相変わらずの攻略難易度で、制作側の優しさであるダイジェストモードに入り込みたくなる気持ちもわからなくはない。しかし、本作はすべての物語を読んでこそ初めて価値がある。(長文は中身のない駄文)
3年ぶりのキャラメルBOXの作品として発売された本作は、そんな題材としての難しさとゲームとしての難しさを兼ね備えた、ある種メーカーらしく、ある種メーカーらしくない作品だといえるだろう。
というわけで、「雨なんて降ったか?」という気分のまま燦々と照りつける7月の日々を迎えた今日この頃、意地というか信念というべきか、何回もの試行錯誤を積み重ねようやく攻略を完了した本作です。
まず、一言で書いた通りなのですが、非常に攻略が難しい。
通常のゲームであれば、選択肢が出てくれば、その選択肢がどのヒロインについて言及しているのかが何となくは判断可能であり、それをたかだか10個や20個積み重ねた程度では自身の狙いを外すことはない。
しかし、本作はヒロインの好感度がいつ上がっているのか非常に判断しにくい。本作で中心となるのはあくまで「神尾愛生」という少女の織り成す行動による日常の意図的な操作であり変化であるため、それに気が付きながらも流されていくしかない主人公にはその前提抜きの行動が許されていないというべきなのだろうか。
今までのプレイ済みの方のレビューも拝見させていただいて自分の意見と総合するに、攻略法なしでプレイするならば√の倍の数の周回も最悪想定した方がいいでしょう。
次に、ゲーム全体の構成について。
このお話は、ヒロインの一人である「安納塔子」が製作した物語という体で紡がれる、「悪魔」と呼ばれる少女、「神尾愛生」がもたらす日常のコントロールとその真意、とでもいうべきなのであろうか。
攻略ヒロインは上記二名を含め5人存在するほか、サブキャラクターのヒロインたちにも物語は存在するのであるが、結局すべては「神尾愛生」という少女のコントロールの物語が作中の大半の前提となっているのである。
この構成は、同社の過去作「処女はお姉さまに恋している」のシリーズの構成と同じくというべきなのだろう。
「おとボク」であれば女装して学園に通うことになった男である主人公の介入ありきであることを前提とするのと、同じように思える。意図的であるのかどうかは判断しかねるが、物語の空気こそ過去の作品の数々とは方向を異にしながらもメーカーの作品であるという空気だけは失っていないという気持ちになる。
そして、肝心の内容。
本作はOPムービーからも判断できるように、決して明るい内容という雰囲気ではなく、かといって鬱、といえるほどに暗い内容ではない。しかしながら、物語を通して醸し出される雰囲気はある種の不快さをもった運びとなる。上記の構成への私的な解釈から言うのであれば、これは「自分の意思に圧力をかけられコントロールされている」という部分からくる不気味な不快さなのだろう。
ところで「不快さ」とは書いたが、決してこれは物語に対する感想ではない。「すべてを見透かされているような不気味さ」とでもいうべきなのだろう。
ともかく、この物語はおおよそ過去のキャラメルBOXおよびライターの嵩夜あや氏の生み出すものとしてはかなり異質なものだと思う。
そして、主にその中で語られるのは、神尾愛生という「悪魔」が、まるで創造主であるかのようにクラスという小さな社会を動かし、操る様。そして章辺映瑠という道理と正義のみに生きる「天使」のご高説。
雑学的な意味で難しいことを云っているというのはあまりないのであるが、題材としての話は非常に哲学的で難しいものとなっているので、よほどの哲学的な含蓄のある方でもない限りは中身を分析するよりはまずありのままを受け入れる読み方をした方がいいのかもしれない。
もっとも、個人的にはこの話は考察系のエロゲにはよくあるその話の道筋においての考察とは異なるような気がするので、「これが正解!」とか、「この解釈こそ!」という読み方が果たしてできるのかどうか、という疑問はあるが。
(余談ではあるが、共通ルートにおいてはサブキャラクターの凌辱シーンが見られるので、苦手な方は注意。ひとつは電子書籍のコードを入れれば回避が出来る)
(傍論)
この部分についての根拠としては、作中に扱われる「安納塔子」という人物と、「雪井楓花」という存在だろう。基本的に理詰めに根拠と結果を描いてきたこの作品の中で、唯一あいまいな表現しかなされていないのがこの関連だ。
ペンネームを「なんとなく」? 他の部分の理詰めさから比べあまりにも唐突だ。さすれば、「作中」からすればその理屈は「この世界中では」どうしても描けなかった部分ではないのだろうか?
また、作中エピソード「Bの葬列」を引用する部分が他の章の話に比べ異様に多い。他のレビュアーの方も言及していたが、この「セミラミスの天秤」という作品の「天秤」という真意はあったのではないだろうか。
そして、天秤を過剰に傾けることによって起こるBADエンドという最悪の結末は、「追う資格こそ残ったが追い切る資格がなかった」という、Aを選び続ける資格を行使したがその次のAの道が閉ざされたと考えるべきなのだろうか?
この部分は作者本人に聞かなければ誰もわからないであろう。
(傍論終わり)
個別√に関しては、割と共通部分がしっかり丁寧で描かれているのに比べればあっさりした物ではあるが、「もっとこういう話を書いてくれれば!」とかそういうような話が尻切れなのではなく、単純に描くべき部分はかいたというあっさりさであるので、ここをどう感じるかは人次第といったところだろう。
Hシーンの数がヒロインによって大きく異なるのであるが、それは一人は共通の時点から主人公と関係を持っていること、またある一人はそもそもとして性的なことに関して一つの闇があることに起因するので、これもたいして問題にはならないだろう。
また、特筆すべきは、そのBADルートである。
近年の作品にしては珍しく収録されているBADエンドは、昨今の基準で見れば非常にえぐい描写で描かれているために賛否両論あるであろうが、ある意味、「セミラミスの天秤」というタイトルに叶ったストーリーであるように思う。ダイジェストモードでは閲覧不可能であり、また、このエンドを見ることによってのみ回収できるCGも複数あるので、そのような意味でもバランスプレイを推奨したい。
一方で、微々たる問題点が散見するこのゲームの中で最たるものは、システム面の粗さ、ゲーム自体の動作であろう。
今年発売するゲームは、その内容というよりはCGの枚数、システム面の不備などによる悪評が殊更に目立っているように見える。本作も、その流れには抗えなかったというのだろうか。
スキップ機能によるスキップ速度が非常に遅く、人によっては普段のクリックペースより遅く感じてしまうほど。
また、「次の選択肢へ」を押すと、未読部分までスキップされるだけにとどまらず、異常な待ち時間を要することになる(平均して30秒はかかるのではないだろうか)。
その他、特段ギミックなどもなくごく普通のADVであるはずの本作、COREi5の私のPCでもCPUを平均で40パーセント以上使用している。この重さもまた、ゲーム内のムービー再生のカクつきを呼び起こしたので、問題なのではないか。
総じてみれば、非常に物語としては題材もよく、テキストも面白いのであるが、細かな不満点が両手放しで称賛することを許してくれないゲームであろう。
クリエイター陣の過去作とは毛色の異なるダークな世界観ではあったが、クリエイター陣の特徴は隠れることなく現れており、個人的には十分に堪能できた。
しかし、とにもかくにもこの話は考察する余地がないように見えて、考察の余地が実はあるようなあいまいな構造だ。
二重の物語と考え、どちらの考察として考えるべきなのかを分けて考えるべきなのかもしれない。
また、機械のある時に考察するとしよう。
現実の日常に退屈し、虚構の日常を見てもまた何か違う感情を感じる。
そんなあなたにこそ、この、「現実の日常のような世界を支配するという日常」の世界は、もしかしたら似合いの空間なのかもしれない。
クリエイター陣には、今後も場所を問わずの新たな作品に期待したいところである。
おまけ。
個人的に、作中で強く残った言葉(正確には会話の一連の流れを要約したもの)を何点か。
「みんな、誰かに、何かに縛られて生きている。社会という共同体に存在する以上、何物にも縛られていないなんて、そんなモノは幻想に過ぎないんだ。そんな中で、みんな自分の居場所を手に入れようと藻掻く――俺も、あの神尾にしたってそこから脱け出すことはできない。」(最終章「氷解」にて、主人公・速水玲児の言葉)
「日常は護ろうとした時点で、もうすでに失われている」
(最終章「おかえりなさい」にて、安納塔子の父、安納惟高の言葉)
「40人のクラスで実権を握るには、3人を引き入れればそれでいい。流されることが多い人の中で有力者を3人引き入れてしまえば、6割の人間は味方となる」
(共通ルートにて、神尾愛生の意見)