中途で席を立てぬ観劇作
クルーンに嘯かれるまでもなく、人の一生とは歌劇であり、誰しも悲劇だと酔いしれながら演じているに過ぎないのだ。
主人公・サルテと共に彼女の死の真相へ潜ってゆく道程は、時間的には短くとも白く濃厚だった。
あくまでも本筋は「サルテが死んだワケ」なのだが、随所に抜き差しされる兵士達の語彙力の低い――否、立派に姦々接待を勤め上げてくれた彼らにあまりに礼を欠く――行為に感じ入ってるとどーでもよくなりかけたわ。
ふぅと抜けた私を再び前のめりにさせたのは、中盤より顔をだしたサルテの親友・破格のオッパイシスター・マリーだった。
この常に笑顔を絶やさず、されど男達の精魂は絶やしてくる魔女に、兵士Cと共に骨抜きされてしばらく経った頃
「クルーンが求める答えとはなんぞや?」
忘我のアホ面にメインディッシュが静かに舞い降りてきた・・・いわゆる賢者モードという奴だろう。マリーのゲス顔のせいだなきっと!
この語り部たる「サルテ」とは「自分を王女だと思いこんでいたそっくりさん」であり、本物の王女・サロメのワガママに鬱憤を溜める少女が、ひょんなことから世界的演劇祭で演ずる事に生きる希望を見出した、あわれな役者でしかなかったのだ――そしてクルーンの正体は・・・わたしがわたしを見つめてました。
短いながらもちゃんと叙述トリック?をかましてきた本作は、シナリオ的にも息子的にも満足できるデキだった。最初は悲劇のヒロインぶってたサルテも、己を取り戻すとあっさりクルーンと同じ「道化」であると納得したのも後味が良かった。
欲を言えば、サルテの復讐が成った√も欲しかったわ。いやソレがあっちゃこの作品世界じゃなくなるかぁ・・・
最後に。
人生を悲劇だと呪ってるのは己だけ。周囲世間大衆にとっちゃぁそんなプライドなんて鼻で笑える喜劇――その、ある種の大悟へと至れた彼女はやはり、役者が天職であったのかも知れない。