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Atoraさんのはるのあしおとの長文感想

ユーザー
Atora
ゲーム
はるのあしおと
ブランド
minori
得点
100
参照数
991

一言コメント

漠然とした恐れが自分の中にあって、意味もなく蠢いている。なのに、その正体が何なのか分からない……こういう気持ち悪い不安を憶えたことのあるプレイヤーほど、桜乃樹の葛藤、行動に同調できるはず。樹は本当に不器用な人間で、ちっぽけで臆病で、かつては一歩も前に進む勇気すら持ち合わせていなかった。そんな過去があるからこそ、ヒロインと共に前轍を乗り越えていくその様が、実に晴れ晴れとしていて輝かしく見える。幾年を経ても、一向に色褪せることを知らない物語。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 全く色褪せていない。…まず、そう感じた。

 5年前にプレイした時も、何よりも先に、キャラクターの挙動の豊かさに驚嘆した。
 たとえば、立ち絵を用いないCGが多く、その場面場面をしっかりとした一枚絵に仕上げている点。たとえば、いかなる場面も基本的な目パチ、口パクを完備している点。
 このように、キャラクターを引き立たせることに関しては、ことminoriは力を入れていた。当時は他のブランドなど及びもつかなかったように思う。どこをどうやればここまで注力できるのかと、青二才ながらに恐れ入ったものだ。

 それがどうだろう……たった今あらためて見ても、「すごい」の一言しか出てこない。5年前にしてこの水準に達していたことは、minoriが演出にどれほど注力してきたかが窺い知れようというものである。
 後年になって『ef』がリリースされた時に、私は『はるのあしおと』を引き合いに出し、同様の感想を抱いた。ゆえに、演出効果という点では、時を経た今でも手放しで誉めることができる。



 しかし、この読み物というジャンルは読み手の心を動かしてこそ評価に値するというものだ。そうでなければ、「絵だけゲー」、あるいは「絵ゲー」といった侮蔑的な表現が、他のゲームに対して付属するはずがない。さて、その肝心のシナリオはどうか。



 主人公、桜乃樹という人間に同調できるプレイヤーにとっては、この物語は非常に耳に痛く、また、プレイヤー自身を奮い立たせる応援歌に近しい内容となっている。


 学園モノというシナリオの王道は、いささか使い古された感じがしないでもない。現に、教師と生徒間の恋愛という題材は、美少女ゲームに限らず、小説やドラマなどの格好の素材として用いられている。
 しかし、その多くは背徳的であったり、欝シナリオであったりと、得てして良いイメージが付きまとっていない。この物語においても、樹は教師という立場でありながら、教え子に問答無用で手を出しているため、そもそものシナリオ構成に抵抗を感じるプレイヤーも多いことだろう。


 とくに、ゆづきシナリオでは、樹がワル乗りしている節も見受けられ、決して情操が働くシナリオとは言えない。しかし、これも18禁ゲームならではと言うべきか。全体を鳥瞰するに、些事に拘るのは逆にもったいない気がした。



 この物語は、お互いの立ち位置を把握することから始まり、それが元でぶつかり、心の成長をしっかりと描こうという企図の下で成立している。この事は、全シナリオに共通する。

 悠シナリオでは、互いの心の欠落(孤独感)を埋めあうために互いを欲しあう。
 和シナリオでは、常に上を目指していながら心が満たされない自分と、変化に乏しい樹の両方に苛立つことで、樹と自分の双方に変化を求める。
 そして、ゆづきシナリオでは、誰かを求め合う気持ちを樹と共有することで心の傷を塞ごうとする。

 強くなるために一度は別れ、ともに成長した姿をお互いが認識しあうことで、物語はハッピーエンドを迎える。

 ここまでで完結していたならば、普通の成長物語に過ぎない。『はるのあしおと』の真価は、隠された智夏シナリオにこそ凝縮されていると思う。


 悠、和、ゆづきの三人は、樹と出会った当初、大小の違いこそあれど「弱い自分」を裏面に持っていた。だが、それに気づいていなかった。

 これに対し、智夏だけは明らかに違うのだ。彼女は物語の開始時点から、すでに「弱い自分」と「強い自分」の両方を完全に自覚していた。
 そして、過去の体験から、今度こそは絶対に後悔しないように、と心に決めて樹に想いを打ち明けた。つまり、かつての「弱い自分」と袂を分かっていたとは言えないまでも、少なからず決別していたと言える。
 智夏は既に心の成長を遂げていた。これが、先の三人とは決定的に違う。


「時間は戻せないけど、やり直すことはできるから」(篠宮智夏)


 樹に改めて告白した時、一瞬だけ昔の智夏へと戻ったように見えたのは、昔から燻っていた当時のままの気持ちを―――そのありったけの想いを樹にぶつけることで、過去の自分を昇華しようとしたからではなかろうか。
 自分の強さを知っているがゆえに、智夏は教師としての立場から緑川や桃園を正しい方向へと導けたのであろうし、樹の弱い部分を非難することはしなかった。

 物語を完遂させるには、智夏エンドはなくてはならないシナリオだと思う。しかし、他の三人のシナリオと並列化したのちにあらためて比較すると、智夏シナリオだけは違和を感じてしまう。
 なぜなら、先の三人が「ヒロインとの心の成長」を軸に据えているのに対し、智夏シナリオだけは、「主人公の心の成長」を軸として物語するからである。しかも、それは、非常に自発的な成長であるが故、殊更に3つのシナリオから遠ざける必要性があった。

 また、唯一舞台を芽吹野から東京へと移さなかったのは、ヒロインの智夏が心的に強くなる必要性が全くなかったためである。東京という場所は、樹にとっても他の三人のヒロインにとっても試練の地であったが、智夏シナリオでは、樹が自発的な心の成長を遂げたため、東京へ赴く理由を完全に排した形となった。ゆえに、智夏シナリオのみを敢えて隠しシナリオに位置づけたのは、極めて妥当な選択であった。

 ヒロイン達の強さもさることながら、いずれのシナリオにおいても、樹の心境に変化には本当に驚かされた。何をするでもなく、過去に縛られたまま生きていただけの男が、ちょっとしたきっかけで別人のように強くなった。見ていて尊敬に値するし、その強さが羨ましい。ゆえに、この物語は耳に、頭に、心に響く。のうのうと生きている自分が情けなく、恥ずかしくなった。


 minoriが綴った心の成長物語は、奇跡が起こるわけでもなく、どんでん返しで幕を閉じるわけでもない。ただ、2人の人間が進んだ足跡を丁寧に、しかし余分な日常を省いた味わい深いお話だった。



「未来はちっぽけな勇気で拓かれる」  『はるのあしおと』 パッケージより

 人生で一歩を踏み出すことの難しさ、大切さが滲み出ている。私にとっては、過去で満点、そして現在でも満点をつけられる唯一といってもいい作品だ。また未来で、必ずプレイしてやろうと心に決めている。その時、何を思うのか。現在は、それが楽しみで仕方がない。



[雑談]
 本当に素晴らしい作品というのは、一時の感情で賞賛できる作品ではなく、プレイヤーの立場が変わってもその人に感動を与え続ける作品だと思っています。そういう意味では、この『はるのあしおと』という作品は、私にとって、忘れえぬ物語となりました。