ありきたりな筋だが、表現によって素晴らしいと思って止まなかった。
くれぐれもネタバレ注意!
この作品がよくできていると思って止まないから、敢えてその理由と根拠または推測を挙げます。
1.タイトルの意味について
(1)すきま。現実と幻想の狭間、桜乃。”現実”に存在して人の”幻想”を書く”本”もその意味の一つ。
(2)桜。花でありながら、木でもある、咲良をも指しながら、そしてさくらそのものだけでなく、その下に詰まっている死骸ををも含める。
その花は、幻の花、ひとの願いや思い(うそ)の具現、最後で最初の”人類”の”鈴と優真”の思いと感情が描いた幻想風景。
その木は、もう一つのスカイツリー、世界樹(ユグドラシル)を元より成した世界、再び生え茂る人の文明。
(3)うそ。うそとは嘘と鷽の両方を指す。
嘘とは”真実”と相対する概念、または”完全、正しい、完璧”に相対する人間の弱い諸々を指す概念もしくは人々の思いが実る願いとして使われている。
鷽とは桜の蕾を食べる鳥、または人間。だから本作において、鷽=嘘つき=人間と私は思う。
(4)都会。桜乃を指す、偽りの東京、もう一つの都会。都会とは、鋼鉄とコンクリートが成した建築物の群れではなく、人々住むところを指す。だからこそ、桜乃は嘘つき(嘘つき=鷽=人)の街。そうでなければ、”鈴と優真”が住むあの世界も都会と呼べるだろう。
”日常がある非日常の都会”との意味も、TEのヒントの一つではあるだろうに。
(5)the end of the world。世界の端と果ての2つを意味する。世界の端とは”超人紀元(以下もその名で指す)”に二人の住所(人でなしの世界の端、人類の残滓を象徴する二人が住む最後の城もしくは離島)、または桜乃。そのどちらも元の世界からかけ離れたという意味をとる。
また、”端”と”橋”と同音ですので、状況を考えれば受継ぎ者たる”鈴と優真”も両世界の間の橋になっている。
世界の果てとは、旧世界”超人紀元”の終わり、旧世界の人の最後の遺産あるいは残滓”鈴と優真”のふたり。
(6)cherry blossom princess。桜の姫君、或いは桜の女神(=桜乃女神)を意味する。桜の姫君で使うのは騎士の”優真”に守られる弱きお姫様”鈴”であり、桜の女神とは桜乃を元より流出する新世界の女神である”鈴”。
2.序章について
序章はどうして冬になっているのですか?それはTEの”温もりもない廃虚ばかりの退廃した世界”の具現。
3..チョコ√
その√は比較的に簡単である。それは”理由”を探す。チョコの捜し物とは”私はここにいる理由、私は私である理由”、何かが欲しい、一番ではなく、唯一無二の何か。”
それの意味は其の線路自身にあるのみならず、TRUEの”人性の覚醒”と呼応するのもまたその意味である。
彩香の転変もそれに直結する。”完全完璧”の像を目指すべきではなく、そうすれば人でなし(”チョウジン”のごとく)にならなければならんという”終末”になるしかないと指摘している。
”無意味”の行為をするのも意味がある。という一点も言及した。”意味のあるもの”しか残れないがため人がなくなった”人でなしの国”と比較的になったのは無駄を許し、人の国である”桜乃”。
4.橘(ふわり)√
彼女の名前”ふわり”とは、ふわふわ、浮いて漂う不確かな存在。正しく姉妹両方を指す名前だろう。
その線路はチョコ√とほぼパラレルとなっている。
その√の意味は、最後の一言で片づける。”憧れの存在に自分を投影し、そういったものになりたいと願う”と”超人紀元”にて嘗ての人が完全全能を目指し、悪と定義されるすべてを捨てて、別の殻に入り替えたが、却って人が人でなくなった。他には、健康を目指すことが必ずしも美味しいとは限らないという伏線も利用されている。”完全を目指すが必ずしもいいことではない”と、”超人紀元”に人類が自分を絶滅したのがそのため。
そして”本当の自分を取り戻す”とは”うそ”あるいは”人性”を取り戻し、人へとの復帰を意味するとも。
他の問題点とは、どうして橘が消える?それは夢から目覚めたら、意識が夢から遠のくのだ。
5.他の共通点
(1)旅立つという行為。チョコもかじゅうも最後桜乃を出て旅立つことにした。例えば子供から大人へ、住所から外へ、旧世界から新世界への色々な意味で解釈できる。テーマソングの歌詞にも現れ、必ず意味がある展開だ。
(2)主人公はどうして色んな女子と恋をした?仮に”うその都会”のことは本に記された物語だとしたらどうでしょうか?鈴はそれを読んで、恋を覚えて、人になった。原文によると、”このご本によれば、昔の人間は頻繁に恋というものをしていたようなの”や”もし、人間らしくなることが私たちが求める”うそ”への一歩なのだとしたら、これもそのための取っかかりにならないかしら”との記述がある、なら”恋をすること”が彼達が考える”人間へ近づける行い”もしくは”憧れ”ではないか?
6.咲良√
鈴√の次なる複雑な意味を持って、数多の象徴を使っている線路である。
まずは”春日井咲良”という名前。”春日(かすが)の桜”とも理解できるではないか?それはヒントと一つと私は考えている。”春日の桜”とはその都市そのもの。咲良は”鈴”の分身やら転生やら魂の受継ぎ者やらそのあたりの者として考えれば、咲良自身もまた都会のそのものでは?
再び見た”すきま花火”という事象。それは再び始める”人”の世界をも象徴する。”昔一度見た”のは”鈴が本(すきま)の中に見た”ということ。音々がそれについてそう言った”この都会に集まった”うそ”。それを昇華させ。外の世界に持っていく”。それは鈴の創造した世界を流出して、全世界の法則を塗り替え、新世界へと書き換えるという一面もあるです。
鈴の”桜のくしゃみ。確変の奇跡。認識エラー、例えば私。”の一言。確変の奇跡とは確率変動の奇跡、本来ありえないこと、なぜならそもそも”桜の世界”の作者あるいは創造主とその中のキャラとは本来会えるはずがないだから。”認識エラー”ともそれで解釈できる。他の人は誰も鈴を認識できずが、優真が認識できるのは”桜(うそ)の気まぐれ”、または彼の心の中の願望の具現。当然ながら、鈴自身の願望でもある。
咲良の”夢に溺れて欲しいという願い”。他の記述と対照すれば、”探し求めて都合良くたどり着いた偽りで刹那的な普通さ、幸せすぎて嘘みたいな暖かい日常”と解釈できる、それも”女子供の夢物語”ではある。その意味で、”子供”も咲良あるいは”鈴”の願望、だからこそ”子供の国”なる桜乃を創造した。
”お母さん”という象徴。失われた”鈴と優真”の親たる最後のひとたち(直接に”母”と呼ばれた”博士”たち)、創世記を参考すれば”主”とも呼べるだろう。もう一つは、咲良がチョコにそう言った”昔から、本当に欲しいものがね、二つあるの。でも、両方手に入らない”。その中の一つは間違いなく”家族”です、もう一つは”日常”あるいは”幸せ”。それは”鈴”にはそれらがないですから。その一つ目は、”鈴”には本当の家族がないから欲しい、その二つ目には、”次を求めてしまう”と咲良がチョコに言っていた、だから鈴√が存在する。
正しくチョコの言う通り”本当に手に入らないとは、限らないぜ。もしかしたらもう持っているかもしれない”。
雨明け。それはTEのあの夕焼けと同じではないかと私は考える。
鎖。言葉が鎖、昔”鈴と優真”が、”咲良と優真”交わした約束が鎖、あるいは絆となって、”繋ぎ止めた”。それも”言葉繋ぎ”の意味するところは私は考えている。
”声を取り戻す”という行為の意味。本作において人とは”鷽”、声を失くした鷽が声を取り戻す、とは人性(感情やら嘘つやらの諸々)を失くした人でなし(人と)から人間への復帰を意味する。
7.鈴√またはTRUEエンド
先ずは一番批判を浴びたSF仕立てについて。
なぜ主人公とヒロインが人でなし(ロボット)という超展開にしなければならないか?と思えば、それはそのテーマに直結するから。”人とは何ですか”という質問をテーマにするなら、人でなしたるながらも人を目指す主人公たちの口から言い出すのも道理だろう。そして”取り戻すため”の物語とは、”うそ”或いは人性を取り戻すという意味になっている、本作では”うそ”と”人性”がほぼ同義になっていると考えられています。
”神様探し”の本当の原因。それは優真が無意識のうちに”鈴”を求めてしまうから。
"鈴"という名前の元。原文によると、”昔、人が、人でないものを捜していた時に存在していた”との記述がある、であれば”今は、私達人でないものが人を探すから、鈴をつける”と理解するが道理ではないか。”もしくは、邪悪なるものを払うために”との記述はの意味はまだ理解できかねますが。
”妖精”と鈴はそう自称したが、それはなぜですか?
彼女はそれについてそう言った”木の上に住み、桜を食べて生きる、異能(心もしくは認識の力)を持っていて、桜乃の人間に認識されない者”。それは明らかに”嘘(鷽)”を指している。真実でなく嘘(幻)あるいは”神や偶像”だから認識されない、鷽の鳥だから木の上に住み、神としての力(認識力)を持っているか異能を持つとして現れる。
鈴の歩き回って”探して残す”という役目はなぜですか?
”鈴”にとっては本の世界を歩き回って、人の残滓或いは人生の欠片を探して残すと意味する。その意味では、古の人類文明の火種を盗んで残したプロメテウスとも言える。もっとも、人類がプロメテウスにより作られたという説もあるだろうに、私は本作ではその両方として理解すればいいと思う。
うそ(鷽)とは何?本作において、”桜の樹の下には死骸が詰まっている”という言葉の意味はなんですか?
原文によると、鷽とは桜の蕾を食べる鳥、死骸とは絶滅した人により残された人類文明の火種たる本、滅ぼされた人類文明(死体)の残滓を養分に桜の樹は成長して開花し、”鷽”であるロボットの鈴と優真(アダムとイブ)を養う。
その意味では言及された”アダムとイヴ、エデンの林檎、蛇”という隠喩とも合っている。アダムとイヴはもちろん”鈴と優真”を指しているが、彼らは旧世界の最後の人(神)の創造した原初の”人類”、博士(蛇)の教えにより”文明の火種”たる本(林檎)を読んで(食べて)、楽園(機械文明)を後にして人の世を始めて、もう一つの人の世の始まりとなる。
鈴の”内側の宇宙”あるいは”壶中天”と呼ぶものがあるよね、それはなんですか?
それは少なくとも2つの持っている。一つ目は、本の中の世界。二つ目は、ひとの心の中の世界。二つで一つ、”鈴は本を読んでやり取りをして自らの心を成長させ、期に及んでその心の中の世界を流出させ世界を塗り替える”
”子供を取り戻す”とはどういう意味ですか?
”子供”とは”大人”と相対する概念です。一つ目は、”大人”が旧世界の”人でなしになった人”と理解すれば、鈴の創造した新世界の人は正しく”子供”になる、年齢が下ですから。この意味で”子供の国”が意味をなす。二つ目は、感情のままに笑い、泣き、幸せを堪能するが子供と原文がそう言ったなら、それは”無機質的、感情がない、正しさかつ真実のみを信じる”
本作において、”認識力”とはどういう意味ですか?
パンドラの箱という言及された隠喩を考えてください、パンドラがその箱を開けてそして希望を閉じ込めるという話ですね、本作ではそれは少なくとも二つの意味を持っている。一つ目は、”超人紀元”の人が開けるべきじゃない箱を開けた自分を絶滅させた。二つ目は正しくその裏返しになる。パンドラが箱を開けて”悪”を解き放て、希望のみを閉じ込めたということですが、たとえばその”悪”が”悪と定義された諸々”とすれば、それは正しく”超人紀元”の実態を意味する。”希望(HOPE、本作において超人の元なる組織)を以て悪を排除した”、だったら”超人紀元”に残されたのは”希望”のみではないか?それはパンドラの箱の中とほぼ同じですね。ですが、”悪”と定義された諸々はまだ本に残されて”鈴”の壺中の天に根付いた、だとしたら認識を逆転させ、パンドラの箱の内側と外側の認識を逆転させれば、壺中の天こそが外側、”超人紀元”こそが内側なら、認識力により世界が、人類が救われるということになるのです。それは夕陽さんも言ったのです、認識の変換により咲良の言葉が取り戻したのが何よりの証。最も、”認識を変換”とはゲームが”信じる”と称した。
"二人が初めて見た夕焼け"とはどういう意味ですか?
それも”認識”の問題です。夕焼けとは夜に入るという時点を指しているが、それが”旧世界あるいは超人紀元の黄昏”ということを象徴する。ですが、発想を逆転させれば、もしも夜と昼が逆になっていたとしたら、夕焼けもまた夜明けになるでしょうに。それこそが、”鈴”の流出した新世界の始まりの曙を意味している。
8.ひたすら長い文章になっていたが、見落としところもたくさんあるだろうに、ご指摘いただければ幸いです。