそんな中、本番とも言えるMOON、Terra編。
このMOON編が主人公と篝の人との距離感、コーヒー3杯で始まる交流、ファーストコンタクトから丁重に書かれていたので、実はこのMOON編が自分は一番好きだったりする。
二人だけ世界なのに、濃密なのだ。
バトルシーンは少し辟易したが、これも所詮は好みである。
このMOON、Terra編を書いたのは田中ロミオだと推察する。
ネットでの情報も鑑みるにそれなりに信憑性も高い様なので、上記を前提として話を進める。
*以下、他ゲーム、最果てのイマの一部ネタバレも含みます。
「――千々に千切れた心のピース どうか、優しく配列されますように」
さて、これは田中ロミオ不朽の名作、「最果てのイマの」キャッチコピーである。
これはイマと言う少女(主人公に備わった演算能力)が、主人公の砕けて、断片化した記憶を必死に配列しようとしている様であり、
何を思い出すかと言われると、月の篝である。
学園編のルート郡は、星の為により良い記憶を探し続けると言う、篝の演算シミュレーションの一つであると考える。
それはつまり、星に対して、極限に優しい配列を探していたのだ。
また最果てのイマは、すべての配列が終わると、第二部とも言える戦争編が始まる。
Rewriteで言う所のterra編である
主人公は星の意思ならぬ、人の意識の集合体とも言える自我と呼ばれる終末を予測。
人を超えた王の力(演算能力)を使って滅びを回避する。
月の篝の力も、演算能力であると推察すれば、〝鍵の力〟と〝王の力〟の立ち位置は、やはり似ている。
天王寺瑚太朗は、月の篝の演算結果から出た可能性を元に送られたある種プログラムの様なものと考えられ、それはTerraルートで、決して選択肢を選べなかった事からも推察される。
この様に、「イマ」「篝」とを入れ替えてみると、作品の類似点が色々見えてくる。
つまり、いい加減、何が言いたいんだっていうと、田中ロミオに全部やらせてればもっと面白いモンが出来たんじゃないかなー!という事で。
Rewriteと限りなく似ていて、作品の出来としては最果てのイマはRewriteとは大分違う。
それはやはり学園にあたる部分も田中ロミオが手がけてる事によって全編に渡って作品の雰囲気と言うか、統一感が素晴らしかった。
Rewriteの学園編は、もっともっとキャラクターを掘り下げられたと思うし、それによってキャラクターへの理解度も深まるのだ。
吉野晴彦の散り様は、しかし樋口章二には成り得なかった様に。
それとTerra編等における、少しチープとも言えるバトルシーン等も、もう少し無骨にやれたかと。
良いか悪いは置いておいて。
ただ、音楽、CG、ゲームとしてのクオリティーはkeyが関わったから今回の様な出来にもなったのは事実なので、一概にどちらか良いとも言えず、難しい所。
MOON→Terraでこの作品を評価されている方は、ぜひ「最果てのイマ」を入手、プレイしてみて欲しい。
より純度の高いRewrite?が楽しめるかもしれない。(別に焼き増しとは言いません)
keyと言うメジャーブランドで日の目を浴びた今だからこそ、そんな事を言いたくなった、そんなレビュー。