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HARIBOさんのScarlett ~スカーレット~の長文感想

ユーザー
HARIBO
ゲーム
Scarlett ~スカーレット~
ブランド
ねこねこソフト
得点
90
参照数
179

一言コメント

軽快でテンポの良いテキストからなるエンタメ性は多くの人に受け入れられやすいだろうと感じる。少なめなボリュームにエンタメ、テーマを詰め込もうとするあまり中途半端な部分も見受けられるのは欠点かもしれない。個人的にはそれぞれの立場から見た「日常」と「非日常」というストーリーを終わらせた後に何を得たのか、何が残ったのかということがキモかと感じた。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

ねこねこソフト(第1期)最後の作品。

洋画チックなテイスト、ハードボイルドな登場人物、軽快なテキストからなるエンタメ性。風呂敷は広がって世界を舞台にしていくが最後は原点に回帰する展開。

最後の作品にふさわしく「終わらせ方」が特徴的な作品だ。明人の憧れから始まった物語は主役を変えつつ、明人の視点で終わる。
4年と5か月の冒険の末にバレッタを手放し彼がたどり着いたのはもと居た「日常」。
この終わり方は広げた風呂敷と設定の割にはずいぶんとさっぱりしていて性急さを拭えないところである、まぁ切なさを感じさせる余韻は一級品だが。
しかしこの終わってしまった冒険の中で得たものは大きいはず、経験などいろいろあるが最たるものは伴侶であるしずかだろう。そして、そこにこそ境界線を越えた価値がある。

これをねこねこソフトというブランドとして考えると、ブランドの作品を通して感じたもの、得たものに価値があるのだと思う。

ねこねこソフトの代表、片岡とも氏の言葉だが、

「……作曲家が死んでも、心の中で曲は生き続ける。

もしも誰かの記憶の片隅に、わずかでも残ることが出来たなら、
それが自分にとっての、生きた証しなのかも知れません。」

このScarlettも、他作品もそうだが私の記憶の片隅に残っている。そしてそこにこそ価値があるのだ。


さて、日常と非日常がことあるごとに描写される本作。テーマは間違いなくそこにあるのだろう。

諜報員たちが暗躍する銃と争いの世界が「非日常」と見られるのが一般的ではあるが、生まれつきその立場にいる人間にとってそれが「日常」であることは九朗のセリフでもよく語られるとおり。個人的にうまいと思わせてくれたのはインターミッションの「非日常 non normal life」だ。
非日常と題するこのエピソードで描かれるのは、映画館、回転寿司、公園など世間一般でよく見る日常。
しかしそれは彼らにとっては稀有な機会であり非日常なのだということを実感させてくれる。


そして二つの世界の境界線を越える描写があるが、ここでいう境界線とは普遍的なものでなく人により位置も高さも異なるものだ。「普通」というものが人により違う常識で語られるように、自分にとっての非日常に飛び込めるかどうかは生まれ、育ち、資質…その他様々なもので判断される。
九朗は背負っているものが大きすぎるが故にその決断はできなかったし、反面明人は背負っているものが相対的に小さいが故に選べた道なのだと思う。
とは言っても明人の決断もなかなかできることではない、十分な胆力と決断力、素養あってのことだ。

非日常の九朗は「日常」を求め、日常の明人は「非日常」に憧れる。
無いものねだりと作中で表現されている通り。私はこの言葉に一つことわざを加えたい。
「隣の芝生は青く見える」

実際にその家に行かなければ隣の芝生の良し悪しなどわからない。明人は実際にそれを実感することで、自分としずかが生きていくべき芝生はここなんだと判断することができた。明人の定量的な成長はあまり描写されないが、心理面に目を向けてみればこれは大きな成長であると言えるだろう。





以下、ストーリーについてとその他の感想を少々。




〇ストーリーについて


起承転結がカッチリ決められている印象。大変に読みやすくテンポは良いのだが、少し「あそび」が無さすぎるように感じた。
みずいろやラムネのような長い日常描写を盛り込んでいないという点はテンポの良い読みやすさにつながる。これにより広い層に受け入れられるエンタメとして完成したことは評価できる。
反面、この冗長ともとれる日常の普通さは非日常を表現するための重要なファクターでもある。前述の作品の良さはここから来るものが大きかったと感じているので、それが無いことは少し残念にも感じてしまった。

まぁ両方を盛り込むとなればシナリオボリュームは膨れ上がり、せっかくの読みやすさを阻害する要因になることは容易に想像できるので致し方ないが。



#00

序章では明人の葛藤、しずかをはじめとする非日常との出会い。

非日常に対する憧れは少年、青年期であれば多くの男の子が抱いた夢ではないだろうか。その点から見れば結構普通の青年である、ほどほどにエリートな家柄となかなかな資産をお持ちではあるが。
一年の休学、放浪生活ができる財力があるとはいえそれを許す親の度量はかなりのものだし、そのありがたみと庇護下から抜け出すことができないことは彼自身が実感している。
それでも銃を購入すれば何か変わるかもと沖縄まで来る行動力、そしてしずかの「このフェンスを乗り越えるだけじゃない」の言葉があったとはいえ実際に基地へ不法侵入する度胸は非凡な人間であることの証左だろう。

等身大の青年の青臭いあがき、葛藤。待ちに待った非日常の期待感が感じられ物語の導入として完成度の高いものだった。


#01

本作における九朗側の「非日常」を描く章。明人は首を突っ込んでいくがあくまでお客様である。非日常というものに触れたうえで明人がどう決断するのかがメイン。
ここでの明人は思慮に欠ける面が目立つが、待ちに待った非日常がやってきたとすればそうなるのも当然であり意図的な描写だと思う。

別当という籍で非日常に生きるしずかが少しだけでも自分のことを語り、気を許せる相手ができるという流れは微笑ましいものだった。「普通」というものに憧れる彼女のもとに現われた普通の明人はある意味白馬の王子様かもしれない。


#02

時間をおいて成長した明人…とはいえあまり活躍は無い。別当家の過去のお話と、少々の政治的な駆け引きといったところ。この章の主人公は九朗と言って差し支えないだろう。どんな敵が現われても高級諜報家たる別当・スカーレットに負けは無いのだ感がすごい。

もう少し明人の成長を描写して、しずかが感心したり惚れる流れなどあったら4章の島へ追いかける流れに具体性を持たせられたのではないかと考えると惜しい。


インターミッション:しずか

この章で明人の母の語る「もう、家に帰ってきてはならない」という一言はなかなかに重い。

境界線を飛び越えて非日常の一員となったつもりでいる明人が帰るべき家を無意識に残しているということ。事情をよく知らなくともそれは好ましくないことだと本質をつく一言だ。
逃げ場を残したままでは今を生きられないし守るべきものも守れない。
明人が守るべきものは日常の両親ではなく、非日常に寄り添うしずかであるということ。
それを気づかせ、諭す。

可愛い子には旅をさせよと昔からいうもの、親というものはかくあるべし。


#03

時系列はずいぶん前から始まるし、どうにも連続性に乏しい。インターミッションのような扱いに感じる章だ。

面白いは面白い。現代に通じるしずかの出生にまつわるものだったりの中で涙を誘う展開、喪失感というものを武器にして実に感情に訴えかけてくる。だがそれ故に淡々と推移してきた序章~2章と比べると異質と感じるのだ。

好きな言葉やエピソードはすごく多い。
丘の上でのレオンの慟哭、レオンの身投げを止めるシズカの叫び。「ごめんね、じゃないよ、ありがとうだよ。」
シズカの「私は、普通でいいな」なんて言葉は諦観、羨望、いろんな感情が感じられて胸を打つものがある。後述するがみずいろとの繋がりも意識してしまう。

必要な裏話であるし、完成度も十分なのだが…ちょっと浮いていると思ってしまう。
これ以外の章とうまく混ざりあっていないのかなと。


#04

始まってすぐに思ったことは「マザラン撃っちゃったよ!」。
九朗の独白やナセルのセリフなどから高級諜報家は撃ってはいけないと言うことはわかっていたはずなのにこの一コマ。明人君の危機管理意識…。
ただまぁ、後付けの知識と意識では生粋の諜報員として生まれた人間との差は埋まらないということが見えたシーンでもあった。20年近い年月で刷り込まれた常識というものを更新することはできず、やはり明人は「日常」を生きるべきなのだと認識させてくれる。

この章で着目したいところは、まずしずかの強さ。
仮にしずかが島に来ず、マザランの特赦が得られ数年のうちに島から出られたとしても、明人はまた九朗のもとで「非日常」を選ぶのだと思う。彼には真に守りたいものがまだ見えてはいないし、しずかは別当のままだから。

そんな彼にもう一度境界線を越える勇気を与えたのがしずかの強さだ。「日常」に憧れていたという部分もあるのだろうが、別当の籍を捨てて彼のもとへ向かう決断は兄には決して出来なかったこと。
「明人についていくだけ」というしずかはここだけ聞くと楚々とした大和撫子のようだが、実態は半歩後ろを歩きながらも背中を押してくれている。後ろにいる彼女は重荷ではなく、後ろに彼女がいるからこそ「男」でいられるようになった。明人の成長は彼女無くしてはあり得ないものだ。

反面別当を捨てられず、中途半端な九朗。
しかし彼の悩みも根深いものがある。世の中の人間は正直社会から見ればいくらでも替えの効く存在だ。仮に明日私がいなくなっても世界は何も困らない。
20の高級諜報家はそうではなく、まるで王族・皇族のように存在に重きがあり替えの効かないものだ。
投げ出し、逃げ出すことは可能かもしれないがそのあとに起こることを考えればそんなに無責任でもいられないだろう。俗な話だが、生まれながらの特権を失うことも不安になるはず。

究極の「親の敷いたレール」を走るしかないのだ、九朗は。
親の敷いたレールであろうがなかろうが自分が納得していれば良いのだが、九朗は多分そこまで強くない。だから憧れる日常を自分から遠ざけて見ないようにしている節がある。

そんな彼がここまで歩いてこれた、これからも歩いて行けるとしたらやはり美月の存在だろう。
彼は別当ではなく九朗を愛してくれている。恐らく彼が別当の籍を抜けたとしてもついてきてくれるのではないだろうか、もちろん別当のままでもそばにはいてくれるはずだが。
つまり日常と非日常、彼女はどちらでもついていくということだ。

この4章は最後としてはシナリオボリュームは少な目である。序盤の重水湖や流刑地からの脱出で盛り上げてはくるが、正直性急な展開だ。
物語のたたみ方についてはこの感想冒頭で結構書いているので重複になってしまうが、大事なのはそれまで得られたことにどのような価値があるかということ。私としては満足だった。



〇籐野らんさんについて


ねこねこソフト常連の籐野らんさんであるが、彼女演じるしずかに英語を喋らせたことは、本作のみでは語れない意味があると個人的に思っている。

彼女のおまけコメントで語られていることだが、初出演作品の「銀色」で彼女が起用されたのは英語が堪能であることが理由だそうだ。
本作の冒頭で英語を喋ったことは非日常であったり米軍とのつながりということを表現するためだけではない、ねこねこソフトと籐野らんさんの繋がりもあるのではないかなと勝手に想像している。

まぁそんなことは抜きにしても彼女は本作になくてはならない声優であったことに変わりは無いのだけど。

ちなみに#03、シズカの「私は、普通でいいな」の言葉はみずいろ、日和の「わたし…普通が好きだよ…」との相似を感じてなんだか懐かしく思えてしまった。



〇設定について


設定を考えると正直穴だらけだ。専門性の高いTIPSを盛り込んでいるがあまり深く描写することは無い。
そもそも根幹の設定たる高級諜報家にしてもあんなの無理があるとは思う。あそこまで行くと諜報員でも何でもない、普通に権力者だ。

展開だってそう、「別当」という家柄、デウスエクスマキナで全てを殴ってターンエンド。

このあたりに現実感を得られず楽しめなかった人がいるとしたら、それは別におかしなことではない。どう見ても強引なのだから。
終盤のヘリを覆うB-2のCyclopediaを見てほしい。「対レーダーへの効果はやや疑問だが(略)ストーリー的に見栄えが良いというのも理由。」実にあけすけな書きようには脱帽である。

つまるところ、これらの非日常な設定は日常を、そして境界線を浮きだたせる要素としての位置づけのほうが重要なのかなと私は感じている。


〇まとめ

エンタメとしての価値、日常と非日常の対比というテーマ性。そして物語の終わらせ方。少なめなボリュームの中で描こうとしたことで中途半端に見えるところは大きいが、私にとっては面白かったと胸を張って言える作品だった。

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