高いレベルでまとまっている。積んでおくのはもったいない
絵:17 シナリオ:16 音楽:17 システム:15 キャラクター:18
総評
イベントの一枚絵、背景ともに世界観に合致した美しい仕上がりで他社の作品とは一線を画していると感じた。とくに背景の綺麗さは目を見張るものがあった。
シナリオは過去と現在という二つの物語を上手く組み合わせて全体の流れを創り出している。現在編での話の根幹である演劇は過去編の出来事の二重写しとなっている。内容は割愛。
[A.C.V]という視点切り替えを行うシステムがある。登場人物たちの考え方や行動理由が明確になり結果、物語に説得力が出る。
物語というものは複数からなる登場人物の多種多様な思考が交錯し紡がれていくものであるということがこの作品でははっきりと示されていて、蒙昧な部分がなくそれがプレイ後の爽やかな感覚に繋がっているのだと思う。
以下、駄文。
ところで個人的に気になったことだがこの物語の主人公はいったい誰なのか。現在編では当初男性であるセロの行動に注視していたのだが、システム面によることもあり、目まぐるしく一人称視点が転じて見たところ主要登場人物ほぼ全員に心理描写が行われている。そのことで感情移入ができる唯一がいないという状況はプレイヤーに負担を強いるという側面もあるだろうと思う。だがそれがまた一方では、丁寧な心理描写による登場人物たちの行動理念や思考がプレイヤーに向けて明文化され、物語全体に説得力を生み出す役割を果たしている。
主人公は明らかにプレイヤーとは別の存在であると考えられる。この作品は一つの視点という感情移入を助ける構成に拘らず割り切って全体を語ることに重点を置いた物語だからである。通常のストーリーではプレーヤー=主人公の構図が成立するのだがそれは主人公の一人称視点で話が進むからであり、この作品の構成には当てはまらない。プレイヤーは主要人物が語り演じる物語を眺めているだけである。演劇というキーワードを持ってプレイヤーと主人公の位置づけを考えてみると、プレイヤーは物語の観客であり、舞台の上で劇を演じている登場人物が主人公であるように思える。結論を無理矢理出すなら物語中の心理描写がされる人物すべてが主人公とすることになるが、これは乱暴すぎる論理だろう。
視点を変えて物語の真ん中、支柱を担うキャラクターを考えてみる。ここでいう支柱というのは主人公のような行動一つで場面を大きく動かすような力がある存在ではないが、その物語には欠くことの出来ない重要な役割を果たしかつテーマを担う存在のこととする。一般的には主人公がそれを兼任していることが多いが、この作品を考えるにあたり複数の主人公を仮定するならその多様な行動指向性をまとめる存在があるはずだと思ったからである。この存在は過去と現在を繋ぐ架け橋であるキャラクター、ココが当て嵌まると思われる。なぜなら、もしもいなければそもそも過去編は生まれず、演劇を通した人と人形の普通の物語になっていたからだ。過去編があり初めて現在編での演劇が特別な意味を持つ。ココは代わりの利かないキャラクターであって、ココでなければならなかった存在である。だがしかしココは物語の全容を唯一知り得る存在であるだけで、話を思い通りの方向に舵を取る力はないため主人公ではない。
ここまで考えてみたが、結局のところ、何も分からなかったと同意だった。骨折り損。
プレイ中は世界観にどっぷりと嵌っていたし、懸念された多重視点に置いて行かれるという現象に遭遇することもなく普通に良作だったとの感想を残せる。面白かった。