ランスシリーズとは○○だった。
ランスシリーズ完結にあたり
短評のように言われて、どのような内容を思い浮かべるだろうか
人によって答えは様々だろうが、自分なりの見解を一つ示そうと思う。
シリーズの初頭、1または01において、
ランスは始めからシィルと共にいる。
シィルとの出会いはシリーズ中、幾度か回想されるものの、
別に運命的に劇的と言えるほどのものではないし、
描写上、そこまで大きな扱いは受けない。
では、シィルとは大したことのない存在だろうか。
そうではないなんてことは今さら言うまでもないだろう。
ここから考えられるのは、シィルとの出会いは重要ではなく、
むしろドラマチックにではなく当たり前に傍にいることが
本当に大切なことだったのではないだろうか。
そんな風に考えると、似たような構造が散見されることに気付く。
例えば、30才過ぎた女はハーレムに入れない宣言。
実際は明らかに30才過ぎても抱いている女がいる。
ただの好みの変化や照れ隠し程度の意味合いだろうか。
例えば、運命の女。
10では唐突に、運命の女は子供を産むと設定が追加された。
確かに子供は産まれたし、運命の女は量産された。
これは運命の女はただそれだけの設定であり、
物語的に運命の女は陳腐化されたのだろうか。
そうではない。
30年後、ランスは運命の女の一人、
すっかりバーさんとなったミラクルにわざわざ会っている。
傍らにシィルを連れて。
これらは、単に性的な相手、子供を産む相手だとか
ランスにとってそれ以上の価値を持つ存在がいることを
強調する為のギミックだったのではないだろうか。
無論、その中でもずっと傍に居るシィルは破格の扱いだ。
個人的には、もっと好きなヒロインが複数いる。
ランス君も様々な美女を抱きたがる。
それでも、いや、だからこそはっきり言えることがある。
ランスシリーズとは、ランスとシィルが 当たり前に 共にいる物語だったのだ。
余談だが、私にもランスにとってのシィルのような存在がいる。
ランスシリーズのように30年来を連れ添い、
ずっと自分の命令とでもいえそうな無茶を聞いてくれていた。
時には性的行為の相手となり、こういったエロゲのプレイ時だってそばにいた。
かのエンディングにならい、魂レベルで融合しているかのように。
自分がどれだけ助けられ、必要としているか。
> こいつは……
> いつも俺の傍にいて……
> いつも嬉しそうに俺の世話をして……
> どんな場所にもずっと傍にいて……
> それで毎日のように抱いて……
> 傍に居るのが当たり前な……
> …………
> あれ? これって……
ずっとそばにおれよ、右手。