ディレクターがまとめ切れていないことに原因があると思うが、ルートごとの完成度、温度差がえげつない。 カナン、マリカ√の良さはあるがそれを打ち消すほどにほたる√の違和感が凄い。 OP、ED、挿入歌はどれも高水準、素晴らしい。
作風としては「朱 -aka-」に近いのだろう。朱のウリ、映画的な描写こそないが長い時を越えて引き継がれる存在、思いのようなものは共通だ。銀色、スカーレットっぽさもあるかもしれない。
反面、みずいろ、ラムネ、そらいろに代表される「みずいろシステム」を用いていない。このシステムは早々に世界を分岐させることによりルート間での設定の齟齬などを曖昧にできる利点があると私は思っている。つまり複数ライターに都合が良いということだ。
前者を採用した結果、Whiteの世界は統一した世界観を求められる結果となり、それが本作の欠点になっているのだと思う。
海富氏のカナンルート、片岡氏のマリカルート等ではライターの得意とする「らしさ」が発揮されており後半に進むにつれ面白さは増していたが前半は正直微妙だった。ブリジットもそうだが特に顕著なのはほたるルート。
これは作風について先に述べたとおり、複数ライターで作品を出すことが多いねこねこソフトの悪い面が際立っているからだと私は思う。
正直、片岡とも氏が一人でディレクターをやっている場合、整合性や話の温度差はチグハグになる傾向がある。ラムネなどがそれだが、本作はその比ではない。
所謂キャラメインや学園物であればある程度は許容されるかもしれないが、本作は設定、ストーリー重視の構成を取っている。
そのためある程度一貫したテーマ、作風で仕上げる必要があるのだ。例えば、フランス料理でコースを食べているのに急に肉じゃがを出されたら驚かないだろうか?
これが美味しいならまだ良い。だが正直微妙なクオリティ、かつコースに必ずしも必要ではない。
この全体の統制をとるのはディレクターの仕事である。「サナララ」では木緒なち氏がうまく仕上げており高い完成度だったのだが、本作では正直お粗末だ。
片岡氏の表現したいことなりテーマ性があるのなら、そこから逸脱した表現だったりは削ったり排除する必要があるのだが出来ていない。海富氏は長い付き合いで過不足なく汲み取ってくれているのかもしれないが新規メンバーには酷だろう。
そこの橋渡し、翻訳はディレクターの力の見せどころなのだが…。
〇ほたるルート
共通で謎を提示するなどして盛り上げておきながら旅館で住み込みバイト、イチャラブは流石に開いた口が塞がらない。急展開じゃない、謎展開だこれは。
ほたるルートでレンが主人公になるということ自体はいいのだ。しかしレンについての描写、掘り下げが不足しているうちにこれでは感情移入も難しいし一般的な理解も及ばない。
カナンルートではレンが主人公である意味がある、亡き母の忘れ形見である彼の存在はとても大きいのだから。
ではほたるにとっての彼は何なのだろうか?兄に連れられてきたぽっと出のクラスメイト程度ではないか。そもそも女装の流れも強引すぎるのだ、ストーリーにほとんど活かせていない上に女装への拘り、矜持なんて見て取れない。
辛辣な言葉を言わせていただくが、これは本編に入れ込むクオリティに達していない。全体のストーリーに混ざりこめていない上に、単独のストーリーとしても今一つだ。
おまけで書かれているミサルートのほうがよほどしっかりしている。あれは本編の語られない部分にうまくフォーカスしてほどほどな文量でまとめられている素晴らしいサイドストーリーだった。
〇ブリジットルート
ブリジットルートではことさら彼女の”無垢”なところを描写している。王子様のくだりは特に象徴的なものと言えるだろう。
これをマリカルートでは失ったもの、捨てたものとして描写することで精神的な成長を実感させる良い流れだった。しかし長命人のもろもろに言及することが無いのはどうにも物足りない。マリカルートのような”無垢”でなくなったブリジットとの積み重ねも見たいなと思うところだ。
〇カナンルート
カナンのルートというよりも、長命人やこれまでの背景についての解説といった感じ。止まっていたというか淀んでいたストーリーがようやく動き出す。
これまでなんでいたのかわからなかったレンのルーツに迫り、カナンがあれだけ固執する理由に触れていたのは良かった。このルートではレンがカナンと関係を持つ相応の理由がある。
作品のテーマや設定に触れつつ、キャラの性格を崩さず、次のルートへうまく繋げている展開はいぶし銀の活躍だ。
どうしてもマリカルートのエモーショナルなところに目が当てられがちな本作だが、カナンルート、海富氏の縁の下の力持ち的な活躍は本作の重要な要素だ。
〇クレア~マリカ~Whiteルート
恐らく本作のテーマ性の本懐であり書きたかったところだろう。
ご都合主義は多分にあり、そこは詰められれば弁解できないところ。ねこねこの作品はそのあたりふわっとしていることが多いのでこういうものだ、という気もしないではないがそれは言い訳にはならない。
ただ、そんなところに目をつぶってもらえるのなら見てほしいテーマ性がある。
それは作品終盤で言われる「当たり前で、何気ないこと。普通の暮らしでは、気づかずに通り過ぎる、ありふれた、”日常”の一コマこそが、かけがえのない宝物。」に詰まっていると思う。
これを、何千年もの妄執の末の長命人の末路であったり、マリカとサイガの長くて短い積み重ねで描いているのだ。
マリカが眠ってからの10年はサイガにとってはとても長く、長命人にとっては短い。
でもそんな時間の長短は意味を成さない。その時間をどう受け止めるかは人によって違うから。
「時計の針が示す時間よりも・・・・・・自分なりの真実」
この言葉がそれを如実に表していると言えるだろう。
最後の目を覚ますところは賛否あるだろう、個人的には眠ったままの方がきれいに収まったのかなと思うがまぁこれはこれで。
私見だが、片岡氏はどちらかと言えば優しくて幸せな結末を好むように感じるので当然の帰結なのかもしれない。
〇まとめ
前半戦を無視して後半だけに点数をつけるのであれば高得点だが、それは自分にとっていささか不誠実だ。作品全体を見るならば欠点が非常に目立つ。
そしてそれは先述したとおりディレクターによるところが大きい。ほたるルートのライターについて思うところはあるが、彼(彼女?)が一概に悪いわけじゃない、使いどころを間違えているのだ。あれならおまけシナリオに入れておけば無難に終わらせられたし違和感もなかっただろう。
フルプライスとしてはボリューム不足の誹りは免れないかもしれないが。
つまるところ、商業作品としてはバランスが著しく悪いのだ。昔の作品でも思うところではあったが、顕在化している。それが後半の「ねこねこらしさ」の良さを打ち消すほどになっているのは残念でならない。
※ヨスガにソラってろは当時をあまり存じ上げないので触れない、というか語れない。見聞きした事柄から察するにもろもろの対応は好ましいものとは言い難いが、作品の内容とは分けて考えるべきだろうと思う。