YU-NOを鑑みてADVの到達すべき目標とADVの完成形について
ADVとアクションというゲームジャンルにおいての最終目標。その先にある完成形とされるゲームとは「主人公とプレイヤーが一体となる」といったものだと私は考えている。ここで勘違いしてはいけないのはFPSやSTGや後の時代で多く出てくるであろうVRゲームにおける「プレイヤーが主人公となる」ゲームとは意味は全く別の意味である事だ。
「主人公とプレイヤーが一体となる」とはゲーム上におけるシステムを主人公とプレイヤーが共有しあう事を意味している。今作の『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』はゲーム内システムのA.D.M.Sとストーリーを通してプレイヤーと主人公が一体となったADVの一つの完成形でもあるのだ。
そしてこのゲームが発売された20年前から現在までADVのジャンルにおいてその完成形に辿りついた……否、その前の段階の到達点である「主人公とプレイヤーが一体となる」事が出来たADVはYU-NOのみとなっている。だからこそ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』は現代において発売されている作品に負けていないと感じられるのだ。
余談だが5pb.にて発売予定の『ANONYMOUS;CODE』という作品がある。この作品にはセーブ&ロードを主人公とプレイヤーが共有しあうというシステムが存在している。これはYU-NOと同じ到達点に辿りついたADVと思える。だが現状システムなどの情報が少ない為、これが『YU-NO』と並ぶ完成形となるかは分かりません。もしかしたらこの作品は『YU-NO』と同じADVの完成形となり、そしてYU-NOを超える作品となるかもしれません。
またアクションにおいては私が好きなゲームなのですがWiiにて『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』という作品があります。これはWiiリモコン+を使用してYU-NOとはまた別の意味での「主人公とプレイヤーが一体となる」といった到達点に達した作品と言えます。
さて、ここまでADVは「主人公とプレイヤーが一体となる」事こそが最終目標であり、それを目指して作られるべきである様な事を書いてきましたが、これはADVにおいての一つの目標でしかなく、ADVにおいて完成形への道は複数あります。先述した最終目標も言ってしまえばADVというジャンルを遊び、楽しむ為の一つの要素でしかありません。
そもそもADVにおいて最も重要な要素はストーリーであり、その物語を研ぎ澄ませていくことも完成形への道でもあります。だがADVというジャンルは小説とは違い、音楽や絵または演出によって研ぎ澄まされた物語は輝きを放ちます。研ぎ澄まされていないものに輝きを放っても、その価値は余程のことが無い限り変わることはないでしょう。ならばYU-NOは物語は研ぎ澄まされていたかといえば、そうでもあると言えますし、そうでないと言えます。
ここから物語自体は語りませんが、物語後半の序盤部分の展開を語る為、少しでもネタバレを見るのが嫌という方はこのままブラウザバックを推奨します。
また物語自体を語る部分が途中にありますが、事前に警告文を書いてるのでネタバレが嫌な方はその部分は飛ばしてもらって構いません。
※ここから物語展開のネタバレ有り
YU-NOは「主人公とプレイヤーが一体となる」の道を辿ったADVであると語りましたが、その道は物語後半において行き止まりにぶつかります。その行き止まりとは物語後半においてA.D.M.Sが使われていない点である。これは当時の時間と容量の問題が原因である。容量といえばYU-NOのインストールデータはPC-98版はどれだけあるのか詳しく知らない方がいるかと思います。平均クリア時間が40時間である事を考えて、思い浮かぶ容量を意識しながら下を見てください。
実はYU-NOで使用されている容量は全17MBしかない。あれだけのボリュームがあって音楽二曲分よりも低いのだ。これは当時(PC-98)のHDDの容量上の都合(最大40MB)があり、インストールするにはフロッピーディスク15枚も使われた為であるが、それでもこの作品には削られた要素が多い。それは納期までの時間が原因である。
話は逸れるが『Xenogears』とよばれる名作RPGがある。この作品において有名なのがDisc2問題と呼ばれる出来事である。これは当時のスクウェアが資金を映画にまわした事で『Xenogears』の制作に資金と人員が不足していた事でDisc1ではRPGであったのに対して、Disc2ではADVを軸として物語は進行する。
閑話休題。さて『YU-NO』においてもこの問題と同じ出来事が起きた。ただしこれは人員や資金の問題ではなく納期の時間的問題である。YU-NOの開発には八ヶ月の時間が与えられたが、八ヶ月で完成したのは全体の七割でしかなかった。それによる影響によって物語後半からは未完成に感じられる部分を多く感じられる事となった。
ここから少し後半部分の物語について語るのでネタバレを気にする方は飛ばして下さい。またネタバレの為名前などは伏せています。出来る限り物語の内容を知っている人は理解できる内容となっています。
↓ここから物語自体のネタバレ有り
特に物語後半から登場する○○○と△△△△に関してはあと5~10時間は欲しかった所です。また△△△△が■■する場面はA.D.M.Sを使ってもシュバルツシルト半径によって避けられない様にしたり、■■の原因である手紙を送る場面と、○○○との▲▲となる建物へ入る場面は主人公とプレイヤーの両方に選択させる事が重要であるのに、主人公にのみ選択させたことによって■■と▲▲は自業自得に感じられるのだ。
↑ここまで物語自体のネタバレ有り
※以上物語の展開のネタバレ終了
この事から今作はADVの完成形でありながら物語としては未完成ではあるのだ。だが並行世界における時間、空間、因果律、歴史の概念が含まれた世界観と物語はそれだけで完成度は高いものとなっている。だからこそ、もしも物語が完成していたならば私はこの作品に100点をつけていただろう。そう確信しています。
さて今作は2016年にフルリメイクが予定されていますが、発売までにYU-NOに逢いたいならば私はPC-98版をお勧めします。フルリメイク版の初回購入特典としてDLCとして配信予定のオリジナル版やWin版がありますが、どちらも規制が入っている為やるならばPC-98版をお勧めします。またSS版がありますが声によって謎であった人物の正体がバレるという要素がある為、推奨はしません。あとSS版のOPが個人的に嫌いです。
PC-98版を全てコンシューマにてフルリメイクすることは倫理的に不可能なのだから。だからこそ批判覚悟でネタバレ部分にて語った部分の修正をして(菅野氏が亡くなった現在では9割ほどでしかできないが)物語の完成型に近いものを世に出してほしい気持ちがあります。批判されようと初回購入特典にてオリジナル版が配信されるわけですし、そういった要素が追加されてくれた方が、YU-NO新参者ではありますが私個人としては喜ばしい事だと思っています。
という訳でYU-NOを鑑みてADVの到達すべき目標とADVの完成形について語りましたが、ふと今まで書いた文を読みなおすと『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』の作品自体の感想を書いていませんでした。ネタバレが出来る限り無いように感想を言いますね。
この作品は所謂泣きゲーでも感動ゲーでも燃えゲーでも無い。だがこの作品には魅了される何かが存在している。
正直に言ってしまえば私は『YU-NO』をプレイ中に感動して泣いたり、キャラクターに萌えて悶たりは殆ど無く、作品で印象に残ったセリフは両手で数えるほどしかない。だが開始数分で物語に惹きこまれ、それは作品を終えた後も変わることが無く惹きこまれたままであった。この作品には人を惹き寄せる何かがあり、そしてそれは進めるごとに衰えるどころか増していき、物語が終えてからピークに達する。
この体験はプレイした人間にしか味わえないものであり、プレイ動画などで見ただけでは決して味わえないものであろう。だからこそYU-NO二十周年という節目である今年に、フルリメイク版が発売されネタバレが横行する前に、PC-98版にて『YU-NO』をやってみてはどうでしょうか。