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KetTさんのゴア・スクリーミング・ショウの長文感想

ユーザー
KetT
ゲーム
ゴア・スクリーミング・ショウ
ブランド
BLACKCyc
得点
83
参照数
409

一言コメント

よく出来てる。それ故に期待とは違うものが出てきた。ジャンクなハンバーガーが食べたかったのに高級店のハンバーグセットが出てきてしまった感じ。多分、タイトルが悪い。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

BLACK Cycさんのゴア・スクリーミング・ショウ。同ブランドは初プレイですが、その筋ではとても有名なタイトルですね。ずっとプレイしたいと願っていた作品でようやく念願叶いプレイするに至りました。
非常にまともなゲームでお話はよく出来ている。表面だけなぞっても満足できるし深く考察していけばどんどん味が染みてくる作品。
それだけに個人的にはイマイチ期待外れでした。。。というのも、グロサイコホラーを期待して本作に手を出したから。こんなショッキングなタイトルじゃそりゃ期待しちゃうってもの。名は体を表すよろしく、本作の内容を冠するタイトルとしては少し大仰だったように感じます。
某掲示板でグロゲーと言えばゴア・スクリーミング・ショウ!みたいなお勧めレスを見てしまって、そっち方面のゲームとして大いにハードルを上げてしまったのもマズかった。
サイコホラー感は横に置いておいて、じゃあゴア表現そのものはどうだったかというとそちらの評価も△。いやグロくはあるものの臓物出てれば良いみたいな感じを受けてしまって、なんだかなぁという感じ。
クリックすることが怖くて手が止まるといった緊張感も特になく、なぜグロゲーとして本作が推されているのかは正直首を傾げるところ。世間的な評価としては過剰に持ち上げられ過ぎている気がします。
それよりは練りに練られた設定やストーリーの方が印象深い作品でした。ユカを好きになれるかそうでないかで多少賛否は分かれるところもありそうですが、、、なぜそっち方面で有名にならなかったんだろう・・・?


・ストーリーについて
なんて言えばいいんでしょうね、、、愛と向き合う話、という印象を個人的には持ちました。復讐の話とも殺人鬼から逃げる話とも言い難い。後述する「三つ編みネコさン」そのものがこの話の肝になっていると感じます。
最後のルートの存在がよくわからず攻略サイトに頼る最中、意図せず他人様の考察を拝見しましたが、非常に設定が練られていることに驚きました。『イド』とか『自我』とかね。もちろんユーザーいち個人の考察でしょうからそれがすべてというわけでもないのでしょうけども、もしそれらがすべて狙って書かれていたのならもう脱帽という感じ。
キャラについては次項で述べますが、信号や数字の語呂合わせも最初気づきませんでした。言われてみればそうだな!と思い、逆に言えばそれだけ話に夢中にさせられた作品だったということ。私は大体プレイ中に一歩引いてしまうことが多く、作品や世界観のアラや仕掛けそのものに目が向いてしまうことが多いのですが、本作は最後までお話に集中できたのでストーリーテリングの力は並々ならぬものがあったように思います。

肝心の本筋ですが、、、このライターは希衣佳が嫌いなのだろうか・・・笑。彼女だけgoodでもかなり追い込まれてたのはちょっとモヤっとしました。他二人は正しくgoodエンドだったのに対しこのルートだけは残念ながら読後感が良くなかった。
その意味では闇子ルートもビターテイストだったのですが、こちらは安易にくっつかなかったことに賛辞を。立場や考え方が違う中でそれでもお互い明るい展望をもって進む結末は他のヒロインには務められない役割だったでしょうし、彼女の人となりが最後までぶれることなく走り切れていたのは非常に感触が良かった。
trueとされているユカルートですが、ここはユカに対して好意的にとらえられるかで印象が変わるような気がします。私は正直信号トリオのほうが好きだったので、各ヒロインをゴリッゴリに追い込んでいくユカに対しては残念ながら良い印象を持てませんでした。
むしろ由規と同じように感じた側。恭司がそこまでユカに固執するのもユーザー目線からではよくわからなかったし、友達や家族を切り捨ててまですべてを懸ける恭司には疑問しかなかった。さんざ悪さしてきて今更調子いいこと言うなよ、とも。
まぁ元はと言えば彼女も被害者なわけですから、あまり厳しい意見も可哀想ではあるんですけどね。


・考察、、、と言えるほどでもない雑感と『三つ編みネコさン』
前述の通り、イドやら自我やら、そちらについては明るくないのでさっぱりでしたが私的には日本神話がベースにあるのかなとプレイしながら感じました。国産みに代表されるアレですね。
ユカはまさにイザナミがモチーフなのかなぁと。古来より地下=異世界・死者の国という解釈は浸透していますし、『黄泉の国』の『食べ物』を取り込むと生者に戻れなくなるという伝説も、『井戸の底』にあった『石』を身体に取り込んだユカは成長しなくなった=生者の摂理から外れたとも解釈できます。
イザナギが黄泉平坂で蓋をしたのもまさに『大岩』。本作で言うところの『井戸の石蓋』でしょうか。石と岩では厳密には違うのでしょうが、堅く塞ぐものとして正しく日常とゴアの世界との境界線としての役割を果たします。
紫をユカたらしめたのは、桃音・姫子・早由海の三人。イザナギが醜女と化したイザナミから逃げるときに用いたのは桃・筍・葡萄。ここにも共通項があるように見えます。姫=かぐや姫→竹という解釈。
早由海に関しては葡萄と結びつかなかったのですが、苗字にでも関連があったのでしょうか?(名前で調べると一応それっぽい絵本は出てくる、、、まさかね・・・)。ここは強引なこじつけだなとは自身でもちょっと思いますが、名前遊びとして仕組まれていたのだとしたら仕掛けとしては悪くはないのではないでしょうか。そもそもヒロインの3人からして遊び心入れたネーミングをしていますし。真偽はいずれにせよ本来イザナギを助けるための道具だったはずが、イザナミ(紫)をこの世ならざる者へと貶めたというのは随分と皮肉が効いてるように思います。
日本神話ではイザナミはイザナギと一緒にいることは叶わなかったわけですが、本作紫と恭司は最終的に共に居ることが叶います。これも『石を吐き出したから』。ファンタジーのようになんとなく、例えば「主人公の愛が運命を変えた」のように曖昧で済まさなかったところに因果の重要性が示されています。
『石』それこそがすべての始まりであり元凶であると。もし紫が井戸に閉じ込められることがなかったならばこの一連の悲劇は起こり得なかった。彼女もまた被害者であり、「ただ大切な人(達)と一緒に居たいだけだった」というのは悲しいかな神話のイザナミとも符合します。
紫は言わば夢が叶ったイザナミの姿。対照的に真白さんは助からなかった紫の姿。あちらの世界に囚われ続けあちらの世界でしか生きていけない役割のキャラを出すことで明確な世界と運命の対比を描きたかったのではないでしょうか。

『三つ編みネコさン』についてですが、恐らくここはプレーヤーそれぞれに解釈がわかれるところでしょう。
私は「猫=ヒロインすべてと恭司(広義には世の中すべての人々)、おばあさん=それを温かく支えてくれている人たち」のように思えました。社会というのは誰に対しても厳しいものです。どう生きても何かに苛まれる。それでも、いざとなったら「大切な人=おばあさん」のために人は戦える。
そしてその時武器になるものは正に「誰かに愛された証=三つ編み」です。それがあるからつらいことも乗り越えられる。人生そのもの、そして今迷い生きる人々を描いた劇中劇のように感じました。
あかねにおける恭司との思い出。葵における恭司との交換日記。希衣佳における恭司との転校前の日々。ユカにおける恭司との祭りの日の記憶。恭司においては特定の誰かとは言い難いですが、彼も自身が子供であると作中さんざ自覚しているように、彼を取り巻く大切な人々から知らず与えられていたすべてが困難と立ち向かう武器となった。それがあったからこそ愛する人とトラウマを乗り越え、自分を信じ、自らを受け入れ、生ある世界へ戻って来られ、そして新しい生き方を見つけることが出来た。
正しく自分自身と、愛されている・愛されていたんだという愛情に気づけたからこそ各ルートgoodエンドへと到達するに至った訳です。
最初ユカはこのお話を読み聞かせられてキャッキャとしていましたが、それもそのはず。自分が両親からすら愛されていたということにも気づけていなかったのですから。ゴアはそんな紫をモチーフに猫を描いた。ゴアでさえ気づけていたことに気づけなかったことを不憫に思ったのかそれとも嘲笑いたかったのかはわかりませんが、もし前者だったのなら、彼に対する見方も少し変わる気がしますね。
そう考えると恭司に『三つ編みネコさンチーム』をあてがったのも、彼(ら)に紫を救ってほしかったからなのかもしれません。自分はただの道具で、主人を変えることまでは敵わないから・・・というゴアの悲嘆が見え隠れするようです。
もちろん解釈に正解なんてないのでしょうが、各々がこの『三つ編みネコさン』に何を見出すかが本作におけるライターの最大の問いかけと意義だったのではないかと思います。


・キャラについて
ヒロインとしては信号トリオが好みでした。半面ロリは得意ではないので紫はイマイチ。前述の通りユカに対して好意的に見れるか否かでお話の受け取り方が変わるように思いますが、その意味では残念ながら本作の魅力をうまく享受できなかったように感じます。本作レビュアーに『ユカゲー』と言わしめる所以は正にそこにあるのでしょう。
人物において特筆すべきは大人連中の描き方。キレイな存在一辺倒で描かれていなかったのは特徴的でいて作品の芯をうまいこと突いていました。
安藤や希衣佳の母親はもとより、闇子や由規でさえ過去に荒れた時期があったことが明言されている。大人は理解があって守ってくれる・人間的に出来た素晴らしい存在として汚点なく描く作品が多い中で、醜い部分も惜しげなく描いていたのはこの作品の面白いところ。作中闇子は由規について「立派なことばかりしてきたわけではない、今恭司から見た由規が尊敬できるならばそれでいいじゃないか」といった趣旨の発言をしますが、正しく人間というものを真っ向から捉えているように思います。誰しも過ちを犯しながら大きくなっていきますしね。
あらゆる要素の対比を持ち出している本作ですが、そのスポットライトが大人側にも向いていたというのはこの作品ならではのストロングポイント。良い面も悪い面も全部まな板の上にのせて『現実』を描くというのはテーマ性に合わせよく出来ていたと評価して問題無いでしょう。


・ゴア表現について
ここが最大の残念ポイント。かなり期待したのに全然大したことがなかった。。。良く調べもせずに勝手に期待しすぎた自分も悪いんですけども。。。うーん。。。
でも期待するってもんでしょう!?「ゴア・スクリーミング・ショウ」ですよ?こんなイカれたタイトルじゃ、そりゃサイコなホラーグロゲーが出てくると期待して止む無し!・・・と思うのですがどうでしょう?(小声)
グロもグロで大体臓物ドバァーなものばかりで、うーんホラー感が足りない。先の展開が怖くてクリックする手が止まる・・・といったこともなくて、やっぱりホラー感が足りない。
まぁそんな緊張感やショッキングさは作品の本質ではないということなのでしょう。事実モザイクもかかってますしね。
こういうゲームこそお話で評価されてほしいと思うのですが、センセーショナルでキャッチーな方に流されるのも人間というもの。ゴア表現などはその最たるものですから致し方ない部分はあるのでしょうが、本ゲームの真価は世間にまともに受け止められていない印象を受けました。
さんざぶち上げているように、何をどのように感じ受け取るかはユーザーひとりひとりの感性によるものだと思うので、それを言うのも野暮だとは思うのですけれど。


ということで、正しく期待と違ったゲーム。もっと頭のおかしいパニックサイコホラーみたいなものを期待してたのに蓋を開けたらちゃんとしたストーリーのものが出てきた。
期待したものから意図せず立派なものが出てきたならポジティブな裏切りだったのですが、あまりにグロゲーとして有名になりすぎてそちらに期待してしまった結果「よく出来てるけどこういうのを期待したんじゃないんだよな・・・」というしっくりこなさ加減が残ってしまった。
私自身、過去似たようなレビューを書いたゲームがあったのですが、あちらは前評判通りのサイコな世界観からのシナリオゲーだったのに対し、こちらは評判の割に至極まともな世界観からのサイコ展開。プレイ前の期待値をどう踏まえた上で裏切っていったのかで評価が大きく分かれた気がします。もちろん後世のグロゲーとしての評価は本作メーカー側がすべて意図したものではないのでしょうが。
現在にまで至るその人気と呼び声、そしてショッキングなタイトルから抱くイメージと内容の差異に、少なくないほど評価を下げたかなというのが個人的な素直な感想。正直何も知らずに内容だけプレイしていたならば90点近く付けていたように思いますが、、、やっぱりタイトルって大事ですね。
グロは大したことないとは書いたもののダメな人にはダメな内容でしょうし、諸手挙げて人に勧められるかというと難しいところ。
それ故にゴア評価が独り歩きしたのかもしれませんが、私的にはそれほどでもないので大丈夫そうなら是非プレイしてほしい1本という総評。
願わくばもっとストーリーや設定の緻密さで評価されて欲しいと、そんな風に感じた作品でした。