若者のすべて
『俺つば』のテーマは「若者」です。
大人でも子供でもない微妙な時期の、青年期の若者たちが、アイデンティティを確立する物語です。
というと仰々しいですが、要は成長するのです。
思い通りにならない世界に折り合いをつけたり、
楽なところから一歩外へと踏み出してみたり、
そんな風に、若者が一皮むける成長の物語といっていいでしょう。
若者、と簡単にいいましたが、『俺つば』で描かれている若者は、
現実の現代の日本のそこらへんにいるような、リアルな若者です。
決して、エロゲテンプレ的なキャラでもなく、フィクションとして役割付けられた道具的なキャラでもありません。
『俺つば』のキャラクターたちは、主人公もヒロインもサブキャラもみんな、我々プレイヤーと同じく悩み多き一人の若者にすぎません。
例えば、羽田タカシは傷つくことを恐れる臆病者で、耐えられなくなれば現実逃避をするし、
千歳鷲介は他人に嫌われることを恐れて適度な距離感でなあなあの人付き合いをするし、
成田隼人は強がっているもののその実人一倍の寂しがり屋だったりします。
鳳翔は、一見気の狂ったジャンキーですが実際は寂しがり屋のガキ大将(隼人談)で、
ドラッグに逃避したり、ガルーダという他人に憧れてる辺りはいかにも若者めいています。
また、プレリュードをプレイすると明日香と京の若者めいたパーソナリティが実によく伝わってきます(未プレイの方は是非)。
そんな風に『俺つば』のキャラクターはみんな現実にいるようなただの若者です。
若者のパーソナリティというのは多種多様で、その多様さを表すための多重人格であり、大量のサブキャラ群であるわけです。
ですので、『俺つば』をプレイした人はきっといずれかのキャラクターに自分の姿を見ることになるんじゃないかと思います。
『俺つば』はそういう作品です。
『俺つば』の最大の魅力は、と聞かれたら、やはりこの「卓越した人間描写」であると言えるでしょう。
ともあれ、不安定な時期の悩み多き若者たちが、人と関わりあうことで成長するのが物語の本筋です。
タカシは現実と向き合うようになりますし、鷲介や隼人だってあやふやだった自分の立ち位置を確立します。
鳴やコーダインは学校に行くようになりますし、プラチナやメンマたちは夜の柳木原から一歩を踏み出します。
ヨージだって過去と向き合って人格を統合します(多重人格の統一=アイデンティティの確立、が示唆されている)
そんな風にして、誰しもが大人になるべく飛び立っていくのです。
俺たちに翼はないこともないのです。
さて、上述のように、『俺つば』は「若者」というテーマを文学的に表現しきっています。
これだけでも、(また、ここまで人間を描けているエロゲは他にないという意味でも)
素晴らしい作品であることに違いないのですが、
それに加えて私が『俺つば』を格別に称揚するわけは、『俺つば』が飽くまで「エロゲ的」であるということです。
例えば、コーダインは『俺つば』でも随一の萌えキャラとして名高いですが、
夜中に街をうろついたり髪を染めたりネイルアートしてみたりなど、
その姿はエロゲ的ではなく現実的です。その辺のちょっとグレたギャルです。
にもかかわらずコーダインを萌えキャラたらしめているのは、ひとえに「主人公への好意」です。
それも、主人公(隼人)が拒み続けるものだから一層その健気な好意が引き立っています。
(プレイヤーが)コーダインをかわいいと思う場面は大体が、主人公への好意を発露している場面なのです。
これはいかにもエロゲ的といえるでしょう。
ついでに「絡まれているところを助けられた」という理由で惚れるところもベタベタでエロゲ的です。
コーダインを例に取りましたが、この辺りのことは当然、他のキャラだって同様です。
特に明日香や日和子の「見え隠れする好意」や「好意を隠そうとする努力」や「好意の発露による照れ」の表現などは、
萌えゲーの手法を極めたと言ってもいいぐらいのものでしょう。
といっても、繰り返すようですがパーソナリティそのものはあくまで現実的に設定されています。
このように、キャラクターのパーソナリティは現実的でありながら、描き方、見せ方はエロゲ的なのです。
物語の本筋もエロゲ的です。個別ルートに入ってからはおおむね恋愛劇に注力しています。
特に鷲介ルートなんて、萌えゲーの見本と言ってもいいぐらいに丁寧な恋愛劇です。
鬱や考察系などといったエロゲとして邪道的な展開に逃げることをしていません(邪道が悪いとは言いませんが)。
徹底した主人公一人称視点からしっかりとヒロインをかわいく描くあたりにも、昔のエロゲのようなこだわりが見られます。
ともあれ、こういう風に、現実的なキャラクターを上手くエロゲに落とし込んでいるわけです。
現実とエロゲの融合と言ってもいいんですが、ともかく、そういった試みが見事に調和しているのです。
昨今のエロゲ、特に萌えゲーというのは、キャラクター主導傾向にあります。
なもんで、エロゲ界にはテンプレ萌えキャラが氾濫しているわけですが、
『俺つば』はキャラ主導傾向を素直に踏襲しつつ、テンプレ萌えキャラではなく、現実の若者という形での萌えキャラを生み出したのです。
つまり『俺つば』は、若者という文学的なテーマをエロゲというメディアで表現しながらも、キャラ主導のエロゲとしても完成されているわけです。
前者だけならそこらの小説に、後者だけならそこらの萌えゲーになってしまうわけですが、『俺つば』はその融合に成功しているのです。
アンチテーゼとまでは言いませんが、凡庸な萌えゲーや、エロゲである必要のないシナリオゲーとは明らかに異なった作品なのです。
そこに客観的な優劣をつけることはできませんが、少なくとも私は、『俺つば』は他に並ぶもののない至高にして唯一のエロゲであると思っています。