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Gmen75さんのさよならを教えて ~comment te dire adieu~の長文感想

ユーザー
Gmen75
ゲーム
さよならを教えて ~comment te dire adieu~
ブランド
CRAFTWORK
得点
100
参照数
663

一言コメント

人見広介と統合失調症について

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

人見広介と統合失調症について
 このゲームは人見広介が視点人物となり物語が展開され、プレイ中に「こいつ病気やろ!」と思っていた。さて人見広介は本当に病気なのかをこれから書いていきたいと思う。鑑別疾患は多数あるが、恐らく統合失調症ではないかと思うため、統合失調症を中心に記載していく。

人見広介について
 主治医の大森となえ先生は彼を「生真面目」と評している。クレッチマーが提唱した、病前や近親者にみられやすいパーソナリティである統合失調質には、非社交的・静か・控えめ・生真面目・変人などとあり確かに人見広介の性格と一致するところがある。姉である瀬美奈は子供のころから変なところがあり、猫を殺していたなどと供述しているところを鑑みるに幼少期からこの徴候は見られたのであろう。

統合失調症について
 統合失調症は内因性疾患といい、明確な原因(例えばある遺伝子配列の点突然変異など)は分からないが恐らく脳に原因があるだろうと言われている疾患で、統合失調症を親に持つ子供はその10%が罹患し、一卵性双生児の罹患率は50%にもなり、遺伝要因も関与している疾患である。病態にはドーパミン仮説とグルタミン酸仮説が唱えられており、ドーパミンによる伝達が過剰になる或いはグルタミン酸による伝達が現象すると症状が発症するといわれる。症状は実は人見広介の言動及び行動が教科書的である。彼はいわゆる陽性症状というものである。対話形式の幻聴、自分の考えていることが声になり聞こえる考想化声がそれに当たる。なお幻視は稀である。巣鴨睦月以外のキャラクターが見えているのは一般的な症状とは逸脱している。彼の話は脈絡が無いことが多いが、これも統合失調症の特徴で連合弛緩という。また、全てのことが自分に関係していると感じる関係妄想や、誰かに狙われていると感じる被害妄想も統合失調症の特徴である。
 実は、エッチシーンも典型的な統合失調症の症状で自分の身体に対する異常感覚で体感幻覚という。統合失調症の妄想は一次妄想といい、心理学的にも論理学的にも理解不能な妄想のことをいい、被害妄想や関係盲妄想がそれにあたる。となえ先生とスーパーマリオの話をしていて、「俺は誰かに操られている」といったシーンがあるが、あれは作為体験という自我障害の一つである。また、ヒロインを蹂躙する反面ヒロインのことが好きな様子がうかがえるが、これは同一の対象に対して相反する感情を抱く両価性という性質である。

 このように、人見広介は統合失調症であふれかえっているのである。

(ちなみに、統合失調症患者が新型コロナウイルスに感染すると死亡リスクは2.7倍高くなるらしい。ただ、統合失調症が原因なのか、統合失調症の治療薬が原因かは分かっていない。詳しい文献は省かせてね。)

人見広介と煙草
 これは考察サイトなどではあまり語られていない案件ではないかと思う(知らんけど)。人見広介はとなえ先生のところにいって煙草を吸っており、その他色々な場所で煙草を吸っている。そこで私は統合失調症と煙草には何か関係があるのではないかと思い調べてみた。すると、統合失調症患者には喫煙者が多いというデータは確かに存在しており、「統合失調患者の禁煙指導は困難である」という論文もある。また、統合失調症と喫煙の関係は遺伝子レベルでも示唆されており、ある論文によれば、「ニコチン中毒に関連する276の遺伝子と統合失調症に関連する331の遺伝子のうち、52の遺伝子が共通していた」とある(詳しい参考文献は省かせてちょ)。つまり、人見広介と喫煙とは遺伝子レベルで切っても切り離せない関係であるといえよう。

躁鬱病との鑑別
 となえ先生は躁鬱病と診断しているが、ここまでの話をうけているなら躁鬱病とは診断できないであろう。自尊心が誇大して気分が高揚している一方で、抑うつになり自殺を望んでいるしょうじょうを見れば確かに躁鬱病と思いたくなるであろう。しかし、人見広介の症状は統合失調症の教科書であるので躁鬱病と診断するのはかなり無理がある。躁鬱病でも妄想は見られるが、躁鬱病の妄想の代表例は観念奔逸といい、次から次へとアイデアが湧いてくることをいう。また思考内容はある程度まとまっているので論理的に理解できない妄想(一次妄想)ではないのである。この点で統合失調症でよくみられる一次妄想とは異なるものであると結論付けてよいだろう。
 次に、躁鬱病の病前パーソナリティについて考えてみよう。躁鬱病の病前パーソナリティは循環型性格といい、活動的で激しやすい反面、穏和で静かな面をもつ性格である。どこにも生真面目という単語は存在しない。この点で考えてみても躁鬱病ではないことが分かるであろう。

統合失調症と鬱病
 人見広介を「生真面目な性格のあまりにストレスに耐え切れず自殺願望を抱いてしまう」、と解釈すれば人見広介は鬱病患者であるとも言えるだろう。実際、統合失調症と鬱病の両方の特徴がみられるときみは統合失調感情障害という。両者とも「ストレス-脆弱性モデル」が関係している。精神疾患に罹患しやすい人がストレスを抱え込むと、その症状が現出しやすいことを難しく言うと「ストレス-脆弱性モデル」という。統合失調症も鬱病もこの仮説が言われている。私も含め、考察サイトなどでは統合失調症に目が行きがちな論考が多かったが、ここでは統合失調症と鬱病が合併した統合失調感情障害といっても差し支えないことを示しておこう。

グッドエンドは本当にグッドなのか
 「学校」から「大学病院」と場所が変わっただけで症状自体は何も改善されていないエンドがグッドエンドで、鎮静剤を打たれ檻の中に閉じ込められたまま終わりを迎えるのがバッドエンドというようになっている。バッドエンドは怪奇大作戦の「狂鬼人間」を彷彿とさせる。ここで、患者の症状が快方に向かうことを良しとすればバッドエンドは恐らくグッドエンドになるだろう。統合失調症は病型によって差はあるが薬物治療で精神症状が改善する場合がある。一般に、精神病未治療期間(DUP)が短いものほど予後がよいと言われている。この場合となえ先生は恐らく統合失調症の薬を積極的に投与していないのでDUPは延長していると思われる。しかしだからといって何も行動を起こさないよりかは薬物治療を介入するのがよいと思われる。
 一方グッドエンドは、一見患者を薬漬けにしないで人道的な治療を行っているようには見えるが、統合失調症自体は何も改善していないのである。患者の苦痛を最小限にできていないことを考えると、それは果たして人道的な治療といえるのだろうか?グッドエンドはバッドエンドにもなり得るのである。

 調べてみると、統合失調症に対する治療方針は「積極的に薬物療法を行う」ことである。前述したとおり、DUPが長いほど予後が悪化するため早期に介入することが必要であり、回復期にも再燃を防ぐために持続的薬物療法を行う必要がある。薬物療法について、従来ではフェノチアジン誘導体(クロルプロマジンなど)やブチフェノン誘導体(ハロペリドール)を代表する定型抗精神病薬が用いられた。これらはドーパミン仮説に基づき、ドーパミン受容体を遮断し統合失調症状を緩和する。しかし、これらの薬剤には錐体外路症状という特徴的な副作用がある。寡動・姿勢反射障害・静止時振戦・筋強剛の四徴が特徴のパーキンソニズムと、じっと座っていられないアカシジア(静座不能)と、筋緊張亢進・眼球上転・舌の突出運動を伴う急性ジストニアが短期投与の副作用で見られる。長期投与では、自分の意志とは無関係に体が動く遅発性ジスキネジア(手首がくねくね動く四肢型や口をもぐもぐさせる口部型がある)が生じる。また、稀だが筋肉の過剰収縮による悪性症候群も起こる。最近では、錐体外路症状が現れにくい非定型抗精神病薬(ジベンザゼピン系のクロザピンなど)が開発され、急性期の際は第一選択となっている。
 薬物療法以外でも、薬物療法が効かず自傷他害の恐れがある場合には電気けいれん療法が用いられるし、中立的な態度で行う支持的精神療法(精神分析は行ってはならない)を行うこともあるし、心理教育や社会技能訓練も行う。要は包括的に治療を行うことが重要なのである。


最後に……

さよ教とフランス語
 「さよならを教えて」をプレイすると必ずフランス語に出会う。英語でもドイツ語でもなくフランス語が多様されているのに何の意味があるのだろうか?私は精神医学とフランス語を結びつけた。精神医学というとドイツのイメージが強いと思うが、精神医学は実はフランスで始まったのである。18世紀頃、フランスにフィリップ=ピネルという精神科医がいた。当時のフランスでは精神病患者は「悪魔が人間に憑依したもの」と考えられており、精神病患者だけでなく囚人も一緒に一か所に収容され鉄鎖で拘束されていた。それを見たピネルは、患者を見下すのではなく一人の人間として扱うべきだと考え、精神病患者を解放した。そして彼は精神疾患には何かしらの科学的原因があるだろうとみなし、風邪などの病気と同一視した。さらにピネルは薬漬けにするのではなく人道的な精神医療を提供する心的療法を重要視して患者の尊厳を大切にしたのである。このような理由で、近代の精神医学はピネルから始まったといっても過言ではない。私は、製作者がフィリップ=ピネルにあやかり、精神疾患を面白おかしく描くのではなく、精神疾患やその歴史に敬意を表してフランス語を選んだのではないかと考える。
 (ちなみに精神科医の話によると、彼らの中ではフィリップ=ピネルは誰でも知っている存在らしい)

長々と語ってしまったが、人見広介と統合失調症だけでもこれだけ語ることが出来てしまうのである。

改めて、さよ教は素晴らしいゲームであると実感した!