ねこねこらしくもあり、ステージなならしくもある。片岡とも氏の集大成。
※得点も感想もEP1~EP4まで含めてのものになります。EP4だけやる人もいないと思いますが念のため……。
当初はEP3までだったようですが書きたいことが収まりきらなかったのかEP4まで増量されたようです。ユーザー側からしたら金銭面は何も変わらずボリュームアップですので特に文句はないのですけど、開発側からしたらたまったもんじゃない気もします。
EP3の時点で風呂敷がだいぶ広がっていましたのでEP4は当然必要ですが、それにしても少々駆け足で終わらせたかなぁという気はしますね。私としてはEP5まであっても一向に構わなかったです。そしたらブランド側が過労死しそうですが。
なんだかんだ言っても片岡とも氏の単独シナリオとして過去随一のボリューム。一貫した片岡節で書き出される世界は他では変えられない良さに溢れていました。
ねこねこらしくもあり、ステージなならしくもある。「日常」と「非日常」の描写とか、生きる証とか、そんな沢山の要素をぎゅっと詰め込んだ、いわば片岡とも氏の集大成と呼んでもいい作品でした。
そんな中でも特に気配を感じた作品は「銀色」。WIZARD編の、淡々とした簡潔な描写が絶望感を表現している雰囲気は銀色1章に通じるものがありました。CHALLENGER編だと「朱」ですかね。
あとは設定、世界観的なところで「冬のポラリス」「雨のマージナル」「White ~blanche comme la lune~」もありそう。
あくまで私の感想なので的外れかもしれませんけど、そういうのも含めて集大成という感じかなと。
脇を固めるシステムもクオリティが上がりゲームに集中させてくれますし、音楽の量と質も申し分ないです。
欠点が無いわけではありませんが良いところが圧倒的に際立つ、20周年に相応しい出来栄えでした。
ちょっと文量長めなので、項目ごとに分けて感想を。
※だいぶ個人的な感情強めな感想です、ご容赦を><
1 ストーリーについて
2 登場人物について
3 異世界、なろう系と本作の親和性について
4 システム・音楽について
5 世界観と設定について
6 中国要素、戦争と思想について
7 おわりに
1 ストーリーについて
各章で感じたこと、またストーリー全般で心に残ったことをいくつか。
◯各章について
・EP1
導入の章ということもあり、あまり盛り上がるところは少ないです。ただ特徴的なのは終わり方。
現代と過去世界で流れる時間が違うことをサツキの成長という目に見える形で示し次に繋げる形で終えています。この先がどうなるのだろうと思わせてくれる展開ですね。
分割モノとしてきちんと構成が考えられていたのだなと感心したところでした。
・EP2
仲間が増え、そしてはじめての別れに繋がる章。
この章のタイトル画面は開始時点で姫様やA子B子との出会い。ここでは仲良さげなものでしたが、章を終えると夕日の中で手を振り合う”別れ”を象徴するものに変わっています。
この章で目を見張るところは姫様の決断ですね。
魔法使いとして共に生きていく覚悟を求める主人公に対して、自らの為すべきことを示すことで異なる覚悟を提示したシーン。
「魔法使いにはなれない”にゃん”」という言葉、婚約を即座に決める決断。これにより主人公の重荷にならないようにする様子は「いい女」の一言につきました。
・EP3
急激に進行した時間。時の流れの中では人の努力など無力ということを描写し、主人公らに方針・考え方の変化を促した章。
それぞれの登場人物の過去を掘り下げ、設定は増え、スケールは大きく。風呂敷を広げすぎているのではないかなという懸念はありましたが、次章への期待感は高まりましたので良し悪しかなと。
この章で心に残っているのは、魔法使いであることを期待されたサツキがそれを拒否して家族であることを選択する場面。”誰と生きるか”に重きを置いたこの選択はEP4で最後の決断に繋がる重要なものでした。
・EP4
時代遡行、再び。
歴史を変えることを諦めて現代を生きる彼らのもとに不条理がまた襲いかかる、再度の逃避、そして決断の章。
正直、前回よりも急激な時代の変化は流石に強引過ぎると言わざるを得ません。
WIZARD、CHALLENGERを経て本編に合流した各登場人物たちによる展開は面白く、エンタメ性も確かなものです。
しかし伏線回収含めてすべてをここで終わらせようとする流れはちょっと性急すぎたのではないかなと、少し感じました。これまでの章との温度差といいますか。
とはいえ各務との関係性、そこに加わるカガミの頼もしさ、小梅の後悔と決意とか、エピソード単体で見ると本当に胸を打つものが多かったです。
そんな中で特に心に残ったものは二つ。
ひとつは”家族”について。これは後述します。
もうひとつはサツキの決意。
EP3で魔法使いであることより家族であることを望んだ彼女が、最終的に家族を助けるために魔法使いになることを決意する一幕。
“誰と生きるか”を重視した結果、自分が”何をすべきか”に行きついたわけです。
これはEP2で姫様が”何をすべきか”を重視したこととリンクして見ることができると思います。ノートに記した思いが魔法になって、各務に受け継がれ、そしてサツキに引き継がれた。
時代の中、残したほとんどのものが消えてしまい虚しさばかりが残る世界でも、彼らがやってきたことは無駄ではなかった。
“先人はかく語りき”ですね。
「……素晴らしい魔法だった……」
「……これからも……楽しみにしている……」
今際の各務がこの言葉を述べた瞬間は、受け継がれた魔法が、彼女に引き継がれた瞬間なのだと思います。
◯ストーリー全般で特に心に残ったものについて
・アイス
スタッフルームで片岡とも氏が語っているのもこれですね。ちょっと嬉しくなります。
神社の地下道の入り口に描かれていた壁画もソフトクリームでしたし、製作側としても思い入れのあるモノだったんじゃないかなと。
作中で伝えられるアイスはルーがA子とB子に持って帰ったものがルーツです。
本当は固形のちゃんとしたアイスを持ち帰るはずでしたが、時間の無常さのせいで彼女らにとってのアイスはドロドロの液体で終わりました。
それから100年伝え残したドロドロのアイスは、A子とB子がルーを思って残した絆なのです。
「本当のアイスは…」と無粋な発言をしかけたサツキを「黙りなさい」と諫めたその言葉は初代A子B子から伝わる想いがルーに受け止められたような気がして、切ないけれども感動したシーンでした。
この一幕が無ければ明治25年に家族でドロドロの試作アイスを囲んだことも、ユニコロでドロドロのアイスが定番として売られることも無かったのですから。
ちょっと脱線しますが、中国・九州地方の大手総合スーパーにゆめタウンというものがあります。この店、毎年初売りで干し柿の種類が凄いんですね、場違いなほどに。
由来は創業者が海軍にいたころの同僚が干し柿を作っていると聞いて、戦後にそれをもらい闇市で売ったことが始まりだそうです。
急に関係のない話をして何が言いたいかというと、”ルーツ”です。
「服屋なのに、どうしてアイス売ってるんだろ?」
別にそれを知ったところで何も変わりません。
「あのアイス、ドロドロで微妙だし」
状況が変われば無くなります。ただ場違いでも残ってきたということは、残そうとした意志があるということ。その始まり、ルーツには誰かの思いがあったということです。思いのバトンリレーですね。
A子とB子から始まったアイスを通行人Aと通行人Bで締めるのもまたにくい演出でした。
・名前
主人公の名前、覚えていますか?”シャー・ホイ”です。
今は覚えていますが、しばらく後に覚えている自信が私には無いです。中国語の名前が我々日本人には馴染みが無いため覚えにくいというのは当然ですが、それ以上に登場回数が極端に低いのですよね。
単に気に入っていないのかなとか、伝わりにくいからあえて避けているのかなとか考えてはみましたが、まぁそこは置いておくとして。
主人公の名前は
シャー・ホイ→ヒーラー様→各務浩
妹の名前は
シャー・ルー→イモウト様→各務瑠璃子
のように変遷します。
この変化で何が変わったのか。それは”関係性”です。
ろくでもない親に定義された「シャー家」
異世界で結成された「魔法使いパーティー」
各務に再定義された「各務家」
私が思うに、名前というものは「誰に名付けられたか」だと思うのです。
極端な話、二人だけの世界であれば名前なんて何でも良いのです。お前でもあなたでも、太郎でも花子でも。究極、別に「名無し」で差支えないのです、そこから名前を付けてもらうとするならば、誰に付けてもらったかのほうがよほど大事。
二人が出会ったときにあやめの花が咲いていたから「あやめ」とか、そのほうがよほど本質的な名前でしょう。
A子もB子も本来の名前がありましたが、名付けられたABに意味を見出しています。我々現代人から見れば単なるアルファベットの記号でしかないものですが、彼女らにとっては洗礼名に等しいのかもしれません。
この当人たちにしか認められない価値の描き方は、ねこねこ恒例のモノでとても愛おしいのです。
主人公の名付けが誰かはわかりません、仮に父親とした場合、まぁいい関係では無いのは想像に難くないです。でも自分の名前の由来を「夏、瞬き」と言えるということは、それなりの思い入れはあったのでしょう。長年連れ添った名前をすぐに変えられるものでは無いですし。
しかしルーは病床の各務の「本当の名前を知りたい」という問いに対して「ううん……私は瑠璃子だよ、各務瑠璃子……」と答えました。
これは、ルーの優しさです。本当の名前が何であれ、今はあなたの娘。だから、私の名前はお父さんに名付けられた「瑠璃子」だと。
ルーの身につけた賢さと、生来の優しさ、家族として求められた幼さが内包されたこのシーンは本当に胸に響きました。各務にしてみたらこれほど嬉しいことはないんじゃないでしょうか。
・家族
彼らにとっての家族の始まりは、詐欺の片棒を担がされていたシャー家の子供時代。
「当たり前だろ、もう家族なんだから」
ここだけ切り取ったら素敵な言葉ですけれど、実態は家族だったら詐欺を手伝えという胸糞な一幕なんですよね。
この対比が事業に失敗した時の各務家。
「遠慮しないでよ、あんたお父さんなんでしょ」
”戸籍上とはいえ、父親を助けるのは息子の仕事だ。娘である二人がやる気なら、俺もやるだけだ”
ここは子供らを金づるとしか見ず放任していたシャー父と、養える金がないから累が及ばないように離れる各務父の対比がとてもわかりやすく描かれた一幕でした。
そこに至るまでの、ただの風邪に狼狽して「最新の薬」を買い求める各務の愛、それに対してアスピリンやペニシリンを断って、時代遅れの「最新の薬」を信頼して待つルー。
そんな”小さな事件”の積み重ねがこの家族を作り上げたんだなぁというのがひしひしと伝わってくる、本当に愛おしい家族の関係性でした。
私が思うに、彼らはずっと理想の家族を求めていたように感じるのです。
家族というものは一種の”ロールプレイ”です。結婚したから、子供が生まれたから”ハイ、今日から家族”とはなかなかいかないもの。我慢というとアレですけど、それぞれ為すべきことがあるのです。父が為すべきことは、兄が為すべきことは、厳しさ、優しさ、甘え。言わば多少、型に嵌まっていく必要があるのですね。
それがめちゃくちゃになっていたのがシャー家です。息子は詐欺の道具、兄妹は偽装された親娘。
それがあったから、各務家では”あるべき姿”を模索しているのかな、なんて思うんです。
最初は各務からのお仕着せの家族像が、娘として甘えて、兄として教育して、姉として面倒を見て。時に頼って頼られて。そんな時間が、彼らを家族として成り立たせたんだなと。
ルーとサツキの「おとーさーん」とか、それを見て「ハハハ」と言わんばかりの各務。もうホントに眩しくて愛おしい。
激動の中の、奇跡のような、脆くて壊れそうな、でも大切な「日常」……。
「誰と生きるのか」という問いに対する一つの解をここで見たような気がします。
最後に、家族関係で特に凄いのは主人公が言った”父親を助けるのは息子の仕事だ”という言葉。実父に植え付けられた彼にとって記憶から消したいぐらいの呪いの言葉ですよ。これを肯定的な意味で用いられるようになったって、これ以上の成長は無いです。本当に感動しました。
まだ”お父さん”とは呼べなかった主人公が、アイスを囲んでサツキと、瑠璃子と、カガミと、そして自分と一緒に笑う各務を見て、心の中だけでも”親父”と呼べるようになった、そんな日のこと。
歴史が狂う前、幸せだった家族が集った明治25年の夏の日のこと。眩しかった日のこと。
2 登場人物について
登場人物はみんなしっかりとしたキャラ付けがなされており、それぞれの見せ場で活躍するところが見れて良かったです。
特に領主の末裔たちが名前は変わっても変わらない実直さを引き継いでいく流れは胸が暖かくなるものでした。
主要人物は他のところで語りがちなのでサブで気に入ったキャラ、ランと小梅について少し文量を割いて。主にWIZARD編ですね。
主人公と仲間たちが持ち前の知識を活用して、おおむね順風満帆な生き方をした本編とは対照的な「WIZARD」の中でも不幸を一手に引き受けていたラン。絶対死ぬと思っていたんですが、まさか小梅の決断のトリガーになってくるのは意外でした。
彼女の第一印象を一言で、あえて雑な括りで表現するなら陽キャって感じでしょうか。多分陰キャ的な小梅との対比があるのでしょう。
かわいそうなところとか半ば壊れてしまったところが目立ちますが、彼女の本質は「勇者」であったと思います。
砂漠の探索の仕方は合理的でしたし、対盗賊の戦いでも彼女の決断力と暴力性が無ければ小梅は捕まって暴行されて足の腱を切られて風俗待ったなしでしたよ。いやほんと銀色かよって。
何だかんだ苦境に立たされても、苦しみながらあがいて生き抜く様子はまさに「勇者」でした。
「心が壊れてしまったから現実逃避したのか
それとも、心が壊れないための現実逃避だったのか」
私はどちらでもないというか、その狭間の状態なのだと思いました。心的ストレスで別人格を作る解離性同一性障害と似たようなものかもしれません。
ハリネズミの様になった左腕を見て、指輪がもうはめられないとかマニキュアが塗れないとか場違いな感想、そして容易く騙されてしまった自分が愚かだということを理解しつつも認めたくはない。だって認めてしまったら、たぶん壊れてしまうのでしょうから。
だから救いの設定を直近で読んだ”ラノベ”に求めたのでしょう。そうやって怒りを他者に向けてギリギリのラインで生き延びて”試練”を乗り越えて勇者になったのです。
ところで、小梅がランの意見に反対したら自分はゴブリンとみなされて殺されるのだろう、と想像するシーンがありました。まぁそうだろうと思いつつも、そうじゃないかもしれないなとも私は思うのです。
勇者には魔法使いが必要だという設定が小梅を生かしていたのかもしれません。でも、それがラノベの設定を借りたロールプレイングだということは壊れかけのランだってわかっていたはずです。そうでなければ意地でも蛇を小梅に食べさせるはずですから。
そもそもWIZARDの始まり、バスの中で小梅の読むラノベを「こんなの現実逃避じゃない」と言い切っていますしね。
どこかで止めてほしかったんじゃないかなって思うのです。憎悪と妄執に取りつかれた勇者は自分ではもう止められないから、魔法使いの魔法に頼るしかない。設定の「魔法使い」じゃなくて、少しでも自分を知っている”小梅”という魔法使いに。
だから銃だけじゃなくて、ふたりにしかわからない絆、お菓子のレシピ本を持ってきたんじゃないかなって。
700年越しにそれに気づいた小梅がふたりにしか意味のない「魔法使い」として「勇者」に会いに行くシーンはとても胸を打つものでした。
最終的にどうなったのかはわかりませんけど、臆病だった小梅が下品にも机に座って、ラノベに興味もなかったランとふたりで多分ラノベを読んで笑い合うエピローグのシーン。違ったふたりの価値観が重なり合ったのだろう、あの場面が現実になっていたらいいなと思います。
3 異世界、なろう系と本作の親和性について
なろう系という言葉が独り歩きしている気もしますが、とりあえず異世界転生ジャンルが良く出てくるプラットフォームという認識で。
反論をいただくかもしれませんが、異世界転移ないし異世界転生モノというのは私の思うところ”逃避”の要素が強いように思います。
直接口に出す場合も内心思うだけの場合もありますが、現実世界に何らかの不満あるいは危機があるから異世界に価値が生まれるのだということです。
作中でもランがラノベを”現実逃避”と言っていますし、他にも逃避ととれる場面は多く見受けられます。
逃避した先で技術的チートで称賛されてみたり、チートスキルで無双してみたり。総じて主人公に何らかの優位性を付与することにより見る人間へ爽快感を与えます。
もちろん全ての作品がそうだというわけではありません、割合としてはそれが王道のパターンなのかなという私の認識です。
さて、本作の始まりでは軍事衝突がその”逃避”の契機です。
主人公らは帰ろうと思えば帰るタイミングはいくらでもあったわけですが消極的に異世界を選択します。父親から逃げて兄妹のみであるという境遇、生きがいというかやりたいことがない状況がそうさせているのではととりあえず推察します。
つまるところ今に”希望”が無いのです。”危機”はそれを後押しする理由としてはありますが根本的な異世界を望む理由としては前者によるでしょう。
実際は異世界ではなく過去なので”歴史なろう系”物語というジャンルになっていますけれども。その過去世界で現代知識で無双してみたり、成り上がったりというのがテンプレ的ななろうモノとしての王道にはなるのでしょう。
ただですね、本作にはそういう王道要素が正直薄いのです。
技術無双をまともにしていたのってせいぜいEP2ぐらいまでではないでしょうか。それにしたって爽快感とかエンタメ性は弱めですし。
EP3、EP4ではむしろそれらが時の流れに負けて消え去っていく虚しさみたいなもののほうが強く描写されていたように思います。CHALLENGERでカガミの挑戦は主人公らと同じ流れを踏みますし、小梅も然りです。
どちらかというとそういう”逃避”に否定的なんですよね。最終的には現状を妥協というか、視点を変えて現状の良さを再認識させるというか。転移とか、技術チートとかの要素自体は「現実の日常」を実感するための過程、踏み台としての位置づけ、道具としての意義に過ぎないのかなと。
このあたりはライターの思想についてで、もう少し詳しく述べます。
あと個人的に少し思うのですが「なろう系」って銘打たれてワクワクします?いや、そういう方もいると思うのですが、私としては昨今のなろう系という看板のもと雨後の筍のように似た作品が乱立している状況を見るとちょっとマイナス面を感じてしまうのです。
エロゲまでなろう系かよ、みたいな。今でいうなろう系みたいなエロゲなんて過去にいくつもあったでしょうから今更かもしれませんけどね。
まぁ中国ではこれがプラスに受け止められているのかもしれませんから一概に良くないとは断じませんが、ちょっと思ったことでした。
4 システム・音楽について
・システムについて
おそらくYAMAYURIGAMEの担当なのでしょう。日本のノベルゲームとは感触が違いますし、漢字も中国独自のものが残っています。
しかし完成度としては必要十分、あまり見ない設定項目などはむしろ新鮮でした、FPS設定とかいるんか…。
バックログジャンプが無いとかボイス設定が少ないとか痒いところに手が届かないところはあるんですけど、とりわけ不快だと思うところは無かったですしね。
ねこねこの過去作品は正直システムの古臭さとバグの多さに辟易することは多かったので、YAMAYURIの力でこれが改善されたのは素晴らしい点でした。
また各EPごとの章選択は賛否が別れそうですが私は好きです。ねこねこの作品ってだいたいこういう形式が多いんですよね。セーブに気を使わなくていいのでとても気に入っています。
ただ、出来ればスクロールを必要とせず1ページに収めてほしかったですね。EP1を見てからEP4を見ようと思うとスクロールがちょっとめんどくさかったです。
たぶんEP4を後になって追加したせいだと思いますが、ここの調整は欲しいところです。
・音楽
MUSIC MODEの曲数63曲、大ボリュームですね。ちなみに過去作の曲は53曲です。聞き覚えのある曲が多い多い。
冒頭で「集大成」と述べたのはこういう要素も含んでのことです。作中でボーカル曲を惜しげもなく使えるのは過去の蓄積あってのことですから。
ちょっと強引かもしれませんが、これもブランドが築いてきた歴史なんでしょうね。
ただ、MUSIC MODEの曲名が 「N24」from みずいろ とかはちょっと雑じゃありません?
まぁ聞いてみたらこれは「シグナルブルー」という曲だなと気付いて、ねこねこファンに向けた回答のないクイズみたいなものかと、いっちょ全部の曲名当ててやるかと意気込んでいたんですね。
そしたら聞き覚えのある曲が来たんですよ。これは「朱」の「チュチュのテーマ」だと思ってMUSIC MODE開くじゃないですか。
当然 「N15」from 朱 とかかなと思ったら 「チュチュのテーマ」from 朱
なんでさ。普通のMUSIC MODEだし、ただのクイズじゃん。
雑なら雑のままで統一してくれませんかね……。
5 世界観と設定について
悪い意味でねこねこソフトらしいというか、設定は全体的に粗さが目立つと思います。スケールが大きいだけに余計そこが際立つというか。とりあえず私が気にかかったところをいくつか。
・時間転移
まずタイムマシンの原理的なものにはほぼ触れていません。
例えばシュタインズ・ゲートのような緻密さはほとんどありません。まぁ浅学な私にはシュタインズ・ゲートが緻密なのかは判別できませんが、サルにもわかりやすく解きほぐした理論のようなものといえばいいのでしょうか。そういうド素人に「なるほど」と伝わるものは本作には無いと思うのです。
頭のいい方は言外の意図を汲み取るのかもしれませんが、私はばかなのでね。書かれていないことはあまりわからないです。
・現代技術チート
容易にことが運び過ぎているなぁと。なろう系にそういうものが多いのはわかるのですが、そもそもなろう系のテンプレを作中で否定しているんですよね。
「なろう系ではどうなっているんだ?」
「ラノベでは3行で完結してるのになぁ」
「現実はうまくいかないなぁ」
みたいな。
その割には作中でも同じような展開が見られるというか……ブーメランかよと。
・長い時間を生きるということ
主人公とルーはせいぜいプラス10年ぐらい。サツキでトータル100年あるかないか、まぁ長生きですが人間の範疇です。
対してカガミと小梅は何百年と生きているわけですよね、あんなに普通の精神状態でいられるのでしょうか。私の想像では悟りを開くか、もしくはメンタルぶっ壊れそうなものですが。
過去作品で長命な存在に言及するときはもう少し納得のいく説明があったのです。
本作のそれは長命というよりかは時間から切り離されている存在なので、感覚が鈍磨して精神の摩耗から保護されているのかなぁとか想像してみたり、でも感情はしっかりあるわけだし……。うーん、わかりません!
あと、あら探しってわけじゃ無いですが、お菓子作りの本の「ソフトクリーム」はちょっと違和感がありました。
中国語のタイトルでしたので恐らく中国内の本、なのに内容は一部カタカナ。日本の影響力が強い世界線なのでその影響かも、とも思うのですがちょっとちぐはぐな気が。
その他、銃器の設定は作り込みが甘いかなと。
あ、冒頭のピンク髪のアイス女はカガミらしいですね。公式のX(旧Twitter)で言及されていました。
具体的にどういう世界線なのかは不明ですが。
6 中国要素、戦争と思想について
・中国要素
中国資本の関係性は多少あるかもしれませんがよくわかりませんしとりあえず置いておきます。
中国人が主人公ですので、彼を通して見れば多少中国寄りの考え方なのは事実です。”清日戦争”と発言していることからもそれは認識出来ますし。反面、日本人サイドは”日清戦争”と発言していますのでそこの切り分けはしっかりしておりどちらかに肩入れし過ぎていることはないのかなと。
そもそもが架空世界のパラレルワールド設定ですのであまり深く考えても仕方のないことではありますが。
私が感じた一番のキモは”中国と日本の価値観の違い”かなと。視点の違いで物事の受け止め方は変わりますけれど、それをどうすり合わせていくのか。容易なことではないですが、それを実現させようとしたのがサツキの「魔法」なのでしょう。
また、この「神の国の魔法使い」という作品自体もその役割を期待されているように思います。
使い古された言葉ですが「懸け橋」という感じですね。
・声優について
日本サイドの声優さんの安定感は確かなものとして、中国サイドの声優さん、特にルー役の可可味さんは見事と言うしかないです。
まず日本語がとても上手い。中国訛りは残っていますがネイティブではないのでそれは当たり前です。むしろあの年頃の少女が努力して日本語を身につけたという背景すら感じさせてくれました。
・戦争と思想について
本作のライターは戦争を肯定も否定もしていないと思います。あえていえばそれは過程であって、起こった事象に過ぎないのではないかと。避けようのない「不条理」ですね。究極の「非日常」の象徴とも言えます。
そして思想の面で言うならば”右寄り”の考え方なのではと推察します。日の丸とか黒塗りの街宣車とかああいうのではなく、もっと本質的なお話です。
つまり”保守的”です。昔から続いてきた伝統とか、習慣とかを守ろうということですね。穿っていえば「日常」をとにかく大事にしていると言い換えても良いかもしれません。
決して仲がいいとは言えない関係性、時に血で血を洗うぶつかり合い。でも、そんな中でも見えていないだけで大切なものはあるんじゃないかなと。
「……変わり映えしない、退屈とも言える毎日」
「……不公平と矛盾に満ちた、生きづらい世の中」
「たとえこれが、現実の真の姿だったとしても……」
「”そう捨てたもんでもない”のかな……と」
”この世界は、とても楽園とは呼べないけど、悲観して、目を閉じてしまうのも、もったいないのかなと”
失ってはじめてわかる日常の大切さとか、大人になって気が付いた親の視点だとか。病気になって健康な身体のありがたみを痛感したとか。
そんな、今までの作品でも強調されていた「日常」と「非日常」の要素。
小さな関係性の中で描いていたそれを、国家間、大きな時間軸を用いてスケールアップしたというのが本作なのかなと。
見る視点を、価値観を少し変えて見れば”今も悪くはない”って気が付かせてくれる。そんな感じですね。
7 おわりに
最後に、ねこねこソフト第3作「みずいろ」の主題歌「みずいろ」の歌詞の一部を引用して本感想を終えたいなと。
「今のわたしに 大切なもの 守りたいものや夢も
距離と時間が 消してしまっても ぎゅっと
強く強くと 願いをかける」
これを「神の国の魔法使い」に照らせば
守りたい人、モノ、歴史を変えたいというような夢が、
日本と中国という”距離”
1000年という”時間”
その中で消えてしまっても、それでもまだ終わっていないと、強く強く、願いを、魔法をかけた。
そんな風になるんじゃないかなと思うんです。
もちろんそんな意図があるのかないのかは不明ですし、私の妄想に過ぎないのかもしれません。
でも、20年前の作品の主題歌が20年後の作品に受け継がれていたとしたら、なんだかとても素敵なことだなと思うのです。
「音楽家は消えても、私の中では、今でも曲は生きている」
人はいつか死にますし、形あるものは無くなります。でも忘れ去られて2回目の死を迎えるまでは、誰かの中で生き続けていると思うのです。
いつかまたねこねこソフトが解散したとしても、誰かがそんな痕跡を見つけ出したりして。
それこそが、ねこねこソフトが「生きた証」なんじゃないかなって。
なんてね。