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Lumis.Eterneさんのセンチメンタルグラフティ2 for Windowsの長文感想

ユーザー
Lumis.Eterne
ゲーム
センチメンタルグラフティ2 for Windows
ブランド
GungHo Works(Interchannel、NECインターチャネル)
得点
46
参照数
586

一言コメント

この作品が、ギャルゲーを破壊する第二の理由。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

最初にご注意を。
この文章は、「センチメンタルグラフティ2・DC版」の感想の続きになっています。
ですから、できればこの文章をお読みになる前に「DC版」の感想をお読みになることをお勧めします。


DC版の感想をお読みになった方であれば、この作品がそれほど出来の良い作品ではない(少なくとも私はそう判断した)ことは
ご理解いただけたのではないかと思います。
それなのに、なぜ私が性懲りもなくPC版をも購入したのかといいますと、それはひとえに「少しは良くなっているのではないか」と
儚い望みを託したからです。しかし、実際はDC版もPC版もほとんど内容に違いはありません。
ですから、もしもこの作品をやろうと考えているのであれば、どちらか一方で十分だと思います。



さて、ここからが本題です。

エロゲーやギャルゲーというのは、ある種の幻想を共有することによって成り立っています。
現実世界では明らかにおかしい、あるいは不合理なことであっても、ゲームの世界では当たり前に受け入れられているようなことは
数多くあります。
ゲームの世界であれば、「ランドセルを背負った18歳のロリ少女」がいても全くかまいませんし、
「実の母親がバージン」であってもいいのです。

しかし、実はこのようなことは何もゲームの世界に限ったことではなく、アニメにしろラノベにしろ、もっと言えば映画や小説など
およそ創作物というものすべてに共通する特質である、といっても過言ではないでしょう。

つまり、誤解を恐れずに言えば、創作するという行為自体が創作者自身の妄想や幻想、あえて言えば予断や偏見を具現化する行為
であるわけです。
そして、その妄想や幻想のうち、多くのユーザーによって受け入れられ共有されているものを「お約束」や「エロゲルール」と
言ったりするわけです。
ですから、エロゲーやギャルゲーをしない人(一般人)から、このようなお約束に対して「おかしい」とか「気持ち悪い」などという
異議申し立てがあったとしても、多くの場合、私は的外れな批判だと感じるわけです。
つまり、彼らの批判は多くの場合、「サッカーで手を使ってはいけないのはおかしい」というレベルの批判だからです。
「現実生活ではみんな手を使っているのだから、サッカーで手を使えないのはおかしいだろう」というわけです。
もちろんこれはたとえ話であって、現実に彼らがこんな批判をサッカーというスポーツに対してしている、という意味ではありません。

サッカー選手は、現実と照らし合わせて合理的だから「手を使ってはいけない」というルールを守っているわけではありません。
このルールを守ることが、サッカーというスポーツを面白くすることであり、同時にサッカーというスポーツを成り立たせている
基盤であるからです。

エロゲーマーやギャルゲーマーも同じでしょう。
私たちの多くは、現実と比較して合理的であるかどうかとは関係なく、エロゲーやギャルゲーを存立させている基盤として、
エロゲルールやギャルゲルールをお互いに認め合っているわけです。
これは、サザエさんというアニメで、「登場人物は歳をとらない」という、およそ「現実離れした設定」を当たり前のこととして
受け入れているのと同じことなのです。

ただし、私は一般の人からの批判がすべて的外れだとは思っていません。
中には、私たちが謙虚に受け止めるべき、本質的な指摘もあると思います。そういう指摘に対しては、素直に耳を傾けるべきでしょう。


さて、私は以前に深夜番組で、司会者がゲストに

  ある女性がこれまでに付き合ってきた男が、三人いるとして
  あなたは何番目の男になりたいか?

と尋ねているのを見たことがあります。
私の記憶では、そのときのゲストは「最後の男」と答えたと思います。
現実世界では、このような問いも成立するのでしょう。一人の女性が、生涯にたった一人の男性としか関係を持たない、というのは
極めて例外的なことだと思いますから。

しかし、エロゲーマーやギャルゲーマーの間では、そもそもこういう問いが成立しない可能性は非常に高いのではないでしょうか。
つまり、エロゲーやギャルゲーの世界では「ヒロインは生涯に一人の男(主人公)としか関係を持たない」のが当たり前であり、
当然主人公はヒロインにとって「最初の男」であるのと同時に「最後の男」でもあるわけです。

純愛系のエロゲーやギャルゲーにとっては、多くの場合このことは絶対的な不文律であり、極論すればこのことによって
エロゲーやギャルゲーは成立しているわけです。

考えてもみてください、苦労して攻略したヒロインとの感動のエンディング、そのエンディングの三ヵ月後にそのヒロインは
別な男と付き合っていて、ラブホの一室で「アンアン」していたとしたら・・・。
こんなゲームに、あなたは感動できますか?こんなゲームを、あなたは本気でプレイできますか?

この、センチメンタルグラフティ2という作品は、ユーザーに対してそのような可能性を突きつけてしまったのです。

  ヒロインは、その生涯に7人の男と関係を持ち、主人公はそのうちの4番目の男だった

という可能性を、ユーザーに対して示唆したということです。
これは、多くのエロゲーマーやギャルゲーマーにとっては、考えるのもおぞましい、まさに恐怖そのものなのではないでしょうか。

以上のような観点から、この作品はエロゲーやギャルゲーの「よって立つ基盤」を破壊してしまったと思います。
このことは、DC版で述べた問題点よりもさらに何倍も深刻だと、私には感じられるのです。

あるいは、もしも制作者がエロゲーやギャルゲーの現状に対する問題意識から、あえて批判覚悟でこのような作品を作り、
シナリオもそのことが明瞭にユーザーに伝わるようになっていたなら、私はこの作品を擁護したと思います。
問題なのは、制作者にはそのような問題意識などなく、ただ「二匹目のドジョウを狙う」という目的で
この作品を作ったようにしか見えない、ということなのです。これでは、とても擁護などできるはずもありません。

また、この作品のようなヒロインが12人のうちの一人か二人だったなら、私は全く問題にはしなかったでしょう。
問題なのは、12人全員がそうだということなのです。
これでは、「救いがない」とか「逃げ場がない」と感じた方も多いのではないかと思うのです。