ErogameScape -エロゲー批評空間-

Gore Screaming Showさんのさよならを教えて ~comment te dire adieu~の長文感想

ユーザー
Gore Screaming Show
ゲーム
さよならを教えて ~comment te dire adieu~
ブランド
CRAFTWORK
得点
97
参照数
1727

一言コメント

悲痛。この一言に尽きる名作。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

三大電波ゲーの一つにして鬱ゲーの代名詞とまでなった本作。
入手困難なのですがBD版で出ています。

このゲームは演出、CG、音楽、シナリオ、どれをとっても一級品。
文句無しのシナリオゲーと言えます。
今までプレイしたエロゲーの中でベスト3に入る。
作風が作風なので人を選ぶが、作品自体が自由で”プレイしていて面白い”。
「鬱」というより「悲痛」というのがしっくりくるゲームで、終わった後の感慨深さも凄くありました。
終わった後に「さよならを教えて」というタイトルが「助けて」の裏返しだと気づくと凄くやるせない・・。
満足のいく考察が出来なかったのですが一応リンクのせとくので暇な方は是非一度目を通してもらえればと思います。
ttp://gorescreamingshow.jimdo.com/%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%92%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6-%E7%B0%A1%E6%98%93%E8%80%83%E5%AF%9F/

以下HPと同じ内容を記載

作品について

哲学者ニーチェの名言「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

この名言を表したのがこの作品。



キャラクターについて

『さよならを教えて』のキャラクター5人のうち、4人は主人公の妄想です。これらのキャラクターは主人公の無意識的に抱えているものが形になったものだと考えられます。

一言で表してしまえば、睦月以外は全て主人公にとって安心できる弱者。

彼女達の苗字は山手線を円に見立てて、五芒星を描くように選ばれたもの。



田町 まひる(たまち まひる)

主人公の幼少期のトラウマが形になった存在。パッケージでの記述は"chat"。おしゃべり。まひる=真昼の象徴だと考えられます。主人公は作中、ずっと夕方からしか行動しません。それは実際には無い教育実習があると思い込んでいるから。

この教育実習とは、人間全てが抱えている”義務”の象徴。

真昼というのは主人公からしてみれば外の世界(作中で言う天)であり、自己実現の叶った世界です。

また、彼女自身は猫であり主人公にとっては「まひる=自分を慕ってくれる相手」。

自分を猫だと思ってる画家の話しがありますが、あれは自分=弱者だと思っている主人公の心情でもあります。

田町という名字は恐らく「タマ」というネコの名前の典型を含ませているのか。





上野 こより(うえの こより)

主人公の少年期のトラウマが形になった存在。パッケージでの記述は"poupee"。人形。恐らく名前の読みをなおして「上の子より」か。

つまり姉、ひいては女性全てに対するコンプレックスの象徴と考えられます。(姉の風呂を覗くなど、女性として意識した描写がある。)

彼女自身が弓道場に現れるのは主人公が中学時代に弓道をしたかったが女子部員ばかりで気恥ずかしく、出来なかったため。

つまり弓道場=女の園というイメージが主人公の中にあるから。

彼女の性格については作中の言葉を借りるなら

「熱望。広がり。寛大。拡張。慈悲心。楽天主義。そんな言葉が浮かんでは消える。それらのすべてが、少女ーーこよりを表す言葉の群れだった。」

この記述から分かるように主人公の持ち合わせていないものの塊です。

少年期に同年代の少女との関わりを持てなかった故のコンプレックス。




目黒 御幸(めぐろ みゆき)

主人公の青年期のトラウマが形になった存在。パッケージでの記述は"noir"。黒。名前から幸せの象徴と考えられます。主人公は作中、重度の学歴コンプレックスを抱えている事が何度か記述されています。

「旧帝大の図書館には立派な白い髭を蓄えた老賢人でもいるのだろう。だが、あの小さな図書館にいるのは、一人の気難しい少女でしかない」

という記述から彼女が主人公の学歴コンプレックスを反映した存在だと分ります。

また、「臆病で、自信が持てず、理論武装だけを頼りに突っ張っている泣き虫少女」

「恐いんです、人が、特に……男の人が……」という文章が女性を恐れている主人公と対比されています。

この少女は作中にも”似ている”と記述されている通り、主人公そのものに他なりません。”鯛の鯛”の話からも。

また、”鯛の鯛”の話において、御幸は主人公の中にいます(彼女自身は標本であり、人間と同じ構造)が主人公は御幸の中にいません。

これはつまり、主人公の頭の中の世界では幸せがあっても、外にはないという事を示しているものだと考えられます。





高田 望美(たかだ のぞみ)

主人公の抱える鬱憤が形になった存在。デモムービーでの記述は"vent"。肛門。名前から、そのまんま高望みの象徴。父親から性的虐待を受けている幸の薄い少女として描かれていて彼女は非処女ですが、これは恐らく当時から既にあった"処女性"への批判の可能性有り。それ自体が高望みなのだという主人公の潜在意識の形か。

父親を主人公とする描写もあるのは主人公自身が望みを潰しているからだと思われる。

作中、 彼女がrebirthと書きなぐっているのは主人公自身の望み。

貯水タンクの雨=主人公の心に溜まった鬱憤であり、そこから脱する事が暗示されています。

彼女はどのエンドでも飛び降りますが、これは「望美」を亡くす=「高望み」を無くすという事。

主人公の高望みは恐らく睦月が処女であることか。

どのエンドも同じである事から、結局彼女を亡くす事は出来ません。

また、睦月ルートでは「タバコを止めても止めなくても先生は先生」と言う台詞があります。タバコ=緩慢な自殺と作中で記述があるのでこれは睦月ルートのエンドへ向けた伏線か。

彼女自身はカラス。なぜカラスかと言うと、これは白と黒(⇔天使と怪物)で言ったときに主人公は黒である事と「烏の濡れ羽色」という慣用句に使われるようにカラスが黒色の象徴である事が照応しているから。





巣鴨 睦月(すがも むつき)

主人公の自己実現の可能性であると同時に、本作唯一実在するヒロイン。パッケージでの記述は"ange"。天使。作中、その美しい容姿に主人公は恋心を抱きます。

作中では精神的な理由で入院している模様。

「ごくごく近しい、信じていた人に裏切られたというか・・・」
「裏切られたと思っちゃったんです。向こうには向こうの都合があるのに」

という記述がありますが、これは睦月の入院理由だけでなく主人公の心情でもあります。

つまり、恋愛沙汰で入院している可能性があると主人公は思っているということか。

この事についての詳細は下で。





主人公

コンプレックスの塊。自己実現が出来ずに妄想の世界に逃げ込んでいる。

しかし本来が生真面目なのでその世界ですら苦しんでいる。

睦月以外のヒロインは全て自分の胸に抱えこんだもの。

作中、睦月を白い天使とし自分を黒い怪物だと思っている。

これは「白か黒か」の両極端でしか物事を見れない主人公の極論主義の性格を反映している。

が、ここでいう天使も怪物も作中の記述から人間。

(哲学者であるパスカルの言葉「人間は天使でもなければ、獣でもない。 だが不幸なことに、人間は天使のようにふるまおうと思いながら、 まるで獣のように行動する」がもとか)

これはつまり主人公であり、人間全てである。

睦月に惚れており、睦月と結ばれる事が自己実現の道と示されている(実際に、倫理学などでも恋人をつくるのが一番手っ取り早い自己実現の形とされます。なぜなら自分が自分であるだけで相手が価値を認めてくれるから。)。

しかし、告白出来ずに終わってしまいます。

なぜなら彼女は恋愛沙汰で入院した可能性があり、その場合主人公は我慢ならないからだと思われる。(主人公の高望みが睦月が処女であることという仮定が正しかった場合)





作中の白について

未確認ですが恐らく作中で主人公にとっての白が他の白と対比されています。具体的には主人公の白は便器や精液と言った汚い白、他の白とは大森となえの白衣(学を成した医者、つまりは自己実現を成したことの象徴か)など。





天使様の樹伝説の要約

作中から簡易抜粋。

「ある男女が恋をしました。男はヤクザ者、女は深窓のお嬢様
仲間の金を持ち逃げして駆け落ち

→樹で追い詰められる
→男が追っ手を手にかける→女はそんなことをするくらいなら一緒に死にましょう

→男「黙って殺されるのはいいが自害は嫌だ。お前が殺してくれ」
→女「すぐに私も行くからね」と言って男を殺す

→死にきれず追っ手に捕まる
→哀れに思った神様が彼女の魂を救い上げ、解放
刹那、語り部の少女の顔が睦月に戻った
→神様は言った。男を殺した罪を償わねばならない。この樹に宿りなさい。
この樹が天まで届いたときあなたは・・・天使となるでしょう。そこで愛する人と再会出来るかどうかは、貴方次第です。
僕は圧倒されていた。睦月の中に天使の兆しを感じたからだ。
まだ時が満ちていないのだ。
睦月「それで、この樹にお祈りすると恋が成就する・・・そう言われるようになったんだそうです」
先生「どうして?」睦月「多分償いなんじゃないでしょうか」そうする事で赦される



天使になる=天にかえる=退院の暗示

この時点で既に主人公は睦月の退院日がそう遠くはない事に薄々気がついていると考えられます。

だから日にちを気にした行動を起こす。





天使様の樹伝説解釈

作中、睦月ルートで天使が「助けて」と言うのを主人公は聞き、彼女を救えるのは自分だけだという記述があります。

そこで、天使様の樹伝説の女も男も主人公。

もとが主人公が勝手に脳内で作りあげた妄想なので。

(これは下で考察してますがマリオの話からも。)

つまり、「男=主人公の強い部分」であり「女=主人公の弱い部分」です。

ここで「それで、この樹にお祈りすると恋が成就する・・・そう言われるようになったんだそうです」と照応。

ここでいう恋は睦月のルート。「多分償いなんじゃないでしょうか」の償いは睦月以外のルート。

「この樹が天まで届いたときあなたは・・・天使となるでしょう。そこで愛する人と再会出来るかどうかは、貴方次第です。」というのは主人公が退院して外で睦月と再会出来るかどうかは主人公次第ということか。





各エンドについて

・睦月エンド以外のエンド

ラストにさしかかった頃の作中の記述

「夢も悪夢も・・・やっぱり現実にはなりませんでしたね」
「それは・・・・でも・・・・天使と怪物との戦いなんてことになったら誰だって逃げ腰になるさ・・・」

「自分より弱い魂を救うことで可愛そうな自分を救う」
「弱者が運命に向かって羽ばたこうとすると我慢できない」

などの記述から今までの主人公の行為が自分への慰みだと分かります。





・睦月エンド

睦月について明かされます。今までの主人公の行為が穢れの無い、誰もが認める美少女と結ばれる事で自己実現を成そうとしていた事が判明します。しかし最後は結局他のエンドと同じ。

これはどのルートであっても救いがないという事をプレイヤーに突きつける意味があるのだと思われます。

また、天使様の樹の「まだ時が満ちていないのだ。」という記述から主人公の他のヒロインへの「さよなら」は現実、そして睦月と向き合うための葛藤。

他エンドへ向かったときの天使の台詞「もっと私を見て欲しかった・・」、睦月ルートでのこよりの「天使様への生け贄にでもしてください」からも同様の事が言えます。

結局はその勇気を持てず、妄想の中で彼女が死ぬ事によって終ってしまいますが。

これは自己実現の可能性が潰えたのを表すと同時に、睦月の退院も表しています。

(睦月が天使ではなくなった=自分以外の人間と恋愛をしていたかもしれない睦月が、主人公の基準で我慢ならなかったという暗示か)





マリオの話

作中、マリオがジャンキーだという話があります。

抜粋すると



「マリオはジャンキーだって言うんですか? でも、そんな。くだらない。もともと御伽話みたいなものじゃないですか」
「‥‥で、さ。彼の目的ってなんだったっけ?」
「お姫様を救うこと‥‥でしょ?」
「そうなんだよね‥‥」
「騎士道精神ってやつです。御伽話の基本です。立派なことじゃないですか」
大森となえは無言で煙草に手を伸ばすと、一本くわえて火を点けた。
 溜め息を吐くように吐き出した煙が‥‥僕の視界を白に染めた。
「お姫様なんて、本当にいるのかねえ‥‥」
「あははっ、女のコは白馬の騎上、男のコはお姫様。お互いそんなこと言う歳でもないじゃないですか」
「いたとしても、本当に『怪物』に囚われているのかどうなのか‥‥」
となえはそれきり、ムッツリと黙り込んでしまった。
歳の話をしたのが気に障ったのだろうか。だとしたら大人気ないことだ。
ともあれ、こんなくだらない話にこれ以上付き合うこともないだろう。
マリオ? マリオがどうしたっていうんだ? だいたい…。
ああ、そうか‥‥。



ここでマリオは主人公であり、この作品の概要はスーパーマリオのそれをジャンキーの見る世界としたときのそれと同じだと言いたい模様。

と同時に、「お姫様なんて、本当にいるのかねえ‥‥」という台詞がお姫様=天使様=主人公自身とする証拠にもなります。

クッパ=怪物=主人公なのも自明。マリオ=ジャンキー=主人公も。

パッケージ絵で睦月が半身は怪物、半身は天使と描かれてるのはこのため。





テーマ

テーマは「自己実現」だと思われます。望美の「タバコを止めても止めなくても先生は先生」と言う台詞や全て統一されたENDから「自己実現の失敗」と言ってもいいかもしれません。





タイトルについて

タイトルの「さよなら」は色々な意味での「さよなら」だと考えられます。

妄想の世界から決別し自己実現するという意味での、さよなら。

巣鴨睦月に倣い、退院するという意味での、さよなら。

この世界と分かれる-----自殺するという意味での、さよなら。

しかし、主人公はどのエンドでも「意味がないのは嫌だ」と全てからまた逃げます。

死ぬ理由すらないから。

これほど悲痛なタイトルは無い。

単純な例を挙げると、虐められている子供がいたとして「死にたい」と言っているとします。

しかしそれは「虐めないで」という本質を含んでいる言葉。

つまりこのタイトルの「さよならを教えて」は睦月と結ばれたいという気持ちの表れであると同時に「助けて」という悲痛な叫びの裏返し。



他にも細かいところはあるでしょうが、大まかな考察は以上。



2014年09月05日追記

『さよならを教えて』のライターである石埜三千穂様ご本人と思われる方からコメントを頂きました。以下に掲載させて頂きます。



振り返るのはあまり好きではないのですが、調べ事の必要があってたまたま見つけました。
とても面白かったです!
個々の解釈については、誰がなにを思おうとそれを否定するものではありません。
ここまでこだわってくださってうれしいです。ありがとうございました。