ErogameScape -エロゲー批評空間-

Eleanotiteさんの箱庭ロジックの長文感想

ユーザー
Eleanotite
ゲーム
箱庭ロジック
ブランド
Cabbit
得点
65
参照数
1419

一言コメント

「箱庭ロジック」とは一体何であったのか?

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

~箱庭の中に横たわるロジックとは~


まず「箱庭」とはどういうものなのか。
作中で小学生がやっていたように、箱庭を作ることを素朴に想像してもらいたい。
例えば、自分の部屋の模様替えでもしてみるとしよう。
机、椅子、本棚、等々を自分の手で箱庭の中に好きなように配置してみるのだ。机は本棚の右側に、いや、左側にしてみようかな、ときっと色々試行錯誤してみることだろう。
ここで重要なのは、現実の世界において現物の大きさの机や本棚を動かしてはいないということだ。現物の代替物で配置の可能性を模索することで、現実世界での部屋の模様替えを試したことになっているのである。
つまり、「箱庭」の果たす機能とは現実世界の`像`なのである。操るのが容易ではない現実世界の代わりに箱庭装置を操作することで、確かにこの現実へのなんらかの示唆を可能にするのである。
とすると、『箱庭ロジック』の物語の舞台となる箱庭都市とは、現実世界の箱庭の箱庭であると言えるだろう。
この作品は、現実世界から見れば二重の箱庭装置になっている。現実→箱庭①(箱庭の裏庭/プレイヤー視点)→箱庭②(箱庭都市/主人公視点)という具合だ。
この点によって、本作がプレイヤー側に提示するメタ的視点を自然なものにしている。
加えて、物語の物語性をはっきりと意識させることで、つまり、本作という物語が創作物としての物語であることを強く意識させることで、逆に、この物語の現実世界への主張とは何であったのかを考えるよう仕向けているようにも思う。
この`機構`こそ「箱庭ロジック」であったのだ、と私は考える。

余談ではあるが、この物語が現実世界へ示唆する「何か」とは一体何であったのかについても自分の意見を述べておきたい。
作中で何度も描かれるのは、人物や物事の二面性とその清濁を併せ呑み込もうとする態度である。
√の終わりはどれも幸せなのだがどこか苦々しさが残る。そのように感じた人も多いように見受けられた。
やはり物語が伝えたかったことは、枝葉末節をどんどん削ぎ落としていくと、事実の二面性とその清濁を併せ呑み込もうとする態度であるように思う。
一身に引き受け生きていくしかないこの現実がどういったものか。
これこそ、二重の箱庭装置という「箱庭ロジック」を駆使して強く現実に示唆したかった事柄ではないのだろうか。

――「それは、誰の、箱庭?」
キャッチコピーであるこの問いに対し、私は「誰のものでもない。」と答える。
『箱庭ロジック』が現実→箱庭①(箱庭の裏庭/プレイヤー視点)→箱庭②(箱庭都市/主人公視点)という構造を持つことを踏まえると、この問いは②の視点から①の視点へのものである。
なぜか。問いかけがキャラクター、つまり②の視点からだということは明白である。そして、箱庭の裏庭に登場することがある以上、①の箱庭世界の存在は知覚しているはずである。
それ故、指示詞「それ」が指すのは①の箱庭であるのだ。(②の箱庭を指すならば指示詞「この」を使うはずである。)
①の箱庭、つまりこの現実世界の像、は誰のものかという問いに答えるならば、それは現実世界のものである。現実世界を完璧に操ることは誰にも出来ない。
だからこそ、「誰のものでもない。」と答える他ないのだ。