実に人を食った、シニカルなタイトルだと思う。目の色が変わったのは、何もプレイヤーだけに留まらない。
千夏は、
花穂は、
俺の つぐみは、 そんな死んだ眼をしていない!
さつきは、
奈々子は、
一部からは、そんな怨嗟の叫びが聞こえてきそうなゲームである。
「いちゃラブなエロゲーと言えば?」と秋葉原のエロゲーマー諸兄100人に聞いて、
おそらく、そのうちの何人かが口にするであろう「ラブラブル」。その後日談を描く。
同棲という大義名分の下に、イチャイチャしまくるバカップルたちの性活、
もとい生活を、ただひたすらに追いつづけるストーリー。萌えるというより甘い。
なんら加工していないドキュメンタリーを見ているような感覚を覚える。
そのため、恣意的な見せ場や盛り上がる場面は殆どと言って存在せず、
仲睦まじい二人が、結婚への階段を足並み揃えて登っていく前途洋洋たる様が、
他愛のない会話や言葉の掛け合い、日々の暮らしと周囲の暖かい視線などから、容易に見て取れるだろう。
いちゃラブを大いに謳っているだけあって、その自信の程は、単なる張子の虎ではない。
僕には、奈々子さんがしっくりきた(醸し出される雰囲気とシナリオが好み)ものだが、
5人のヒロインの中で、本編でも、いちゃラブに定評のあった花穂はやはり別格だった。
特殊な立ち位置によるものだが、彼女と同棲した場合、その糖度の高さたるや、
そんじょそこらの萌えゲーを一蹴するほど甘ったるかった。
二次元におけるいちゃラブの真髄を知り尽くした人が作った、いちゃラブ中のいちゃラブであろう。
各シナリオは、公式ホームページのコンセプト通り。看板に偽りはない。
CGには見逃せない粗があるし、さつき役の声優さんが変更となったのは残念だったが、
総合的な完成度の高さには舌を巻かずにはいられなかった。
だがしかし、この作品で波紋を呼びそうなのは、予想だにしなかった濡れ場における描写である。
いずれのシーンでも、ヒロインが眼から光を失うのは、はて、いかがなものだろうか。
いわゆる、“レイプ眼”というヤツである。この表現を苦手とするユーザーもいるだろう。
ましてや、純愛ゲー界隈では、なかなかお目にかかれない表現であるからなおさらだ。
かくいう僕は耐性があるのだが、それでも、この表現の多用には疑問を覚えたほど。
純愛の範疇にありながら、SMEEは自ら小骨を作った。こればかりは鵜呑みにできない。
いちゃラブとレイプ目は、サンゴとクマノミの関係にはなれない……と僕は思う。
視覚的には可能であるとしても、感覚的に共存できるかどうかは、また別の問題だ。
レイプ目は、いちゃラブの一つのキーワードとなりうる“純愛”や、“幸せ”の象徴として機能しにくい気がする。
この表情を注視していると、寝取りや陵辱といった、どこかダークな展開に見えてしまうことはないだろうか。
彼らの同棲模様を見て、エッチの部分だけは、“寝取り”に近い感情が胸中を渦巻いてしまった。
それは、“プレイヤー(多くは男)から見たヒロインの幸せ”をどこかに吹き飛ばしてしまう。
僕などは、純愛ゲーにもかかわらず、征服欲が満たされるという、不思議な感覚を味わうに至った。
ジョークとは分かっていても、感覚がそれを受けつけなかったわけだ。
純愛と凌辱の要素が混在している上、「ラブラブル」という、いかにも純愛の響きを含むタイトル。
そこにレイプ眼という驚天動地の描写である。誰が言ったか、“凌辱ラブラブル”とは、これいかに。
聞けば聞くほどおかしな響きではないだろうか。萌えゲーマーを皮肉っているとすら思う。
どんな作品でも、記憶の引き出しから思い出として取り出されるものが必ずあるはずだ。
だから、もし貴方がこの作品をプレイしたならば、何年か後に思い返してほしい。
きっと、“あの眼”を思い出すのではなかろうか。
楽しい思い出とともに、“あの眼”が取り出されてしまわないか。僕はそこに恐怖感を覚える。
いちゃラブと銘打っているからこそ、僕は記憶の箱を封じたいとすら思う。
だが、それを許さないあたり、実にSMEEは素直ではない。
作中にて、最も不自然で、最も作為的で、そして僕が最も疑義を挟みたい部分は、
まさにその一点に集約されるのだ。
♪描いてた夢があるの (オープニング)
否、僕にとっての悪夢である。
【雑記】
髪形を変えられるのだから、レイプ眼の有無もカスタマイズできればよかったのに。