「身体は十分に大人でも、心が大人になりきれていない人というのは多いもの。では、その『大人になりきれていない』心達が紡ぎ出すモノを、我々は何と呼べばいいのだろう?」
ということで、一部では『体験版詐欺』と呼ばれて久しいこの作品です。
お話の構成としては、大きく二つ。
前半は、ラジオ番組の投書を機に作られたアンサンブルユニット「あるぺじお」としての主人公を含む4人の結成と練習、その本番までの様子と、主人公の内気な少年があるヒロインに初めて恋をして、悩む、極めてオーソドックスで、その距離感が微笑ましいイライラ感(?)を募らせるラブストーリーを紡ぎます。
この部分全てが体験版に収録されており、体験版をやった私を含む当時のユーザーは、「甘酸っぱい恋模様」を期待してやまなかったことだろう。
そして、後半部分。
このレビューを読んでくれるであろう方々に、できる限り私と同じ思いを持ってもらいたいという思いから、多くを語ることはしないが、前半部分からある程度の時間が経過してからの物語を描いている。
早いうちに先の疑問を解決すると、この部分が問題だった。
前半の空気とは打って変わって、主人公はその間の出来事を機に内気で純朴な少年から心に影を持ち、どこかひねくれた少年へと変貌している。また、ヒロイン達も前半部分で見せた本来の明るい表情は消え、どこか影を落としたような表情しか見せなくなってしまうのである。
そして、その展開も、おおよそ前半からは想像もつかなかったような空回りとすれ違いの物語で、そこからは想像もつかないほどに重く暗い展開である。
これでは、先のようにこの作品が称されることも仕方ないと思うし、「地雷作品である」と声高らかに叫ばれてしまうことも致し方ない気がする。
しかし、この作品は、「本当にそれだけで終わってしまっていいのであろうか」?
これに対する私の返答は、もちろん、「否」である。
この作品を「体験版詐欺」「地雷」と声高らかに叫ぶ人の多くが、先に述べた通りこの作品に「甘酸っぱい初恋物語」を期待した層であることには間違いはない。確かに、その期待に応えられていないことは言うまでもないだろうし、プレイした私本人も納得している。
しかし、その中で「純愛ゲーだと思ったら騙された」という旨の感想を述べる人もいるわけである。
果たしてそれは正しいのであろうか?
確かに、この主人公は後半部分で先に書いたような「ダメ主人公の典型」のような主人公に堕ちてしまっているし、特定キャラのBADエンドでは仮にも「純愛ゲー」を名乗るゲームの主人公とは思えない行動をとったりする。しかし、その行動原理は、「重い過去を背負った学生として生きる一人の人間としての想定範囲内の思慮」によるものにほかならず、先の一部行動さえ除けば、至極真っ当な行動をしているように思える。
また、ヒロイン(特に、全体にわたり物語の中心部に関わる3人)の「影」というのも、主人公と同様、「至極一般な人間が持ちうるもの」であり、それによって起こされる行動もまたそれとして一般的とされる範囲内の行動であるように思われるのだ。
しかし、そのような状態を「綺麗に隠すことなく」、真正面からぶつかり合っているがために紡がれるのが、今回の物語なのである。
自分の感情を綺麗に伝えるために、「ある程度の感情を隠して綺麗なものを突き出す」のが「精神的に大人と言える者」の感情の出し方であり、またそれを「ある程度以上の折衝はしないようにお互い折り合わせる」というのがそのような者の感情のぶつかり方であると、私個人は思っている。
その点から考えると、上記したようなこの作品の登場人物の感情のぶつかり合いは「大人にはみたないもの」すなわち「子供のような精神」が生み出すものにほかならないだろう。
しかし、このような「純粋な気持ちがぶつかり合うことによって起こる恋物語」は、それこそ「純愛」と呼べるのではないだろうか?
昨今、「シナリオゲー」「キャラゲー」といった至極曖昧な表現を自己の思考を表す言葉として使用する人が増え、その認識の差から同じエロゲーマー同士でいさかいが起こることも珍しくなくなっている。
その「至極曖昧な自己の思考を表す言葉」のひとつにこの「純愛」という言葉もあるのだろうと思う。
これは至極個人的な意見でしかないが、昨今この「純愛」という言葉が「物語全体として自分の嫌悪する汚い部分がない恋物語」という意味合いで使用されている感がある。言葉の意味や使い方というものは短いあいだでも移ろいゆくものではあるので、仕方ない部分もあるが、やはりいろいろなところでエロゲユーザーと交流を持つ度、気になってしまう部分ではある。
以上はただのこのゲームに抱く雑感であるため、以下に簡単な他の面の話を載せておこう。
システム面は特に問題は無し。最低限の機能はそろっていると言えるだろう。
音楽面はそれを題材にしている作品であることもあって、一般水準よりは高いものとなっている。
CG、及びその塗りは少し独特ではあるが、綺麗と言える絵であることに間違いはないと思う。ただ、一部キャラの頭身がCGではおかしく見えたような気もした。
シナリオ構成については、一部キャラクターのルートがロックされている。
北見ちさとand双川なるみ→泡坂晴and広瀬絢→六人部更紗
の順でしか攻略ができないので、注意すること。
そして、シナリオの出来に関しては、個人的な好みもあるが、圧倒的に「北見ちさと」の存在感が優れていると言って良いだろうし、この物語は彼女のための物語と言っても過言ではない気がする。
もっとも、私はそのせいで北見ちさとルートを終了したあと、どうしてもほかキャラルートに行くことができないほどに良心が咎め、プレイするのを一時中断してしまったのであるが。
最後に、この作品を含めた個人的な雑感を述べる。
この作品は、私にとって非常に思い入れのあった作品である。
まだエロゲというものをよく知らず、一本一本を噛み締めて(いまでも噛み締めてプレイをしているのではあるが、それ以上に)プレイしていた当時、このゲームの予約開始の情報を目にしたとき、同時期の期待作であった「ef -the first tale.」と、最後までどちらを予約するかを本気で悩み、2ヶ月以上悩んだ結果として後者を予約購入した。
しかし、それだけの思いをかけたこの作品への思いを簡単に捨てられるわけもなく、作品発売から約6年近い日々を経た今になって中古品を購入し、プレイしたのである。
その期待にこの作品が完璧に答えてくれたとは言い難いが、その6年間の積もり積もった思いが、この作品にそれだけの楽しみを私にもたらしてくれたのだと思う。
最近、エロゲユーザーと交流するたび思うのであるが、作品に対する手のひら返しなどといった自己の価値観のブレや、ちょっと前にやった作品ですら全く思い出せないといった作品に対する思いの希薄さというものが多く見られるような気がする。
その一方で、その作品の出来はいかに素晴らしいか、またはその逆かというような意見なら一貫した意見を言える、という現象もまた多く見られるモノになっているように思われる。
そのようなことに至るのも、「その作品が他人から見て如何に面白いものなのか」ということに終始し、一つ一つの自分のプレイする作品に、そこまでの思いというか思念というものを抱いていないせいなのではないだろうか。
また、そのことが、ユーザーのあいだで免罪符のように濫用される言葉「エロゲ倦怠期」「エロゲ引退」という言葉を発させているのではないかと、強く思うのである。
願わくば、今のすべてのエロゲユーザーに、「作品の他者の評価だけに重点を置くこと」ではなく、「その作品との巡り合い」と「そこに至る自らの感情」というものについてもう一度留意してもらいたい。
個人的に思い出となった本作をプレイしての一人のしがないエロゲユーザーとして、そう思うのみであり、そのことが衰退気味とされるエロゲユーザーの今後を変えると信じるばかりである。