minorityを喪ったminoriは、真のminority足りえないのではないか。
「少数派」と言えば孤高のイメージがある。響きはいい。しかし、実力の程はどうだろうか。
率直に言って、このゲームにはminoriらしさがそこかしこに足りない。
シナリオにせよ、オープニングにせよ、プレイヤーを作品の髄にまで惹き込ませるまでは至らない。
それは、抜きゲーを冠しているからとか短いからとか、そういった泥臭い理由の類ではない。
連綿と受け継がれているminorityが幾分か希薄になっている――――そう直感したからに他ならない。
minoriがminorityを意識した作品は数多い。
当時の業界最高峰であろうオープニングを誇る『Wind -a breath of heart-』、
登場人物の明確な成長が心に深く刻まれ、圧倒的なCG枚数を誇る『はるのあしおと』、
いまなお衆目を魅了してやまないムービーと終章のシナリオが印象深い『ef』、
限られた終末世界における生と愛を描いた大人の物語『eden*』。
どれをとっても他の作品にはない開明的な要素があった。
それは演出だったり、ムービーだったり、シナリオだったり、はたまた作中の雰囲気だったりと、必ずしも目に見えるものとは限らなかった。
いずれにしろ、minorityを訴求するminoriの姿勢に、私は一定の敬意を払っていたつもりである。
個人的には、『はるのあしおと』からお世話になっているminoriブランドであるが、
ことこの『夏空のペルセウス』に関して言えば、minorityの粋を極めきれていないと感じた。
minoriらしい点もあり、minoriらしからぬ点もある。バランスが非常に悪いのだ。
一部の演出、ビジュアル、音楽といった大まかなカテゴリからは革新的という意味を含んだminoriらしさが随所に窺えど、
シナリオやオープニングに限って言えば、それらを欠いたお粗末なゲームというのが現実的な評価だろう。
これほど、手抜き具合が手に取るように分かる作品もなかなかあるまい。
さて、先ほど「minoriらしい点もある」と書いたが、まず特筆すべきはエロ方面だろう。
こちらに関しては、旧きminoriとは明らかに一線を画す異様な雰囲気。
これまでは、どちらかと言えば想いを大事にした濡れ場という印象が強く、
互いの思慕の念がいい感じにミックスされたエッチが身上だったはず。
シナリオに力点を置いていたせいもあって、抜きゲーとは縁遠かったように思う。
それは私から見ると時にもどかしく、遠まわりな印象を覚えたものだ。
とくに、『eden*』のアペンドディスクからは、18禁に対するブランドの自問自答や迷いすら垣間見えた。
『すぴぱら』は不器用ながら、その一つの答えなのだと思う。
だからこそ夏ペルは、これまでのminoriの濡れ場観を卓袱台返しする。
それは、恋シナリオの直線的かつ倒錯的な絡みに集約されているように感じられる。
ただ、恋に限らず何れのルートも総じて濃厚なエロシーンを堪能できるとあって、実用性については甲乙つけがたい。
連戦連発は当たり前。汁描写にしても過度と思えるほどだが、あいにくそこは二次元空間。
それくらいやってもらっても一向に構わない、と私は思う。
惜しむらくはシーン数の少なさ。個々のシーン回想は長めだが、その数は総計にして14。
かなり物足りない数字に思える。とくに恋ルートでは、テキスト上で逢瀬を重ねている描写が散見される。
残念なことにこれらの情事は、濡れ場があった事実だけを淡々と告げるに留まり、シーンとしては実装されていない。
ブランドのかくかくしかじかな事情を疑ってしまうほど端折られている。
それはさておき、実にminoriらしからぬクオリティではないか。
minoriのエロは常にシナリオを引き立てるプラス要素であって、核という事例はこれまでになかった。
『はるのあしおと』にせよ『ef』にせよ、“抜き”を軸として考える人は誰もいないはず。
思い切ったイメージチェンジではあるまいか。これはユーザーとして単純に嬉しい。
もしこれを、美麗なCGを活かした抜きゲーへのチャレンジと考えられたならば、
minority(あえて“ミノリ”ティーとでも言おうか)の一種であると声高に結論付けることもできただろう。
なるほどたしかに、実用面では数段向上し、凝り固まったイメージの刷新には一役買ったのかもしれない。
だが、その分犠牲となったminorityはあまりに大きすぎたし、濡れ場の数的な不満もあった。
だから、私は手放しには喜べない。
続いて演出関連。まずはオープニングを見てみよう。
私にはいつものオープニングに比べ、どことなくぎこちなく感じられた。
比較的動きに乏しいため、直感で非minori的だと目に映ったのである。
ゆえに、これまでのminori諸作品のそれと比べて、明らかに見劣りしたような印象は拭えない。
とてもminoriが手がけたとは思えない代物で、妥協点を見出した感が否めないわけだ。
具体的に言えば、画面にさほど動きがなく、CGや立ち絵の流用が多々見られるのだ。
このクオリティは、これまでのminoriでは到底考えられなかったロークオリティである。
力を入れすぎた前作の弊害とはいえ、歴代のminori諸作品(とくに、はるおと以降)との落差は比べるまでもない。
ブランドの懐具合はさておき、まざまざと簡素化を目の当たりにした感じがする。
それに引き換え、主題歌である“The Brave Under The Summer Sky”は、minoriらしさを強く匂わせる。
minoriではお馴染みの、酒井伸和&原田ひとみ&天門が手がけた楽曲だからだ。
それゆえ目と耳で知覚するminoriらしさは、視覚的インパクトに乏しく聴覚的インパクトに富んでいるわけだ。
いや、待て待て。minoriのオープニングはこんなものではないだろう。
たとえユーザーの目と耳が日に日に肥えていったとしても、そのオープニングはどこよりも質が高く、
そして作品内で最もminoriらしさで溢れかえっていたはず。ひとえにminorityの象徴と言っても過言ではなかった。
ところが、夏ペルのオープニングは羽を失った鳥のごとき危うさを感じさせ、その衰微のほどを露呈してしまった。
期待を裏切られた思いがする。
濃密なエロと体裁を整えたに過ぎないオープニング。
これだけでも大層minoriらしからぬ作品なのだが、かと言って、
本作を“minoriがリリースした抜きゲー”として片付けてしまうのは、あまりに評価として雑すぎると感じた。
minori諸作品における物語性の有無という点から見ても、また、後述する点から見ても、抜きゲー一辺倒に振り切ったわけではなさそうだ。
評価する時のひとつの軸として、やはりシナリオは、カテゴライズされるべきだ。
そういうわけで、シナリオを検討してみたいところであるが……
―――とにかく描写不足。まずそう言って差し支えない内容だと思う。
この物語は主人公と彼を取り巻く4人の少女の中で形成された、極めて狭小なコミュニティでの話だ。
彼ら以外の人影は何処にも見当たらない。立ち絵はおろか、声すらもごくごく一部を除いて聴くことすら能わないという念の入りようだ。
また、狭い世界観に拍車をかけるように、ストーリーはとかく限定的。ダイジェスト版と謗られてもやむを得ないブツ切り感がある。
どのルートにおいても、「好き」に繋がる明確なファクターが提示されておらず、断片化された流れの中でストーリーが紡がれていく。
そのため、必然的に話に没入しづらくなっており、浸るより先にエピローグを迎えてしまい拍子抜けする。
踏み込んで言えば、物語が短いと言うよりも、浅く説明が足りないのである。
シナリオが頼りなく思えてしまうのは、ひとえに自然な恋愛劇を重視したものと邪推するが、エロゲーにおいては不自然かつ不親切でしかない。
テーマに沿って葉(場面)を茂らせていても、枝や幹(過程)が細ければ、葉が青々と芽吹くはずがなかろうに。
取り扱ったテーマがテーマなだけに、重厚感に富んだ説法含みの要素を多分に含んでもよかったのではないか、と私は思う。
あまりにもあっさりしすぎなのだ。悪くはないが、好みの味付けではなかった。
ふと気づけば出会い、ふと気づけば惹かれ、ふと気づけば互いに恋をしている物語―――
と言えば聞こえはいいが、省略によって、プレイヤーを不当に迷わせるのは如何なものかと思う。
さて以下は、行き過ぎを承知の私なりの想像である。
不足不足と言われているように、このゲームは多種多様な考え方ができる。
これは「こうだったらよかったのにな」という私の妄想に近しい。
そういうのが嫌いな方は、読み進めないほがいいだろう。
物語上に聳え立つテーマは、オフィシャルでもやんわりと触れられているように「痛み」ただ一つだけ。
そして、「痛み」は精神的な痛みと肉体的な痛みの二つに大別できる。至極スマートなテーマだ。
【あやめ】
痛みの軽重を消し去って、再度その感覚を取り戻す話。
心的な度量衡は人それぞれで、基準なんてものは当人にしか持ちえない。
どんなに忌まわしい記憶も、その人しか真の重さは秤量できない。
とは言え、“両親の死”という痛みは周りから見ても軽からぬ記憶であるのは確かなことだ。
その重荷を取り除けば、誰しもが壊れてしまうだろう。否。正確には、周囲が「この人は壊れてしまった」と評するのだ。
痛みの軽重を正確に量る天秤は、もうどこにもないのだ。
このシナリオは実に恣意的なクライマックスを迎え、最後は恋がおいしいところを持っていく。
製作者サイドの答えは、「痛みは必要不可欠なもの」といったところだろうか。
伝えたいことは薄ぼんやりと伝わったが、エンターテインメントとしては決して一流とは言えないだろう。
【翠】
痛みから逃れ、再度向き合う話。
痛みに弱い人は傷つくのを恐れる。翠は純粋なまでに村を愛していたがゆえに、ちょっとした事にも敏感に反応する。
まるで小動物。なんてことない発言も、彼女からすれば奇異に映ってしまったことだろう。
表向きはすごくポジティブだけど、実は非常に繊細でか弱い女の子が、
主人公との出会いをきっかけに、外の世界へと目を向けていく話だ。
お話そのものは決して突飛とは言えないのだが、如何せん持っている「傷」が浅すぎた。
分岐からクライマックスまで、彼女のストーリーは盛り上がりに欠ける上、痛み自体が不親切に描かれている気がする。
表向きの課題が村の過疎化一点に絞られているにもかかわらず、ヒロインを除く村民の作中描写がほぼ存在しないのは、
舞台装置としてあまりに大味すぎたのではないだろうか。問題なのは、社会問題をセカイ系に置き換えたことであろう。
恋人へと至る決定打があるわけでもなし、特筆すべき展開が待ち受けているわけでもなし。
なにぶん評価しづらい、こじんまりとしたストーリーになってしまったのは否めない。
サイドストーリーをいくつもカットしたような構成は、なにも翠ルートに限った話ではない。
不運なことに、このルートは見どころの少なさからして、最もその冷や飯を食っているように見えてしまう。
ただし、恋シナリオとのコントラストを意識したのか、ライターは“弱さが招く痛み”を伝えようとしたのではないか。
そこは、少なからず汲み取りたい部分ではある。
【恋】
「痛い」という感覚を奪い取り、再度その感覚を共有する話。
「社会」を選ぶか、「禁忌」を選ぶか。近親相姦を認められず、なおあるがままの姿で在り続けようとする姿勢に、異常な「強さ」を感じた。
遠野兄妹は他人の痛みを移す異能を持っているがゆえ、とことん「大人たち」に利用され続け、安住の地を求めて辺鄙な村へと逃避した。
実妹の恋はどうしようもなく兄の森羅を恋い慕っていたが、彼らが社会の一部である限り、どこにでも恋を脅かす女という存在がある。
そこで彼女がとった行動は、初潮をきっかけに森羅の倫理観を奪い取り、機を見て、常識人の翠に性行為を見せ付けるというものだった。
「社会」を取るか、「実妹」を取るかという究極の二択を迫る話だ。
倫理観を取り戻した森羅が苦悩の末に選んだのは「禁忌」だった。
実妹との近親相姦という事実の裏には、必ず社会からの逃避という負の顔がある。
秩序と敵対し犯罪の限りを尽くしたボニー&クライドを髣髴とさせる内容だが、
決して悲劇で終わらないであろう逃避劇に、独特の美的センスと若干のご都合主義を感じてしまうルートだった。
翠ルートでは人の弱さを、恋ルートでは人の強さを描いていると思う。描写不足ではあるが、部分的に対比できる話だった。
【透香】
唯一、ルートロックをかけられているシナリオ。
さて、単なる抜きゲーならば、煩わしいシナリオロックをかける必要など微塵もない。私が引っかかったのは、まさにこの一点に尽きる。
シナリオロックを無視した抜きゲー評価は、あまりにもお粗末というものである。
この物語は、死という痛みを乗り越える英雄譚である。
遠野森羅は同情から沢渡透香を抱いた。余命幾許もない人間に差し伸べられた救いの手が、
実は同情に起因したものだったと知った時に感じる惨めさ、どうしようもない無念さ、怒りは想像しがたいものがある。
それに気づいた透香は、「偽善に酔っているだけ」と森羅を一蹴する。
ゆえに森羅は苦悩し、透香を思うがゆえに痛みを感じていることを改めて彼女に告げる。
透香自身も「消えてなくなる前に、私は刻みつけておきたかった」と森羅に告白することで、再度彼らは結ばれる。
しかし、兄を愛する恋にとって、透香の存在は面白いはずがない。
死後の森羅を恋に託そうとした透香に、恋は本音を聞きだすべく「問い詰め」を行う。
その結果、“死にたくない”という言質を取った恋は、愛する兄に処女を捧げることで透香を救おうとする。
そして、そうすることで上位の異能を得た森羅は、死から透香を救い出すのであった。
……といった内容だ。ペルセウス(遠野森羅)がアンドロメダ(沢渡透香)を救い出す話がモチーフなのは言うまでもない。透香は言う。
「彼は女神様からもらった盾や翼の生えたサンダルを持っていました。でも、彼が勝てたのは、そういう便利な道具のおかげじゃなくて」
「ペルセウスは最初から武器を持っていたんです」
「彼の心にはきっと、なにものにも負けない勇気があったんだと思います」
―――とまあ、話だけ聞けば綺麗に思われるかもしれない。しかし、如何せんご都合主義すぎるだろう。
というのも、遠野兄妹が持つ能力を、最後の最後で都合がいいように設定している感が強いからだ。
このシナリオでは「他人の痛みを移す能力」から「他人の痛みを消す能力」へと、森羅が持つ異能は進化を遂げる。
しかし、そこへ至る合理的な理由や透香が抱える不治の病(死=メドゥーサ)について、それら一切合切がはぐらかされているのは頂けない。
私からしてみれば、瓢箪から駒以外の何物でもない。奇跡で片付けるにはあまりにも易すぎる。
死という至高の痛みを消せるだけの理由が「異能+勇気」にあると言うならば、それに足る理由付けはどうしても必要だった。
ハッピーエンド至上主義もここまでいくと虫唾が走る思いがする。
ヒロインたちに優しいシナリオであっても、それが我々にとって「痛い」シナリオになるということを忘れていないだろうか。
これは、典型的なアンドロメダ型のいちストーリーに過ぎない。
「あやめ」ルートは作りこみこそ浅薄だったが、他人の痛みを分かちあい、分かり合う話という風に受け取れた。
「翠と恋」は表裏一体。翠は弱さから転じた純情。恋は強さから得た一途さ。対比できる関係を描きたかったのではないかと邪推した。
透香ルートでは、痛みはおろか、死さえも乗り越えた。
これを花言葉で考えてみる。
「あやめ」ではお互いを真に大切にするなら、痛みの軽重を分かりあうことは必要と説く。
「水蓮」では弱さが招く痛み、強さが招く痛みを描き、その信頼の是非を問う。
「桐花」で絶対的な痛みに対して「高尚」であることを高らかに謳う。
そして、最終的に透香が生きながらえることで、「痛みは人と人をつなぐ上で必要なもの」としているように思う。
しかし、これらを「希望」を冠する向日葵で締めくくるには、描写も説明も圧倒的に不足しているのだ。残念で仕方がない。
繰り返しになるが、これらは胡乱なユーザーの再構築と考えてもらうだけで幸い。確実に言えるのは、作り込みが甘いということだ。
4つの物語全てにおいて結ばれる理由が脆弱で、表題であるはずの「痛み」を噛み砕けなかったのは痛恨の極みであろう。
思えば、ずいぶん奇妙エロゲーだった。
読み物の片鱗は見えども完成されておらず、実用性は高かれども、抜きゲーとしてのシーン数には寂しさを覚える。
抜きゲーとして推すならば、擬似的に歩かせるなどの演出やルートロックは本当に必要だったのか。
シナリオゲーとして推すならば、なぜ歯切れの悪いシナリオが出揃ってしまったのか。
要するに、何もかもが中途半端といったところである。
minoriは業界に驚きを提供してこそ、minoriという印象がある。
これまで業界全体に新風を呼び込んできたメーカーに、あらためて敬意を表したい。
しかし、この作品に限って言えば、個としてのminoriのエロを見せ付けたに過ぎず、業界の潮流を左右するまでは至らないだろう。
「エロゲーはエロく!!」という主張は如実に感じ取れるものの、業界の流れを覆すには、一石を投じて創り出した波紋があまりにも小さすぎた。
私には、古いminoriと新しいminoriが混在する過渡的な作品と映った。
minoriが持つminorityを見つめなおすいい機会だったように思う。
minoriの行く先が見えなくなってしまったが、「minoriの新たな一面を知る」という意味では新鮮な作品であった。
【雑記】
あやめルートが好きな人は『TRUE REMEMBRANCE』というフリーゲームを是非プレイなさってみてください。
非18禁ですが、スマートな作品だったのでオススメです。
豪華版のパッケージのつくりは、最後まで疑問でした。
こういうところにお金をかけるのは、なんだか違うような気がするんですが…。
豪華版よりも、シンプル版のほうが私は好きです。でっかいパッケージは保全が大変ですし。
何よりも抜きゲーを冠するなら、箱に力を入れるべきではないと思います。やはり中途半端なんですよね、ここらへんも。