「対馬馨おまえの存在は無意味だ!!」byデブの人
弥子→三日月→澄(BAD?)→輪 (※三日月ルートだけは、最後攻略をお勧めすします。
三日月ルートの後に澄ルートを持ってくると、憤死確率上がります。)
■弥子ルート★★★☆☆☆
第二文芸部みたいなバンド演奏を、夜間学校の生徒一眼となってやって、一発花火あげようぜ的な内容。
弥子がまず可愛い。ビジュアルは勿論なのだが、キャラ的には、きららにやや被っている、貧乏だけど元気に振る舞って芯のあるキャラクター。え、きらら被りって事で、まーたきらり1ルートみてえの有るんじゃねえの・・・・・・・?と不安になる。
でも、そんな不遇に合う事も無く、普通の爽やかハッピーエンドに。
胡桃とか引き籠っててかなりメンドクサイけど、金田がひっぱり出してくる辺り、金田は愛されているなあ(笑)
そんな胡桃が作曲のセンスが有って、真剣に取り組み、成長していくのも心地いい。
しかしだ、このルートの金田がベースに変な装置を付けて、その装置で演奏するのだけは凄いダサい。
三日月ルートの金田が霞む程ダサい。
弥子がいい子過ぎる。こんな子に好意を寄せられて、嬉しくないはずないでしょー
学祭のメンバー紹介では、弥子がエグイ事をバンバン言いながら紹介してて、そこも良かったなあ。
三日月ルートに比べ、かなり短いけど面白かったです。
唯、欲を言えば(量的に)アフターシナリオも読みたかった。
●この弥子ルートであるが、そのENDは悩ましいような気がする。
・弥子は最後まで自分の目指すものの為に生きた父を尊敬している
・主人公がバンドを選ぶのか迷っているのなら、自分の目指すものの為に生きて欲しいと思っている
・弥子は定時制で主人公と再会した時から、ずっと主人公が好きだった
弥子は、主人公がずっと好きで付き合いたいけど、同時にバンドの為に生きて欲しい、という二律背反的な願望を持っているのだ。
それじゃあ、どっちの願望の方が強いのか。それは、主人公と弥子が胡桃について話しているシーンからある程度は推測できる。
・弥子は胡桃と一緒に登校したかった
・弥子は、もし胡桃が学校をやめてバンドをやりたいと言ったら、応援したい
■という事を弥子は考えているので、主人公がバンドの為に生きる>主人公と付き合う と考えている可能性が高い。
これに対し、
・一つの事で生きていくやり方もあるのだ、という選択肢を選ぶ→バンドルートへ
・人生でギャンブルなんていけない 、という選択肢を選ぶ→弥子ルートへ
バンドルートヘ進むと、弥子の自分の目指すものの為に生きて欲しいという願望は叶えられるが、主人公と付き合いたいという願望は叶わない。
弥子ルートへ進むと、弥子の自分の目指すものの為に生きて欲しいという願望は叶わないが、主人公と付き合いたいという願望は叶う。これは、裏を返せば、主人公は弥子と付き合う為に自分の目指すものの為に生きる選択をしなかったのだ。そして、弥子の中での優先順位は、主人公が目指すものの為に生きる>主人公と付き合う なのである。
■つまり、弥子ルートでは、弥子にとって、主人公と付き合うことを犠牲にしてもいい程の願望であり、主人公の願望でもある"自分の目指すものの為に生きてほしい・きたい"を犠牲にして付き合っていることになる。二人は、より大きい願望を犠牲にして、小さい願望を叶えたのだ。切ない気分になるー。
□ところで、弥子ルートの最後は大学に合格した二人が肩を寄せ合って電車に乗っているシーンだ。三日月ルートのように、結婚するシーンなどの未来は描かれていない。
そこは想像におまかせ、ということだろう。
恐らく、主人公が「人生でギャンブルなんていけない」と強い意志を持つ限り、主人公と良い関係を続け、結婚・家庭を持つのではないだろうか。→②へつづく
■三日月ルート★★★
クソ長い。三日月ルートだけで20h超え(弥子ルート(8h位)との尺の長さ違いすぎ)。
流石にこのルートでは、地雷入れてくるだろーって警戒MAXだったけど、普通にハッピーエンド。
やたら長いんだけど、正直、三日月自体の魅力がイマイチなので、話にも大して興味湧かず。
きらりとは相性よく魅力を感じれたのだが、三日月とはキャラ方向性の相性が最悪だった。残念である。
終始情緒不安定で、意味不明な事をいきなり言い出す変な女、程度の認識。
このルートが本作では、多分メインなんでしょうね。
まず、三日月にソロデビューの話が来た時に、すぐに「賛成できない」と反対するか、「兎に角やるべきだ」と賛成するかで未来が天国と地獄に別れる。(※1)。
・三日月のソロデビューに反対する→花井の意志を継がぬもの(※2)→音楽の神様は居ないと考える or そもそもそんな事考えない? →三日月ルート
このルートは、後にプレイした澄ルートが地獄なら、天国になる。
・三日月がバンド脱退しない
・三日月がいる事で、有名作曲家澤村からバンド自体にメジャーデビューのオファーが来る
結局、三日月がいる事で、メジャーデビュー出来る事になり、後はトントン拍子でバンドは売れていく。
バンドメンバーにもTV出演が個々に来るようになり、住まいもぼろアパートからタワーマンションへ変わる。
三日月と主人公は恋人となり、その後三日月が小さな事件にも巻き込まれて、三日月がPTSDで歌えなくなって休養を取り、そこで二人は結婚する。バンドは一時休止。その後、休止中に主人公は八木原のライブを聴く。
そこで、花井の亡霊みたいなものが主人公へ話しかけてくる。
・「馨君、音楽の感動はまやかしだ。ミュージシャンがやっていることは全部クソだ」
音楽の感動はまやかし→「音楽の神様なんて居ない、居なくてもどーでもいい」、という事になります。
そのライブの帰り、三日月は花井が絶望した「音楽の神様なんて居ない」という考えを自ら否定しようと
駅前で単独で突然歌い始めます。
ここで、三日月は「一人でも私の歌を聴いて泣いている人が居たらいいんだよね?」と言いますが、それは違うと思うのです。「三日月の歌を聴いている人全員 or 大多数が泣いたら」「音楽の神様なんて居ない」ことを否定できるハズです。
そこに、三日月は一人泣いているお婆さんを見つけ、連れて来てなんで泣いているのか聞きます。
・亡くなった母を思い出して、泣いた→音楽そのものじゃなく、ストーリーで感動した
→音楽の神様なんて居ない
三日月は「音楽の神様なんて居ない」のを"否定しようと"したのに、「音楽の神様なんて居ない」ことを"肯定してしまった"結果になったのでした。ここら辺の三日月は可笑しいし、可愛いですね。
この後、それでも引かない三日月は「お婆ちゃんの心も私の音楽なの!」とか謎理論を展開します 苦笑
その後、バンドを再結成し、ライブシーンで終わりを迎える。
話自体は綺麗にまとまっていた。終わり方も爽やかに感じた。
唯、全然心に刺さらなかったのも事実だった。
(※1:この選択肢は二つ前の選択肢 ステージには等身大の自分を or ステージには完璧に作り込んだものを
とさらに一つ前の選択肢 花井の遺作として発表する or 新作として発表する、
のそれぞれ何を選択したかによって、・出現する場合と・出現しない場合(自動で「賛成できない」を選ぶ)が有るようです。)
(※2:例え、一つ前の選択肢で 花井の遺作として発表しようが、新作として発表しようが、主人公の精神・考えはこのように強引にメタモルフォーゼします。すげえな(笑) マジで三日月ゲーじゃねえか・・・・・。 ただ、どっちの方法で発表したかで、後に登場する記者への主人公の返事が若干変わるようです
以下、花井の曲を発表したライブ演奏時の主人公のモノローグ
「もしかして、一度音楽をやめた花井さんが僕らに曲を書いてくれた一番の理由は、この三日月を世界におくりだしたかったからじゃないのか?
そして、「音楽の神様」を見つけさせようとしたんじゃないのか?」
つまり、 三日月のソロデビューに反対する→花井の願望を叶えない→花井の意志を継がぬ、
逆も然り 三日月のソロデビューに賛成する→花井の願望を叶える →花井の意志を継ぐ、という事かと。)
(※3:澄ルートでは、一つ前の選択肢で 花井の遺作として発表しようが、新作として発表しようが何も変化は無いようです。。。。。三日月ルートとは凄い扱いの差だ。涙)
■以下、プチ文句
●結局、全てのハッピーな展開の引き金になっているのは、三日月の存在なのである。
三日月が居なかったら、ハッピーな展開も勿論起こる訳もなく、寧ろ酷い展開(澄ルート)がこれでもかと起こってしまうのだ。さらに、主人公の性格まで禍々しいものへと変貌してしまう(三日月ルートでの主人公の性格は、弥子ルート同様善良)。
こう考えてしまったとき、もうこの三日月ルートには興味が無くなってしまった。
■なぜならこのゲームの大きなテーマとして、花井が共通パートで残した疑問「音楽の神様は実在するか?」というものが有るように思える。
□次に、主人公はこのルートでは「音楽の神様は居ない or そもそもそんな事考えない」と考える。
そして、実際にこのゲームの設定としては、「音楽の神様は居ない、曲の良しあしは相対的なもの」と設定されているように感じる。
■音楽自体をテーマに含むからには、音楽によってバンドのその後の出来事が左右されるなら理解できる。だから、主人公達の曲・主人公達のバンドの実力で、バンド自体にメジャーデビューのオファーが来る展開だったら理解できた。
□でも、そうなってはいなかった。単に三日月という人間の存在、ただそれだけでバンドのその後の出来事左右され、ハッピーな方へと転がって行く。なぜ、三日月がいるだけでバンド自体にメジャーデビューのオファーが来る展開などにしてしまったのか。
三日月は天才で、幸運の女神。ハイお終い。
余りにお粗末な展開ではないだろうか。
チープな成り上がりストーリーだ。
ふーん、嗚呼もうどうでもいいやー位の感想。
誰か、三日月の魅力を教えて下さい。文句お終い
このルートの金田はぶん殴りたくなるほど、ウザい(笑)
●しかし、何故この三日月ルートが心に刺さらなかったのだろうか? ?
勿論、三日月のキャラ自体が個人的に嗜好に合わなかったのは大きな原因である。
だけど、弥子→三日月→澄→輪 という攻略順がどうにも失敗だったようにも思える。
三日月(ハッピーエンド)→澄(バッドエンド)という順ではどうしても、後者の印象が強くなってしまったのかもしれない。澄(バッドエンド)→三日月(ハッピーエンド)という順が理想的で、三日月ルートの印象も大きく異なったのではないだろうか。
■澄ルート★
超地雷 うげーーーーー胸糞悪いぜファ〇ク
澄??
え、顔が弥子じゃん。え、弥子じゃないの!? はえ―
どーせすぐに殺すんでしょう?? ほらー
瀬戸口節??っていうか、最近はキャラ殺し&不幸オンパレード()しているだけな気がするなあ。
もうやり口に慣れてしまっていると、流石に慣れてしまい新鮮度合いは薄かった。
だけど、心には刺さる、凄い胸糞の悪さだ。
余りに胸糞悪くて、1周回ってどうでもよくなってしまったわ。
最後の最後で、澄があんな風になってしまって、「ああ、感情ってこういうものなんだ!!」みたいに
主人公は言っている訳だけど、
そこに来てやっぱり主人公は毎度の事だけど、サイコパス(流石に自覚はあるのか、作中で金田や三日月に言われているものの)野郎だよなあと。単に澄の話はサイコパス野郎が人一人死んで、そんな小学生でも知っている当たり前の事に気づくだけ、っていう何なんだこの話は??露悪的だなあと思わずにはいられないのである。やはり瀬戸口氏は偏執的だ。
そんな事を実感してしまうと、三日月ルートでも(弥子でも)何考えているかわかんねーサイコパス野郎「表面的には善良であるが、一部極端に凶悪な側面を持つ」が何考えているのかわからないけどハッピーエンドになっているな、と妙な気分になってしまう。そもそも、そうなるとこのサイコパス主人公に三日月が惚れる理由がイマイチピンと来ない感じになってしまう訳で(弥子・澄は主人公のそういうところを理解しつつ好いていた様に感じる・輪は主人公を好きかどうか謎)。うーん
ク〇シナリオだけど、弥子に似ている澄には罪は有りませんよ!
澄は超けなげだし可愛いし、庇護欲MAXだと思います。
澄救済ルートが欲しいです。
まず、三日月にソロデビューの話が来た時に、すぐに「賛成できない」と反対するか、「兎に角やるべきだ」と賛成するかで未来が天国と地獄に別れる。
・三日月のソロデビューに賛成する→花井の意志を継ぐもの(※3)→音楽の神様が居ると信じる・求道する →澄ルート
まあ、この選択肢で三日月のソロデビューに賛成するを選ぶと、その後主人公がボッチでの作曲に傾倒していく点は納得できます。
■何がク〇かって言うとさ、この澄ルートに入ると、主人公は三日月ルートでは幸運の雨あられだったのに、これでもかって不幸が束に成って襲ってくるっていう。
■さらに、澄ルート入る前と後で、主人公の性格が凶悪に変わりすぎ。
何か、もう別の主人公見ているみたいな気分。最後の方とか何かの化け物かよって感じ 苦笑
20歳~23歳??位まで3年間ボッチ音楽作曲で過ごしただけで、凶悪な性格になるのは無理有り過ぎる。
共通パート・弥子ルート・三日月ルートの主人公が善良な性格なのに対し、澄ルート入った後は腐ったような真正のクズになってしまっているじゃないか。
これは別に勘違いでも何でもなく、実際に共通パート・弥子ルート・三日月ルートの主人公は、人の良い点によく着目している事が多い。それに対して、澄ルートの主人公は、人の悪い点によく着目している事が多い。
その一例は、澄と初めてセックスする際に、澄の自傷痕を見つけた際に、「傷を残すのはいいことだ」みたいな他ルートではあり得ない事を言っているのだ。弥子ルートの主人公は「不幸や苦しみを美化してしまうのは、それはそれで間違ったことだ」と述べている。おまえ、まじで誰だよ?(笑)
●こんなに主人公の性格が凶悪に変わってしまった原因は謎??
3年間ボッチでいたから?違う気がする。それなら、澄と同棲したら性格は良い方向へ変化するはずだ。
恐らくは、根源は「音楽の神様は居る」と信じる事なのだろう。
「音楽の神様は居る」と信じて3年間音楽作曲だけをした結果、性格が凶悪に変わってしまったのかもしれない。
共通パートの頃の主人公の性格だと、妊娠した澄に堕胎しろ、と言うとは考えにくいんだよね~
さらに突っ込むと、性格・容姿面でも澄と類似性が高い(と思う)弥子には主人公は惚れて、なんで澄には惚れないんだ??(金田風に単純な疑問)
□このルートの必要性は理解できる。だが、"必然性が滅茶苦茶に低くて"理解に苦しむのだ。
最悪に近い結果というものはそうそう起きないもので、起こるとしたら幾つもの原因が重なる必要がある。
瀬戸口氏のシナリオでは、キラ☆キラのきらり1ルートでもそうであったが、その原因を丁寧に描いていない・描けない場合が多いような気がするのだ。ぶっちゃけ、雑過ぎる。
「待って待って、どうしてこうなった!?」というプレイヤーからの問いに、
「ごめんねー。ホント、滅多に起きないけど、交通事故(火事)が起きちゃったの」と言う回答では、フォローできる人は少ないだろう。
●そもそも、澄ルートはBADエンドなのか??(単純な疑問1)
攻略サイトに澄ルートはBADENDだと記載されていたので、そのままBADと書いたのですが、、そうなのでしょうか?
・澄は両親とは絶縁しており、中学卒業まで養護施設にいた。中学卒業後から現在19歳まで働いている。
・澄は思春期に、左手首を自傷していた
・澄は主人公と出合い、結ばれた時に「今が一番幸せです」と言ってた
・澄は主人公の作曲した新曲を毎回褒めていた
・澄は主人公と行ったレストランで、「そしたらまた、何度時間を戻しても、私とこうしてこのレストランにデート へ来るんですね」と満足そうに笑っていた
・澄は妊娠した時に、出産を望んだ
・澄は妊娠した子供を出産し、一人でも育てたかった
・澄はその日の朝「私、どんな時でも、馨さんの作った曲を聴くと元気になるんです」と言っていた
・澄は主人公の作曲した新曲を毎回、スマホに入れて聞いていた
確かに、澄は何も持っていなかった。
主人公に堕胎するように言われた時は、捨て猫を放っておけないやさしい性格の澄は、深く悲しんだのでしょう。
でも、その次の日の事故直前まで、主人公の作曲した新曲をスマホに入れてずっと聞いていたんですよね?
そうすると、多分、澄は不幸な事故()に合わなかったら、そのまま主人公と一緒に暮らすつもりだったのではないでしょうか。
澄が実際にどう考えてたかは、主人公の歪曲された感性は宛てにならず、澄の言動からしか推測できません。
■しかし、澄は主人公を愛しており、傍で主人公の道を見守るのが何より幸せだったのではないかな、と推測できます。
そう考えると、澄にとってはBADでもなかったのかー、そこだけは救いだなあ。と思えました。
●主人公が作曲した作品への澄の感想・反応(単純な疑問2)
澄は主人公の作曲した新曲を毎回褒めていて、「私、どんな時でも、馨さんの作った曲を聴くと元気になるんです」とまでべた褒めしています。それは本心なんでしょうか?? 気になります。
まあ、澄も過去がし烈だったり、左手首に自傷痕が有ったりと、ダークな部分も心の内に持っている可能性があるのは否定できません。
ですが、内心「馨さんの新曲、マジでクソだな」って思っていて、その本心を主人公に完璧に隠し、あのように毎回感激し、事故直前まで主人公の作曲した新曲をスマホに入れてずっと聞いていられるでしょうか??
多分、そんな悪魔みたいな真似出来る女性は少ないのではないでしょうか。居たらそれこそ化け物でしょうね。
■そう考えると、澄が主人公の作曲した新曲を毎回褒めていて、「私、どんな時でも、馨さんの作った曲を聴くと元気になるんです」とまでべた褒めしているのは、どうやら素直な本心である可能性が高そうだと思います(個人的に)。
●でもでも、澄の新曲への感想・反応の原因が気になり始めました。素直な本心だとして、何ででしょうかねー(単純な疑問3)
・主人公は澄ルートでは、音楽の神様がいると信じて(新曲を頑張って作成して)いる
・主人公の新曲は最高だと自身が感じている
・主人公の新曲は八木原にも「ちょっとこの曲のよさはわかないので、うちじゃ扱えないなあ」と言われている
上記した内容を踏まえると・・・・
□音楽の神様はどうやら居ないっぽい、その曲が良いか悪いかは相対的なもの。
もし、居たら八木原にそんな反応されないっす!(笑)
■音楽の神様がどうやら居ないなら、主人公が作曲した新曲の良しあしは相対的なものになる。
そうすると、主人公が作った新曲への澄の感想・反応がいつも良いことなどは十分にあり得る。
寧ろ、「澄の恋人が作成した新曲というストーリー」は澄の新曲への感想・反応へ覿面に効いている
のではないでしょうか。
アレです、三日月ルートの最後、三日月の歌で泣いたお婆ちゃんが泣いた理由を「母の事を思い出したから」
というのと似ていますね。お婆ちゃんの「母の記憶というストーリー」は三日月の歌への反応を泣く程まで高めたのです。
□主人公「澄はいつもあらんかぎりの言葉で褒めているけれど、・・・・、彼女は曲の善し悪しなんかまともに聴き分けられやしないのだ。」「花井さんの声を聴けば、演奏を聴けば、どうしても名曲にきこえる。結局、これは、澄が僕の曲のどれを聴いても絶賛するのと同じ仕組みだ」とモノローグで述べています。
この部分から、主人公は「澄の恋人が作成した新曲というストーリー」は澄の新曲への感想・反応へ覿面に効いていることは十分に理解している事が分かります。わかった上で、そういうストーリーが混ざって評価が変わるのは嫌なんだ!!と感じているのですね。
◆つまり、そういうストーリーが混ざって曲の善し悪しが相対的に変わる=「音楽の神様は居ない」のは嫌で、ストーリーが混ざっても曲の善し悪しが絶対的に決まる=「音楽の神様は居る」のが良い、と。
もう、主人公は薄々、曲の善し悪しが相対的に変わる事に気づいているのでしょうが、澄にどうしろと??澄にはどうすることもできないじゃないですか・・・・もう完全に主人公は駄々っ子です(笑)
■なるほどー、主人公の作曲した新曲について澄が喋っている事は、「嘘じゃなくてちゃんと真実っぽい」し、「(何かストーリーが混ざっていたとしても)毎回新曲を良いと感じていたのは事実っぽい」んですね。
マジでいい子過ぎますね、澄さん。本作では神です。ええ、GOD。
弥子を超えてきましたね。
ただ、やっぱり瀬戸口氏の描く女性キャラクターは、かなり掴み処が無い気がする。だから、上記したような
普通の人だったらこういう言動をするならこう考えているだろう・・・・などと云う推測は無駄なのかもしれない。それこそ、シナリオライターのみぞ知る、である。。。。
キラ☆キラのきららだって、本心を鹿之助に打ち明けた時、「ええ・・・ そんな事考えていたのかよ!?」と仰天させられた。SWANSONGのユカだって、プレイヤーが想像しにくいかなりぶっ飛んだ自虐的とも思える冷めた事、「私は尼子さんを好きでもなんでもなくて、単に昔の復讐をしたかっただけなのかもしれない」だとか、殺し合いをしている二人の目の前で「ああ、私はこんな時でも自分の事しか考えていないのだ」などど考えていて、何なのだこの子は!?と思わされたのである。
それに、瀬戸口氏がシナリオ担当したこれまでのゲームの一貫したテーマの一つとして、「他者と自分の理解しがたい断絶」というものがあるような気がするのだ。SWANSONGの最後で、鍬形とユカが対峙し、ユカが鍬形に質問をしていく様は、正に鍬形とユカの間に「他者と自分の理解しがたい断絶」有ることをクッキリと浮き彫りにしていた。
氏はそれを幸せな物として肯定するのか、悲しい物として否定するのか、それは私ではいまいち判断できない。しかし・・・・
澄が、プレイヤーの想像の斜め上を行く事を頭の中で考えていない保障はない。
□三日月ルートの主人公
・悪い音楽はなく、全ての音楽にはそれぞれ良い所があるように感じている
なんという劣悪な皮肉でしょうか。「音楽の神様は居ない or そもそもそんな事考えない」と正解している三日月ルートの主人公であれば、澄が主人公の作曲した新曲を毎回褒めていて、「私、どんな時でも、馨さんの作った曲を聴くと元気になるんです」とまでべた褒めしている原因を、多分理解できそうなのです。
如何に、「音楽の神様は居ると信じる」事が危険かわかります。最早カルト宗教レベルで主人公の性格・価値観・柔軟性・恋人等々色々破壊しちゃっています。。。。。。。
このルートの金田は神、超イイ奴すぎる。
対照的に、主人公馨のクズ・化け物っぷりが際立ってしまう。
主人公のクズ・化け物っぷりには吐き気を催しますねー ゲロおおおおおお。
と、普通は考えるものだが・・・・・・一貫したテーマの一つとして、「他者と自分の理解しがたい断絶」というものがあるような気がする、という視点から馨の行動を考慮すると、それは違った者にも見えてくる。
それは、他者と自分の理解しがたい断絶に遭遇しても、打ちひしがれ絶望し負けてしまう(花井は負けてしまったのだが)ことなく、それに勇猛に挑むチャレンジャーとしての姿である。
澄ルートは、まるで馨の狂気ばかりが目立つような演出であるが、果たして本当に馨は狂人なのだろうか。それとも、ストイックに戦い続けるチャレンジャーだったのだろうか。
澄と馨が、「電気サーカス」の真赤と水屋口に似ている?
確かに馨と水屋口は似ている部分が有るかもしれないが、澄と真赤は全然似てない(真赤は相当酷い性格だった気がする 汗)。
以下、金田爆笑金言
金田「わっ、わっ、わっかんねえけど、澄ちゃんと別れたいってこと?」
馨 「そういう訳じゃない。さっきも言ったけれど、彼女といると居心地がいいし、癒される」
金田「えっ、やっぱわかんねえんだけど、それじゃだめなの?」
●以下、かなり逞しい妄想①(笑)
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澄の役割って、その身を呈して、主人公に「ああ、本物の感情ってこういうものなんだ!!」と気づかせるもの。
その役割さえ全う出来れば、些事はどうでもいいはずなんだと思えます。
しかし、澄の容姿って弥子に結構似すぎていませんかね。。。。(私だけそう思っていたら、大変申し訳ない 汗)
澄ルートで初見では、「アレ?少し成長した弥子と再会した??」と混乱しました。
わざわざ、二人のヒロインの容姿をあそこまで似せる必要は無いハズ・・・・他人の空似なのか??うーむ。
これでマジで他人の空似だったら怒っちゃいますよ!!プンポコw
澄は、もしかして弥子の代理みたいなキャラなのではないだろうか。
代理というか、ストーリー上絶対に音楽を選択した主人公と、出合う事が無いハズの弥子の身代わりとでも言おうか。
何故、弥子の身代わりのような者を立てる必要があるのだろうか??
それは、潜在的なバンド選択ルートで弥子フラグも立てたい、というプレイヤーの願望に応える為ではないか??
実際は、バンド選択ルートに入ると必ず主人公は学校を辞め、弥子は主人公へ告白し振られる。
(ここで、オイオイ~ 何で主人公勝手に弥子フラグ折っているんだよお・・・・・・と思った方も多いハズだ)
しかし、もし、この強制弥子フラグ折りイベントが無い=バンド選択ルートでの弥子ルートが有れば、それを選択してみるプレイヤーは多いのではないだろうか??
そうでも考えないと、余りに似すぎている容姿に説明が付けにくい様な気もするのだが。。。。唯の妄想なのか??
・弥子は亡き父の絵画が大好きで、ずっと保存していた
・澄は主人公の作曲した新曲が大好きで、毎回スマホに入れて聞いていた
・弥子は幸せになることを諦め、まわりの誰かに自分の幸せを仮託している?
・澄は花屋で働き、お客から幸せのお裾分けをしてもらっている
・弥子にとって、主人公が目指すものの為に生きる>主人公と付き合う
・澄は主人公に「馨さんは、作曲だけに集中してくださいね」と言っていた
・弥子は「どうなるかわからないし、先のことを考えるとこわくなるんだから」と言ってた
・ 「彼女は彼女で何か考えるようなことを放棄しているような気がする」(澄ルート)
・弥子は主人公を「馨さん」と呼ぶ
・澄は 主人公を「馨さん」と呼ぶ
・弥子は主人公とセックスした後「仲良くなれるなんて」と言っていた
・澄 は主人公とセックスした後「仲良くなれるなんて」と言っていた
・「僕たち、似たもの同士かもしれないな」(弥子ルート)
・「僕たち、お似合いかもしれないな 」(澄ルート)
・「ただ不幸なのに健気だという 」(弥子ルート)
・「家族もなく中卒で働く不幸な少女と 」(澄ルート)
上記のように、弥子と澄の言動上の類似点は多い気がする。
このゲームの女性キャラで、主人公の事を「馨さん」なんて呼ぶのは弥子と澄(と後、三日月だけ。え三日月マジかよ!?w)なんですよね~うむむ、偶然の一致なの??
そうすると、澄ルートのお話は、もし音楽を選択した主人公と弥子が離れず、付き合ったらどうなるか?というifのような話なのか???
弥子ルート終盤で主人公は「もし生まれ変わりがあるなら、次の人生ではバンドに賭けてみたいと思うけどね」と言っている。
そう、音楽と弥子の両方を選択する事は出来ないはずだが、もし選択できちゃうとすると、"澄のように、その人を失ってしまう展開が起きるんだよ"、というメッセージなのだろうか。。。。。???と妄想してみました(笑)
逆説的に言うと、バンド選択ルートで弥子ルートが有る場合、主人公は「音楽の神様が居る」と信じちゃうのだぞ。的な?? うーん、かなり怪しいw
ぎょえー、弥子が澄みたいな目に合う?! 想像するだけで悲しくなってしまう。OTL
(しかし、妙な矛盾も有る。弥子ルートでは、弥子に主人公は「セックスが初めてではない」と告げている。一方、澄ルートでは、澄に主人公は「セックスが初めてだ」と告げている。澄ルートの主人公よ、"おまえはいったいどこの対馬馨なのだ?"MUSICUS!は実はホラーだったのかw)
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→②つづき
しかし、万が一、主人公が「やっぱりバンドをやりたい」と言った場合、弥子はどういう反応をするのだろう?
弥子は、主人公が自分の目指すものの為に生きる>主人公と付き合う と考えているので、主人公がバンド活動をする事を積極的に応援しそうである(もしかしたら、弥子が発破を掛ける事で主人公がバンド活動を再開する可能性も有る)。では、二人は別れるのか?弥子は主人公と付き合いたいと考えていたので、多分一回付き合っている状態では別れる事もなさそうである。弥子は、第一に主人公が自分の目指すものの為に生きて欲しいし、第二に主人公と付き合いたい、という欲張りなのかもしれない。
では、その状態で再開したバンドはどのような運命を辿りそうだろうか。まず、主人公が「音楽の神様が居る」と信じないか、信じるか、で未来は分かれるだろう。弥子ルートで主人公は弥子との会話でこう述べている「だって、故人の意志を引き継ぐって言うのは聞こえが良いし、その方が物語としてはしっくり来るんだろうけど、物語に目をくらまされるのは正しくないと思う。そんな理由で引き継ぐのは花井さんの考えとも違う気がするしね。」。どうやら、弥子ルートの主人公は「音楽の神様が居る」と信じなさそうです。ということは、主人公と弥子は、澄ルートのような未来を辿る可能性は低そうです。ぱちぱちぱち~
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■輪ルート★★★☆☆
輪はエロイですね、ヒャッホー!! もうさ、立ち絵だけでもエロイ感じで最高です。
輪の音楽上の師匠的な人が病気でちょっと余命が・・・・みたいな話。
最後のライブでの、三日月と金田が叫んだ台詞、良かったです。
このルートの金田は比較的カッコイイ。
三日月ルートより、上記のように一体感を感じることが出来、とても爽やかな気分になれた
◆全体について
●まず、そもそもの花井の自殺後の主人公・三日月へ宛てた遺書(主人公・三日月をからかうようなもの)がかなりリアリティーが無い。なさ過ぎて、花井の自殺自体のリアリティーも皆無になってしまっている。
一般的に、自殺を実行する場合、実行者は極度の大鬱状態で、全てに絶望していなければならないハズである。そして、そんな状態で、あのような遺書を書ける可能性は低い。
(関連して、澄ルートで主人公が自殺を考えるシーンも全くリアリティーが無い。無さ過ぎて笑ってしまうほど。死ぬしかないのかという結論に達するには、心理描写が全く足りていない。全てが絶望的だと考えているプロセスがごっそり抜けおちてしまっている。そして、いきなりフィクション全開で、ポンと死ぬしかないのかという結論に達しっている
「僕は再生を止め、溜息をついた。-そうか、死ねば全部終わりなんだな。」
なんだこれ?そうか、じゃないでしょう。何がそうか、なのでしょうか。そうか、のたった一言に全てが絶望的だという意味と気持ちを込めることは出来ない。こんな急に死ぬしかない、って結論にはどう考えても到達できないはずである。)
ライターは本作を書く前に、自殺についてちゃんと調べたのだろうか?
●金田は村上の代わりにはなってない、ウザすぎる(笑)
●演出の手抜き、特にライブシーンが目立った。
楽曲はかなり凝っているのは分かる、だがこれは音楽CDじゃあない。ヴィジュアルノベル形式のゲームでしょうが。ライブのシーンでは、言葉による描写+楽曲だけじゃダメだ。そこにヴィジュアルを使って色々演出するべきだった。演出面でキラ☆キラの頃と何も進化が見られないのは厳しい。
●システム面も難有り。左クリック1回でシナリオ読み込み過ぎる。4-5行も読み込むってどういうこっちゃ
今時、「次の選択肢まで飛ばす」「前の選択肢に戻る」が無いのも不便。
●やっぱり、今回も主人公=きら☆きらの主人公=CARNIVALの主人公で、サイコパス野郎、そんな主人公が色々なルートで色々な結末になるけど、サイコパス野郎が主人公なゲームってどうなのよ??そもそも論。
この、主人公が同じ性格しているな、となんとなく感じるのは「ああ、〇〇が××している様子を見ていると、そもそも〇〇なのだなあ、などと感じてきてしまった。これじゃあ、僕がまるで××じゃないか!」みたいな独特のモノローグの書き方が似すぎているのが一つの原因だと思う。基本的に会話を除いた部分がモノローグで占められるのだから、同じ性格しているような印象を持つのは至極当然なのだ。
サイコパス野郎だと感じるのは、主人公の情緒が各場面でコロコロ変わり過ぎるせいだ。
モノローグでは全体的にやけに冷静だし、そのくせ花井の曲を聴いたときはいきなり「なんて素晴らしいんだ」とか感動するし、弥子の前では弥子を褒めるポジテブな発言がポンポン出てくる、かと思えば澄の前ではネガテブ一辺倒な発言(最早被害妄想の域)しか出てこない。情緒が不安定すぎて、人物像が定まらないのだ。そんなだから、全体で"表面的には善良であるが、一部極端に凶悪な側面を持つ"サイコパスみたいな印象になってしまう。
もう、瀬戸口氏は意図的に主人公を毎回同じにしているに違いない(それか、こういう主人公しか描けないのか。でも、SAWNSONGの主人公を考えると、意図的なのだろう。SWANSONGの尼子は、サイコパス主人公ではないのだ。どちらかというと、鍬形のモノローグがきら☆きらの主人公、CARNIVALの主人公に似ている。)。
●一番胸糞悪い、澄ルートが悪い意味でヴィヴィッドに輝いている辺り、偏執的過ぎる(笑) その辺りがニッチだけど熱狂的な氏の人気に違いない。このテイスト、自分に合わないとまで行かないが、やはり絶賛はできねー。
●結局、三日月とかいうメインヒロインに、個人的にはビジュアル・性格共に魅力を感じれず。。。。
弥子・澄の方がビジュアル・性格共にかなり魅力的だった。
エロゲーでメインヒロインに魅力を感じない時点で、全体としてはやや不満が残ってしまった。
弥子ルートが一番好みであった。勿論、一番好みじゃなかったのは澄ルートである。
ん??読み返すと澄ルートの話ばかりしてて、まるで澄解体新書である。気持ち悪くて、ごめんなさい!! 汗
結論:俺たちの瀬戸口ゲーが帰ってきた!!! 帰ってきた、はいいのだけど・・・・相変わらず胸糞悪い。もう、瀬戸口ゲーは卒業する頃合いですかね。そもそも、そんなにファンでもないし。
名著というのは内容は多くの場合難解で、一回では全てを理解できない。しかし、読み直すたびに読者に新たな発見を与えるのが名著だと思っています。
その意味では、MUSICUS!は、名作だと思う。
澄ルートを1回目コンプした時と、澄の感情を細やかに読み取ろうと2回目コンプした時、さらに2回目弥子ルートと並行させて比較させつつ進めた3回目澄ルートでは、それぞれの回で新たな発見を与えてくれて面白かった。
その後、共通パートをもう一度プレイすると、生前の花井の台詞が共通パート1回目と2回目ではまるで異なった物に見える。これは三日月ルートにしても全ルートの主人公にしても(多分、金田にしても (笑))同様で、このゲームはスルメのようにとても味わい深い物なのかもしれない。
でも、一方で凄い駄作だなあ、とも感じざる得ない。
こんなに何度もプレイしないと"伝えたい事"や内容ががプレイヤーに分からないようなシナリオ構成は、凄い衒学的だと思わざる得ない。それに、毎度の瀬戸口節とやらもキャラを唯唐突に殺すだけで雑過ぎるし(同じ心理状態にするにも他に方法はないのか)、とどのつまり、マイナスなインパクト、悲しみや負の怒りの感情をプレイヤーに持たせる事が複数回プレイのドライビングフォースになっている。そういうやり方は正道じゃないので、結局、すぐに作品への熱も冷めてしまう。この作品をプレイして、何か心に残ったか?と今問われると、非常に冷めた感情がそこにはあって、「もうプレイしていた時間を返して欲しい程に、何も残っていない」と感じる。
シナリオ 23/25 弥子>輪>>三日月>>>澄
グラフィック 20/25 すめらぎ氏good job
演出 12/25 手抜き演出多々、特に三日月ルート
BGM 20/25 きららの歌が最高なんすけど 苦笑 弥子Vo曲もいい感じ。つうか、BGMモードに澄が聴いて
た曲(原曲、no titleはアレンジされてる。。。)が入ってねえってどういうことだよ!!
GOD澄ファンとしては、マジおこ
total 75/100
「452 :名無しさん@ピンキー 2020/01/02(木) 04:28:38
思ったんだけど初期の構想だと弥子が澄立ち位置だったんじゃないかと思った
瀬戸口が持ち込んだときは1ルートだけの構想だったって話だけど、完成形からどれか1ルートというよりは全部集約されたシナリオをゲーム用に分割したんじゃないかなって
共通パートで学祭バンドやって、その後バンド結成、そこそこ売れるも三日月アシッドアタックで歌えなくなり解散、no titleの流れになって弥子と再会するも事故死、その後なんやかんやでバンド再結成で〆……みたいな
めぐるルートは分割する上で補足的に入れたとか」
はえー!凄い人もいるものですね~。制作プロセスで考える事は私には出来ず、上記にすっかり納得してしまったのでした(笑)