ファンディスクと侮るなかれ。シナリオの完成度は間違いなくD.Cシリーズトップクラスの出来で、名作ギャルゲーと称される作品と比べても全く遜色ない。白河ことりというヒロイン一人に光を当てているようで、彼女以上の光と影を演ずる妹.朝倉音夢の存在がこの作品を何よりも彩り、物語を名作足らしめている。至る所に製作陣のダ・カーポという作品に対するリスペクトが見られ好印象。ファンディスク故に埋もれているのが仕方無いとは言え、口惜しい。
初めに私はこれまでD.CⅠ〜Ⅲまでの作品はプレイしましたが、シリーズのファンという訳ではありません。ギャルゲープレイヤーである事や私がオタの道に踏み入るきっかけがTVアニメD.C1期であった事から何となく触れていた程度です。このD.Cifという作品をプレイしたのも何となく程度で期待など欠片もしていませんでした。
だからこそ、プレイを終えると感嘆のため息が出てきました。
間違いなくD.Cシリーズトップクラスのシナリオ完成度でした。何より称賛したい点がパッケージではいかにも白河ことり一人に焦点を当てたシナリオであるように見えて、そうでは無かった事です。
彼女以上に存在感があったのが、主人公の妹、朝倉音夢でした。その事を示す好例が作中での選択肢のほとんどが音夢に対する振る舞いを選ぶものです。病気になった音夢に対する振る舞いで白河ことりとの関係が変わる事(大きく分けて三種類)がこの作品の何よりの味になっています。
セーレン.キルケゴール著『死に至る病』という哲学書の冒頭で人間の関係は閉じられたものでは無く、連綿として広く渡るものだという記述がありますが、この作品はまさにそれを見せてくれています。
白河ことりに対する主人公の選択で白河ことり自身との関係が変わるのでなく、朝倉音夢に対する主人公の行動で白河ことりとの関係が変化するというシナリオ構成の妙が素晴らしい着想でした。
物語冒頭で病気に倒れた朝倉音夢は4種類あるルートの内2つで死亡し(桜の魔法による衰弱死または交通事故)音夢の死を防げなかった主人公は自責の念から白河ことりと恋人関係になる事を躊躇するようになります。特に音夢よりことりを優先した場合の死因になる桜の魔法の呪いによる死に於いては、最終的に主人公は白河ことりと恋人関係にはなりません。しかも主人公の気を引くため音夢自身が呪いにかかる事を望んだという経緯で。
ここで私は真っ先に思い浮かべたヒロインがあります。それはMoon Stone作『何処へ行くの、あの日』に登場する主人公の妹、国見絵麻です。この作品のライターを務めたのは、かつて無印版D.Cにて白河ことりシナリオを執筆した呉氏です。この批評空間で私が何度か述べた事ですが、私はこの国見絵麻というヒロイン以上に衝撃を受けたキャラはいません。主人公と結ばれる為に無数の可能性を探し、叶わないとなると自殺をして、他のヒロインと結ばれる可能性のあった主人公に大きなトラウマを残す事を望んだ妹でした。
私はこの作品の朝倉音夢に国見絵麻を見ます。製作陣が意識していたかは分かりませんが、こんな所で朝倉音夢に私のトラウマヒロインを重ねることになるとは夢にも思いませんでした。呉先生の跡をダ・カーポのファンディスクにおいてもなぞるのは、歪なカタチかもしれませんが一種のリスペクトには違いありません。
しかし、それ以上の形をこの作品は見せてくれました。ことりより音夢の看病を優先した時、彼女は交通事故で命を落とす事になりますが、その時は白河ことりと結ばれた主人公を桜の魔法の奇跡を借り祝福します。死んでも純一の幸せを願う、国見絵麻とは違ったヒロイン像の描写はこの作品においては嫌われがちな朝倉音夢という女性(実際ネットレビューではD.C ifの彼女に対する酷評が目につきます)の名誉挽回を行って余りあるものです。杉並や工藤といった面々も音夢の呪縛に囚われた純一を叱咤し、ことりとの関係を絶たないように彼の背中を押します善き人間たちであります。杉並の「また同じ事を繰り返す気か?」という忠告は長いダ・カーポシリーズの中で作品の常連となった彼に相応しい台詞で、ライターの作品理解がどれほど深いか察する事の出来る1シーンでした。
ことり、音夢、さくらといった主要人物のみならず、プラスコミュニケーションで登場した大量のヒロインの面々もチョイ役で顔を見せており、ファンサービスはバッチリ。D.Cのことりシナリオをもし(if)を交えながらより深く描いたこの作品はいちファンディスクを超えたものであり、私は製作陣に称賛を惜しみません。残念ながら相当コアなファンでもない限りこの作品をプレイする事は無いでしょう。でも確かに心動かされた人間がいる事を表したく、この感想を投稿します。D.C ifという作品の魅力に一人でも多くの人が触れる事を願って止みません。