従来のウグイスカグラのテイストは健在だがそれに加えてライターのメッセージ性、テーマ性が強い作品。エンタメ性を期待すると肩透かしを食らいそう。良くも悪くもライターのオナニー。演劇要素にはリアリティと愛がいささか欠けているように感じる、悲劇と不幸を演出するための生贄となったのだろうか。本作における演劇とルクル氏についての解釈、印象を後半に少し書いてます。
演劇をモチーフとした強いテーマ、メッセージが痛いほどに伝わってくる作品。
特にことあるごとに問いかけられる「不条理」にどう対応していくかについてはルクル氏なりの見解が感じ取れ興味深かったです。
「不条理」に関しては様々な目線でのポイントが用意されています、演劇の才能であったり、劣悪な家庭環境。
普通は認められない兄妹での恋愛感情、双葉と朧に共通する同性愛者という属性。
それぞれの不条理に対してどう対応するかというテーマ。それが本作のキモだと私は思います。
演出やシステムは大きく進歩。おおむね不満は無いレベルまで仕上げてきたことは失礼かもしれませんが驚きです。
それらの構成要素からなる全体的なバランスはウグイスカグラの作品の中では本作が随一。
ルクル氏らしいシナリオはそのままに、作中で登場する「統一的な作品を好む観客」にも受け入れられるものとなっていることはなにより評価できるところでした。
演劇に関する描写は少しリアリティに欠け、演劇とはこういうものだというステレオタイプな見方を感じるところはありますがニッチな分野なので疑問に感じる人は少ないでしょう、マイナスポイントとして上げる点ではないです。その他思うところはありますので詳細は後述します。
本感想は次の構成です。
1 ストーリーについて
2 登場人物、演技について
3 演出について
4 システムについて
5 本作における演劇とルクル氏について
1 ストーリーについて
①全般について
大きく分けると前半、後半に分けられます。
内訳はまず前半、5章の「フィリア」講演まで。後半は個別で途中下車しつつEDまで向かう流れ。
前半では盛り上がりに欠けるところはありますが、山場であろうフィリア公演の熱量で盛り返してくる構成です。大きな伏線もここで回収されますし、エロシーンを除けばCGも7割がた消化されますので。
伏線回収やどんでん返しなどのエンターテインメント性、カタルシスを感じるところはここでひとまずおしまいです。
その要素に重きを置くと、後半は物足りなく感じるという意見は納得。
虚構世界の構成上、話が進むにつれ演劇などできないレベルに人は減っていきますので話に広がりは無くなっていきます。
その分メインに据えられるのは一人ひとりがどのように「不条理」に対応していくかということ。冒頭で述べた通り、テーマ性ですね。
個別ルートはウグイスカグラの他作品の例に漏れず短いです。
ただ、本作の個別ルートはテーマ性が強く盛り込まれておりTRUEとの対比が描かれていることに意味があると思います。
不条理に対する対応、具体的に言うと個別では「盲信」。
「不条理を超えた何か、触れられず実験的に存在が証明されていないものを信じること」と定義されるようですが、ここではそれが虚構世界なのでしょう。
ご都合主義の塊のようなものですが、少なくとも盲信している間は幸せなはず。いつか終わりが訪れるとしてもそれは現実も同じことで、意識的に停滞を選択できることは幸せと言えると思います。
ではTRUEでの対応はと言えば「受容」。不条理を受け入れて生きるということですね。
必然的に悲惨な状況を直視し、向き合わなければいけません。乗り越えられるかは当人たち次第ですので失敗のリスクも孕みます。「カリギュラ」の作者、カミュはこちらを支持しているそうです。
ただ、これには自殺に移行する危険性があるとする識者もいますし、その例は言うまでもなく未来でしょう。
虚構世界はモラトリアム期間であり、選択を猶予されています。その間に来々や悠苑などの面々はめぐりに対して、朧は理世に対してなど働きかけて「受容」に向かわせようとしてるのですよね。
なのでこれがこのストーリーの本筋の回答、すなわち変化こそが人間の美徳なのでしょう。
ただ、個別ルートの「盲信」が間違った選択とは言えませんし、停滞した幸せな世界もあれはあれでアリだとは思うのですけども。
②劇団ランビリス
虚構の世界、虚構の劇団。
死にゆくもの、死んだ者たちの未練などなど。
彼らで構成される虚構のランビリスはいわば銀河鉄道のよう。
「銀河鉄道の夜」では「ほんとうの幸い」とは何かということが良く語られますがランビリスでもそれは同様に。
各々の幸せが具体的に語られることは多くありませんが、奈々菜の幸せが欲しいと叫ぶシーンなどは印象的で胸を打つものがありました。
また月は手に入らないもの、だから兄妹の恋愛は結ばれるべきではないと結論付けた未来にとっては環が幸せであること、環の妹であったことが幸せなのだと。
個別ルートでは捉えようはどうあれ環は幸せではありましたから、それは未来の優しさによるものなのでしょう。
都合のいい結末であっても、前途多難な結末であっても。それは未来が導いてくれたのですから。めでたし、めでたし。
2 登場人物、演技について
徹底した群像劇形式、割合として主人公単独の視点は少なめに感じます。その分ヒロインやサブキャラたちの視点は多く彼らの魅力が良く描かれています。
人間関係、嫉妬など感情表現の妙はルクル氏のお家芸。やはり秀逸です。特に主題に挙げられていたのは「才能」ですね。
才能の差を見せつけられた凡人はその不条理に対して抵抗するのか、諦めるのか、受容するのか。
正解は無い中で葛藤し鬱屈して良くない手段に走る人もいました、人の足を引っ張ったりとか、脅迫とか。
諦めて裏方として支えることで自身を納得させたりもありました。
また未来のように才能あるものがその価値を必要とせず、環のように才なきものがそれを渇望する、価値観のすれ違い。
登場人物は良くも悪くもみんな役者なのでその人数だけの回答が見せられているのです。
声優さんの演技は基本的に素晴らしいです。熱演という言葉で称賛するのがぴったり。この作品を演劇モチーフたらしめている要素の最たるもののひとつでしょう。
ただ人によってはわざとらしく強調し演劇臭くなり過ぎていた面はありましたが、これは意図的なのでしょうかね。虚構の舞台の中での演劇だから、みたいな。
個別に言及すると長ったらしくなりそうなので男どもについてだけ少し。
①瀬和 環
十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人。
よくあるお話、よくある挫折ですね。役者がダメで演出家志望ですが、演出家であるべき理由は見えませんでした。じゃあ何ならできるのって言われても困りますけど。
正直、視点の少なさ、活躍の乏しさなどからあまり魅力的では無い主人公と言われても仕方ない人物。人気はなさそうです。
なんでこんな人物にヒロインが惚れていくのかさっぱりわかりませんよね、未来は倒錯した兄妹間なので別として。
ただまぁ、彼がヒロインと結ばれるのは虚構の世界だけでのお話なのです。こんな魅力のない主人公にヒロインたちが惚れていく、エロゲーのテンプレ。虚構でしかあり得ないお話。
朧に植え付けられた彼への恋心も「やさしさを教えてくれたわけでも、格好いいところを見せてくれたわけでも、頼もしさを感じさせてくれたわけでもない」と言っていますし。
いわゆる、エロゲ主人公への痛烈なアンチテーゼでしょうか。
こういうの、ルクル氏の作品にちょいちょい出てきますよね。ヒロインに顕著な印象です。
「そろそろ、目覚めの時だよ、おじさんたち。学生服を脱ぎ捨てて、意地悪な大人に戻ろうか」
「終わりは、訪れるものですから」
作中の引用ですが、こんなんリアルで言われたらもう心はグサグサですよ。泣いちゃう。
反面、男のサブキャラは実に活躍しますね。
フィリア公演、理世ルートからの脱却、未来へ感情を返し世界にヒビを入れたこと。
虚構世界のターニングポイントにはいつも彼らの言葉、決断が存在していました。
②天樂 来々
ウグイスカグラの作品定番、露悪的に振る舞う人物。その理由付けは後半で明らかにされますが…スキャンダル暴露のやり方とか、正直あのやりようはちょっと理解に苦しみます。
不器用なのはわかるんですけどね、正直コミュニケーション不足。
でもそんな彼が最後にめぐりのために願ったその感情は、みんなの道しるべのためにまっ赤なうつくしい火になって燃えて夜の闇を照らしている蠍座のアンタレスのよう。
最初は利己的であった彼が今わの際に悟った、彼にとっての、ほんとうの幸いは、めぐりの幸いなのでしょう。
③椎名 朧
ミステリアスなところが目立ちます、彼があの世界にたどり着く経緯が私にはちょっとわかりませんでしたがどこかに示されているのでしょうか。
押し付けられた認めたくない感情、理由もないのに環に愛を覚えてしまう。何とか抑えていますが、理世に対して同性愛を語るときなど心情が見え隠れしています。この不条理に彼は「自殺」という手段をもって対応しました、大義名分はもちろん用意したうえでですが。
その際に彼が発した'I'も'愛'も内包した「I love you」の言葉は言いたくなくて、でも言いたくて仕方がなかった万感の想いなのでしょう。
3 演出について
ずば抜けて良い、というわけでは無いですが全体の足を引っ張ってはいません。必要十分な水準はあると感じました。前三作は明らかに不十分でゲーム全体のクオリティを下げていましたから、そこから見ると大幅に進歩しています、素晴らしい。
OPのクオリティも高いですし、EDはスタッフロールにCG、BGM、音声を加えたパラレログラムと同じ演出。クリア後の余韻が感じられるものです。
予算を抑えるための手法なのかもしれませんが、下手な曲で失敗するよりもこちらのほうが本作に合っていると感じます。古今東西の名作から引用したということもありますが、言葉の一つ一つに強い意味を持たせたセリフはそれだけで十分に力がありますから。
個別のEDも従来のテキストボックスの = END = の表示を止めてCG上に帯でENDの演出を加えており進歩を感じました。これでいい、こういうのがずっと見たかったんですよ…。
効果音の量も増えていた気がしますし、BGMも主観ですが良いと思います。演劇シーンでの一枚絵の贅沢な使い方はそれだけシーンへの力の入れようが伝わって来るものでした。
しかし演劇の良さを十分に活かしているとは言い難いシーンも少々見受けられました。
例を一つ上げます。
赤い部屋において、琥珀扮するT氏の声が館内のいろいろな場所から聞こえてきた。という描写があります。確かにいくつものスピーカーを据えた演劇では効果的な手法。
しかしゲームプレイ時にはステレオの普通の音声でした。バイノーラル録音というわけにはいかないでしょうが左右それぞれ別音声などでも十分に表現が可能で容易にクオリティを高められたはず。
ルクル氏の文章力は高いと思うのですが、全てを文章で語る必要は無いはずです。演出のクオリティが向上したが故にもっと、という欲目かもしれませんがこだわればもっと良くなると思うところでした。
4 システムについて
システムの致命的なバグなどは私の環境ではありませんでした。
SAVE画面からDELETEを選択するとまれに別データが削除される問題が発生したのは謎でしたが再現性が無いのでノーコメントで。
UIに関しては全画面表示に環境依存などがあり使いにくさは感じましたが許容範囲。
クイックセーブやクイックロード、バックジャンプが追加されたのはようやくかという気持ちはありますがやはり嬉しいですね、快適さ段違い。
誤字もいくつかあったとは思いますが何だったか記憶にありません。それぐらいに少ないということです。
前三作に共通して明確な欠点であり、改善の兆しも見えなかったこの要素がここまでの進歩をしたことに正直とても驚いています。当たり前と言ってしまえばそれまでですが、くだらない粗さがしをせずゲーム内容を純粋に評価できるということはやはり嬉しいですね。
5 本作における演劇とルクル氏について
学生演劇程度の経験しか有しないただの演劇好きから見た、本作での演劇とルクル氏についてのお話です。
ルクル氏についての言及は想像が多分に含まれます。ご容赦を><
今までの作品でも演劇調な言い回しは多くありました、芝居がかったというのが適切でしょうか。
それを見ながら、ルクル氏は演劇に造詣があるのだろうか、と思っていたのです。
ルクル氏の作品にはちょくちょく極端な描写が出てくることが多かった。
たとえばイストリアの征士、さまざまな要因でああなったことは想像できますがそれにしても極端で露悪的。
マイナーキャラですがパラレログラムの第1の顧問もそうですね、しかも主人公のこと「あやつ」とか言ってましたし、なんかセリフっぽさがすごかったです。
あと第1、第2同士の諍いや選民志向も極端。強豪校であればこのようなこともあるかもしれないな、と思いつつも読んではいたのですけど。
この極端というスタンス、舞台演劇は観客に魅せるためにはある程度極端である必要があるというところに繋がっています。
普段こんな身振り手振りを加えて怒り、喜ぶことは無くとも壇上ではそうしなければならない。伝わらないからです。
本作ではそれが特に顕著、演劇がモチーフなので当たり前ですが。
ただそれをもってルクル氏が演劇の経験があるのかと言えば私は違うと思うのです(本当に演劇経験者でしたら申し訳ないですが)。
言うなれば演劇をする登場人物を演じている、という印象。
こういうものを書きたい、伝えたいとしたときにルクル氏は登場人物を演じるように書いているのではないかという想像ですね。
紙の上の魔法使いならぬ、文章の上の役者といった感じでしょうか。
うすうす感じていたところではありましたが、本作をプレイしてその気持ちが強くなりました。見当はずれの考察かもしれないですが。
そういう意味で、本作はルクル氏の書き方とモチーフが合致していた印象。
すべての描写に頷けるものでは無いです。後述しますが私の数少ない経験からしても違和感のある描写は散見されます。むしろそれがきっかけで演劇経験者には思えないと結論付けたところもあります。
しかし私はこれを見事に演劇をモチーフとした作品と評価したい。
演じるとは、舞台やカメラの前だけで行われるものではなく。ルクル氏は文章を書くことでそれを表現したということでしょう。
ただ、演劇への愛というか、思い入れはあまり無いのかなと少し思いました。細部は後半にて。
さて、ルクル氏が演劇経験がないと想定した場合、相当に観劇や取材、資料収集をされたのではないかと感じます。
演劇にまつわる狂気や嫉妬は役を奪い合う特性ゆえに当然ありますしわかります、ただまぁここまでの妄執は経験がないので深くまでは理解できませんが。そういう極端なところは今までの作品と同じく多いですが、強調しないと面白味が演出しにくいので致し方ないですかね。
ちなみに特に気に入っているのは「意外と照明って熱いんですね」という双葉の言葉。ホント汗かくぐらいに熱いんですよ、舞台に立ったら絶対にわかること。素朴な発言ですがとても共感しました。あといつでも「おはようございます」とかね。
と、誉めつつもリアリティに関しては疑問を感じるところが多かったです。
虚構のお話ということは承知しています。メインは役者たちの心情ということもわかっています。演劇の細かい設定など多くの人は気にしないでしょう。
それでもあえて苦言を呈するのは、一演劇好きの私のエゴです。
①舞台演出についての疑問(入団テストの演劇、赤い部屋)
実際のろうそく(裸火)を演出で使うのは出来なくはないですが、あまり好まれません。
舞台で火を使うときは消防署へ書類を出さなければならないですし、一般的に10日間程度は見込む必要があるはずです。2週間後に予定された舞台、それも急遽観客を入れる展開の中でねじ込んだ演出としては急すぎるように思いました。劇場単位で長期許可を取ってあるのかもしれませんし、虚構の演劇に言うのも野暮なのかもしれません。
ですが、普通は舞台上で「火」を使わないということは常識かと思います。少なくとも私はあの描写を見て違和感を覚えました。
重ねて言えば、この虚構世界の切っ掛けはスルト座の火災です。火を使うのも普通は抵抗を感じそうなものですが。
実物を用いずとも照明や効果音で見せてこそのお芝居です、「嘘であるからこそ、現実よりも魅力的」ってめぐりも作中で言っていますしね。
②劇団周りのリアリティ
いくらかありますが特に気になったところは悠苑の枕営業。実際どれほどそういう行為が行われているのかは知りませんが、なぜ舞台監督なのでしょう?
私のつたない知識では舞台監督がそこまで人事権を握るということは無いように思います。悠苑が正常な判断ができなくなっているのはわかりますが、物語に説得力を持たせるのなら演出家のほうがしっくりくるのです。
少し調べた限りでも演出家の立場を利用したスタッフへのセクハラは数多くニュースで見つけることができます。
そのあたりの認識、ごちゃ混ぜになっていませんかね?
③役者にフォーカスしすぎているところ。
この作品でフォーカスされるのは「役者」。もちろん花形でありそれなくしては演劇は構成されないのは当然です。
ですが演劇は役者だけでできるものでは無く、照明、音響、大道具、小道具、舞台監督等の裏方あっての舞台。
当然作中でも裏方は大切と言いますが、言うだけです。
音響に話をしなくちゃ、こんな仕掛けをと提言したりしますが具体的には無いです。あまつさえバミリ(位置決めのテープです)すら無視する役者を許容するありさま、ピンスポットライトで役者を追う照明の苦労さを考えろと。俳優の目に光源が当たらないように気を使ったりしているんですよ。
そして何より、裏方がみんな役者落ちのように描かれている。大道具と言えば白坂ハナですが、彼女は役者からの転身です。役者を続けられずに諦めたクチですね。そういう人もいるでしょう、でもみんながそうではない。最初から照明がしたくて、音響がやりたくて演劇を志す人もいるのです。
主人公、瀬和環の演出家への転身もそうです。役者がダメになったから別のポジションというのはわかりますがなぜ演出家なのでしょう、そもそも相当にクリエイティブな才覚が必要とされる狭き門です。
作中では演出家としての彼の活躍もほぼ無いに等しいですし…。
登場人物は役者か元役者ばかりだからというのはわかりますが、その思考回路はいささかステレオタイプに過ぎるものです。
④演劇への愛、楽しさ
批評空間にレビューを投稿しているfeeさんの感想から言葉を借りますが、「この作品からは『演劇』に対する『憎悪』は伝わってきても、愛は全く伝わってこない」。
私は全く無いとまでは思わないですが、正直マイナス面が強く打ち出されている点は否定できないです。
悲劇を多く用いるのはルクル氏の得意技なのでしょう。
私は悲劇を否定しないです、そこから得られる作品は甘い甘い、悲劇からしか得られない成分を含んでいますから。
でも、満ち足りた幸福からしか表現できないものもあると私は思っています。
幸福から一転落ちていく、どん底から這い上がる。悲劇も、喜劇も、不幸も、幸福もあるからこその作品なんじゃないかなと。
多分、ルクル氏にとっては演劇というものは脇役というか、裏方なのだろうと思うのですよね。登場人物たちの心理描写、感情表現がメインであってそれは確かに素晴らしい彼の才能に違いない。先に得意技と評したとおり、悲劇を書かせたら一級品というのもわかります。
その悲劇を演出するための道具なのですよね、演劇は。
「演劇なんて、楽しければいいに決まっている。誰もがそのことを、忘れちまっているがな」作中、王海の言葉です。
虚構世界ではみんな忘れてしまっているのかもしれませんね。現実世界では劇団ルペルカリアで存分に楽しんでほしいものです。
演劇って、見るのも演じるのも、照明を操作するのも、音響をいじるのも、楽しいものなんですよ。