勧善懲悪の中にある矛盾と、話題のすり替え。結構上手いこと出来ていると思います。真理はどこにあるのでしょう。長文で説明したいと思います。
大仰な問題提起。話題のすり替え。纏まった終焉。
Fateではこの三段階でシナリオが進みます。
セイバールート・・・最も分かりやすい少年漫画シナリオ。ここで出される問題の提起は「ヒーローになりたいと言うことは悪と被害をまず望むことである。」ということ。確かにヒーローを目指すシロウにとってそれは大きな矛盾だったでしょう。彼はセイバー編の間、この矛盾に悩みます。
おかしいですね。シロウは元来劇的なヒーローに憧れていたわけではありませんでした。あらゆる悪から民を救いたい。それだけであったはずです。ヒーローになって皆に尊敬されたいと思っていたわけではないのです。そのシロウが、この問題提起に頭を抱えること自体おかしいのです。ではどうしてこんな提起をするのか。有り体に言ってしまえば「なんだかカッコイイ」からじゃないですか。
その後シナリオはセイバーに問題を移します。人であることを止め、王として国のために一生を費やすことを責任と意志で貫いた少女アルトリア。過去の敗戦を悔やみ、聖杯の力で王の選別をやり直そうとします。しかし彼女の前に現れたマスター、シロウの前だけを見て生きる姿に感銘を受け、この世を滅ぼそうとする絶対悪の言峰と、その手段である聖杯を破壊することに決めます。シロウとセイバーは別れますが、彼らに疑問はありませんでした。
カッコイイですね。最高ですね。ところで、シロウは何に悩んでいたんですか?でもなんだかカッコよかったですね。
凛シナリオ・・・このシナリオは、もう凛はどうでも良い存在ですねw居なくても大差なしです。それだけにシロウについてとても多く語られていることでしょう。
ここでの問題提起は「シロウは異常とも言える思考を持ち続け、どうなってしまうのか。」またまたカッコイイですね。とても気になるところです。
結論から述べると・・・問題提起にすらなっていません!!
「アーチャーは背中で語る。」アーチャーのカッコイイ生き様を褒めるときによく言われる言葉。ここでそんなカッコイイアーチャーはどんなキャラだったかを考えて見ましょう。
アーチャーは実はシロウの未来の姿。時間軸から外れたことによる事象として過去のシロウの時代に来てしまった彼は、ヒーローを目指す生き方をした末に起こった世界の裏切りに、人生の間違いを見て、その生き方を呪い、そのものであるシロウを殺せば自らの過ちも拭えると考えた。
なるほど。悲運のヒーロー。カッコイイわけです。
そしてアーチャーはシロウとの激闘の末、その志の崇高さ、あきらめないという強さに圧倒され、もう一度シロウの人生を見てみたいと思ってしまう。当初の目的を崩されてしまったアーチャーは「せめてシロウのために最後の力を使う」このことを自らの存在意義とし、潔く引くことを決めた。
さすがアーチャー。男前です。でもおかしいものはおかしいのです。「ダイエット番組を見て、その影響でダイエットを始めることにした」と、同じですよ、これは。場の空気に流されちゃったんでしょうねきっと。うんうん、よくあることです。
その後シロウは凛に付いて、魔術を学ぶため海外に出ることを決めます。
なっ、なんですかそれは。シロウは何を悟ってしまったのですか。異文化コミュニケーションの大切さですか?しかし、なんともすがすがしい余韻に浸れる、カッコイイシナリオでした。
桜シナリオ・・・問題の桜ルートですね。シナリオは、最も単純。
世界を敵に回しても、愛した人を守り通したい。
ですね。これまたカッコイイ。
批判されているのはシロウのシンボルでもあったヒーローという生き方を180度変えてしまったからでしょう。批判は当たり前です。勧善懲悪から絶対的エゴイズムに方針転換しましたから。
ではなぜ桜シナリオがきちんと纏まって見えたのか。簡単です。絶対的エゴがどこに向けられたのかを探ればいいのです。今回このエゴは「もし桜が堕ちて民を殺戮するようになっても、僕は桜の味方であり続ける。」というものです。ラストはどうなっていましたか?
桜はシロウが命がけで助け出し、姉妹の綻びも繕われていった。
でしたね。要はこのシナリオ、事後承諾なんです。「いやぁ、あの時は何があっても桜の味方するとか言っちゃったけどさ~、何にもなくてよかったね~。」これが全てなのです。とはいっても、たった一人の大切な女性を守り抜く姿はカッコイイものでしたね。
ここまで読んでいただければもう分かるでしょう。Fateはカッコイイヒーロー物なんです。これも当たり前なんです。真理に迫るのは哲学。その哲学でさえこのような問題は解決できません。
ではなぜ、哲学にかかってしまうような問題提起をわざわざするのか。もう何度も言っています。カッコイイからですよ。他に何が必要だというのでしょうか。ヒーローの真理は解けなくても、Fateの真理は明白です。それはカッコイイことです。
中には真理を見誤ってあれこれ議論を交わした上「中途半端な作品だ」とか「問題を解決できていない」と言ってしまう方もいるようです。ですが、そう思ってしまうのもうなずけます。
しかしそれは重要なことを忘れています。
作者はこの作品を通して、人々に自分の思想を伝えようと思っているのではない。ということ。
考え込んでしまった方、この作品の指す一点がどこにあるのかを探し、見つからないジレンマの末「何だこんな作品!」と低い得点を付け、否定してしまったのでしょう。
メッセージが含まれているように見えてしまうほど練り上げられた作品は、小難しく理解しやすい「読み手を満足させる」ためのものだったのです。やっていることは「アンパンマン」と大差ありません。小難しさをプラスして大人向けにしただけ。メッセージ性はゼロなのです。
そしてこれらの事全てはFateという企画のコンセプトに合致し、一点の狂いもなく真っ直ぐに「カッコイイ!」に向けて収束されています。もはや完璧に近いと思われます。
どうでしょうか。この作品に、「矛盾」がありますか?