繰り返す昨日に サヨナラをして
ロボット三原則。それは人間への安全性、命令への服従、自己防衛の3つの原則から成り、アイザック・アシモフのSF小説の中で登場するものですね。あくまでも小説内でのみ適用されるものですが、他の創作物にも、そして現実にも影響を与えています。
minoriの新作は、この三原則を、作中で登場する「アンドロイド」に当てはめ、人間と共有する"同じ想い"、そして"違い"に戸惑い、どう歩んでいくか、ここに根幹があります。
共通ルートは、シロネと想いを交わし合うものの、一波乱のち、主人公が記憶喪失になるという流れ。記憶喪失って便利なツールだなと思ってしまうのが正直なところ。これは全般に言えることですが、キャラクターの"我"が強すぎて、ヒステリック気味になったり、主張や想いが一直線すぎたり、と思ったら今度は言ってることがコロッと変わったり。ここのメーカーは良くも悪くも、テンポよく、なので、描写がサクッとしていて、どこがターニングポイントなのかイマイチわからなかったですね…… 主人公の記憶喪失が転換点ではあるんでしょうが、それが上手く機能したとは言えないと感じました。
シロネルートは、共通からの流れが出来ているからか、わりと違和感なく、入り込めました。まぁでもシロネの感情表現があっち行ったり、こっち行ったりで、気になるところはありましたが。シロネの存在がそもそも、白音ではなく、妹ではなく、自分で道を選ぶ1人のアンドロイド。その中で、どう人間とアンドロイドが恋をして行くか、その真っ只中で、主人公の死が訪れます。何故か。彼が"トリノ"として、シロネと生きていくのが正解だったかは分かりません。しかし、意図知れずして、主人公に死を与えて、シロネは生を繋げた。何故か。これは、ハッピーエンドでは到底ない。しかし、バッドエンドでもない。人にはいつか終があり、自我を持つアンドロイドだけが取り残される、当然の帰結ではあるものの、いささか急きすぎたように思います。
夕梨は、個別ルートに入ってから好感度が落ちた珍しいタイプ。共通ルートで見ていた元気印はとても気に入っていたんですが、個別ルートに入るやいなや、病気の話題が主となります。シロネの一件で主人公に開いた隙間に無理矢理入り込んだものの、結局は病気を理由に、ユウリにそれを譲るも、その後が感情的に拒絶したり、途端に諦めの境地に達した考えになったりで、残念。どうも"生"と"死"を隣り合わせたシナリオにしたいようですが、おそらく筋ジストロフィーのようなものと思われますが、個別ルートからその雰囲気は微塵もなく、唐突すぎます。しかし、夕梨とユウリを対比させ、"死"を受け入れた者、"生"を感じ始めた者とで、目線が異なるのは面白いですね。キャラクターやシナリオバランスに疑問符は付くものの、作品全体としてみれば、必要なテーマであり、これを如何に自然に組み込むかが、ポイントだったように思います。
最後に沙羅ルート。そもそもの起点である沙羅のルートは、前2つのルートをベースに展開していきます。前半は、わりと穏やかで、真トリノ開発を中止し…というところで、話が大きく動きます。ここらがメインストーリー。フランケンシュタイン・コンプレックスに近いしいところで、サラと沙羅は異なった理想で対します。悪役の所長は全く悪役として機能せず、サラが本当のラスボスというのかはよくある構図ですけどね。「トリノライン」の意味や、これからに向いたエンディングまでの流れで、スッキリした終わりではないものの、余韻を残した締めかたになっていると思います。結局シロネではなくて沙羅がメインに据えられたお話だったんですね。
そもそもの「トリノ」には、作品のビジュアルでもキーになっている「鳥籠」や第3者視点や3つの原則を含め、接頭語としての「3(tri-)」など、色んな意味が見えますね。カタカナの造語には、作品に込められたダブルミーニングが隠れていることが多いように思いますし、これをどう表現するかに、力量が試されているのだろうと思います。