不条理への向き合い方、移り行く時代と価値観の変遷、住まう場所と距離感……これまでプレイした国シリーズの原型が散りばめられているのを感じた。 特に加筆された部分はシリーズ既プレイ者には嬉しく感じるところだろう。 絵は原作の雰囲気を継承しつつも一新、今風になっているので、もし従来の絵柄に抵抗を感じていた方がいるならぜひプレイしてほしいと思う。
国シリーズの始まりが約10年の時を経てリメイク。
リメイク箇所で際立つところは立ち絵、音楽。こちらは外部の手を借りたそうです。
特に立ち絵は原作の同人版とはかなり異なっており全体的にカッコよく美しくなっている印象。
ハルカの立ち絵は神秘的な美しさがあり、彼女が人外かつ敬われる存在であることが強くイメージできて良かったです。
総じて原作の雰囲気を損なわずクオリティを上げた手腕は見事で、文句のない出来映えでした。
シナリオは加筆されているところが結構ありました。後発作品から逆輸入された登場人物や設定が出てくるのは既プレイ者には嬉しいですね。
とはいえ部分的なのでそこまでの分量ではないです。
以下、項目を分けて感想を。
※私の感想は、国シリーズを全てプレイした上での感想です。
本作を国シリーズ最初の作品としてプレイした方とは感じ方が違うことはご承知下さい。
なお、後発作品のネタバレは基本的にしていないと思いますm(__)m
◯私にとっての「みすずの国」の評価
正直、国シリーズの中で“みすずの国”の私的評価は高くは無かったです。
私はボーイミーツガールと地方の距離感を描いた“雪子の国”をプレイしてこのシリーズにのめり込みました。
ひと夏の青春・冒険を描いた“キリンの国”でのめり込んだ方も多いようです。
もしくは壮大な時間軸で紡がれる物語“ハルカの国”もあるでしょう。
私の勝手な印象ですが、“みすずの国”を国シリーズの至上と捉える方はあまり多くないように思っています。
※みすずの国が一番好きと言う方を否定はしていません、あくまで私の周りの勝手な印象です。私が感想を拝読している方の中でも“みすずの国”が一番好きとおっしゃられている方もいますし。
“みすずの国”に私がそこまで感銘を受けなかったのは、シリーズの最初ということで作品の設定、ストーリーやテーマへの理解が及んでいなかったのかもしれません。
短めのストーリーや先の気になる終わり方に盛り上がった期待を挫かれたのかもしれません。
ですがこのリメイクをプレイして、正直驚きました。
今までの国シリーズのプレイで感じたことの原型がそこかしこにちりばめられているのです、なぜ私はこれまで気付かなかったんだろうと思えるほどに。
“雪子の国”で見た、不条理・理不尽への向き合い方。
“キリンの国”で見た、未知への恐怖・期待。
“ハルカの国”で見た、時間のなかで変遷していく価値観、寂寥感。
すべての国に通じる、自らの居場所の作り方、その中での在り方、自己定義。
加筆された部分にそういうものがあるのも当然です。しかし以前からあった部分にここまでの要素が詰め込まれていることに私は全く気が付いていなかったのです。
気付いた今ではもう、この描写はアレに通じる、なんて思いついたときに体の芯が熱くなるんですよ。そんな体験が2時間足らずのプレイ中に何度も訪れる。
本当に表現が難しいのです、そういうところにフォーカスして濃密と言えば濃密なんですが、作品自体はむしろさっぱりとしていてむしろ空隙が多い。そしてこの空隙が次のアクションの溜めになっていて、気付いたときには飲み込まれている。
朴訥としながらも苛烈。
なんだか曖昧な表現ですが、私の印象はそんな感じです。
◯天狗と人間の違いと国
見た目はほぼ同じ天狗と人間の違いは数値の超過、つまり神通力が行使できるかどうかです。
数値超過によりみすずは人間ではなくなりました。
母親は「誰がなんと言ってもあなたは人間、私の娘です」と言ってはくれますがこの社会において彼女は人間ではありません。この政府の措置は人道的ではないのかもしれませんが、超過者はいわば凶器を手放せない潜在的な強者なのですから、檻に入れておくのはなんらおかしくはないでしょう。
そもそも人道とは人間同士に成立するものであって、人間ではなくなってしまった相手に適用するものではないのですから。
まぁ作中のみすずの神通力を見て脅威になるかと思えば疑問ですが、秘めた才能に目覚めるかもしれませんからね。リスクマネジメントはしておくに越したことはない。
そうして人間社会から除かれたみすず、しかしだからと言って天狗たちから天狗と認められるわけではないのですよね。
人間からしたら「天狗」
天狗からしたら「人間」
どちらに属するわけでもない曖昧な立ち位置は誰から認められるわけではなく、誰に必要とされるわけではなく、存在価値を失わせアイデンティティを崩壊させます。
いろんなものを失った彼女が存在できる国はどこなのか、その自己存立がこの作品のテーマだと私は勝手に受け止めています。
◯失われたものと残されたもの
家族との生活や学校での日常、何気なく想像していた未来、そんな当たり前の日々がただの検査ひとつで失われてしまう。
理不尽ですね、しかしそんなことはいくらでもあり得ることで、作中で言及されている通り「運が悪い」だけなのです。
高校に行きたかった。
家に残りたかった。
運が悪かっただけで、可愛そうな人間になってしまう。
だから周りも可愛そうな人間として接する、そこには悪意なんてなくて、だから悲しくて、惨めで。
夢について最初は医者になること、誰かの役に立つことだと言っていました。
人に迷惑をかけた裏返しの心情なのでしょうか。なんにせよ口に出して語る夢としては申し分なく、多くの人が素晴らしいねと言うでしょう。
嘘ではないと思います、医者になるべく勉強もしていたのですし、想像にはなりますが全く手が届かないということもないと思うのです。
両親もそれを見ていたから相応の学資保険をかけていたのでしょうし。
ただ、その夢というか、みすず曰く「夢ではなくなりたいもの」と天秤にかけたときに「理不尽・不条理に抗うこと」のほうが重かったのだと思うのです。みすずの言を借りれば「許せなかった」
ここで諦めたら彼女のアイデンティティは維持できないし、それこそみすずの国は成り立たない。
「いまはもうない、私の王国」
ありふれた不条理は彼女を王女の座から引きずり下ろして彼女の国を終わらせた。
では何もかも失った彼女に残されたもの、守るべきものは何なのかなと考えてみると、私は「意地」だと思うのです。
◯意地と妥協と国
意地とは彼女に残された矜持です。
何もかも奪われた彼女に残されたものは彼女の内にしかないのは明らかで、それを守ることが最終防衛戦。
これは時に現実を認識しながらもそれを無視して、踏み越えなければならない過酷な生き方だと思います。
「私が目指してるのは立派な天狗じゃない。人間の国に戻って、もう一度、夢をおうこと。自分の人生に立ち戻ること」
ヒマワリたちとの力の差を突き付けられ、共に在ることを諦める決断をしたときの一幕。
これは「妥協」であり至極真当な判断。生粋の天狗、その中でも一等優秀なヒマワリとしのぎを削るなんておかしいのですから、現実的に考えたら人間あがり相応の成果を望むべきなのです。
しかしそれでは最終防衛戦たる「意地」を失ってしまう。
彼女の国は今や彼女の中にしかないのです、意地を失えば国は腐り落ちていくでしょう。
愛華「あんたも私と同じ、この国のことも天狗のことも大っ嫌い。じゃない?」
美鈴「そうだね」
終盤、愛華とみすずの会話。
この国に迎合してできた居場所を、みすずの国にはできないのです。だって嫌いなんですから。
負けたくない、立ち向かって得たものでなければ彼女の国は得られず、彼女の在り方に逃避の末の国造りは無いのだと思います。
◯北国の桜
目の前の不条理と困難に意地をもって立ち向かうことを彼女は選びました。
天狗の国に行くという大きな決断だけではなく、寮の選び方、人との付き合い、小さなことも含めて何かと意識しているところもそうですね。
これらは強迫観念に近いところはある気もしますが、そうでもしないとこの環境で生きていくことは難しいのでしょう。
ハルカはそんな彼女を見て「北国の桜」と評しました。
ハルカがみすずの在り方をどこまで汲み取ってそう形容したのかはわかりません。
みすずがハルカの言葉をどう受け止めたのかもわかりません。
しかし意地をもって困難に立ち向かう彼女を表すのに、この「北国の桜」はピッタリの表現だと思うのです。
意地を張って天狗の国に来て、意地を張って寮を選び、そしてヒマワリがやってきた。
一見フレンドリーで太陽みたいな存在だと思ったら北風みたいな困難を吹かせてくれた。
寒風なければ花は咲かないのです、自分から寒風を呼び込む彼女の姿はまさに北国の桜。
そんなみすずが言った「苦労は買ってでもしろ」という言葉は実にありふれたものですが、彼女を通して聞くと重みが違いますね。
◯意地と神通力
「絶対できる。自分を信じなきゃ」
「神通力は精神が問題なの!」
「神通力を使ううえで、もっとも大切なことは、私はできるんだ、と信じることよ」
「成功を疑ってはダメ。できて当然だと思わなければいけないわ」
へこたれるみすずに対してのヒマワリのアドバイス。
こんなの言われたら私はぶちギレてうなだれますよ。傲慢、才あるものの暴論。
しかし神通力に関して言えば正論なのでしょうね。このあたりは国シリーズ全般でなんとなく語られるところなので省略します。
この精神論について個人的に思うところは、みすずの唯一の武器「意地」との相性が良い点です。
最初から自分を信じることは難しいと思いますが、無理だと思っても諦めず困難に立ち向かうことは無駄にはならないでしょうし、できるできないを論じて妥協するよりもよほど伸びしろがある。
極論、比較もなにもせずにただ目標に邁進することが理想だとは思うのですが、それは不可能でしょう。
無敵に見えるヒマワリも
「なんでもはできない。でも、なんでもできるようになりたいと思って、努力はしてる」
と現状の限界を理解しつつ努力しているわけですし。
なのでヒマワリもみすずも、こと神通力に関して言えば同じなのです。
現状の実力はかけ離れていますけれどもね。
◯国の狭さと誇りと礼節
「天狗はその一生を、生まれたお山で過ごす」
「愛宕や鞍馬といった大きな国でさえ、その領土は一つの県にも満たない」
「せまい世界で生涯を終えるのだ」
ラストシーンの地の文より(みすずの心の声と解釈)
この作品の時代はおおむね我々の生きている時代と大きく変わらないか、いくらか前だと定義して少し考えてみます。
この天狗らの在り方、これを狭い世界と思うでしょうか。
私の結論、人間の一般論としてたぶん、狭いです。
現在新幹線は容易く国土を縦断し、東京から九州まで半日です。
乗り継いで行ったとして本州で1日以上到達に時間がかかるところは多くないでしょう。飛行機なども加えればなおさら。
でも、私はこの時代だからこそ、そして人間あがりであるみすずの見解だからこそ狭いと言えるのだと思うのです。
天狗の国には電気もガスもありません。つまり人間の国から見て時代が遅れているということ。
「工場や機械ばかりに頼って、自分じゃなにも出来ない連中。無能が服着て歩いてるようなものね。人間って厚かましくてほんとに嫌」
矜持か劣等感かわかりませんが、天狗はこう言っていました。全てではないにせよ天狗の国民も似たような価値観なのかもしれません。
そんな彼らからしてみれば「せまい世界で生涯を終えるのだ」という言葉は的はずれにも程があります、狭かろうが広かろうが、そこに住まうことに誇りを持っているのに。
そんな中で
「私……こんなとこ、きたくなかった」
なんて愛華みたいな人間あがりが言ったら、嫌がらせのひとつふたつもありそうなものですよね。外のモンに、よくも知らずに狭い広いと、礼節も知らずに言われているのですから。
※嫌がらせを肯定しているわけではないです、価値観が違えばそうなるのは道理だという私見です。
そもそもその理論で言えば、村から出ず狭い、町から出ず狭い、県から出ず狭い、国から出ず狭い。突き詰めた先は地球から出ず狭い、でしょうか、キリがない。
極論かつ暴論です。ただ、大事なのはそこに住まう人々が納得できているかだと思うのです、どこにいたって万事幸せなんてことはおそらく無い。でも悲しいこと、嬉しいこと、いろんなことがあって、最後にどちらかと言えば幸せと締め括れるなら、それで良い。
しかし時代が進めばアクセスできる世界は広くなり、どれだけ阻んでも情報は柵を越えて溢れてくる。
知らなかった夢の世界は手の届く現実に変わり、格差を生んでいく。
手に入ると思えば手を伸ばしたくなり、手が届かないとなれば鬱屈とした思いを募らせる。
そうして自分がその国に住まうことを納得できなくなり、意識は外に向き、自分や国に誇りを持てない。
おらこんな村嫌だ、僕この国が嫌いだ、なんて住民が出てくるかもしれないですね。
これ以上は本作というより国シリーズの感想になるので控えます。
◯おわりに
もしも本リメイクをプレイして何か少しでも面白いと思ったなら。
もしもこの感想を読んで、気になる要素があったなら(そんな奇特な人いないと思いますが)
ぜひ、シリーズの他作品もプレイしてみてほしいなと思います。
できたら全部リメイクされると嬉しいんですけどね。