ハート目について。心に、心が宿っていない。
カップル、温泉に行く。まったく気を衒った話ではない。だが、意表を衝く必要もない。
原作を蔑ろにしないこと。それこそが、この手のファンディスクに大切な成功要因だ。
原作で培われた雰囲気は、本作にもしっかりと受け継がれている。
本作のクリエイターは「そこをよく分かっているなあ」と感心した。
“萌え”が根強いファンディスクでは、お惚気多めに原作のアフターシナリオを描けば、ある程度の成功は約束されている。
ちょっと飛躍しているように聞こえるかもしれないが、私は不動の事実だと思う。
エロゲー界隈は、ただでさえユーザー母数が少ない。リスクを背負うのは、もってのほかだ。
原作の雰囲気を壊すとなれば、何より信じて付いてきたファンを裏切ることになる。
クオリティを維持しつつ、原作でできなかったことに心を砕くほうが建設的である。
本作で言えば、まず正反対の季節を舞台に据えればよい。ストーリーは後からついてくる。
ある側面から見れば、この作品をファンディスクのお手本の一つに加えることもできる。
理想的なカップルの在り方(二次元に限る)に思え、幸せな気分に浸れるからだ。
原作のような寒い季節でなくとも、プレイしていてほっこりとなれる作品。
それこそが、『アマカノ』シリーズの真髄なのかもしれない。
当たり障りの内容でしか得られない満足感もある。ここまでは満足できた。
だが、物語のクオリティに鑑みて物申せば、技術的には物足りない。
この作品では瞳の中にハートを入れる、いわゆる“ハート目”が多用されている。
ハート目そのものは二次元でしか味わえないので、私はこの描写が大好きだ。
だからこそ、その使い方が気になった。
こう言ってはなんだが、いささか興醒めする。
本作におけるハート目はギャグのそれとは意味合いが異なるが、ピュアな愛情の表れではない。
Hシーンにて頻繁に登場することから、私は単に“性的快楽の可視化”と考えている。
しかしながら、表示時間が長すぎたり差分が一辺倒であったりと、
時に、女の子が理由もなく淫猥に見えてしまうのである。
私ならば、ハート目に大小差分を複数用意したり、彩度を変化させたりする。
そうしたほうが、可視化された快楽指数をより細分化できるからだ。
紗雪は
俺の 聖は そんなにエロくねぇ!
小春は
と激高しておられる諸兄には、たいへん気の毒である。
効果的に用いるならば、もう少し工夫がほしいところだ。
なお、E-moteを使おうとした姿勢は評価するが、有効に働いているとは言い難い。
ミニゲームはまあ、ミニゲーム程度のもの。
……うっかり射的王を目指しそうになったのは秘密である。
とにかく、技術的にはいろいろと趣向を凝らすことはできそうだ。
たかが、Hシーンなのかもしれない。
されど、Hシーンなのである。
心に、心を砕いてほしい。
【雑談】
ハート目はいいものです。でも、ユーザーの思考(妄想力)を奪わないかが心配です。