人を選ぶ作品であることは間違いない、ライターの個性がこれでもかと発揮された稀有な作品。終始独特のノリとテンポが続くのでこれが合わない人にはプレイが辛すぎると思うが、深く考えず享楽的にネタを受け入れられる人であれば意外といけるんじゃないだろうか。ポップコーン片手にコーラ飲むぐらいの軽い気持ちでプレイしてみてほしい。
簡単にまとめるとアメリカンコメディの雰囲気にボボボーボ・ボーボボのようなノリのギャグを不必要にちりばめ、下ネタ要素を織り交ぜた作品。
ここで大事なことは、アメリカンコメディの良さは「雰囲気」程度であるし、ギャグもユーザーに向けた選定ができていないライター好みの「ただの詰め込み」。
アメリカンコメディ単体で見るなら「フルハウス」でも見ていたほうが面白いし、ギャグマンガも然りだ。
これをエロゲという媒体で発売しようとしたことが冒険で評価できることであり、反面評価を大きく下げる要因でもあるのだろう。
人を選ぶ作品と言ってしまえばそれまでだし、事実その通りである。ただその一言で片づけてしまうには惜しいほどにライターの情熱を感じる作品でもある。
低俗で、下品で、陳腐で、軽薄で
どうにも欠点ばかりの作品ではあるが、私はこの作品が嫌いになれない。単純に好き嫌いの話をするならば好きなのだ。
とはいえ名作などとは決して言いたくないし、大作でもない。人に聞かれてもオススメに挙げることはまずないと言える。
その中で本作の欠点をひたすら列挙し、僅かな魅力を見つけることで一人でも共感を得られるのなら幸いである。
プレイしてクソゲーだと感じた方の感性はマジョリティの意見として当然であるが、これは少しでも面白いと感じたマイノリティ側の意見として参考にされたい。
本批評、感想は次の構成からなる。
1 作品全体から受けた印象
2 ネタとその必要性について
3 ストーリーと連続性について
4 テンポ及び作品のボリュームについて
5 エロシーンについて
6 終わりに
1 作品全体から受けた印象
全般を通して言えることは清々しいほどのライターのオナニーである。
それも売り物にあるような視聴者の興奮するところを抑えたオナニー動画ではない。ただただ自分の快楽を追求したオナニーの開陳であり、例えるなら冷感オナニーや尿道責めオナニーなんかを唐突に見せられたようなもの。
よくもこれを自信満々で世に出せたものだと尊敬する。
そしてこれを良いものでしょうと胸を張って自慢するけっぽし氏の姿が、笑顔が浮かぶようだ。
ただ思うのはこれは彼自身と、彼と価値観を一部でも共有する人への笑顔であり、それ以外のユーザーには目も向けられていないということ。
世界観を、舞台を、登場人物を理解させようとしているようには思えないのだ。
全ての設定が急に思い出したように飛び出しては説明などろくになされないままに進行していく。
この設定も会話とナレーションの中で急に飛び出すからまた厄介なのだ。
地の文はそんなにひどくないと思うのでそのあたりは普通のテキストで説明してくれてもいいんじゃないだろうか。
まぁ意図的にせよそうでないにせよ説明不足の現状はライターのエゴもしくは技量不足に起因するところは明白であり擁護のしようのないところである。
ライターのエゴにあふれたハイパーオナニーの本作を説明なしに理解してくれるのはもともとのファンか、価値観が偶然一致した稀有な人物ぐらいのものだろう。
同人作品であれば許容されるのかもしれないが、ある程度の客層にフォーカスした作品が求められる商業作品として考えるとそこは本作の大きな欠点と言える。
しかしそこでぐだぐだ言われたとしても、極端な話ある程度のプレイヤーにとって圧倒的に「面白ければ」良いのだ。
事実、賛否両論の作品にはコアなファンがいて中央値を押し上げている。
残念ながら本作にはそこまでの力はなかったというのは数字が証明しているし、私も高評価をつける気にはなっていない。
ただ好きといったからには一定の楽しさも部分部分で感じていたので簡潔に魅力を述べる。
私の感じる本作の魅力は「ライターが自分の好きを全力で表現しているところ」
もうひたすらにこれに尽きる。
クソみたいなネタの数々や設定、なろう小説の一部分を抜き出したような展開。これが俺の理想の詰め合わせ、ハッピーセットだとばかりに押し付けてくる。
このあふれんばかりの情熱は作品すべてを彼のカラーに染め上げて、プレイヤーにまでそのカラーを受容することを強制してくる。
私は悔しいが完全に頭からっぽでプレイできなかったので、そこまで染まれず心底楽しめたとは言えないのだが、この愚直なまでの馬鹿さ加減はプレイしていく中でどこか懐かしい気持ちにさせてくれた。
ちなみに個人的にはゴムのアヒルの「プー」でリラックスできるようになれたときが少しうれしかった。
3週目のプレイだったかと思うが少しは頭空っぽに近づけたかなと実感できた瞬間だったから。
2 ネタとその必要性について
怒涛の如く降り注ぐネタだが、大きく分けると次の3つに分けられる。
1 とにかく低劣な下ネタ
2 アメリカの近代文化や車などライターの趣向する分野
3 パロネタや時事ネタ
まず1の下ネタについて私は肯定的に見ていない。内容は成人向けだが描写展開はコロコロコミックレベル、であるにも関わらずギャグに落とし込めておらず突発的な印象が強い。
2,3はまず知っているかどうかだ。その上で唐突なネタを楽しめるかどうかも関わってくる。
基本的にこのネタは、ただただライターの語りたい欲求が前面に出てきており、いわゆるオタクの早口に近しいものがある。熱量は凄いが指向性は無い。プレイヤーに何かを伝えようとする要素は皆無だ。
ゆえにこのネタたちがストーリーに必要な要素だったことなどほとんど無く、その場その場で刹那的に登場するだけだ。だから知らなかったネタを調べたところでだからどうした程度の気持ちしか動かないだろうし、調べた時間だけゲームから離れているのは「頭からっぽにして」楽しめてはいないのは明白だろう。
じゃあどう楽しむのか、それは2択だ。
その展開、ノリに身を任せる。
「頭からっぽにして」だ。公式推奨だし、たぶんこれが一番なのだろう。知らないことは知らないし楽しめる物を楽しむ。ただ少しばかり適正というか才能がいる。
もう一つは自己の知識との一致を楽しむといったところだ。知識というと偉ぶっていて気持ち悪いがつまるところただの記憶である。
そもそも本作に登場するネタはそんな掘り下げられたものは無いように思う。アメリカ文化にはそこまで明るくないので言及は控えるが、時事ネタはニュースに取り上げられたメジャーなものがほとんどだ。
私事だが冒頭でピスタチオのくだりはナッツリターン事件を思い出し韓国の財閥的なことを調べたことを思い出したし、シェールガス云々では原油価格が大きく下落したことを思い出す。
私は後者のスタイルで楽しめたほうだが、当然すべてのネタを拾えたわけではない。
知らないものは知らないままで、知っているものだけでも断片的に楽しめばよいと思う。
もちろん両者を複合して楽しめたら理想なのは言うまでもない。
それを実現できたら、最高にハイってやつだ。
ただこれらも一瞬だ。そんな感傷も笑いも唐突な場面転換で吹き飛ばしてくれるのだから。
この場面転換については次のストーリーと連続性で話そうと思う。
3 ストーリーと連続性について
連続性が無いというのは、ネタとネタの連続性が無いというのが一つ。
必要性が無いネタなのだから当然その後の話で活かされるはずもなく。その場で享楽的に消費されるネタに頭を使うだけ無駄だ。
もう一つはストーリーに連続性が無いということ。
本作はエピソードを途中から進められる機能がある。この機能を使用した際、間違えてエピソードを飛ばしてプレイしたのだが正直違和感がなかった。
どこから進めても、とは言わないが多少読み飛ばしても前後しても差支えが無い状況は流石に驚いた。
まぁ入れ込みたいネタとシチュエーションが沢山あるのはわかるのだ。
だがそれを盛り込んだ数分間の1エピソードをつなぎ合わせた結果出来上がった全体図は、腐りかけの巨神兵のような印象を受けた。今にも崩れ落ちそうというか、もう崩れ落ちているのかもしれない。それほどストーリー展開は破綻している。
それでも1エピソードを享楽的に楽しむ分には無しではない。たまにくすっと来る瞬間もあるのだ、悔しいことに。
だが、最後の展開だけは私には受け入れられなかった。
おまえはギャグマンガじゃなかったのか。
なぜ急にそんなメタ要素をねじ込んできたのか。
それまでプレイしてきた中で本作にしかない輝きを私なりには感じていたのだ。万人受けはしないがまぁこういう作品の挑戦は悪くない、よく作ったものだと。
それがなぜそんな搦め手で最後を迎えようとしたのか。
今まで正面からクソを投げつけてゲロ吐いて勝負してきたお前が、なぜ最後の最後で格好つけているのだと。
何より、何より腹立たしいのは「頭からっぽにして楽しむ」ことをコンセプトにしているのに最後にこんな設定を入れてきたことだ。
「頭からっぽにして楽しむ」なら最後までそのままでいさせてほしかった。
ただただそこが残念でならない。
一応連続性の無さについて好意的な意見も述べておくと、メリハリがあるところだろうか。
例えば、キャラの中身の入れ替わりなども「なんやかんや」ですぐに解決して次に移行する描写は一見手抜きにしか見えないが、ここで頭をリセットしろよというライターからのメッセージかつ優しさと捉えることができるかもしれない。
4 テンポ及び作品のボリュームについて
ノンストップハッピーコメディADVというジャンルなのでテンポというものは重要な要素であるはずだ。
賛否両論あるとは思うが、個人的にはテンポは良かったように感じた。
これはけっぽし氏自身が好きであろうネタをノリにノって執筆していた部分において、私がそれを好意的に受け入れ楽しむことができたためであるが、その中でも微妙に感じた場面がいくつか存在した。
明らかに水増しされた、尺稼ぎのネタの部分である。作中で尺稼ぎと言いきっている部分なのですぐに気づくはずだ。
これらは必要性云々の前に、異常に薄っぺらいネタの連続であり、他のネタとの差異を感じるものだ。執拗に擦るネタや、やたらマニアックな知識はライターのこだわりであることは感じ取れ好意的に受け止めていたのだが、この薄っぺらいネタはその良さを打ち消していたように思う。
想定された文章量を埋めなければならないことはわかるのだが、このやりようはあんまりだ。
そこまでネタと会話、ナレーションで強引に埋めなければならなかったのだろうか。
いくらノンストップで走り続けるにしても息継ぎは必要になるだろう。地の文で一息つかせるなどのプレイヤーに対する思いやりや工夫があっても良いとは思うのだが。
そもそもの話なのだが、ノンストップでこれを読むのは辛くないだろうか?
ギャグマンガだってノンストップで読むだろうか、いや読むかもしれないが私は少しずつ楽しみたい。
私はけっぽし氏の過去作は知らないが、このテイスト、文体でこのボリュームは無理があるように感じる。
いっそもっとぶった切ってショートストーリー詰め合わせのようなほうが取っつきやすくなるような気がするのだ。それならば本作の、連続性も必要性もない展開を強みに変えられる…かもしれない。
もしくは価格を調整してボリュームを抑えるほうが現実的な改善点だろうか。
5 エロシーンについて
本筋のイカレ具合に比べずいぶんと真っ当なセックスをするものだという印象。
オナニーすらまともにしたことがなく女の裸もまともに見られなかったのに、連続何発でも3Pでもなんでもござれ、すごい成長ぶりだ。
回数はそれなりにあるがアフターストーリでの水増し感はぬぐえず少し残念。シコリティについては個人的には微妙だが一つだけ、目を見張るものがあった。
らむねとのシーンなのだが、行為中にのどが渇いたというらむねに対してるなちーは精液入りの使用済みゴムを差出し水分補給を促す。らむねは彼の思いやりに感動して精液を飲み干すのだ…
精液ごときで大した水分補給にならないということは置いておいて、この一連の流れで驚いたのは彼らに悪意はもちろんイタズラ心も全く無いことだ。
凌辱物で精液飲めとか、小便飲めなどというのはテンプレのごとくあり、これは悪意だ。
純愛物でも大好きな彼のものだから飲んであげるとか、もったいないとか、いやそれは申し訳ないとかいじらしい愛情表現として見る。
それはプレイの一環での一幕でありスパイスかつエッセンスだろう。
しかしながら、るなちーはポカリでも飲む?といわんばかりの気安さで精液を飲ませた。
命令されているようで嬉しいと飲んでいるらむねの様はいじらしく可愛らしくも映る…そのぶんるなちーの異常さも際立っていた。
エロシーンの中で唯一るなちーがるなちーらしい純真な異常さを垣間見せたこと、ここは個人的に評価できるものだった。
6 終わりに
たぶんこの作品をプレイした後に得られるものは無いと思う。
CLANNADは人生というのも今はあまり聞かれなくなったものだが、当時あれらの作品により人生観に影響を受けた人もいたのだろう。
ラムネーションにそんなものは無いし、あっても怖い。
ただただ享楽的に消費して、ちょっと面白いところあったかもな、こいつ馬鹿だななんて思いながらプレイするのを勧めたい。
というのも、この作品をプレイした後にふと思い出したことがあったからだ。
学生時代の友人に、本当に馬鹿なやつがいたのだ。
口を開けば妄想ともつかぬような戯言を吐く、しかしたまに笑えることも言うのだ。ほとんど仲間内でしかウケないものだが。
ある日、疲れていると愚痴った私にAVとオナホールを送ってくれた。
私がロリコンと知っているくせに「四十路の具汁」という熟女もののAVだったことに憤慨して、こちらから「五十路の具汁」を送りつけてやった時は勝ったと思った。
今思えば彼は年上好きだったような気もするが。
そんなくだらない、眩しかった日のことを思い出した。
多分あんなことあったなぐらいにしか思い出さない出来事であり、人生観に影響することもないだろう。
この作品はそれでいいのではないか。
炭酸飲料の泡のように消えて後には残らない。
もしまたプレイしたいと思えばその時起動して、馬鹿だなとつぶやいて眠れば良い。
もしくは価値観を共有できる仲間とラムネーション!と乾杯して作品を語り合うのもいいだろう。
楽しかったなと笑って、家に帰ってしまえば忘れてしまえば良い。
最後に誉め言葉として、けっぽし氏に捧げたい
「ほんとうにくだらない作品だった!」