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KYさんのもしも明日が晴れならばの長文感想

ユーザー
KY
ゲーム
もしも明日が晴れならば
ブランド
ぱれっと
得点
85
参照数
998

一言コメント

名作泣きゲーで泣けなかった男の考察。この作品で泣ける人ってどういう人だろう?

長文感想

泣きゲーで感動こそすれ泣いたことはないって人も沢山いるでしょうが、
僕は涙腺が緩いのでこの作品も涙ボロボロ零しながら終われるだろうと思ってたんですが…
所々じわっと来る場面はあれど、号泣ってのは無かったですね。
そんな時「泣けなくてガッカリ」とか「そこまで感動出来る話じゃなかった」と書く人も多いのだろうけど
僕が一番に思ったのは「あぁ、勿体ないな」と。

だってそうでしょう、たくさんの人が泣いた物語で自分は泣けなかったってなんか勿体ない。
と言う訳で、一体何が号泣を妨げていたのか、どういう人が泣ける作品なのか、
そこらへんについて考えてみました。
正直未プレイの方の為になるレビューは書けそうにないですが。



この作品って分かりやすい物語じゃない。
例えるなら迷える子羊がいて、それを導く牧師がいて、迷える子羊を救う神がいて…
大抵の作品ってそれら全てとは行かなくても、1つ位はその役職の人が決まってる。
ヒロインが「迷える子羊」で、主人公も途中まで一緒に彷徨(時に血迷)ってたんだけど、
「牧師」である他のサブキャラやらヒロインやらの助言を経て子羊を導く神になる。
こういうのは分かりやすい。何故か?役割が明確に決まっているから。

この物語はそうじゃない。
同じルート内でさえ、誰が子羊で、誰が牧師で、誰が神で、
そんな役割分担が殆ど存在せず、コロコロとその役割を変えていく…
そりゃ分かりにくくもなります。


でも、よく考えたらそれってこの上なく自然なんじゃないかと。
消え行く自分を自覚しながら他人を励まし続けられる人なんているだろうか?
大切な人が消えて行く様子を目の当たりにしながら強くいられる人なんているだろうか?

一樹がヘタレだった、と言う方も多いでしょう。もちろんそれも1つの評価ではありますが、
主人公は常に迷える子羊を救う神でいなければならないなんて誰が決めたのか?
最愛の人を亡くした一樹に、常に気丈で人を救う立場であれ、なんて言うのは少々酷じゃないかと。

この物語の登場人物たちは誰も彼もが弱いから、
誰かを励ました誰かが今度は励まされる立場になる事もあるし、
全員が弱さを曝け出してしまってどうしようもない時だってある。
その様子を省くことなく、隠すことなく描いているのがこの作品の良さなんじゃないかと思います。


ただ、この物語は物語である以前に作品です。
架空の世界を遠くから見ているだけではその世界にのめり込む事は出来ないが故に、
泣く為には世界に近付く為の体験というか、そういうのが必要で、
その体験ってのが感情移入や共感といった言葉で表せるものだとしたら、
いかに心情をリアルに描いていても、それが身近に感じられなければ感動も半減してしまう。

大切な人を亡くした時の気持ちなんて理解できる人のほうが少ないハズです。
それを無理やり感情移入やら共感やらさせようっていうんだからそりゃ難しい。
つまり、リアルな心情を描いた事が良い点であると同時に欠点にもなってる訳。

そしてその欠点を補う布石になるのが共通ルートなのかな、と。
個別がシリアスありきになっている大多数の作品において、
共通での出来事を通して読み手と作品世界との距離を縮める、
っていうのは思った以上に大きな意味を持つんじゃないかと。
共通を退屈だと感じず、そこでどれだけこの世界への思い入れを深められるかが、
実は個別での感動を左右する重要な一因となってるのかも知れませんね。


結局はどれだけ感情移入出来ていたかが泣けるかどうかを左右する、という単純な結論ですが(汗
そういう意味では、話の細かい矛盾に気づいたり登場人物の思考の変遷が理解できなかったりといった
世界との距離が遠くなる体験が多いと泣く事も難しくなるのかな。

要するに何が言いたいかというと、この物語は
あまりややこしい事を考えず純粋にのめり込める人が一番得をする、という事。
感情移入出来れば号泣出来る事請け合い。
その逆、この作品に多少なり穴がある事もまた事実。
100点付けた方でも「減点すべき場所はあるが…」というコメントをよく見ます。
とにかく世界との距離を近づける事が出来た人が泣ける、そんな作品なんじゃないでしょうか。