非セカイ系作品によるセカイ系批判への回答
このゲームはメインヒロイン以外のシナリオは明らかな手抜きであり、全体的なクオリティの高さを求めての購入は控えるべきです。
ならばなぜ長文感想を書こうと思ったかというと、メインヒロインである智子√に無視できない意義を感じたからに他なりません。
このゲームのタイトルは〝世界ノ全テ〟。これを聞くと当時流行からの落ち目にあった〝セカイ系〟を思い浮かべるかもしれません。しかしこの作品はセカイ系作品の体裁をとった非セカイ系であると私は考えます。セカイ系の定義は様々ですが、「メインキャラクターの意識が人々を超越して(無視して)世界の果てへつながっている」かどうかが重要な境目だと言っていいと思います。確かに主人公たちバンド仲間は限られた空間・主義に閉じて社会から解離・逸脱しようとしています。しかしその動機はヒロインを父親から守るという、セカイ系にありがちな世界の消滅や異種外敵との戦いといった閉じるための権威付けのない卑屈ものです。重ねてメンバーの発病や警察の突入といった‘ダサい’現実からの攻撃で主人公たちの行動は瓦解します。物語はメインキャラクター達を矮小な動機で駆り立ててから無様な敗北を描くことで‘自意識と世界の安易な直結’という評論家・社会学者達のセカイ系批判を一応は肯定してみせるわけです。この点で『世界ノ全テ』はセカイ系作品ではないのです。
智子√には二種類のエンディングがあります。その一つは現実に敗北し無気力になった主人公が交差点ですでに別れた智子とすれ違い、通り過ぎて終わります。これだけなら『世界ノ全テ』セカイ系の欺瞞を突き崩したドライな物語としての価値しかありません。
私はもう一つのエンディングこそ『世界ノ全テ』の大いなる意義だと思います。交差点で智子を見た主人公は取り乱し感情を爆発させ、かつての仲間や赤の他人の力を借りて智子を迎えに行くのです。そして赤の他人である医師の独白を通じて物語は完結します。その言葉は「傍目から見れば、ちっぽけだが主人公とヒロインにお互いはとって世界の全てと言える程に尊い」というものです。セカイ系が描き学者が批判した重厚長大な存在に意識を重ねるロマンを一旦は折って、どんなに周りから貶められたちっぽけなものでも世界に在る意義となるという枠組みを語ったセカイ系の出すべき回答を出した物語と結論付けてこの感想の筆を置こうと思います。