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Accord4312さんのやんデレの長文感想

ユーザー
Accord4312
ゲーム
やんデレ
ブランド
猫丸堂
得点
66
参照数
336

一言コメント

タイトルが示す通り、このゲームはヤンデレを題材にしている。その題材の通り、ヒロインは皆ヤンデレだ。さぁゲームをプレイしてみよう。――みんな病んでるよね。すごく病んでるよ。そしてみんな直情的な行動に出ちゃうね。また、臓器が飛び交うさまはグロ描写だね。紛いないグロ描写だね。――――で、ヤン「デレ」はどこいったの?

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

そんな言葉に集約させようと思えば集約する、ヤンデレ全盛時代の悪乗りの遺物。

このゲームの内容は単純明快。
幼馴染だったりいじめから救ってくれたりなんだったりで主人公のことが好きで好きで仕方ないヒロインたちが、ヤリタイ盛りのオトコノコ☆な主人公に一回抱かれて舞い上がって、その所有権を主張するために他ヒロインをけん制しながら主人公「だったもの」を手に入れちゃったり主人公に意のままにされて幸せに昇華しちゃう物語です。

はい、まかり間違ってもその根幹たる部分の共通項にはどこにも「デレ」なんて出てこないんです。
幼なじみの佐紀はまだ、その愛ゆえなという行動を感じさせる部分がしっかりと出ていたので、もともとデレ気味の幼なじみということもあってか、適度に依存のようなデレを感じさせつつ狂気に陥る様子が描けていたように思う。
主人公の部屋に盗聴器を仕掛け、食べ物には薬を盛り、主人公と逢瀬を働く女たちには制裁を。
なんとしてでも主人公に自分を見てもらいたい、愛してもらいたい。
そんな部分をしっかり描いてくれていることについて、佐紀はまだしっかりとしたヤンデレヒロインだった。

だが、残り二人が正直ヤンデレとして売り出すのなら駄目だ。論外だ。
後輩の舞耶。
主人公に救ってもらって以降、主人公にひそかな愛を抱くかわいい後輩。
その実は、安全ピンを乳首や陰核に常に突き刺し、露出や撲られることで興奮する重症のドM。
それ以外の何物でもなく、そんな舞耶が主人公を愚直に追い求める様は、病んでしまったことによる依存というよりは、異常なる快楽を得る為という快楽への執着。
そのため主人公の家が少々血で汚れた程度しか主人公に対する害はない。主人公が病んでいると狂気に感じる理由があるはずもなく、快楽に病んでいるという意味では「ヤンデレ」かもしれないが、その解釈は強引に過ぎるゆえ、ヤンデレ感は皆無と言ってよかっただろう。

先生の優美。
正直、依存という意味合いでは教師と生徒という間柄にも拘らず、四六時中発情すればいつでも主人公を求める点からすれば、一番ヤンデレに近い存在だったので期待も大きかった。
他ヒロインに対するけん制もかなり露骨で、そういう意味での期待もさせた。
ただ、終盤に行くにつれて、どうも雲行きが怪しくなる。
男子トイレに隠れる主人公をドアの上から覗き込む、夜の間ずっとインターホンを鳴らし続け、ドアを血の跡がつくまで叩き、主人公を愚直に追い求める。
両腕をだらしなく下げ、ちょっと腰をかがめたかのような立ち絵も相まって、ここまでされると「ヤンデレ」というよりはもはや「ホラー」。真っ暗な窓の外からいきなり出てくる幽霊のよう。
最初は怖かったもののだんだん笑えて来て、遂には立ち絵をみるだけで笑えるようになってきた。
確かにヤンデレかもしれないが、主観で申し訳ないことを留意して言わせて頂ければ、ただのお笑いである。

そのため、「ヤンデレ」としては佐紀以外は基本的に論ずるに値しないと言わざるを得ないだろう。

他方で、グロ的な描写は一枚絵の枚数自体は物足りないものの素晴らしいの一言に尽きる。
特に、カニバリズムをやってくれたことは称賛に値する。
これをやってくれるところはなかなかエロゲではないのだが、しっかりとその解体の様子、賞味の様子まで一枚絵で描いてくれただけでその部分は満足だろう。
ただ、臓器の書き方がグロイというよりは真っ赤な中に異物があるというだけで、あまりその手の興奮を喚起するようには見えなかったのは残念であるが。

また、このゲームで特筆すべきことは、ヒロイン側が何らかの影響を受けることだろう。
やんでれの場合、愛する人と結ばれたいがゆえに他のヒロインを排斥することはよくある話で、当時の創作などでも主人公に対するご飯のお肉に主人公がちょっと仲良くしてた女の子の臓器が入っているなどザラな光景であった(その創作ではその後主人公もそのヒロインにいろいろな意味で美味しく頂かれてしまうのであるが)。

だが、この作品は以下のような部分を用意している点で違う。

「主人公の行動によってヒロインが酷い目に遭ってしまう」のだ。

何を言っているかわからないだろう? 俺にもわからない。
具体的に例をあげれば、ヒロインが病んだ調子で迫ってきて怖いからと、ヒロインを滅多刺しにして殺してしまうのだ。
そして、己のやったことに対する懺悔を述べて、エンドロール。

訳が分からない。お前が病んでたわけでもなんでもないだろう。確かにお前はただのヤリチンだったが、相手はもう常識の通じない相手だ、正当防衛と言い張ってしまえばよかったレベルじゃないか。それをどうして懺悔するのだろう、中途半端な優しさか?

そんな感じの複雑な感情が混ざり合って、最終的には笑ってしまった。

このような部分や先の感想執筆者の言葉から察するに、どうもこのゲームの製作陣は「ヤンデレ」を狂気の代名詞と一義的にとらえ、狂気のみを描こうとしたように思える。
これはヤンデレ全盛時代にそのセンセーショナルな部分から発生したよくある勘違いである。
その勘違いの全盛の流れの元で製作されたであろうことは容易に見て取れるので、この勘違いも致し方ないのであろう。

しかし、ここで私の私見を述べるのであれば、「ヤンデレ」はあくまで愛情表現なのだ。
どれだけ社会的常識を見失い愛のために倫理すらも外した行動をとってでも、主人公を愛したい、愛されたいという「甘え」の表現なのだ。
その結果的部分たる「狂気」飲みを見てその部分だけをまねしてしまえば、成程、当時の創作の流れのようにこの作品も御多分に漏れずこのようになってしまうのだろうということになる。

と言いつつも私はそこまでやんでれが好きというわけではないので、あまり講釈を垂れる権限もない。
そのため、この程度で終わりにさせていただくが。

今後もいろいろなブームが来るだろう。
そして、そのブームは一種のセンセーショナルな部分をことさらに持ち上げることでその属性を急速に認知させていく。
ただ、忘れてはならないのは、「本当にその持ち上げられた部分がその属性の本質なのかどうか」だ。
これを理解することなくして、真にブームに乗っているとは言えないだろう。

本来、この手の属性はブームなどに関係なく自分の好みを貫いていくものではないかという気もしないでもないのだが、ブームがなければ知ることができなかった本当の自分、というものが否定できない以上、ブームによる属性開拓を一概には否定できない。
なればこそ、上記のことを大切に、属性と良い付き合いを消費者・創作者側はしていってほしいものである。
と、一ユーザーの戯言。

追記。
インターホン怖いよぅ