タイトルと裏腹になかなか読ませるシナリオ。本番シーンは非常に少ないが多彩なシチュのシーンは非常にシコリティが高く、フェチとストーリーが緻密に絡み合っている。 全裸合宿を通して、自分を見つめて相手を尊重、互いに成長するサクセスストーリーだった。
「全裸登校」
やたら強い字面だけ見たら何のことだか意味がわからないし、どうせ全裸で登校している女子生徒に羞恥を感じさせて眺めて、ズッコンバッコンするんだろうなぁと決めつけていたプレイ前の私を謝らせたい気分だった。
結論、ズッコンバッコン本番シーンはシナリオの9割を消化するまで登場せず、そこまでは全裸で歩かせたり、お互いの性器を触れ合ったりといった流れをひたすら繰り返す。若干マンネリ気味はあるが、どのシーンも段階を踏んで着実に羞恥を無くす方向へと馴染ませていく流れは見事で、こういう学校のようなものもありえるかもしれないと思わせてくれる。まぁあるわけないのだが。
この全裸登校という行事は普通はあり得ない、現代社会を生きる我々の価値観からしてもそうだろう。そもそもゲーム中の世界観でも完全肯定されているわけではなく、名門日本第一の伝統だからこそ許容されているレベル。日本第一以外では奇異の目で見られており有栖を罵倒した女子学生、つまり若い世代ではこれが顕著である。
有栖がここに入りたくないと考えていたことは当然であり、現代社会の価値観からしてもこちらの方が腑に落ちる。
実際私もプレイしながら、羞恥に顔を染めるヒロインたちを見て興奮しつつも「なんだこれ…」と思っていたし、先生方の語る全裸学習の意義についても「抜きゲーの設定ktkr」と思っていた。
しかし物語が中盤に差し掛かる頃には「これはこれで学生の成長に意義はあるのでは」と思えてきたのである。むしろ全裸登校に理解を示さない女子学生や町の住人を見て「なんでわかんないんだよ…!」と軽く怒りを覚えるほどには日本第一側に肩入れした考え方に変化していた。
これは主人公やヒロイン、周りの友人たちが全裸学習を通して成長していたことがしっかりと伝わってきたが故である。
単なる合宿でも団結・友情は育めることだろう。しかし本合宿のキモ、“全裸”は物質的な障壁を取り払う効果があり、同時に精神的な抵抗感も和らげる。
“裸の付き合い”という慣用句を聞いたことがある方も多いと思う、互いの本音を言い合えるような人間関係を言うのだが、本合宿が得られるモノはまさにそれである。
物質的に満たされた現代社会、個室・個人主義、多様性・個性の尊重というお題目を拡大解釈して蔑ろにされてきた協調性と他者への尊重がここにはある。
飾らない、偽らない裸一貫の対話だからこそ得られた成果と言えるだろう。
また、授業内容も教育的に見て真面目なものが多くある。
諸兄らは大陰唇・小陰唇の役割などきちんと教えられた、若しくは考えたことがあるだろうか?
諸姉らは陰嚢がなぜ外部に露出しているか教えられた、若しくは考えたことがあるだろうか?
ビラビラが出ている、黒ずんでいるからヤリマンだとかそういう噂を聞いた、信じたことはなかっただろうか。
思春期以降、性というものが半ばタブー視されてしまえばそれは未知なのだ。しかしセックスするときに何も知りません、というわけにもいかない。AV、ネット、友人の情報、いろいろと情報収集に励むわけだがそれでマスターできるわけもなく、なんとなくヤってヤられてなんじゃないだろうか。口頭、伝聞、視聴では不十分、百聞は一見に如かずだ。
すなわち、お互いの性器の構造、仕組み、扱い方を実物を見ながら学習できる全裸合宿はこの上なく効率の良い学習方法なのである。興奮のあまりやり過ぎる危険性や相手にNOを告げられない躊躇心も授業の中ではカバーできる。
全裸合宿を“性教育”として見た場合、いささか過激であるが有用性は疑うべくもない。
そして、ストーリー全般を見てもなかなか起伏に富んでいる。有栖の傍若無人っぷりは翻せば羞恥の根源となっておりなるほどと思わせてくれたものだが、報いを受けさせる展開にもつなげていたことには驚いた。
確かに彼女の性格・思考がこのままであれば全裸合宿の意味はなく、ここは全裸合宿の本質とは何かということを如実に表している一幕。
その過程、懲罰の流れは強引さが目立つが村人の感情は様々で面白い。特に村長の妻、権力者に対する鬱憤のようなものが発露する様子は見事。
合わせて主人公やクラスメイトがそれを受け止め、彼女の行いを許すべきかを思考させることも良かった、こういう流れを含めての全裸合宿ということなのだろう。
書いていてふと思うのだが、これは軍隊式教育法のようなものではないだろうか。
閉鎖的環境で価値観を破壊し、新たな価値観を教え込む。点数制を採用することにより競争心を煽りパートナーとの連帯感、裏を返せば連帯責任を感じさせる。
いかにおかしなカリキュラムであろうとも周囲が賛同し、それに報酬が与えられていれば非常識は常識を塗り替えていくのである。
一応言っておくが、私はこれが必ずしも悪いとは思ってはいない。作中のそれはさすがに突拍子もないが、こういう教育でしか育めないものもあるはず。
個を重視する現代社会の価値観と反するかもしれないが、こういうものも尊重されてこその多様性ではないだろうか。
と、ここまで真面目に書き連ねているが、エロシーンにも言及しよう。
やはりエロはエロで良いものだ、何より本番シーンがここまで乏しいのにもかかわらず全く不満なく興奮させてくれたのは素晴らしいの一言。
気に入ったシーンをいくつかあげる。
有栖と紗奈ふたり揃ったシーンに集中しているのは単に私の好みである。
「男性器を観察してみよう」
主人公の長大な一物を教材として活かしたカリキュラムである。
おっかなびっくり男性器を扱う女生徒たちの羞恥、特に有栖と紗奈の掛け合いが見られた最初のシーンはとても興奮した。暴発射精について安易に許容しないのも良いところだ。射精がいけないのではなくきちんと声かけをしなさい、と相手を思いやる気持ちを醸成させようとしている。
また、「まるで男性器の涙のようですわね……」との先走りの表現も詩的で美しい。初体験で言われたら笑ってしまいそうだが、この場ではそういうのも許容されそうだ。
「女性器を比較してみよう」
これはなかなかに酷なカリキュラムで、仮に私が皇帝と比較されたらインポになる自信がある。
実際、紗奈も女性器の比較はなかなか堪えたようである、しかしこの羞恥がたまらなくそそる。劣等感は羞恥を生み、その感情は興奮を惹起させる。
しかし一方を褒めそやすのではなく、形質的な違いはあって然るべきものであり安易に性経験に結び付けてはいけないと注意を促すことで比較対象を思いやる気持ちを持たせている。
「口、手で処理する方法を学ぼう」
緊急的な対処方法を学ぶカリキュラムである。レイプ犯がこれで満足するかは大いに疑問であるがとても興奮できるシーンであったのでヨシ。
印象的なのは積極的に奉仕してくれる紗奈と消極的な有栖のギャップ、最初は嫌がっていてもプライドゆえか最終的に行為に及んでしまう有栖のそれは定番だがやはり良い。
また紗奈が小さな子供をあやすように射精を促すシーンも最高だ、バブみのようなものを年長者ではなく年齢的に近しい存在に求めるものは他では代えられないシコリティがある。
紗奈の本番シーンが無かったことは残念ではあるがそれは本題ではないだろうしアペンドで補完されるようなので問題はない。
シリーズ初プレイなので他の全裸ストーリーも楽しみだ。